024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(26)
騎士修行を行うために角都グリーヴァスロへ赴くノイシュリーベ。
より広い見識を得るためにメルテリア地方の首府ライゼルへ赴くサダューイン。
『エルカーダ一座』に入団を果たし、大陸中を巡ることになったエバンス。
間もなく別々の路を歩むことになる三人の子供達は、雪解けの候を迎えた直後にエデルギウス家の館に集っていた。
僅か約二年ぶりの帰郷。然れど、子供達にとっての約二年間とは掛け替えのない長い時間であり、此処で過ごした日々が遠い昔のように感じてしまう。
三人は家宰長のヘルマンや、他の使用人達に挨拶して回ると早速ながら近くの小川の畔を目指して歩み出した。
以前よりも着実に身体が成長しており、相応に歩幅も増している。数年前はやや遠く感じた小川までの道程も、今では拍子抜けするほどに近場に感じたのだ。
「懐かしいわね、前はよくこの辺りで遊んでいたんだっけ」
「そうそう、毎日のようにノイシュに連れ出されていた覚えがあるよ。
大変だったけど、今考えると良い息抜きになっていたかな」
「ふふん、もっと私に感謝しなさいよね!」
「あはは、それはもう……。
君が居なかったら、おいらはとっくの昔に野垂れ死んでいたわけだしね」
春の訪れを感じさせる、心地良い一陣の風が小川の畔を駆け抜ける。
それは季節の移り変わりを告げる息吹であり、旅立ちの象徴。
二人は互いが出会った当初のことを思い出して、ともに苦笑し合った。
あの時の彼女達からすれば、今こうしていることなど到底想像できないだろう。
「本当に、見違えるほど変わっちゃったわ……。
言葉さえ満足に話せなかったのに、今じゃ大陸中を巡る一座の一員だなんてね」
肘の辺りまで伸びた銀輝の髪が、春前の風に煽られて煌びやかに棚引いた。
見違えるほど変わったと言うのであれば眼前のノイシュリーベこそ、そう称えられるべきだとエバンスは思わざるを得ない。
幼子は着実に麗人への階段を登り始めており、社交界でも絶大なる注目を浴びていると幾度も耳にしている。これから騎士に至るための修行を行うなど、一体誰が信じるというのだろうか?
互いに大きく変化を感じ合えるほど幼少期の濃密な時間を過ごした者達は、この春より別々の路を歩む。
傍に居て当然であった者達が離れ離れとなるのだから、交わす言葉の一つ一つに過去の記憶が付随して回るの必然なのだ。
「……姉上、エバンス。旅立ちを前にして感傷に浸っているところで悪いが
敷布はこの辺で広げさせてもらってもかまわないか?」
二人よりやや遅れて畔に着いたサダューインが、抱えていた荷物を適当な場所に降ろしながら言葉を掛けてきた。なおノイシュリーベは手ぶら、エバンスは飲み物の入った水筒や簡易机を両手に抱えて運んでいる。
「え、あ……ごめん。その辺で大丈夫だと思うよ。運んでくれて有難うね」
「ふっ、やはりお邪魔虫は館に戻っているほうが良いかな?」
からかうように返答しながら、敷布を広げていくサダューイン。
数ヶ月前に、丘上の家屋で見せた憔悴の貌はすっかり払拭されているようだ。
「ば、莫迦! そんなんじゃないっての!
それに三人でやらないと意味ないでしょうが!」
少し慌てたかのようにノイシュリーベが言葉を返し、敷布の上に真っ先に腰を下ろして寛ぎ始めた。
「お互いに次に顔を会わせるのはいつになるか分からないわ。
でも、その時はお父様やお母様に恥じない人物になっているようにしましょう」
「当然です。我々は幸運にもそのための機会をいただいたのですからね。
勿論、三人ともそれぞれ努力を重ねた末に切り開いた路なのですが」
「そうだねぇ、色々あったけど……よくやく人生の道筋が視えてきた気がするよ」
敷布の上に簡易机を設置し、更にその上に三人分の木盃を置くとヴィートベリーを原材料とした果実水を慣れた手付きで注いでいく。
「ん、いつもありがと。それじゃあ、早速やっていきましょうか!」
木盃の一つを手に取り、率先して掲げてみせる。
エバンスとサダューインも彼女に倣って木盃を掴み、同じ高さまで掲げた。
「我等、暫し歩む路を違えども 各々の志は必ず未来で再び交わることでしょう。
常理で生き抜く者として、グレミィルの大地で生まれ育った者として、
恥じることがないよう進み続けていくことを、此処に誓いましょう」
小さな口をはきはきと動かして、ノイシュリーベが音頭を取る。
「エデルギウス家の長女にして次代の当主として!
