024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(27)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十階 魔導研究所 ]
ヴィートボルグに戻ってきたエバンスは、早々にダュアンジーヌから個別の呼び出しを受けて彼女の根城である地下の研究施設へと足を運ぶことになった。
使用人として二年ほど城で働いていたにも関わらず、地下三階より下層に赴くのはこれが初めてとなる。
ヴィンターブロット丘陵の麓より更に五十メッテほど地下部に位置する施設は、未知の技術で編まれた魔鋼の要塞の如き有様であり、訪れたエバンスはまるで巨大な生き物の胎に呑まれたかのような錯覚を覚えた。
「わざわざ呼び寄せてしまって申し訳ありませんでした。
アンネリーゼにお茶を用意させますので、手頃な椅子にお掛けになって」
研究施設に足を踏み入れたエバンスは、山と積まれた資料の束や研究道具などに唖然となってしまっていた。部屋中の机という机には紙の束や何らかの機材、そしてヴィートボルグを縮小したと思しき精巧な模型が置かれている。
魔具技術を応用した都市のインフラ設備を整える計画を実行している最中なのだろう。城館で働いている間に、そのような噂を耳にしたことがあった。
そして一際、目を惹いたのはダュアンジーヌの座る席の隣に置かれている白く輝く全身甲冑である。これもまた彼女の研究の一環であると思われるが、都市の設備から武具の開発に至るまで、本当に幅広く手掛けているようである。
「いえ、おかまいなく! おいらもダュアンジーヌ様にこれまでの御恩と、
お暇の挨拶をしたいと思っていたところですので!」
「ふふ、貴方も大きく巣立っていくのですね。
今の時代だからこそ出来ることを、精一杯おやりなさい」
微笑みながら発する言葉には、どことなく寂しそうな色合いも含まれている。
彼女と接した機会はそう多くはなかったが、ベルナルド同様に真摯にエバンスのことを気に掛けていてくれたことが伺える。
「はい! ノイシュリーベ様達に救ってくださったこの人生、
決して無駄にはいたしませんし、生涯を賭して御恩を返していきたいです」
「結構なことですわ。
これからもどうか、あの子達のことを気に掛けてあげてください」
隣に置かれた全身甲冑に視線を移し、遠い未来を眺めるように言葉を続ける。
「あの子が騎士として認められ、この甲冑を纏う日が訪れるのが楽しみですわ」
「凄い、鎧ですね……いえ、鎧型の魔具というべきでしょうか?」
「ええ、魔力を効率的に伝達させる魔術を複層構造的に刻印してあります。
あの子の両目の『妖精眼』と連動させることにより、その効力は相乗される。
例え身体能力では劣っていても、この甲冑が余さず補ってくれることでしょう」
つまり、この全身甲冑は将来的に成長したノイシュリーベ専用の武装として彼女に贈るために研究・開発を続けている最中というわけなのだ。
豪奢なドレスや礼装ではなく全身甲冑として仕立てる辺り、少なくともダュアンジーヌは娘が目指そうとしている生き方について肯定していたのであろう。
「さて、今日 貴方に来ていただいたのは特別に頼みたいことがあったからです」
表情を引き締めながら、改めてエバンスの佇む方角を見据えて語り掛ける。
和やかな雰囲気より一点して張り詰めた空気へと移り変わる様子をエバンスは肌で感じ取った。即ち、"魔導師"ダュアンジーヌからの密命が下されるのである。
「あちらの金属製の封柩を御覧なさい」
掌を傾け、部屋中に点在する研究物の中の一角を指差した。其処には二メッテ四方の巨大な立方体がひっそりと安置されていたのである。
『グーヤ、ベィフリア、ドゥ……ドゥ、ラォバ……』
言の葉に魔力を乗せて、指差した立方体に語り掛ける。
サダューインとともに様々な言語について学んでいたエバンスは、それが古グラナ語の中でも特に古い時代の発音のものであると瞬時に察した。
『ウープ、ルース……ニグ、フェイル……セデュオリング……ベィフリア』
まるで赤子をあやすように言の葉を賜し、魔力をじんわりと注ぎ込んでいく。
さすらば立方体の随所に五条の発光線が迸った後に、奇妙な形に分断して中に納められていた物体が独りでに現れたのであった。
ウワァ…… コンナトコロニ アッタンダ! ナツカシイ! ナツカシイヨ!
