024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(30)
時は少し遡り、エバンスがグレミィル半島を経ってから三年の月日が経った頃。
即ち、角都グリーヴァスロで苦境に喘ぐノイシュリーベと再会を果たした直後。
彼女を激励して立ち直らせたエバンスは、エルカーダ一座の仲間達と共に南イングレス領よりグレミィル半島へと渡り、遂に帰還を果たした。
グラィエル地方からブレキア地方へ、そしてエルディア地方を経てグラニアム地方に至る各地を巡り、城塞都市ヴィートボルグへ辿り着く頃にはエバンスも十五歳の誕生日を迎えていた。
三年ぶりにベルナルドやダュアンジーヌと再会すると、彼等は立派に大成しつつあるエバンスの姿を見て大いに喜んでくれた。
城館で働いている元同僚の使用人達や、侍従のアンネリーゼなども同様だった。
そして……同じく十五歳を迎えたサダューインも丘上の家屋に戻っていることを耳にしたので彼に会いに行ったのである。
ノイシュリーベがあのように変貌していたこともあり、グリーヴァスロを発ってからずっと気掛かりであった。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の家屋 ]
その日、休暇を貰ったエバンスは懐かしき丘上の家屋へと足を運び入り口の扉を三回ノックすると、やや間を置いてから褐色のエルフが出迎えてくれた。
「お久しぶりでございます、エバンスさん。
サダューイン様なら奥の部屋に居られますので、どうぞお入り下さい」
「こちらこそです。スターシャナさん、だよね?
随分とその、貫禄があるなぁって……少し驚いたよ」
「……現在はサダューイン様専属の従者、兼特務部隊の一員として
働かせて貰っております。詳細はあの御方よりお聞きいただければ幸いです」
淡々と語る。黒を基調とした侍従の衣装を身に纏い、完璧な所作で家屋の中へと案内する姿は、どこからどう見ても熟練の侍従にしか見えない。
奥の部屋に通されると、サダューインの他に数名のヒトが部屋に滞在していた。
部屋の中央に幾つかの席が設けられており、様々な種族の者達が腰掛けている。サダューイン本人は部屋の隅に置かれた席に座り、何かの書類の山に目を通している最中であった。
十五歳になったサダューインは体格的にもすっかり成長を遂げており、並の騎士よりも遥かに逞しい肉体と顔付きを成していた。
川辺で泣き腫らしていたノイシュリーベとは対照的に、その面貌は自身に満ち溢れており、新たな挑戦を試みる者特有の野心と希望に満ちていたのである。
「エバンスか! 久しいな、正に見違えるように成長したものだ」
「君のほうこそね、心配はしていなかったけど想像以上に順調そうで安心したよ」
二人は再会を祝い合い、次いでサダューインは自身の近況説明を行う前に部屋に滞在している者達について紹介をしてくれた。
ドワーフの職人だというテジレア。エルフの狩人であるアイロニー。蟲人の魔術師ビョルン、獅子人随一の武芸者として名を馳せたイェルハルド卿。半樹人のニルス。黒髪の妖魔カリーナ……などなど。
こうして見渡すと実に多様な種族が集っており、各自がそれぞれ得意とする分野に於いては類稀なる実力を備えているという。
ヴィートボルグを発ったサダューインはグラナーシュ大森林の各地を転々として見分を広める最中に、能力は高いが氏族社会から疎んじられていた者達に声を掛けて回り、自身の部下にならないかと呼び掛けた。
この部屋に集った多くは、その時に勧誘された者……というわけである。