必ず騎士となって戻って来ると誓うわ!」
「エデルギウス家の一員として、グレミィル半島で暮らす全ての者達が
より善い生活を送ることが出来るよう、我が人生を費やすと誓おう……」
「エデルギウス家の恩義に報いるために、持たざる者達に希望を届けるために、
この両腕と両脚を捧げてでも歩み続けると誓います」
それぞれが宣誓を発すると一斉に木盃に口を付けて果実水を飲み干していった。
そうして三人は暫し、川の畔で最後の朗らかな一時を共に過ごすこととなる。
肌を撫でる風はまだまだ寒気を滲ませてはいるものの、着実に春の息吹が見え隠れしている。
新たな土地へと旅立つならば、多少 肌寒いと感じる時分が丁度良い。道中で立ち寄る町や村などのヒトの営みの痕跡を有難く感じることが出来るからであり、山野の景色もまたより鮮明に映ることだろう。
野外で盃を交わしての談笑もまた掛け替えのない記憶として刻まれるのである。
「んー、でもやっぱり飲み物だけじゃ物足りないわね。
エバンス、なにか食べ物は持って来なかったの?」
「ああ、最初は簡単なものを作って持って行こうと思っていたんだけど
途中でサダューインから提案を受けて止めにしたんだよ」
「折角の貴重な機会ですからね。
作り置きよりも、作り立ての温かい軽食のほうが良いと判断しました。
直前で館で作らせて、此処に持って来させる手筈で……丁度、来たようだ」
館の建っている方角を見やると、編み籠を載せた手押しの移動台を押しながら、こちらに近付いてくる一人の侍従の姿が見えた。
ノイシュリーベ達にとっては見慣れない背の高い女性の侍従であった。
「え、あのヒトって……」
「嘘でしょう、あの肌の色……まさか!?」
その女性の容姿を見咎めた二人がそれぞれ驚愕に満ちた面貌を浮かべた。
それもその筈、彼女は『森の民』の間でも忌むべき存在として扱われているダークエルフだったからである。
本来ならば発見と同時に処刑されるか、さもなくば投獄されている筈なのだ。
「ご苦労様。初めて訪れる土地だろうに、川辺まで迷わなかったか?」
「はい、館には善き風精達が大勢舞っておりましたので、
彼等に道を教えていただきました……」
左目の『妖精眼』を灯しながら返答し、深々と頭を下げた。
「姉上、それにエバンス、この機会に紹介しておこう。
新たに"俺"の専属の従者となる予定のスターシャナだ……真名ではないがな。
現在はフィグリス家で預かり、侍従の修行のようなものを積ませている」
「あ、あんた……なんて奴を連れ出したのよ!?」
「成程ね、あの時に話していた彼女だったのか」
口をぱくぱくさせて憤るノイシュリーベに対して、凡その事情を知るエバンスは彼女の正体と経緯に付いて察したのか直ぐに落ち着きを取り戻していた。
「姉上、スターシャナは非常に優秀な女性です。
ダークエルフが忌むべき存在などと、所詮それは古い慣習と偏見に過ぎません。
貴方がエバンスを見出したように、俺は彼女を見出した……何か問題でも?」
実に堂々とした素振りで語る姿と存在感は、既に子供の位階を逸脱している。
以前のサダューインも大人びてはいたのだが、それは何処か無理やり背伸びをしていたかのような危うさを含有させていた。しかし今は違う。
一肌剥けたのかの如く一切の不自然さを感じさせることがないばかりか一人称まで『僕』から『俺』に変化していた。故にノイシュリーベは圧倒されてしまった。
「……ま、まあ一理あるけども」
「以前も話しましたが、俺もグレミィル半島の不要な慣習などは早期に改めたい。
彼女を傍に置くことはその第一歩であると、お考え下さい」
「うぅ……」
「凄いことじゃないか! 流石はサダューインだね。
ノイシュが騎士になって帰ってくることには、スターシャナさん? も
普通に暮らせるようになっていると良いね」
少し姿を見ない間に大きく成長した弟の圧力に躊躇ぐしかなくなったノイシュリーベに、エバンスは助け舟を出そうとした。
そんなエバンスとノイシュリーベにそれぞれ視線を傾けたスターシャナは一歩、前に出てスカートの裾を両手で掴み、恭しく首を垂れた。
