024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(18)
「……よくもまあ、こんなにねちっこく分析したものね」
エバンスを通じて大書斎に足を運んだノイシュリーベは早速ながらサダューインが記した書類を見せてもらった。
そして一通り目を通した上での第一声がこれである。呆れ半分、感心半分といったところか。
武器を用いたベルナルドの動き方だけに留まらず、技の性質や想定される状況、筋肉の収縮具合、呼吸の頻度、視線の移し方、意識の向け方……など英雄が積み上げてきたものが事細かに解析されて、綴られていたのだから当然であろう。
「今の僕では解らない部分も多々ありますので、そこは想像で補っています。
所々に加筆してある注釈はその名残ですね……」
「いやぁ、それでも凄いよこれ……ベルナルド様は動きを見せてくれるだけで
詳しい説明なんかは一切されようとしないからねぇ」
「そうね、この書類に書かれていることが合っているのだとしたら
お父様が提示して下さった各鍛錬法の意味も分かるような気がするわ」
ベルナルドが伝授した鍛錬法とは、成長期の子供の身体の変化に負担を掛け過ぎない範囲での筋力の増強や視野の拡大、練気の術、関節の可動範囲を広げたり必要な瞬発力と持久力を同時に獲得していくことに重きが置かれていた。
そこにサダューインの分析結果を交えて類推するならば、各鍛錬法の延長線上にベルナルドが披露した技の数々が繋がっていくことになるのだ。
「例えばお父様が最初に見せてくださった、あの雲を突き破る槍の大技……。
あんたの分析と照らし合わせれば、練気の鍛錬と足裁きの鍛錬の三と八が
関わっているってことなのね」
各鍛錬法に割り振られている番号は、動作の様式毎に細かく分類されたもので多いものでは十を超える動きのバリエーションが存在していた。
「踏み込み時の重心の掛け方や調息の仕方に類似点が見受けられましたので
高確率で関連しているでしょうね。勿論、あれ程の大技ならば
他にも複雑な要素が組み合わさっていると考えるべきですが……」
「ははぁ……成程。鍛錬法の一つ一つにベルナルド様が積み上げてこられた
技の秘密が詰め込まれているってことなんだねぇ」
「父上はあらゆる武器に精通しておられるが基本的な動作の下地は共通していた。
『大戦期』の中で練り上げたという技の数々は、どれも非常に高度で実戦的。
だからこそ独自の鍛錬法を確立されたのだろうな……他の者に伝授するために」
「なんと言っても英雄と呼ばれたほどの御人だからね!
普通にやっていたら上辺を真似することすら出来そうにないや。
目を瞑ってでも各鍛錬法を熟せるくらいに仕上げて、やっと出発地点なのかな」
エバンスの言うように、じっくりと時間を掛けて英雄の技を継承するに値する肉体造りを行う必要があった。
基礎からみっちり鍛えようとしているのは、子供達が中途半端な武芸を会得して慢心しないように、教えるからには徹底したいという真摯な親心と武芸者の矜持の片鱗が感じられる。
「ありがたい話よね。お父様のご意思を無駄にしないためにも頑張らないと!
あんたが書いたこの書類、参考にさせてもらうわ!
その代わり、私も自分で気付いたことはなるべく伝えるから」
「ふっ、僕にとって有益なことであれば良いんですけどねぇ」
「なんですってー!
ちょっと頭がいいからって調子に乗るんじゃないわよ」
「あはは、まあまあ落ち着いて……。
三人で協力していけばきっと、もっと深くベルナルド様の技を探求できるよ。
そうして一日でも早く本格的な稽古をさせてもらえるようにしていこう」
「ふん! せいぜい、頭でっかちなコイツの分析結果を利用してやるわ!」
「ご随時に……姉上の見解には突拍子が無いものも多いですが、時には僕ですら
思い付かない発想をなされる時がありますから楽しみにしてますよ」
エバンスが間に割って入り、潤滑油のような役割を熟すことで滅多に顔を会わさなくなった姉弟の歯車はどうにか嚙み合い出したのだ。
そうして三人の交流はベルナルドの武芸に始まり、最近の出来事や勉学の進捗、そして楽器についても触れていくこととなる。
「へぇ、六弦琴まで借りて来るなんてね。
今のウープ地方って、こういう楽器まで取り入れているんだ」
「ウープにも小規模ながらサプラントのような港町がありますからね。
海路で本国の物資を輸入しているのでしょう」
「ノイシュは六弦琴を知っているの? というか意外と音楽にも詳しいんだね」
「意外とは余計よ。これでも定期的に他領の子達と交流しているもの。
最近だと、ロフェリア領から来られた皇太子様と話したこともあるわ!