そうして着実に仲間を集め、足場を固めていったサダューインは『森の民』が抱える闇を垣間見た。即ち、ベルナルドとダュアンジーヌですらどうにも出来なかった"黄昏の氏族"の暴挙である。
"黄昏の氏族"は氏族としての姿勢を崩すことはなく、僅かな譲歩を見せてはいるものの『人の民』を食料または家畜として扱う意思を曲げようとはしない。
定期的に他の氏族が治める地方を経由してグラニアム地方やウープ地方へと遠征して来るのだ。これには他の氏族も大いに頭を悩ませているのが現状である。
サダューインは、この問題をどうにかしないことにはグレミィル半島に真の安寧と栄光は訪れないと考えた。そして、それはベルナルドとダュアンジーヌの子供である己の使命であるとも捉えていた。
そこで彼は更なる足場作りと、英雄的な武力に頼らぬ方法での力を蓄える方策を打ち出して、実践することにした。
グラナーシュ大森林で約一年間ほど生活した後に、なんと彼はラナリア皇国領へと渡り、皇国最高峰の学究機関である『オルスフラ学園』へと入学したとのこと。
エバンスもエルカーダ一座の一員としてラナリア皇国領へ訪れたことがあったがサダューインが皇国領へ渡ったのは、丁度その一年後となる。
オルスフラ学園では主に経済学と軍事学について本格的に学び、常人であれば……といっても入学すること自体が常人では不可能なほどの難関ではあるのだが。
通常は卒業までに五年以上もの月日を要するところをサダューインはなんと一年という短い期間で、然るべき知識を全て学び尽くして卒業してしまったという。
そればかりか在学中に有志を募り、十四歳にして皇都から少し離れた港湾都市コペリオンにて私的な貿易会社を設立。
更に中型の商船を一隻買い取って実際に交易を始めたという
主に"魔女の氏族"が治めるレアンドランジル地方の港町とコペリオンを海路で往復し、グラナーシュ大森林内で採れる特産品を皇国領で売り捌くという形となる。
この事業は成功しつつあり、サダューインは独力で莫大な富を築き始めていた。
「……そうして、ささやかな資本を得た俺は次の段階に進むことにした。
つまり我が理念を象っていくための特務部隊『亡霊蜘蛛』の組閣だ。
彼等の協力を得て、俺は必ずグレミィル半島をより善い領土にしてみせる!」
部屋内の席に座る多種多様な顔触れを一望しながら告げる。
即ち、スターシャナを含む此処に集った者達こそがその特務部隊の創設メンバーになっていくということなのだろう。
着実に……否、遥か一足飛びで前に突き進んでいく友人の姿を目にしたエバンスは、真なる英雄の器を垣間見た気がした。
サダューイン本人は父ベルナルドに対して快い感情を懐いてはいないようであったが、仲間を集めて最善の路を突き進もうとする姿は皮肉にも父親譲りと云えた。
「成程、あの大書斎でサダューイン様と一緒に議論させていただいていた
特産品の交易などの計画を、一つ一つ実現していらっしゃるのですね……」
「ああ! 細かい部分こそオルスフラ学園で学び得た知識で補強してはいるが
交易路や扱う商品など、骨子となる部分は君と研鑽した日々があってこそだ」
エデルギウス家の館で暮らしていた幼少期、二人は地下の大書斎で毎日のように勉学に励み、時として意見を交わし合っていた。
故にエバンスはサダューインが成した事業の手際の良さに舌を巻きつつも、同時に彼ならば十二分にやってのけるだろうという納得と理解を得たのである。
「……サダューイン殿。組閣の件まで開けっ広げに話していいのかい?