「お初にお目に掛かりますノイシュリーベ様、エバンス様。
冬の終わりの時節よりサダューイン様にお仕えすることになりました。
檻より放っていただいた御恩を果たすべく、生涯を賭して尽くして参ります」
物心が付いた時から、僅か数ヶ月前までの間を檻に閉じ込められていたとは到底思えない程に洗練された所作であった。恐らく、檻より出された後は一秒たりとて無駄にはしない気概で必死に学んでいるのだろう。
その片鱗を感じ取ったのか、或いは自分と同じ『妖精眼』も保持者ということで仲間意識が芽生え始めたのか、ノイシュリーベの警戒心が緩み始めていた。
「ええ、よろしくお願い……するわ。
少し驚いちゃったけど、出発するまでにはなるべく慣れるようにするから」
「おいらのことは呼び捨てでかまわないよ~。
立場的にはスターシャナさんと大して変わらないからね」
面を上げて再び一礼した後に、スターシャナは踵を返して館へと戻っていく。
彼女が持ってきた移動台に載せられた編み籠には、焼き立てのライ麦パンに保存用の葉野菜と腸詰肉、そして乾酪をスライスした具材が挟まれていた。
葉野菜の新鮮さは失われているが、独特の風味の調味液に浸すことにより、むしろ味わいに奥深さが醸し出していた。
「……これ、中々いけるわね。
でも館の料理でこういう感じの味付けって今までにあったかしら?」
軽食自体はよくあるレシピで、館で暮らしていた頃にも時折 振舞われていた。しかし挟んである葉野菜の味付けは、初めて口にする類のものであった。
「この調味液はグラナーシュ大森林の西側……"魔女の氏族"に伝わるものです。
スターシャナが知っていましたので試みに作らせてみました」
「ダークエルフ族で、レアンドランジル地方に縁があったってこと?
なんだか不思議なヒトだね」
「俺もまだ彼女の全てを知っているわけではないからな。
首府ライゼルで投獄されるより以前は、別の町で監禁されていたのだろう……」
「そっか、絶滅寸前の種族だものね……何があっても不思議じゃないや」
「あんたが連れ出したんだから、ちゃんと最後まで責任持ちなさいよ!」
「ふっ、当然です。グュルザンツ殿を始め、お歴々の認識を変えてみせますよ。
姉上の方こそ騎士を目指されるからには、どうか酔狂で終わること無きように」
「ふん! どうせあんたも内心じゃ無理だって思ってるんでしょ。
十数年後には吠え面かかせてあげるから、覚悟しておきなさい!」
「まあまあ、二人とも……折角の互いの門出を祝う席でもあるんだしさ。
それに久しぶりに顔を会わせたんだし、ゆっくり味わおうよ」
空になった木盃に果実水を注ぎながら眼前の友人達を宥めた。
このヴィートベリーの果実水はグレミィル半島で暮らす者の間では、有り触れた飲み物だが余所の地ではまず口にすることは出来ない。
特にノイシュリーベの場合は再び飲む機会を得られるのは十数年後ということも十二分に有り得ることだろう。
その事実を改めて察したのか、ノイシュリーベは珍しく自分から折れて木盃を受け取り、その後は粛々と決起会という名のささやかな宴席を楽しむことにした。
斯くして三人の子供達は、変わった味付けの軽食と果実水を嗜みながら各々が遠慮なく語り合い続けた。
これまでのこと。これからのこと。己が成したい目的と将来について。実に様々な話題に飛び火しては盛り上がりを見せる。
正午過ぎより始まった宴席は、いつしか夕暮れ時に差し掛かっていたという。
思えば、何の気兼ねなくこの三人で談笑することが適ったのは、この日が最後であったのかもしれない……。
・第24話の26節目をお読みくださり、ありがとうございました。
長かった三人の子供時代の御話ですが、26節目にして要となる部分を無事に描くことが適いました。
ここまで読み続けてくださった皆々様、本当にありがとうございます!!
・さて、次節からは駆け足気味に現在の彼等に繋がる状況を描いて参ります、恐らく31~32節くらいで第24話を締める形になっていくと思いますので、もうし少々お付き合いいただければ幸いでございます。
・次回更新は9/8を予定しております。