彼等は南部の文化に明るいから、自然とこういう楽器の話も聞かされるのよ」
「ごめんごめん……そっか、成程ねぇ」
「折角なら音を鳴らしてみますか?
姉上の感性は中々侮れないものがある……たまには拝聴いたしましょう」
「……あんた、もう少し素直に私を褒めたり頼み事をすることは出来ないの?」
などと言いつつも、六弦琴を手に取り軽く音を鳴らしてみせる。
数分の間に幾らか弦の弾き方を試していったが、しっくりこなかったのか手放してしまった。
「うーん、私の体格だと弾き辛いわね……。
どちらかといえば馴染みのある弦楽器のほうが良いわ」
ノイシュリーベは日頃から芸術に関しても家庭教師が就いており、中には音楽に関する教義を受けている。その中でも弦楽器は最も時間を掛けて弾き慣れているというわけだ。
「確かに、この六弦琴は大人用のものだ……なら僕が弾こうか。
すまないがエバンスは残った竪琴を担当してくれ」
「ほいほい、おいらも竪琴が一番慣れてるからね! 大丈夫だよ」
そうして三人は大書斎で顔を会わせる度に武芸に関する討論に加えて、拙いながらも楽器の演奏を試みていく。言葉だけではつい喧嘩腰になってしまう姉弟達も演奏に興じている間は自然な形で交わることが適ったのである。
むしろその旋律は、奏でれば奏でるほどに調和を成して互いを高め合っていく。姉弟の本性、本質的な部分が近しいことを言葉を用いずに物語っていたのだ。
演奏を終えて満足した三人は朗らかな表情でそれぞれの楽器を机の上に置いた。
旋律の調和が切欠となり姉弟の間を隔て始めていた溝が一時的に埋まったのか、ふとサダューインが自身の身の回りに起こったことについて言葉を零し始めた。
「……そういえば、つい最近のことになるが、
図書学院から戻る道中で母上の生家に立ち寄ったんだ」
「ダュアンジーヌ様の? たしかメルテリア地方にあるんだったっけ」
「ああ、"妖精の氏族"が支配するメルテリア地方の王族、フィグリス家だ。
……王族といっても、あくまでグラナーシュ大森林内で暮らしている
エルフ種の間での階級のようなもので、明確な王権がある訳ではないがね」
「おいら達"獣人の氏族"で言うところの『特級戦牙』みたいなものかな?」
「その認識で問題ない。……そして同行してくれていたジグモット師から、
自分の婚約者に顔見せくらいしておけと言われて寄り道したのさ」
「えっ! 君ってば婚約者がいたの!?」
「私達の従妹のセンリニウムって子よ。氏族長が強引に取り決めたらしいわ。
……あの子、大人しそうに見えて結構いい性格してるのよねぇ」
驚嘆するエバンスに対して、ノイシュリーベが補足してくれる。しかしその口振りから察するに、彼女はあまり従妹に対して良い印象を懐いていないようだった。
「でも、ちょっと関心したわ。
ジグモットの助言とはいえ、わざわざ遠回りをして会いに行ったなんてね」
「……ええ、センリとは滞りなく面会が適いましたよ。
ただ彼女の叔父、氏族長グュルザンツ殿の敷地内を見学していた際に
少々、気になる光景を目にしてしまいまして……」
歯切れの悪い言葉だった。他者に言うべきか否かを判断し兼ねているのだろう。
それを察したノイシュリーベは、まどろっこしいことが苦手ということもあり遠慮なく続きを促そうとする。
「何よ、相談したいことがあるのなら言ってみなさい!」
「では……敷地内の家屋に一人の女性が生身のまま檻に入れられていたのです。
軽く調べたところ、罪人というわけではありませんでした」
「それは妙な話ね。"妖精の氏族"の刑罰は基本的にその場での処刑か追放。
あとは魔法による身体封印くらいのものだわ」
「そうなんだ。"獣人の氏族"とは全然違うんだねぇ。
でもそうなると牢屋に収監するということ自体がかなり異例ってことなのかな」
「僕も最初は目を疑ったよ。
しかも、その檻に入れられていたのは……ダークエルフだった」
「な、なんですって……!?」
ノイシュリーベから驚愕の声が挙がった。何故ならばダークエルフとは厄災の象徴として『森の民』の間でも忌み嫌われ続けてきた存在だったからである。
ハイエルフの氏族長が統治する"妖精の氏族"内に於いてもそれは変わらず、むしろ存在が発覚すれば問答無用で首を撥ねることを推奨されているほどであった。