その狸人の坊やとは随分親しげな間柄なのは見てりゃ分かるけどさ」
「問題ないさ、テジレア。エバンスは信用できる俺の友人だからな。
本来なら彼も『亡霊蜘蛛』に迎え入れたいところだった……」
「それ程の男なのかい」
「ああ、俺が保証する。
この部屋まで通したのは、皆に彼の顔を覚えてほしかったからだ」
ドワーフの職人、テジレア……この中で唯一グレミィル半島の外から渡って来た女性が発した疑問にサダューインが答えると、他の者も一斉にエバンスに対して注目していった。
「えっと、おいらはまだまだエルカーダ一座の一員として
大陸中を巡業している最中なんで、その部隊には入ることは出来ません。
それに……」
「ははっ、分かっているさ。エバンスは姉上のお気に入りでもあるからな。
残念だが勧誘は最初から諦めているとも。
君を取り上げでもしたら、怒り狂った姉上から凄まじい折檻を受けてしまう」
冗談めかしながら嘯くと、部屋に居座る面々を順次紹介していった。
「いずれエバンスが姉上の下で働くようになった際には
テジレア達と業務上の連絡を取り合うことも十分に有り得るだろう。
その時のために、今のうちから顔繫ぎをしておくのも悪くないと思ってな」
「ははぁ……相変わらず用意周到ですね」
ともあれ旅芸人として売り出し中のエバンスとしても様々な者達と知り合う機会を得られるのは願ってもないことであった。
サダューインを介して一人一人の顔と名前を覚えて回った後に、一同を交えて思う存分に談笑に耽った。
改めて三年ぶりに再会したサダューインの様子は、正に順風満帆といった様子であった。彼が本来持ち合わせていた頭脳と才能が余さず開花し始めているのだ。
彼を慕い、或いは勧誘を受けてこの部屋に集った面子はいずれも訳有りな人物ではあったものの実力は本物であり、その力を結集していけば凄まじい組織に成り得るのだろう。それこそ、グレミィル半島を影から牛耳ることが出来る程に。
「(……おいらやノイシュと同じ十五歳なのに、この躍進ぶり)
(やっぱりサダューインは規格外の傑物だよ)」
幼少期より彼と関わってきたエバンスだからこそ、一段深い視点でサダューインという男の凄まじさを理解する。
同時に、余りにも速く歩き過ぎる彼に何処か危うさを感じていた……。
それから三年の月日が流れてエバンス達は十八歳となった。
エルカーダ一座より独立したエバンスは、その足で角都グリーヴァスロを訪れて従騎士に昇格したノイシュリーベと二度目の再開を果たしていた。
互いに順調に前に進めていることを喜び合うと、名残惜しくも南イングレス領を発ってグレミィル半島へと戻ることにした。
ノイシュリーベだけでなく、サダューインの様子も伺いにいくためである。
然れど、この時。再会したサダューインは大いに荒れてしまっていた……。
「クソッ……クソォォォ!! 俺に、俺に……もっとチカラが有れば!
ギルガロイアや裏切者のグュルザンツなどの好き勝手はさせなかったのに!!」
三年ぶりに丘上の家屋を訪れると、今まで見たこともない程の激情を発しながら両腕で作業机を叩き付けるサダューインの姿が在った。
全身の至る箇所に深い傷を負って幾重にも包帯や治療用の魔具が施されている。特に眼球ごと貫かれた右目付近に厳重に巻かれた包帯は一際、痛々しい……。
敵対者への激しい怒りと敗戦の悔恨。己の無力さを嘆く姿は悲憤に塗れていた。
聡明である筈の彼の頭脳は今や復讐に捕り憑かれており、エバンスが訪ねて来たことにすら気付かない有様であった。
「……この様な状態ですので、申し訳ございませんが今日はお引き取り下さい」
恭しく首を垂れながら、スターシャナが申し訳なさそうに呟く。
彼女もまた手足に幾らかの傷を負っている様子であった。
「いったい何があったんですか!? 彼があんな風になるなんて……」
「……場所を変えましょう」
そう言って家屋の外へと案内され、入念に周囲を見渡して聞き耳を立てる者が居ないことを確かめたスターシャナが静かに語り始めた。
「"黄昏の氏族"の客将ギルガロイアが『大森界』を征服しようと
