024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(24)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の家屋 ]
サダューインが住み着いた家屋に到着したエバンスは、入り口となる扉に設えてある打ち鐘を三回鳴らして来訪を告げた。
この家屋は、嘗ての大書斎のような感覚で二人が勉学を共にする場となっていたので、エバンスにとってはここ一年半の間にすっかり通い慣れたものである。
「ああ、君か」
やや間を空けてから扉が開き、中よりサダューインが姿を現した。
数日ぶりに目にする彼は、明らかに憔悴している様子だった。
この家屋に彼の身の回りの世話をする使用人や侍従は立ち寄らない。例によって彼との会話に付いていくことが出来ないため、役に立たないからである。
強いて言うならば、エバンスが勉学や武芸の鍛錬の合間にその役割を担っているといっても過言ではなかった。
「……サダューイン、どうしちゃったのさ。随分と顔色が悪いよ」
「まあ入ってくれ、この時期の丘上の寒さは堪えるからな……」
建物の奥のサダューインが私室としている大き目の部屋へと通される。
「ベルナルド様から聞いたよ、何か問題を起こして謹慎処分になったんだって?」
「ふっ、やはり……そのことか」
椅子にどかっと座り、溜息混じりの疲弊した声色で言葉を返してくる。
サダューインの挙措の一つ一つから悔恨が滲み出ており、エバンスは無性に彼のことが心配になってしまう。
普段は堂々と、自分の理念と積み上げた知識を信じて振舞う彼であるが、現在の姿は余りにも弱々しく感じられた。
「もし良かったら何があったのか訊いても良いかな?
勿論、無理にとは言わないよ」
春からはお互いに別々の路を歩んでいくのだ。場合によっては数年は顔を会わせることが出来なくなるかもしれない。
故に、エバンスは少し強引にでも彼が起こした問題について踏み込み、何か力になれることはないかと考えたのである。
「……取り返しの付かないことをしてしまった」
椅子に座りながら頭を抱えて俯き、唸るようにして言葉を絞り出す。
本当に、普段の彼からは到底想像も出来ないほどに苦悩が表面化していたのだ。
言うべきかどうか迷いながらも、サダューインはぽつぽつと言葉を零し始める。逡巡しながらも応じてくれたのは、それだけエバンスのことを友人として認めているからなのだろう。
サダューインの証言は以下の通りであった。
彼はこれまで通り、定期的に婚約者センリニウムが暮らす"妖精の氏族"の氏族長の領域に足を運んでいた。そして、其処で監禁されている『妖精眼』持ちのダークエルフの女性とも面会を続けていたという。
ダークエルフの女性はサダューインとの会話に付いていけるほどに聡明であり、いつしか婚約者に会うよりもこの女性と話すほうが有意義に感じるようになった。
しかしダークエルフの女性は自らの境遇に対して不満を懐くどころか完全に諦観の極みに達していた。自分を檻に入れた者達や古い慣習や偏見に対して深い憎しみこそ懐いていたが、現状からの脱却を図る意思はとっくの昔に失われたという。
彼女は物心が付いた時から檻に入れられて『妖精眼』の機能が必要とされた時にだけ檻から出されて都合の良い道具として扱われ続けた。
更に肉体が成長していくと、氏族内の物好きな輩達から情欲を向けられるようになり、時折 檻の中で彼等の夜の相手を強要されていたのである。
その真実を知ったサダューインは激昂し、彼女を檻から出す意思を固めた。
しかし前述の通り彼女は全てを諦めきっており、サダューインが檻の中から連れ出そうと手を伸ばしても拒否されてしまったのである。
「貴方様のような高貴な御方が、私のような者に関わるべきではございません。
有らぬ噂が流れてしまう前に、どうか御自分の人生を大切になさって下さい」
