表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/124

024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(21)


 其処はとても不思議な光景であった。


 灰色と銀で構成された、色褪せた草原が延々と広がる景色。


 然れど、足元をよく見れば草花や石、岩などの自然物の全てに至るまで銀色の粒のようなものが集合して出来上がった砂細工のようであったのだ。


 それだけではない。頭上を見上げれば群青の如き空に銀色の大陸が雲の如く浮かんでいた。或いは、今いる場所のほうが雲側なのかもしれない……。




 なんなんだよ これ……。



 不思議な世界に迷い込んだエバンスは思わずそう呟こうとした。

 しかし喉から声が出てくれない。そればかりでなく、足元の銀色の粒を掬い上げようと掌を伸ばそうとしたが、腕が動かない……いや腕どころか身体が、無い。




「やあ、こんな場所にまで来てしまったか……それも意識のみの状態で」


 聞き覚えのある"声"が背後から響いて来る。


 後ろを振り向くと、灰色の長髪に黄土色を基調とした旅装を纏う男の姿があり、掌には竪琴を抱えている。

 エバンスは彼の姿を知っていた。故郷の村に時折 訪れていた旅芸人である。




 あなたは あのときの たてごとのひと?



「その通り、覚えていてくれて嬉しいよ。

 しかし君はこんな場所には長居しないほうがいい。早く常世に帰りなさい」



 

 ここは いったい どこなの?



「説明するのは難しい。惑星の裡側、とでも云うのが最も適切だろうか。

 ダリルジェイ……いや現在の"(トーラー)"などは『断創界(アストラル・ディバイド)』などと呼んでいる。

 そして君は、意識のみの状態でこちら側に来てしまったというわけだ」


 手元の竪琴を爪弾きながら、旅芸人は言葉を続ける。あの日、故郷の村で演奏していた時と全く同じ仕草である。



「君は元々、こちら側にやって来れるだけの資質があった……とはいえ

 今回は恐らく頭部を強打された影響で一時的に肉体と精神が分離したのだろう。

 とても不安定な状態だ、『断創界(アストラル・ディバイド)』に帰録される前に離れたほうがいい」


 彼の言っていることは到底、理解できるようなものではなかった。何を言っているのか皆目見当も付かない。




 あなたは なにもの なんですか?



「……ただの、臆病な旅芸人さ。争いに疲れて、逃げ出して、

 大切な仲間達を死地に追いやってしまった無能な男だよ。

 そして未練がましくも常世にしがみ付き、君のような存在を見守っている」




 おいらも たたかいは こわかった。


 だれかをきずつけるのは とても こわい。



 ここ数日の間の魔物や野盗達との戦いや、武器を持った町人と交戦し掛けた時の記憶が鮮明に蘇り、エバンスの精神は大いに震え出した。

 戦いそのものは踏ん張れる。武芸の鍛錬も嫌いではない。しかし、いざ自分が誰かに刃を振るう場面に至った時に、強烈に心が拒むのだ。


 魔物や野盗が相手ならば、或いは己よりも強い者が相手ならば応戦することにそこまで抵抗は感じない。それは生き延びるための戦いなのだから。

 だが、そうではない者に刃を振るうことは出来そうになかったのだ……。



「分かるよ。分かるとも……嘗ての私もそうだった。

 だから剣を置いて、楽器を持って旅をするようになったのだから」


 華麗に指を動かし穏やかな音色を奏でてみせる。その曲調はエバンスの記憶に深く刻み込まれた、故郷の村で聴かせてもらっていた旋律のままに。



「旅は良い。様々な物事を多角的に捉えられる眼を養える」



 おいらは あなたのように なりたかったのかもしれません。



「私を真似することはお勧めできない。

 だが旅芸人(ジョングルール)吟遊詩人(トルヴァドール)としての生き方を目指すのなら応援しよう。

 今から目指したとて決して遅くはないさ」



 でも おいらには ともだちがいる から……。

 かのじょたちが なかよくしていけるように がんばりたい。



「その想いは大事にしなさい。君の生きる指標になってくれる」




 はい……。



「ただ、君の今の友人達を支えたいと心から願うのなら

 彼女達では決して視ることの適わない景色を見て回り、助言してあげなさい。

 そうすることで、きっと彼女達にとって真に必要な存在になっていけるだろう」




 ……! あなたは どこまで しっているの?