グラナーシュ大森林を南下し始めたのです……つまり、反乱でございます」
「な、なんだって……!? そんな一大事が起きていたなんて……」
「ギルガロイアは近年、グレミィル半島に流れて来た竜人種。
嘗ては火の民と呼ばれ、キーリメルベス大山脈の奥地で暮らしていたそうですが
棲み処を追われた末に"黄昏の氏族"の支配するイェルズール地方を頼りました」
「よりにもよってイェルズール地方を選ぶなんて、とんでもない奴だ!」
「はい、御存じの通りイェルズール地方は魔境と云われています。
恐らくは元の棲み処、竜人種が暮らしていた場所と風土が近しいのでしょう。
そして新天地で功を上げ、地位を確立するために反乱を起こしたそうです」
「……"黄昏の氏族"の中には前々から暴れたくて仕方ない連中が大勢居たからね。
そのギルガロイアってヒトの蜂起は正に渡りに船だったわけだ」
「このことを逸早く察知したサダューイン様は、我々『亡霊蜘蛛』を率いて
反乱鎮圧に乗り出しました。事が大きくなる前に人知れず鎮火するために……」
現在のグレミィル半島の統治について大なり小なり不満を懐いている者は一定数存在する。ベルナルドは大領主としても有能で、二つの民の諍いを一旦は沈めることに成功していたが、それでも見えないところで火種は燻り続けているのだ。
もしも今回の騒動が大々的に衆目の知れ渡るところとなれば、水面下で潜在的に燻っている者達に蜂起の機会を与えることにもなり兼ねない。
そこでサダューインは最速で手を打つべく独断で鎮圧に乗り出したのである。
英雄ベルナルドが直接 騎士団を動かせば、それだけで反乱の事実と規模を大衆に知られてしまう可能性が高くなるからだ。
「ギルガロイアの反乱は"黄昏の氏族"の総意ではなく彼に賛同した一部の者です。
『亡霊蜘蛛』だけでも作戦次第では充分な勝算がありました……ですが」
ギルガロイアが率いる反乱軍の総数は約二百名。
中隊規模が精々といったところだが、"黄昏の氏族"は一人一人が常軌を逸する凶悪さを誇るために、この戦力でもグラナーシュ大森林に多大な負荷を与えられる。
対処するサダューインが率いる『亡霊蜘蛛』の総員は五十名。
更に臨時で冒険者や傭兵を高額で雇い入れ、その総数は五百名近くに至った。
サダューインは武将としても、軍師としても十二分な才覚を持ち合わせており、更にオルスフラ学園で皇国最高峰の軍事学をも修めている。
充分な戦力に聡明な将、そして大森林内の地勢を活かした効果的な策や計略。
本来ならば敗北する可能性は限りなく低い戦であった。
「"妖精の氏族"の元氏族長、グュルザンツがギルガロイアに加勢したのです」
「ええっ、嘘でしょ! グュルザンツ様はサダューイン様の遠縁だよね!?」
「……動機は未だに不鮮明ですが、彼が裏切ったことは事実です。
私達は側面より"妖精の氏族"の軍勢からも奇襲を受けました」
地勢を活用した待ち伏せと一撃離脱を繰り返し、少しずつギルガロイアの手勢を減らすことに成功し始めていたところに脇腹を突かれる形で、矢の雨を浴びせ掛けられたのである。
これによりサダューインの軍勢は総崩れとなり、ギルガロイアの猛攻を正面から浴びて壊滅的な被害を被り、サダューインやスターシャナも大怪我を負った。
『亡霊蜘蛛』最強の武人であった獅子人のイェルハルド卿が決死隊を募って退路を切り開き、どうにかサダューインを含む一部の生き残った者達を退がそうとしたがグュルザンツ軍が退路を塞ぎに掛かり、完全に周囲を包囲されて絶体絶命の危機に陥ってしまったのである。
然れど、常理はサダューインという傑物の命運を見放さなかった。
イェルズール地方に赴いた際に彼と意気投合を果たしていた吸血種の碩学者が救援に駆け付け、サダューイン達を包囲する一部の部隊の無力化に成功。
この機を逃さず、生き残った者達を再編成したサダューインは一点突破で包囲を掻い潜り、更に裏切者のグュルザンツの首を討ち獲って生還を果たしたのである。