淡々とした声色ながら確かな知性を感じさせる言動。物心が付いた頃より檻の中に閉じ込められていたにも関わらず、他者に対する気遣いまで垣間見せる。
そんな彼女が、下らぬ古い慣習や価値観によって黙殺され続けることに、幼いサダューインはどうしても我慢することが出来なかった。
或いは類稀なる才覚を持ち合わせているにも関わらず、世情の柵によって薄暗い部屋で飼い殺しにされ続けている状況が、己の境遇と重ねて視えてしまったのかもしれない……。
サダューインは氏族長グュルザンツを始めとする"妖精の氏族"の有力者達に掛け合って投獄されているダークエルフの開放を願い出たが、子供の言うことに耳を傾ける者は誰一人として存在しなかった。
そればかりかサダューインの正気を疑う者まで現れる始末。
どうにもならないままに時間だけが過ぎ去り、サダューインの立場が少しずつ悪くなっていることを察したダークエルフの女性は、これ以上 自分に関わらせないよう完全に面会を拒絶するようになり、サダューインは己の無力さを突き付けられる結果となってしまった……。
そうこうしている間に物好きな輩が彼女を慰み物とするべく、檻が設けられた建物に足を運ぶ光景を目の当たりとすることになる。
その日、たまたまセンリニウムへの面会を済ませて帰路に着こうとしていたサダューインは、建物に近寄る複数のエルフの男性を見咎めて強烈な悪寒が走った。
気配を殺してその集団に忍び寄り、彼等の会話を盗み聞きしたところ、正にこれからダークエルフの女性へ狼藉を働こうとしていたのだ。
サダューインは激しい怒りに駆られた。
気が付けばエルフの男性達に奇襲を仕掛けて全員を昏倒させていたのである。
「はぁ……はぁ……クソッ!」
彼等が持っていた檻の鍵を奪い取り、拒絶されていることを理解しつつも彼女が囚われている建物へと足を運ぶ。
怒りのままに扉を蹴り飛ばして内部に踏み入って檻へと近寄ると、そこには驚愕の表情を浮かべる彼女の姿が在った。
「何故、来てしまったのですか……。
貴方様はもう関わらない方が良いと、あれ程申し上げましたのに……」
「……僕のことは良い。今直ぐに此処から連れ出してやる」
男性達から奪った鍵を使って檻の扉を開き、初めて彼女の直ぐ傍まで近付いた。
「おやめください……それに今日は他の殿方達が……」
「その者達なら僕が打ちのめして来た。さあ、出るんだ」
褐色の腕を掴み、強引に連れ出そうとした。しかし彼女は尚も拒んできた。
聡明であるからこそ、自身が解放される喜びよりもサダューインの立場が著しく悪化することを恐れたのだ。
「僕が連れ出さなければ、君はあの者達に一生弄ばれるだけなんだぞ!」
「……理解しております。そしてそれが私の運命なのであることも。
ですから、どうか私などに構わないで下さい!」
何十年も繰り返されて来た希望無き投獄生活による諦観。
サダューインという、唯一 対等に接しようとしてくれていた少年に対する温情と罪悪感が綯い交ぜになり、近寄って来た彼を思い切り突き飛ばそうとしたのだ。
「…………」
彼女の両掌が、子供のサダューインの胸部を激しく打ち据えた。
しかし彼の身体はビクともしない。若干 十一歳にして急激に成長し始めた肉体は弛まぬ鍛錬によって並の騎士に匹敵する頑強さに至っていたのである。
其れは正しく英雄に成り得る器。乱世に生れ落ちたならば、父ベルナルドと同じく戦火の中で数多の敵を蹂躙していたであろう傑物の片鱗が顕れていたのだ。
故に、サダューインは己が許せなかった。目の前の女性一人、救うことも出来ない不甲斐なさに。まだ子供だから……などと言い訳にはならない。
「……君の言い分は理解した。
だが、それでも僕は君を此処から連れ出す……どんな手段を使ってでもな」
今にして思えば、この時は完全に冷静さを欠いていたのだろう。
真実を知り、氏族の習わしに憤り、そして己の無力さに辟易した。諦観に暮れる眼前の女性の考えと境遇を無理やりにでも変えて檻から出したいと願った。
子供とは思えない膂力のサダューインの両掌がダークエルフの女性の腕を掴み、その場で押し倒した。