「凡そのことは理解している。何せ、君の傍でずっと見続けていたからね」


 旅芸人の男の肉体が青い光を放ち始め、やがて巨大な光の塊と化していった。




「あの妹弟を、私の遠い遠い子孫達を、これからもどうかよろしく頼みたい」


 巨大な光の塊が三分割され、その内の一つがエバンスの傍へと寄り添った。

 そして明瞭に響いていた"声"は、まるで耳元で囁かれるような微かなものへと変質していく。



 サア モドロウ モドロウ。 キミガイルベキバショ ヘ モドロウ。


 エバンスの意識は急速に霧散して、この不思議な世界と別れを遂げた。







 ガタン、ガタンと何かが揺れ動く音と振動が総身に伝わる感覚がした。


 徐々に明瞭になっていく意識と連動するかのように瞼を開くと、其処は狭い個室のようであり、エバンスは仰向けに寝かされていた。



「ここは……」


 その個室のような空間には大いに見覚えがあった。エデルギウス家で多様している質実剛健な馬車の車内、嘗てエバンスがビュトーシュから連れ出される際に乗せてもらっていた、あの馬車の中なのである。



「……! お父様、エバンスが!!」



「おお! 無事に目覚めてくれたのか。安心したよ」


 馬車内の向かいの席に座っていたノイシュリーベが最初に気付き、その隣に居たベルナルドが次いで反応を示す。



「町中で頭部に怪我を負ったと聞いて心配したんだぞ……」


 あの一件のその後の顛末をベルナルドが説明してくれた。


 襲い掛かってきた町人達については、エバンスが昏倒させられたことに激昂したノイシュリーベが、禁じられていた町中での攻撃魔法を唱えて撃退したとのこと。

 直接的な殺傷能力は低いものの突風を巻き起こす魔法効果により取り囲んでいた町人どころか周辺の荒屋(あばらや)ごと吹き飛ばしてしまったそうだ。


 その後、サダューインに担がれてウェナンデル子爵の館に運び込まれ、同行していたジグモッドが治癒術を施してくれたために事無きを得た。

 ノイシュリーベも治癒魔法を習得してはいるものの、冷静さを欠いた状態では繊細な祈りを捧げられる筈もなく、何もできなかったそうだ。


 そうしてエバンスの容体が安定した後に、姉弟は揃ってベルナルドにこっぴどく叱られた。他領の危うい町人の領域に不用意に足を踏み入れてしまったこと、自ら危険な状況を招き入れ、あまつさえエバンスが命を落としかけたことに対してだ。

 打ち所が悪ければ、子供のエバンスは頭蓋骨を叩き割られて即死していた可能性だって有り得たのだから……。



 また他領で問題を起こした件に関しては、幸いにも大きな問題に発展することはなかった。まず直接的な被害者は姉弟とエバンス側であり、魔法によって荒屋(あばらや)ごと吹き飛ばしたことについては正当防衛が認められた。


 荒屋(あばらや)が建っていた場所は居住区ではなく、許可を得ずに住み着いた者達であるのだから、ウェナンデル子爵がこちら側を攻め立てる道理には繋がらない。

 また唯一、怪我を負ったのは従者もしくは小姓として同行していたエバンスであったために多少の気拙さはあれど両家の間に溝が生じるまでには至らなかった。

 話し合いの末に今回の一件は不問となり、むしろウェナンデル子爵領の住人の暮らしが明らかになったことにより、大領主であるベルナルドは幾つかの制約と領地運営に関する指示を下すことになったという。



 そうして事態は収束していったもののエバンスの昏睡状態は続いており、一先ずは予定通りにエデルギウス領に戻ってからダュアンジーヌに本格的な治療を任せるべく帰路に着いている最中だったというわけである。