エバンスの狸耳に久しぶりに精霊の"声"が響いてきた。
心なしか普段よりもかなり燥いでいる様子が伝わってくる。
「……ダュアンジーヌ様、これは!?」
紺桔梗色と象牙色の金属の塊。
細部には黄金細工が施されているだけではなく、大きな赫い宝玉のようなものが五つほど埋め込まれており、一目見ただけで尋常ならざる代物であることが解る。
そして金属塊は幾重にも折り畳まれて立方体に収納されていたようであった。
『……オルテラ、ステルニーグ』
再び古グラナ語でダュアンジーヌが語り掛けると、折り畳まれていた金属塊が蠢き出し、本来あるべき姿を象り始めた……。
「これは……弩砲、ですか?」
金属塊が変容した姿は、壁上に設置されている弩砲を縦向きにしたかのような構造をしている。ただし弦は見当たらず、また弓部分が何らかのチカラによって浮遊していた。
ただ視界に入れているだけだというのに、この物体から放たれる圧倒的な存在感にエバンスは呑まれ掛けてしまっていた。
「これは『霊弓アルケオシーカー』と云います。
遥か太古の時代にラナリキリュート大陸を襲った強大なる侵略者達に抗うべく
先人達が叡智を結集して創り上げた、『霊滓綺装』と呼ばれる逸物の一つ……」
「『霊弓アルケオシーカー』……『霊滓綺装』……」
エバンスはただただ言われた言葉を鸚鵡のように繰り返すことしか出来ない。
正に、御伽噺に登場する伝説級の武具そのものであった。
「……嘗て、わたくしの古い友人から託された代物ですわ。
その友人からは相応しき担い手を探し出し、渡すように請われていたのですが
残念ながら、わたくしはもうこの城から離れることが出来なくなりました。
そこでエバンス、申し訳ないのですがこれから大陸中を巡っていく貴方に
この『霊滓綺装』を預けます。わたくしの代わりに担い手を探して下さい」
「そ、そのような大役……おいらに務まるのでしょうか!?
それに、流石にこれだけの大きさの物体を運ぶのは……」
エバンスの懸念は至極当然であった。何せ展開状態の『霊弓アルケオシーカー』は彼の全身を優に超える程の大きさと質量なのだ。仮に立方体の箱に詰め込んだ状態であったとしても、到底持ち運び出来るとは思えない。
「その点に関しては問題ありませんわ。
正確に言えば、この『霊滓綺装』を預けるのは貴方に付いている精霊です。
……さあ、お取りになって?」
虚空を見詰めて先導する。恐らくはエバンスの周囲に浮滞する巨大な精霊に対して語り掛けているのだろう。
ヒサシブリダナァ マタアエルトハ オモワナカッタヨ!
明確な感情の発露を感じさせる"声"が離れていき、次いで『霊弓アルケオシーカー』が眩き蒼光を放ち始めた。
その輝きは一瞬にして研究所内を照らし尽くし、発光が収まる頃にはあれだけの質量を持った物体が忽然と消え去っていたのである。
「…………ッ!!?」
何が起こっているのか、エバンスには皆目見当も付かない。
しかし上機嫌な"声"が耳元で何度も響き渡っている様子から、己に付いている精霊が何か仕出かしたことだけは辛うじて感じ取れた。
「貴方に付いている精霊は特別な個体……。
この『霊滓綺装』の最初の持ち主の分霊といったところでしょうか。
ですから物質を霊滓化させて融合させておくことが適うのですよ」
「……おっしゃっていることの意味が、その……分からないのですが」
「難しく考えることはありません。
貴方がこれから出会う人々の中に『霊滓綺装』に適合する人物が居たのなら
あとは貴方に付いている精霊が率先して手渡してくれることでしょう」
「つまり、おいらはただエルカーダ一座の一員として旅を続けて
一人でも多くのヒトと関わっていけば良いってこと……なんですね?」
「その通りです。貴方に付いている精霊を一目見た時より
いつか、こんな日がやって来るのではないかと思っていました。
勝手なお願いで申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします」
軽く会釈をするダュアンジーヌより、こうして大きなものを託された。
「……はい。それがダュアンジーヌ様への御恩を返すことにも繋がるのなら
この密命、確りとやり遂げてみせますよ!」
疑問に思うことは数多く存在したが、それでもエデルギウス家に奉公する者として断るという選択肢は無い。意を決して引き受けることにしたのであった。
その数日後、ヴィートボルグを発つ姉弟のためにささやかな宴会が開かれ、翌日には各々が目指すべき路に向かって出発することとなる。
ノイシュリーベとサダューインを見送った後にエバンスもまた正式に暇乞いを行い、麓に滞在していたエスキル達と合流を果たした。
エルカーダ一座がヴィートボルグを発つ日には、大領主であるベルナルドが見送りに来てくれた。
「じゃあな、ベルナルド。次にこの都市に立ち寄るのは何年後か分からんが、
まあ定期的にお前の面を拝みに戻って来てやるからよ!」
「楽しみにしているよ、エスキル。君達もどうか息災で……旅路の幸運を祈る。
それから、出来ればエバンスのことをよろしく頼む」
「ふん! そいつはこのガキ次第だな。
まあ、お前が技を仕込んでたんだ、そう簡単に潰されることはないだろうぜ」
「ベルナルド様、今まで本当に有難うございました!