「いや……だめ、です……そんな…………」
翠色の双眸を充血させながら自身に覆い被さる少年に対して、女性は身を竦めて怯えだした。いつも"妖精の氏族"の男達に嬲られる時には、このような恐怖心は感じなかった筈なのに……。
「ぐ、グレミィルの……大地を潜る、大いなる火の……精霊よ……」
ダークエルフの女性の左目が光輪を灯し、魔法の詠唱句を口遊み始めた。
膂力ではこの少年を振り払うことは出来ない。故に、強引に魔法を唱えて撃退しようとしたのである。
それは諦観の淵で全てを受け容れて来た彼女にとっては異例ともいえる反応であり、初めての抵抗であった。
サダューインのことを嫌っているからではない、むしろ彼女なりに恩義を感じているからこそ、彼の輝かしい経歴に泥を塗らせる訳にはいかないと判断したのだ。
「僕は、君を奪う。僕のものにする。
だから……このサダューイン・エヌウィグス・エデルギウスだけに従え!」
息を荒げなら、声を震わせながら、宣言とともに女性の唇を奪う。
「…………ッ!」
当然ながら接吻など初めての経験だ。優雅さや洗練さなどとは程遠い、ただ唇をぶつけるようにしてに押し付けるだけの必死で幼稚な行い。
唇を奪った本人も、奪われた彼女も、それは予想外の行動に他ならない。
彼女が大きく目を見開いて驚嘆し、お互いに頭の中が真白となった。
魔法の詠唱が途切れた。彼女のささやかな抵抗の術が失われた。
牢屋の壁に設えた小さな窓より月光が差し込む薄暗い部屋の中、少年は能う限りの知識と本能と情欲、そして男としての僅かな矜持を総動員して彼女と肌を重ねたのだ。
これ以上、他の有象無象の男共にこのダークエルフの女性が嬲られ続けるというのなら、自分が手を付けて手中に収めてしまおう。
この諦観を極めた無常の瞳に、せめて一筋の感情の光を取り戻させてやろう。
斯様な想いに駆られて、少年は彼女を自分のものにしてしまった。
彼女は少年の愚かな行為に対して、最早 抵抗の意思は示さず受け入れた。
「……以上だ。自分でも本当に愚かな選択をしたと後悔している。
最低だな、これでは彼女を慰みものにしていた連中と変わらない……」
全てを話し終えて、増々 表情を曇らせながらもサダューインは面を上げた。
白状することにより眼前の友人から軽蔑されたり、縁を切られることも覚悟しているようであった。
「…………正直、君がそんなことするなんて夢にも思わなかったよ」
言葉を詰まらせながら、辛うじてそう返事を返すことが精いっぱいだった。
また少年であるエバンスにとっても刺激が強過ぎる話ということもある。
「返す言葉もない。
彼女が僕に恨みを懐き、裁きを求めるのなら甘んじて受け入れる心算だ」
「そのヒトを……その、君のものにしたとして。それで彼女は救われるの?」
「……僕の愛人や妾ということになれば、檻の外には連れ出せると思った。
それで彼女の心まで救うことが出来るかどうかは、あの時は思い至らなかった」
サダューインは子爵家の嫡子であり大領主の息子である。そして"妖精の氏族"の名門であるフィグリス家の出身者を母に持つ稀有な立ち位置。
現在の彼の年齢を考慮しないのであれば、愛人や妾の一人や二人くらい抱えられるだけの立場であることだろう。
そして有力な貴族家に連なる者の庇護下に置かれた女性は一定の融通が利く。
例えダークエルフであったとしても待遇を一変させ得るだろう。或いは、他に一手で彼女の置かれた状況を救済する手立てをサダューインは思い付かなかった。
「サダューインは、そのダークエルフの女性のことが好きだったの?」
「……一目置いていたことは自覚している。だが恋愛感情ではないのだと思う。
というよりも誰かを愛するという感情が僕にはまだ分からない」
「じゃあ、これからそのヒトをどうしていくつもりなのさ?」
「僕が全責任を負ってでも彼女がなるべく真っ当な人生を送れるように支援する。
まずは母上の生家で穏やかに暮らしていけるように嘆願を出したところだ。