 なおサダューインはジグモッド達と別の馬車に乗っており、ベルナルド達の馬車の真後ろに付いて共にエデルギウス領を目指していた。




「エバンス……ごめんね、ごめんね! 私があんた達を連れ回したから……」


 瞳に涙を浮かべながら、消え去りそうな声でノイシュリーベが謝罪の言葉を口にした。今回ばかりは流石の彼女も大いに反省しているのだろう。

 同時に、己がこの一家に如何に大切に扱われているのかを改めて認識した。



「このまま目を醒まさなかったらって考えたら……すごく怖かった……」



「いえ、おいらが敵を捌けなかったのがいけないんです。

 ノイシュリーベ様が気に病まれることはありません。

 むしろ、このように気に掛けてくださって……逆に申し訳ないです」



「……サダューインから状況を聞いたが、襲い掛かって来た者に対して

 君は反撃することが出来なかったそうだね」 



「はい、魔物が相手ならもう少し身体が動いてくれるんですけど

 町で暮らしている普通のヒトが相手だと……どうしても……」


 大領主より直々に武芸を教わっている状況下で正直に白状することは勇気の要ることであった。ただでさえエバンスは平民であり、兵士ですらない使用人の身分。 本来ならば真っ当な教育を受けられるような立場ではなく、英雄ベルナルドほどの人物から直々に手解きを施されるなど破格過ぎる待遇なのである。


 にも関わらず実戦で反撃することが出来なかったなど、見込みがないことを自白するようなものであり、下手をすれば今の待遇を失う可能性も考えられるのだ。



「だ、だいじょうぶよ! もっと訓練していけば、きっと町の人が相手でも……」



「ノイシュ、彼は本質的に戦いには向いていない性格なのだろう。

 なまじヒトより器用に何でも熟せてしまう素質を持っていたために

 お前達の鍛錬にもここまで付いて来れたのだ」



「うっ……でも……」



「まあまあ、落ち着きなさい。

 何も今直ぐに、エバンスへの稽古を打ち止めにすると言いたい訳じゃない」


 食い下がろうとするノイシュリーベを抑えて、ベルナルドは馬車の座席に横たわったままのエバンスへ優しく語り掛けた。



「先ずは正直に打ち明けてくれて感謝する。君の誠実さは宝だな。

 その上で尋ねるが、このまま武芸の稽古を続ける意思はあるか?

 それとも普通の使用人として館での生活に励むかね」



「……もし許されるのなら、これからもノイシュリーベ様達と一緒に

 稽古を続けていきたいです。勿論、使用人の仕事も精一杯やり続けます」



「そうか」



「ただ、やっぱりおいらは兵士や騎士には成れないんだなと理解しました。

 なので使用人を続けさせてもらいつつ、教わった武芸を活かせる生き方を

 探していきたいと思います……」



「現時点で何かしら目指したいと思える職業はあるかな?」



「…………」


 面と向かって将来について問われ、不意に意識を失っていた時に体験した灰色の髪の旅芸人とのやり取りが鮮明に蘇った。故に、エバンスは逡巡の末に口を開く。



「今のところはなんとも……ただ、ベルナルド様に拾っていただいた日に

 ビュトーシュの町で見掛けた旅芸人の一座のように、

 各国を渡り歩くような生き方には少し憧れるような気がします」



「ほう、エルカーダ一座だな」



「そんな……私達の傍から離れて行っちゃう気なの!?」



「いえ、勿論ノイシュリーベ様達への御恩は生涯を懸けて返していくつもりです。

 ただ……戦いに向いていない者なりに色々なものを自分の目で見て回って

 ノイシュリーベ様のお役に立てるような存在になりたいんです」



「成程、よく分かった。

 なら暫くの間は、このままノイシュ達とともに稽古に励みなさい」


 頷きつつ、優し気な瞳でエバンスを見詰めた。



「そして真に自分の足で歩んで行きたい路を見出せたなら

 その時はまた私に話してほしい、君の将来について能う限り応援しよう」



「もちろん、私も応援するわ!