その後、遅撒きながら『翠聖騎士団』のジェーモスが率いる魔法騎士が到着し、グラナーシュ大森林を南下しようとしていたギルガロイア軍を追い払った。
しかし純人種であり『人の民』である彼等では大森林の奥地にまで追撃することは適わず、結局は首謀者であるギルガロイアを逃してしまったのであった……。
「……サダューイン様に雇われた冒険者や傭兵は、ほぼ全滅。
我々『亡霊蜘蛛』も総員の八割方を失いました」
「……ッ!!?」
つまり四百九十名近くの戦死者を出したということである。
三年前、この家屋の大部屋でエバンスが顔合わせした者達も何名かは含まれているのかもしれない。
無論『大戦期』の犠牲者に比べれば遥かに少ない数ではあるが、それとこれとは話が別である。
この敗戦は十代のサダューインにとって拭うことの出来ぬ傷を刻むことになる。
「おいらみたいな部外者に教えてくれて有難う、スターシャナさん」
「いいえ、貴方はサダューイン様の御友人ですから。
ただ暫くの間は、あの御方との面会は控えたほうがよろしいでしょう」
「そう……だね。あの様子だと、おいらの声も届くとは思えないし。
スターシャナさん、どうか彼のことをよろしくお願いします」
「勿論でございます。この命を賭してでも、あの御方に尽くすと決めましたので」
その場で再び首を垂れて一礼した後に、彼女は家屋の中へと戻っていた。
スターシャナの言動や表情は相変わらず淡々としたものであったが、その胸中に秘めた主君への想いと忠誠の在り方は、直感的に己に近しいものがあるとエバンスは感じ取ったのである。
「(おいらがノイシュとの立ち位置を弁えて尽くしたいと思っているように)
(あの人も、サダューインに対して……だったら、任せるしかないよね)」
友人のことは心配だ。しかし今、己に出来ることは何もない。
ノイシュリーベの時とは違って彼の周りには、エバンス以上に彼を想う者が居るのだから、信じて待つより他にないだろう。
丘上の家屋に立ち寄ってから三ヶ月が経過した。
その間、エバンスは市街地のリーテンシーリア広場などで楽奏や大道芸を披露しつつ、件のギルガロイアの反乱について探っていた。
どうやらヴィートボルグの市街地では反乱に関する噂は広まっておらず、『翠聖騎士団』が出撃したことについては「魔物の大群を討ち獲るために出向した」と認識されているようである。
「(これも生き延びた『亡霊蜘蛛』の人達がやっているんだろうなぁ)」
サダューインが組閣した特務部隊のうち、武力に秀でた者の大半は戦死してしまったものの、代わりに裏方仕事や諜報に長けた者達は生還を果たした。
今後はより慎重に、より闇に溶け込んで暗躍する暗部としての側面を強めていくことになるのだろう。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十階 魔導研究所 ]
ヴィートボルグに滞在している間、城館にも足を運んでベルナルドやダュアンジーヌとも何度か面会していた。
グリーヴァスロで従騎士に昇格したノイシュリーベのことや、旅立ちの前に預かった『霊滓綺装』の適合者がまだ見つからないことなど、話題には事欠かない。
驚いたのは城館内の設備の充実ぶり。ダュアンジーヌが開発した魔具を組み込んだ設備が各部屋どころか廊下の至るところに転用されていたのである。
現在の季節は秋の半ば。ぼちぼち大山脈颪により吹き荒れる寒波が丘上で暮らす者達を凍えさせる時期だというのに、城館内では一切の冷気を感じない。
そればかりか城館の地下部には上下水道を束ねる区画が合理的に再配置されており、非常に高度な生活設備が整えられていたのである。
「あの子が、自ら設備投資のための資金を提供すると言い出したのですよ」
地下深くの研究所内に座すダュアンジーヌが静かに語った。
彼女の話によればサダューインが興した事業が本格的に軌道に乗り、莫大なる富を得たためにヴィートボルグの生活設備に宛がいたいと申し出たとのこと。
ベルナルドも、ダュアンジーヌも最初は断っていたが度重なるサダューインの申し出と熱意に膝を折る形で受け入れたのである。