必ず一廉の人物と成って、戻って参りますので」
精一杯の恩義と感情を籠めて頭を下げる。己もいよいよグレミィル半島より旅立つことを実感する度に、思わず目頭が熱くなり涙が零れそうになっていた。
「君が頑張って掴み取った路だ、精一杯 生き抜いてみせなさい。
ノイシュやダインと同じく、君が成長した姿を再び見ることが出来るよう
ダュアンジーヌと共に毎日 祈りを捧げているよ……いってらっしゃい」
「はい……!!」
能う限りの声を張り上げて言葉を発する。声を張らなければ溢れた涙で、まともに喋れなくなってしまいそうだったから。
斯くして狸人の旅芸人としての、記念すべき第一歩を踏み出したのである。
城塞都市ヴィートボルグを発ったエルカーダ一座はグラニアム地方を南下して、隣のグラィエル地方へと渡った。
そこから更に南東の方角へ伸びるスコラット街道を突き進み、途中でこの地方を象徴するバルテナ湖と、その湖岸で栄える湖都バステナルへと立ち寄る。
座長であるエスキルの計画によれば、南イングレス領を経由してラナリア皇国の各地で興行を行った後、海路でアルドナ内海を渡って西アルダイン領へ。
そこから大陸東部のデルク同盟の勢力圏内へと進んでいくとのこと。
デルク同盟の勢力圏を抜けた後は只管に北上してキーリメルベス連邦へと至る。正に大陸中を股に掛ける遠大なる巡業の軌跡であり、都合三年近くの道程だ。
即ち、エスキルに見込み無しと判断されたならば冗談抜きでエバンスは見知らぬ異国の地に放り捨てられるというわけなのである。
エバンスはより一層に気を引き締めた。凄まじい速度で街道を進む一座に必死に喰らい付き、寝る間を惜しんで先輩達と交流を深めて様々な芸を教わり続けた。
[ グラィエル地方 ~ 湖都バステナル 歓楽街 ]
バステナルに到着した一行は、行政に話を付けて数日間の興行の段取りを済ませると歓楽街の安宿を借り切って暫し滞在することになった。
大所帯の一座であるがために、大きな都市に滞在する際には郊外に天幕を張るか、このような安宿を丸ごと貸し切り状態にすることが多いという。
バステナル近辺には湖賊と呼ばれる悪辣者達が大昔から跋扈しているので、エスキルは諸々の安全性を考慮して都市内で仮初の拠点を構えることにしたのである。
宿に着き、荷を預けて一息着いた一行は早速ながら歓楽街に繰り出していく。
一座に所属する多くの男性にとっては貴重な余暇や遊興の機会となるのだろう。その中には、エスキルに半ば強制的に連れられたエバンスの姿もあった。
「丁度、お前も十二歳になるって話だったよな。
なら歓迎会も兼ねて夜の町ってやつを教えてやるぜ」
「いやいやいや! まだこういう場所は……おいらには、ちょっと……」
エスキルに肩を組まれて強引に町中を歩かされる最中、エバンスは目のやり場に困り果ててしまっていた。
グラィエル地方は、他の地方や南イングレス領との橋渡しを兼ねており、様々な立場の者達が行き交うことで知られ、特に湖都バステナルはその傾向が強い。
故に後腐れなく一夜の出会いを嗜む法や設備が充実していたり、湖岸沿いならではの気風と相俟って、道行く者達の恰好も聊か開放的であったのだ。
「何を言ってやがる! うちは大陸の隅から隅まで渡っていくんだからなぁ。
この程度の色町でビビってるようじゃあ皇国領のコペリオンや、
エスブルトのランジュムールの街に着いた時はカモにされるだけだぜ」
手には酒瓶を握り締めており、早くも酔いが回っているようである。
その姿だけを見たならば元貴族とは到底思えないし、名門一座を束ねる座長であると言ったところで誰も信じる者は居ないだろう。
「いいかエバンス、ベルナルドの奴からお前を預かった以上は
様子見がてら一年間は連れ回して、仕込んでやるって言ったよな?」
「はい……」
「うちは綺麗ごとだけでやってるわけじゃないんだぜ。
客だって貴族だけじゃない、平民から場末の冒険者まで選り好みはしねぇ!
