024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(23)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館三階 大領主の執務室 ]
練兵所での鍛錬の後、城館に戻ってきたエバンスは寒気により冷え切った城内の廊下を渡ってベルナルドが居座る執務室を目指していた。
石造りの壁の至る箇所には絨毯が張られており、幾分か断熱効果を生んでいるがそれでも快適に過ごすには程遠い環境であった。
一部の部屋ではダュアンジーヌが発明した魔具によって暖を採れる仕組みが導入され始めていたが、城館全体に行き渡らせるにはあと数年は要することだろう。
それでも普段は使用人として寒さに耐えて仕事を熟しているエバンスにとっては屋根と壁があるだけでも上等なのである。
特に寄り道することなく目的地に辿り着くと、執務室の扉を三回ノックした。
余談だが、貴人の部屋の扉をノックする際には、その回数によって凡その用件を先に示しておくという習慣があった。
三回ならば、単に目下の者が目上の者へ面会しに来たということである。
「入りたまえ」
「失礼します」
部屋の奥より返事が届いたので、一拍置いてから慎重に扉を開けて入室した。
そこには書類の山を執務机に積み上げて、悪戦苦闘している『大戦期』の英雄の姿が在った。
「……また一段と増えましたね、その書類の山」
「ははっ、『ゼビル島事変』が収束した後も何かと影響が残り続けているからな。
当面の間は机仕事から解放されることはなさそうだ」
やや疲弊した様子で自嘲気味に語る。戦場で槍を振るえば万夫不当の英雄も机に齧り付いての作業はあまり得意ではないらしい。
「心中お察しいたします……ですが、倒れないうちに休んで下さいね」
「なるべくは善処しよう……だが決して悪いことだけではないよ。
これから創設する『翠聖騎士団』の段取りも進めているところだ」
書類の山より一部を手に取り、ぱらぱらと捲ってみせる。
「『翠聖騎士団』……いよいよですか」
その話はエバンスも少しだけ耳にしていた。
ベルナルドが『大戦期』より引き連れている歴戦の騎士達に加えて、新たに『森の民』より選抜した勇士達に然るべき訓練を施して騎士相当の位を授けた上で戦力として組み込むという壮大なる計画である。
現在、ヴィートボルグに駐在する騎士の多くは『人の民』である純人種。故に、グラナーシュ大森林内で問題が発生した際にはどうしても迅速な対応が採れない。 そこで『森の民』の中から騎士を輩出し、新たな騎士団を創設して抱え込むことにより真の意味でグレミィル半島を守る最精鋭戦力として確立するのである。
「エバンスの素養なら、もし騎士を目指して『翠聖騎士団』に入団すれば
将来的には部隊長……いや騎士団長の座に就くことも夢ではないだろうね」
「あはは、それは流石に買いかぶり過ぎですよ。それに……」
「うむ、君が戦いを好まない性質であることは充分に理解しているさ。
……まあ、前置きはこのくらいにして早速 本題に移ろうか」
執務机の引き出しを開けて中に納めていた書類を取り出すと、そのままエバンスに手渡してきた。
書類には既にエデルギウス家の家紋による封蝋が施されている。
「エルカーダへの紹介状だ。持って行きなさい」
「……ッ! あ、ありがとうございます」
首を垂れながら両掌で恭しく受け取った。
「私に出来るのは此処まで。入団が適うかどうかは君の努力と時の運次第になる。
エルカーダの奴は芸事に関して一切の妥協を許さないからな。
紹介状を持参したところで見込みが無いと判断されたら、そこでお仕舞だ」
「いいえ、ベルナルド様のご助力がなかったら
エルカーダ一座の座長には、お会いすることすら出来ないでしょう!