そうしてヴィートボルグの城館は生まれ変わり、設備改修で培った技術などは、次は市街地の公共設備に転用されていくという。
「……あの子は、私達の想像を遥かに超える人物に成長しようとしています。
ただ歩む速度があまりにも速過ぎたばかりに、躓いた時に大怪我を負いました」
流石に、心底より心配そうな声色で所感を述べる。
躓いたとは、先のギルガロイアの反乱での敗北のことを言っているのだろう。
「コホッ……コホッ……」
「大丈夫ですか、ダュアンジーヌ様!」
「ええ、まだ……幾らかは。少し休めば、直ぐに収まりますよ」
ここの所、ダュアンジーヌと面会する度に頻繁に咳をする様子を目の当たりにしていた。明らかに体調を崩している。
何らかの重い病ではないかと心配して訊ねてみたが返答は決まって「私はもう、いい歳ですからね……このようなこともあります」としか返ってこなかった。
「それよりもエバンス。あの子は今、重大な分水嶺に立とうとしています。
決して無理強いする心算はありませんが、もし貴方さえ良ければ
今後もあの子と変わらず接してあげてください……」
「勿論です。サダューイン様なら、きっとより良い路を進まれる筈。
ノイシュリーベ様もそうですが おいらは彼等を信じています」
「ふふ、あの子達は本当に良い友人に恵まれました。
ノイシュリーベも今頃は順調に騎士に近付いていると耳にしています。
この鎧も……そろそろ完成させなくてはなりませんね」
研究所内に安置されている白く輝く甲冑に視線を傾ける。
以前にエバンスが見た時よりも幾らか細部の形状が変わっており、また肩と腰の近くには可動式の草刷りが追加されていた。
「ほぼ出来上がっているように見えますけど?」
「ええ、首から下の甲冑部分は概ね完成しています。
後は兜部分、特に面当てをどうするか……ですね」
周囲の台を見れば試作品と思しき兜が転がっている。既存の全身甲冑を参考にしつつノイシュリーベに相応しい形状を模索しているようであった。
これからグレミィル半島を背負っていく者として、大領主の座を継ぐ者として、臣下や領民を率いる者が纏うに相応しい甲冑でなければならないのだ。
「ノイシュリーベ様でしたら、この形状の兜などが好みじゃないでしょうか」
彼女を知悉するエバンスは、転がっていた作例の中より一つを選んで指差した。
後方に流れるように伸びる角のような装飾や、目に該当する部分に三本線の装飾が施された特徴的な兜であった。
「あら……ノイシュリーベって今はこういうのが好きなのですね。
成程、若い時にあの人が着用していた鎧に少し似ています」
咳を堪えて微笑みながら、ダュアンジーヌは件の兜を両掌で拾い上げる。
その後も姉弟について幾らか話し合ってからエバンスは丘上へと戻った。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の家屋 ]
城館の一階へ続く階段を登りきると、侍従達がサダューインについて話している場面に出くわした。
曰く、最近になって久しぶりに城館内を出歩いている姿を目撃した。新たな部下と思しき若い姉妹を引き連れて練兵所で鍛錬を繰り返しているらしい。
「それでサダューイン様ったら、見たこともないお綺麗な女性を連れていたのよ」
「あら、まあ! センリニウム様とのご婚約は実質的に破談となったそうだけれど
早くも次の相手を見つけてきたのかしら?」
「どうかしら? 連れて来た女性達は、どうもどこかの元お貴族様みたいで~
とても大きな怪鳥と珍しい黒い馬に乗っているのよ、只者じゃないわ」
……などなど。娯楽に飢えた侍従達の恰好の話の種と化していた。
どうあれ無事に再起を果たしつつあることはエバンスにとっても喜ばしく、早速ながらサダューインが居座る家屋へ、三ヶ月ぶりに足を運んだ。
「……サダューイン様でしたら部屋に居られます。どうぞ、お入り下さい」
入口の扉を開いて出迎えてくれたのは、やはりスターシャナだった。
彼女もすっかり傷が癒えたようで、手足に撒かれていた包帯が外されている。