こういった場所で、くだらねぇ快楽に身を染める連中の気持ちなんかも
確りと汲み取ってやらねぇと、一流の芸は成り立たねぇのよ」
「…………」
「小奇麗な芝居がやりたけりゃ皇都の歌劇団にでも入りやがれってんだ!
貴族だけを相手に演奏したけりゃ宮仕えの吟遊詩人にでもなれば良い!
だが俺達は大陸中のヒトを相手に商売をする旅芸人だ。
だからよぅ……清も濁も、光も闇も、全部吸収して自分のモノにしてみやがれ」
多少の酔いが回っているためか、エスキルの口調は次第に熱を帯び始めていく。恐らくは彼の人生観が如実に籠められた言葉なのだろう、とエバンスは悟った。
「そうやって初めて各国の街並みや、そこで暮らしている連中を偏見のない目で
見ることが出来るようなる。そんで大陸中でウケる芸を成り立たせられるのさ」
その言葉を耳にして、エバンスは暫し黙考する。
エルカーダ一座への入団を願い出たのは旅芸人としての大成と、大陸各地を自由に渡る力を得るためであるが、同時にノイシュリーベ達に代わって各国を見て回り世情を彼女達に伝えるためでもあった。
ならばエスキルが語るように煌びやかな街の昼の顔だけではなく、歓楽街のような夜の顔……即ち、清濁関わらずに踏み込んで行く必要があるのだろう。
まだ子供だから、など言い訳にはならない。
時間は有限であり、出会いは一期一会。再び同じ街に訪れる機会が有るとは限らない。今この瞬間に躊躇しているような生き方では凡庸な人生で終わってしまう。
或いはエバンスがただの平民であったならば、それでもよかったのだろう。
だがエデルギウス家の者達と関わり、あの姉弟の友人であることに誇りを感じ、そして恩義を返したいと願ってしまったならば、凡人ではいられないのである。
「分かりました……お手柔らかにお願いします、座長」
必死に絞り出すかのような、震える声で言葉を発した。
一瞬、銀輝の髪を長く伸ばし始めた美しき恩人の姿が脳裏を過ぎった。
彼女に対する後ろめたい思いが沸き立ち、本能と純情がエスキルの誘いを全力で拒もうとした。
然れど、嗚呼……然れども、真に自由な旅芸人として大成していくためには、彼の言うことは一理有ると直感が告げている。
光の当たらぬ世界で暮らす者達にも触れ合っていかなければ、偏った視界でしか常世を見渡すことが出来なくなる。故に、聡明なエバンスは受け容れたのだ。
「おうよ! 一年経った後も、俺達の流儀に付いて来れていたら
大陸一周する頃には手前ぇも一端の男になってるだろうぜ!
……精々 気張れよ。そして愉しめ! 自分の人生ってやつをな!」
肩を組む腕に力を込めながら、語る言葉に座右の銘を籠めながら、エスキルはあらゆる場所にエバンスを連れて行った。
綺麗なもの、汚いもの、楽しいもの、辛いもの、喜劇も、悲劇も、幻想も、幻創も、各地に点在するあらゆる現実を垣間見せられることになる、
そうして大陸中を巡りながら、現在のエバンス・エルカーダという人物像がじっくりと醸成されていくのであった。
・第24話の27節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・今回少しだけ登場した霊弓アルケオシーカーですが、これはアルビトラの持つ霊刀アガネソーラと同じカテゴリーの武器となっております。
この物語中で霊弓アルケオシーカーが真の持ち主の手に渡ることはないと思いますが、それを預かったエバンスの命運がどのようになっていくのか、ご注目頂ければ幸いでございます。