本当に……おいらなんかに、ここまでよくしていただいて身に余る思いです」
「ふふ、昔 約束したからな。
君が目指したい路を見出した時に能う限りの援けをするとね。今がその時だ。
しかし驚いたな……まさか本当に旅芸人を目指したいと言い出すなんて」
「……折角、武芸の稽古を付けてもらっていたのに、すみません」
「いやいや、大陸中を巡る旅芸人一座なら荒事にも対応できなくてはならない。
実際にエルカーダの奴にも『大戦期』の間に幾らか手解きをしたからな。
だから君が真剣に会得してくれた私の技は、必ず何処かで役立つだろう」
「はい! ベルナルド様の名を穢すことがないよう、これからも精進いたします」
力強く頷くエバンスに気を良くしたベルナルドは無言で頷き、次いで背後を振り返って窓の外へと視線を移した。
城館の外では寒波が吹き荒れており、雪がちら付き始めている。
「ノイシュはグリーヴァスロへと、ダインはフィグリス家の領域へ、
そして君はエルカーダ一座への入団を目指す……か。一気に寂しくなるな」
「……申し訳ございません。本来なら救って下さった御恩を返すために
この城で使用人として尽くしていくべきだと弁えていたのですが……」
「ああ、違うさ。私は嬉しいのだよ……子供達が無事に巣立ってくれることにね。
むしろ『ゼビル島事変』が収まった今だからこそ旅立ちには相応しい」
未曾有の災害によって大陸中が緊迫した時、誤情報の流布や疫病の伝染を防ぐべく国境や領境に大量の兵が配置されたために往来が制限されてしまっていた。
ようやくそれも解消されつつあり、南イングレス領への路が再開されたのだ。
「恐らく春頃には三人とも出発することになると思います。
……まあ、おいらだけは入団できたらの話ですけど」
「頑張りたまえ。そして首尾良く一座に入れた後も、どうか旅立ちのその日まで
ノイシュ達と仲良くしてくれると嬉しく思うよ」
「勿論です! ノイシュリーベ様とも、サダューイン様とも
これまで一緒に過ごさせていただいていたので離れ離れになるのは寂しいですが
悔いが残らないようにしていきたいと思います」
「うむ、これで後の心残りはダインへの処遇をどうするかだけとなった」
「……? サダューイン様がどうかされたのですか?
そういえば今朝も練兵所に来られていなかったようですけども」
この頃のサダューインの武力は、既に子供とは思えない位階に達していた。
ノイシュリーベやエバンスとは一線を画し、一対一の摸擬戦であればヴィートボルグで勤務する平均的な騎士とすら互角に立ち回れるほどであった。
故に、近頃はエバンス達とではなく城の騎士達と競うことが多くなっていたが、それでも鍛錬を行うのは第三練兵所であることが多かったのだ。
「……実はな、つい先日だがダインが問題を起こした。
その関係で密かに謹慎を言い渡しておいたのだ」
「えっ、初耳ですけど!!」
「…………」
重苦しい沈黙が執務室を支配した。ベルナルドとしては、それ以上の詳細を伝えるべきではないと考えているのだろう。
そこでエバンスは察した。ベルナルドの貌より感じる疲弊の一因には、サダューインが起こした問題とやらも関わっているのだと。
「数日内には沙汰を下して謹慎を解く心算ではいるよ。
なので暫くの間、ダインは練兵所には顔を出せないと思う」
「そう、だったのですか……」
「なるべく平穏に事態を収めてみせるので、エバンスが気にする必要はない。
ダインが再び外に出られるようになったら、どうか変わらず接してほしい」
「わかりました!」
これ以上はこの場で追及するべきではないと判断し、元気よく返事を返してから深々と頭を下げた後に執務室より退室するのであった。
再び冷え冷えとした廊下を渡って下階に続く階段を降りていく最中、エバンスは胸中にてサダューインの件について考えていた。
「(……ハダルの町の時のような騒ぎを今更サダューインが起こすとは思えない)
(決起会の提案を伝えに行こうと思っていたし、ちょっと立ち寄ってみるかな)」
現在、サダューインは城館の外に立つ一軒家にて一人で暮らしている。
聞いたところによると、嫁入り前のダュアンジーヌに宛がわれた住居だった家屋であり、何かしらの理由からかサダューインは自らそこへ移り住んでいたのだ。
二階から一階へと降り、そして城館の外へ。
その足でエバンスは離れの家屋を目指して行くのであった。
・第24話の23節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・『翠聖騎士団』が正式に結成されるのは、この後となりますが前進組織的な騎士団は既に存在しております。
ベルダ卿やハンマルグレン卿などは『大戦期』以前からベルナルドに仕えています。
ペルガメント卿、ボグルンド卿、バリエンダール女史は『翠聖騎士団』結成後に入団した形となります。
・ちなみにクロッカスも『大戦期』中に傭兵という形でベルナルドに仕えていた時期があり終戦後は上記の前進組織に所属して暫くグレミィル半島に滞在していましたが、傭兵としての契約期間が満了したので旅立っていきました。
・次回更新は9/2(火)を予定しております。