しかし、その表情は決して明るいものではなかった。
廊下を渡って奥の大部屋へ。
エバンスはやや緊張しながらも踏み込むと、其処には総身を黒尽くめの衣装で覆い隠した長身の男性が椅子に腰掛けていた。言うまでもない、サダューインだ。
「エバンスか、この間は見苦しい姿を見せてしまったようだな……。
スターシャナから聞いたが、君が来てくれたことにも気付けなかったとはな」
「気にしないでよ。君達に何が起こったのかも彼女から聞いた……災難だったね」
「ああ、昔から己の無力さを痛感することは多々あったが、
あの時に感じた絶望と後悔は桁違いだった……だが、あの敗戦を経たからこそ
俺は新たなチカラを手に入れることが出来たんだ」
言いながら、双眸をエバンスに傾ける。
スターシャナ同様に既に怪我は完治しており、包帯が外されていた。
「……ッ!! さ、サダューイン、その目は?」
眼球を貫かれて失明した筈のサダューインの右の瞳は、完治を果たしていた。
否、明らかに元の瞳とは色も形も異なっている。
サダューインの双眸はノイシュリーベと同じで母親譲りの翡翠の如き色だった。しかし現在の彼の右目は、金色。そして爬虫類を彷彿とさせる縦長の瞳孔が垣間見える。
「ああ、これか……魔眼を移植したのさ。
高い代償を支払ったが、おかげで無事に視力を取り戻すことが出来た。
そればかりか魔眼の能力に加えて、とうとう俺は魔術が使えるようになった!」
複雑な面持ちを浮かべながら、魔眼に意識を集約させて魔力光を灯してみせる。
魔法を修め、魔術についてもサダューインとともに研究してきたエバンスは、彼の右目より微かな魔力が発露していることを察した。
「それは……おめでとう?
良かったじゃないか、正に怪我の功名ってやつだねぇ」
「ふっ、まあ魔力を得たといっても低位の魔術を行使するのがやっとだがね。
しかし零と一では雲泥の差だ。もう俺は無力なままではいられないからな……」
と、その時だった。エバンスの周囲を浮帯する精霊の"声"が響いてくる。
コワイ…… コワイヨ…… アノヒトノセナカ。 アノヒトガセオッタモノ。
モウ ヒト ジャナクナッテル…… バケモノ! バケモノ ダ!
「……サダューイン、背中に何か隠してない?」
珍しく恐怖に慄いたかのような"声"の質から、ただ事ではないと察した。
「ほう、流石はエバンスだな……大した洞察力だよ。
やはり君はモノが違う。君の前では隠し事をするのは難しいな」
オッドアイと化した双眸を細め、口端を僅かに歪ませる。
エバンスの背後に立つスターシャナからは緊迫した雰囲気が伝わってきた。
「そうだな、君にならば見せてしまっても構わないだろう。
察しの通り、俺が新たに得たチカラは魔眼だけじゃないんだよ」
ズ ゾ ゾ ゾ ゾ ……
次の瞬間、サダューインが纏う衣装の後部が不自然に膨れ上がり、裡より何かがゆっくりと突き出す光景を目の当たりとする。
其は、腕だった。
一本ではない、一種類ではない、都合 六本……六種の腕が背中より生えていた。
「…………」
背後に立つスターシャナが目を伏せて、思わず顔を逸らした。
「サダューイン……その姿は……」
エバンスも大いに動揺した。その悍ましき姿に、ヒトではなくなった所業に。
何故ならば、彼の背中より突き出した腕にエバンスは見覚えがあったからだ。
獅子人の逞しき剛腕。
蟲人の細く脆い節腕。
魚人の小さな鱗に覆われた、しなやかな腕。
半樹人の堅そうな無骨な腕。
鎧人の鋼殻質な腕。
樹人の樹枝にしか見えないような腕。
六本のうちの半数は、三年前にこの大部屋で紹介された『亡霊蜘蛛』の者達の腕であったのだ!
恐らくは残りの半数も、同様に彼の部下達の遺骸より移植したのだろう……。
「イェルハルド、ビョルン、ノスフーガ、ニルス、アシュリナ、イドゥン。
……皆、俺の大切な仲間だった」
一人一人の名を呟くたびに、彼の双眸に涙が滲んでいく。
「遺体を回収できなかった者達もまだ大勢居る。
無能な俺のせいで! 殆どの仲間達を死なせてしまった!!