 騎士や従者じゃなくたって、あんたをコキ使ってやるんだから!」



「ありがとう……ございます、本当に」


 再度、身に余る待遇と幸運を実感したことにより不意に目に涙が浮かび上がり、それ以上の言葉を紡ぐことは出来なくなってしまった。







 [ エデルギウス家の館 ~ 二階 ダュアンジーヌの部屋 ]


「怪我を負った後の処置が適切だったためか傷痕や後遺症は見当たりません。

 ただ念のために数日は安静にしておいたほうが良いでしょう」


 館に戻りダュアンジーヌによる診察を受けた。結果はこれといって大事なし。

 むしろ彼女はエバンスの周囲に浮滞している巨大な精霊について着目していた。



「……奇妙な体験をしてきたのですね」



「えっ!?」



「貴方に付いている精霊が少しだけ変質しています。裡側に触れましたか」


 恐らくは昏倒していた時に体験した出来事のことを指しているのだろう。と直感的に察するものの、未だにアレが夢だったのか現実だったのか判然としないためにエバンスはどう答えて良いものか分からなかった。



「今は気にする必要はありません。ただ一つの切欠が起きただけのこと。

 迷わずに目の前の路をひたすら進んで行けば良いでしょう」



「は、はい……」


 明らかに彼女は何かを知っている素振りだが、果たして己などが踏み込んで良い話なのか分からず、結局は曖昧に頷くことしか出来なかった。






 [ エデルギウス家の館 ~ 地下 大書斎 ]


「……済まなかった。僕の軽率な行動が原因の一端でもある」


 その日の晩、地下室へ足を運ぶと開口一番にサダューインが謝ってきた。


 どうやら町人に取り囲まれた際に、相手を煽るような発言をしたことや、率先しての反撃行為に及ばなければ荒事になる前に事態を丸く収められたかもしれないと彼なりに反省しているようであった。



「いやいや、もう済んだことだし気にしないで!

 それにあの状況だと下手に出たところで相手がどう受け取るか分からないしね」



「そう言ってくれると助かるな。

 とりあえず僕は暫くの間は謹慎処分になったよ。妥当な結果だな」



「残念だね……謹慎が空けたら、またシルガム山地に出掛けようよ!」



「ああ、その時はまた是非頼む。……ところで先刻、姉上から聞かされたのだが

 騎士や従者にはならないと宣言したそうだな」



「うん、やっぱりおいらには向いてないなって今回の件で再確認したからさ。

 それに……何だか今は広い世界を見て回りたい気がしてきたんだ」



「ふむ、まあエバンスくらい多芸な者なら他の領地や国でもやっていけるだろう」



「勿論、ノイシュや君を将来的に支えていきたいって想いは変わらないよ。

 でもやっぱり、今のままじゃ足りないかなって思うんだ」



「確かに、このグレミィル半島に籠っているだけでは視えないこともある、か。

 僕や姉上と違って、縛られるものが何もない君ならばこそ適う特権だ。

 だったら、それを最大限に活かそうというのは素晴らしいことだと思う」



「と言っても、もう少し時間を掛けて考えてみるけどね」


 大書斎に置かれている竪琴を手に取り、不思議な世界の出来事を思い出す。

 あの旅芸人がやっていた指捌きを再現するかのようにして弦を弾いてみた。


 その旋律はどこか高貴さと寂寥を感じさせる、旧い音色だった。



「そうだな、幸いにも僕達にはまだまだ時間がある。

 今回の出来事を一つの機会として方針を固め直すのも悪くないだろう」


 その後、二人は様々な話題について意見を交わしつつ大書斎に納められている書物を介して勉学に励んでいった。


 結局、エバンスはこれまで通りに武芸の鍛錬は続けていくこととなる。例え実戦で相手に刃を突き立てることが出来なかったとしても肉体を鍛えておくこと自体は無駄でないからだ。

 それに、より高度な技の修練を行うようになった際にノイシュリーベ達の相手役を務められる者は一人でも多い方が良い、と折り合いを付けて行った。


・第24話の21節目をお読みくださり、ありがとうございました!

・灰色の髪の旅芸人はいったい何者なのか、"(トーラー)"とはどういった関係なのか

 もし良ければ考察などしていただけると作者冥利に尽きますね。


・次回更新は8/29(金)を予定しておりますので、どうかご期待ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