「有り得ないわ。ダークエルフなんて見つけ次第、狩れ! って言われてるのに」
「……可哀そうな気もするけどねぇ」
「酌量の余地はさて置き、彼女には生かされるだけの理由があったのです。
……左目が『妖精眼』でした。姉上や母上よりも位階の劣る一輪ですがね」
「ああ、そういうこと」
「……どういうこと?」
即座に納得するノイシュリーベに対して、エバンスは今一つピンと来ていない様子であった。
「『妖精眼』の保持者はとても希少なんだ。
"妖精の氏族"内でも十万人に一人、現れれば良い方とされている。
だからその保持者達は丁重に扱われるというわけさ」
「そっか、だからそのダークエルフの子は投獄だけで済まされていたんだね。
でも、やっぱり何だか可哀そうだよ」
「……生まれて間もないころより数十年間も牢屋に入れられているそうだ。
そして彼女の能力が求められる時にだけ外に連れ出されて使役されるという」
「命を奪われていないだけ、そいつは感謝するべきね。
良いじゃない、使い道があるっていうのなら使い潰してやれば!」
「……ダークエルフが忌み嫌われ続けているのは、所詮は古い慣習に過ぎません。
厄災を招くというのも口伝に寄るもので、確かめる術はありませんからね。
姉上、貴方はグレミィル半島の無意味な慣習を払拭されたいのでは?」
「うっ……確かにそうね。
皆が言ってたからって、よく調べもせずに私も忌み嫌うのは間違ってる。
先刻の言葉は取り下げるわ! ……でも、あんたはその子をどうしたいワケ?」
弟に指摘されて、即座に考えを改めた上で話の要点を求めた。
「……分かりません。一応は敷地内で保護されているのだから
無理やり外に出したところで、彼女が幸せにに生きられるものかどうか」
貴族家の嫡子とはいえ子供のサダューインには他者の人生を保障し得るような力は持ち合わせていない。
両親に相談するにしても、長い慣習の中で忌み子とされてきた者を解き放つことは簡単な話ではなく、むしろ大領主としてようやく地盤を固めつつあるこの時期に
不安要素を抱え込むことに成りかねなかった。
「じゃあ暫くはメルテリア地方に立ち寄る度に様子を見に行ったら?
詳しいことが分かっていないんじゃ、どうしようもないしねぇ」
「そうだな、センリと面会するついでにあの牢屋に立ち寄ってみよう。
義憤や憐憫の情だけで焦って動いてもロクなことにはならない、らしいしな。
僕自身も今は着実に力を付けることに専念するべきだ……」
何もできない己の無力さを、子供とは思えない頭脳を持つ者だらこそ実感する。 そんなサダューインを伺うノイシュリーベの眼差しは、次第に険しいものになっていった。
「……あんた、まさかとは思うけど その子に惚れたんじゃないでしょうね?
一応とはいえ婚約者がいる身だっていうのに」
「そういうのではありませんよ。理不尽な慣習によって囚われの身となる者に
感傷的になっているだけなのかもしれません」
「ふぅん……まあ気掛かりになるのは理解できるわ。私も初耳だったもの。
でも、もしその子を助けたいっていうのなら相応の力がいるわ。
少なくとも現在の氏族長を抑え込める程度にはね」
「そうですね。何をするにしても僕達は、まだまだ無力だ。
今はただ与えられた環境の中で、一つでも多くのものを掴み取らなければ……」
「だね! ベルナルド様に言われたことを確りと守って、がんばろう!」
その後も近況の中より気になっていることを吐露し、時には助言や相談を交えて三人は己が目指すべき場所、理想とする将来の姿について話し合った。
それぞれが抱えている想いや悩みは異なれども、同じ時間を過ごす身内や友人として最も深く交わっていた時期であったのだ。
・第24話の18節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・本文中で少し触れていたダークエルフとは、察しの良い御方であればお気付きいただいるかもしれませんがスターシャナのことでございます。
・さて、次回投稿なのですが申し訳ございませんが出張が重なる関係で8/23(土)もしくは8/24(日)を予定しております。