……父上達には大分、迷惑を掛けてしまったと思う」
「そっか……流石にこれは、おいらが口を挟める余地はないね。
サダューインがそのヒトを蔑ろにしないっていうのなら、おいらは信じるよ」
エバンスは彼の採った行動について、遠い既視感を感じていた。
褒められるような話ではないし、子供のやったことでは済まされないだろう。
しかし、その根底に在るのは投獄された上に酷い扱いを受けている女性を救い出したい、彼女が少しでも真っ当な人生を歩んでいけるようにしたいという想いだ。
見方を変えるのであれば、裏路地で餓死し掛けていたエバンスを救い出すべく常軌を逸した行動力を発揮したノイシュリーベと根底は同じだといえる。
ただしノイシュリーベはベルナルドを始めとする周囲の大人達を巻込み、遠慮なく頼ることでエバンスを救い出したことに対して、サダューインはあくまで独力でダークエルフの女性を救おうとしてしまった。
類稀なる聡明な頭脳を持つ者だからこそ、周囲の者達を頼ることが出来ない。
故に、愚かな選択をしてでも独力で誰かを救い出そうとしてしまうのだ……。
「有難う……誰かに打ち明けることが出来て、少しだけ心が軽くなった」
僅かに笑みを浮かべることが適い、悔恨に満ちた貌が少しだけ朗らかにになる。
「とはいえ、暫くノイシュの耳には入らないようにしたほうが良いよねぇ……」
「そうだな。姉上が知ったら激怒では収まらないだろう。
いつか全てを伝える気ではいるが……騎士修行を控えている今の時期は、な」
身内が仕出かしたことで、彼女の門出に水を指すような真似はしたくない。
真実を伝えるならノイシュリーベが騎士になる路を諦めて帰郷した時か、或いは騎士叙勲を受けて凱旋を果たした後となるだろう。
「あ、ノイシュといえばだけどさ!
街道の雪が溶けたら、エデルギウス家の館の近くの川の畔に三人で集まって
決起会みたいなものを開こうって話が出てるんだけど、どうかな?」
「ふむ、三人それぞれ別々の路を歩んでいく前に催事を開くというわけか。
良いと思う。君とも暫く会えなくなる訳だしな……是非とも参加しよう」
先程よりも朗らかさを増した笑みを浮かべながら即座に承諾してくれた。
「じゃあ、決まりだね! 早速ノイシュにも伝えてくるよ!
大まかな日にちが決まったら、また伝えに来るからさ」
「ああ、楽しみにしている。……今日は尋ねて来てくれて改めて礼を言う。
誰かに悩みや後悔を打ち明けるというのも、案外と莫迦には出来ないな」
「君はもっと周りのヒトを頼るようにしたほうが良いよ。
そうすれば、もっと出来ることも増えていくだろうしね」
「はははっ、肝に銘じておこう」
そうして二人は席を立ち、サダューインは家屋から城館に戻ろうとするエバンスを玄関先にて見送ろうとした。
「そういえば、すっかり訊くのを忘れていたんだけど。
そのダークエルフのヒトって、なんていう名前なの?」
「スターシャナ……という。
といっても、あくまで投獄された後に便宜的に付けられた名前だそうで
親から授かった真の名前は憶えていないらしい」
「そうなんだ……それはまた痛ましい話だね……」
「彼女の真名を知る者はもうグラナーシュ大森林には居ないのだろう。
だから、これからの彼女が自分というものを取り戻せるように
僕に出来る限りのことをしていきたい」
「うん、そうなっていけるといいね! そのヒトに何処かで会うことがあれば、
おいらも何か出来そうなことを提案してみるよ」
そう言い残して、エバンスは離れの家屋を後にするのであった。
・第24話の24節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・なるべく簡素に表現するように徹しましたが、スターシャナの置かれていた境遇は相当に悲惨なものでした。
子供時代のサダューインがこういう感じの強硬策に出てしまったくらいには氏族社会の闇があった……と察していただければ幸いでございます。
・次回更新は9/4を予定しております。