散っていった無名の冒険者や傭兵達もだ!」
やがて表面張力の限界に達した涙が、彼の頬を伝って零れ落ちた。
「だから俺は背負うことにした。彼等の意思を、彼等のチカラを!
彼等の腕をこの身に宿し、新たな時代を掴むために掌を伸ばしていくと決めた」
背後を振り向いてみせると、六本の腕は外科的な手術によって彼の背中……脊椎の神経と接続されて一体化しているようであった。
真新しい施術痕が幾重にも刻まれており、見ているだけで痛々しい。
再び正面を向いてエバンスと視線を重ねると、次いで六本の腕を自由自在に動かしてみせた。
善し悪しは別として、彼の身に施された移植手術は非常に高度な技術が用いられており、この分では他にも様々な肉体改造を施しているのかもしれない。
「……君は、それで本当に良いのかい?」
悍ましい化け物を前にして、震える声で尋ねるしかなかった。
「ああ、父上や母上では出来ない手法で、俺はこのグレミィル半島の民を護る!
大領主の座を継いだ姉上では採れない邪法を用いて、闇の淵から害獣を裁く」
涙の筋が奔った面貌なれど、瞳に宿る意思は余りにも苛烈だった。
「未だにグレミィル半島を脅かす"黄昏の氏族"は勿論のこと、
『人の民』の中にも叛意を懐く不埒な輩は相応に存在するからな……。
騎士となった姉上が光り輝く路を歩むのなら、俺は闇に塗れた路を歩いて行く。
全てを背負い、統べてを掴み獲り、真の平穏へと至らせるためにな!!」
「…………」
常人では決して理解の及ばぬ聡明な男だからこそ、時に愚かな選択へと至る。
何故に彼が、自身の身を歪に変容させてまで決意したのか。この時のエバンスにはその全容を理解することは適わなかった。
ただ眼前の友人が、静かにヒトであることを辞めたことだけは理解した。
英雄の肉体と"魔導師"の頭脳を受け継いだ次代の傑物が、その恵まれた身体を贄に捧げて新たな位階へと歪な進化をしようとしたのである。
そう、彼はヒトであることを自ら放棄して、魔人に成り果てていたのだ――
・第24話の30節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・今回もなるべく1つの節内に納めるべく文字数が嵩んでしまい申し訳ございません。ここまで読んで下さった方々に改めて感謝いたします!
・文字数の関係で本分中より泣く泣く削ってしまった部分の補足となりますが
実はサダューインが14歳の時にオルスフラ学園へ入学した際に、エシャルトロッテとラスフィシアの姉妹と出会っていました。
彼女達は"燦熔の庭園"と呼ばれる隣の大陸の貴族家の出身だったのですが、訳有ってラナリア皇国に留学しており、上記の学園に通っていました。
その後、姉妹の生家であるドニルセン家が政敵との争いに敗れて没落し、一家は散り散りとなります。
そしてサダューインが18歳となりギルガロイア軍との戦いで敗北して多くの仲間達を失った後、没落して途方に暮れていた姉妹と再会し、新たな戦力として彼女達を『亡霊蜘蛛』の一員として勧誘した……という経緯があります。
この辺りことは、いずれ本編で描いていけたら良いなぁと考えております。
・次にサダューインの"樹腕"についてですが、本文中にもありましたように18歳時点では6本だけでした。
ですが本編中では11本(プロローグⅠでは12本)となっており、時間の経過とともに更に仲間を失って、彼等の腕を移植していった形となります。
・腕などの身体の一部を移植してキメラ状態になる、というのはファンタジー作品では割とよくあることだと思いますが
幻創のグラナグラムに登場する「ヒト」と呼ばれる者達は、"主"によって設計・管理・運用されている生き物なので
"主"の設計を無視して別の手足を生やすというのは実は結構、大変なことだったりします。※治癒魔法などで失った手足を再生することは可能です
・さて、次はいよいよ第24話の締めとなります。
投稿予定日は9/16ですが、もしかしたらずれ込んでしまうかもしれません。