024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(17)
[ エデルギウス家の館 ~ 地下 大書斎 ]
図書学院に遠征していたサダューインが帰宅を果たした日の夜。一日の仕事と鍛錬を終えたエバンスは早速、彼が居座る大書斎へと顔を出した。
「おかえり~、今回はちょっと長かったね。二十日くらいかな」
「ああ、思いの他 面白そうな講義をやっていたのでつい長居をしてしまった」
ウープ地方の図書学院は主に魔法使いを目指す者達が教養と実績を積むための教育機関として知られているが、他にも基礎研究や史学、芸術関連の講義を開くこともあった。
そして図書学院内には付属寮で暮らす正規の学院性の他に、外部から一時的に講義を受けに足を運ぶ者達も存在する、現在のサダューインは後者に該当していた。
「君が求めていた音楽に関する書物も幾つか借りて来たぞ。
それから……これもだ」
丁重に梱包されていた紐と布を解き、持ち帰った荷物を露わにしてみせた。
そこには楽器と思しき代物が二つほど詰められている。
「うわ、本当に借りてきてくれたんだ! 言ってみるもんだねぇ。
ともかう、ありがとう! 重かったでしょ」
「ウープ地方までは馬車を出してもらっているから大して苦じゃなかったさ。
僕も少しだけ興味を持ち始めていたところだし、早速触れて行こうじゃないか」
サダューインが借りて来たのは弦楽器と六弦琴。更に以前、ダュアンジーヌに頼んで用意してもらった普通の竪琴も含めれば、現在この部屋には三種の楽器が置いてあることになる。
「弦楽器は見たことあるけど……こっちのは何だろう?」
「数年前からラナリア皇国の本国より入って来た、六弦琴というらしい。
この辺りでは まだまだ珍しいが、大陸南部では一般的な楽器だそうだ」
試しに手に取り軽く弦を弾いてみせると、何処か切なくも清々しい一重の音が響き渡った。
「へぇ、竪琴とは随分と違うんだ……色んなのがあるんだね」
「国の地勢や文化によって技術や道具は様変わりするものだからな。
そういったものを見て回るための旅というのも楽しそうだ」
純粋に、まだ見ぬ文化や知識に対する好奇心に満ちた面貌。サダューインという少年にしては珍しく、瞳が輝いているような気がした。
彼は本質的に知識を得ることを歓びとしているのだろう。故に、エバンスは一つの疑問に思い至った。
「そういえば、今更だけどサダューインはどうして館に籠っているの?
まあ最近は図書学院に足を運ぶようになったけど、
それだって数日だけ滞在する客分みたいなものでしょう?」
サダューインの頭脳を鑑みれば、皇族や高位貴族の嫡子が通うという皇都リゼリシアの学園施設や、大陸中央東部の大国であるロンデルバルク王国に存在する王立士官学校などに入学することも可能である筈だ。
それらは基本的に全寮制であり、寮で暮らすのであれば英雄の息子だからと姿を隠して生活する必要もなくなるだろう。
「……本当はそうしたほうが良いのだろうけどね」
少し困ったような表情を浮かべながら、言葉を続けた。
「エデルギウス家は、戦前は取るに足らない男爵家に過ぎなかった。
しかし皇王の計らいにより、絶大な戦果を遂げた父上が大領主に抜擢され
グレミィル侯爵という破格の爵位をも与えられた」
外部から見れば、活躍した英雄に与えるに相応しい待遇。正に名差配。
しかし現地の為政者達にとっては複雑な環境と権勢の変化であった。
「エーデルダリアを牛耳るセオドラ家などが顕著な例となるけども
旧来の為政者達の中には我が家の台頭を快く思わない者が水面下で大勢居る。
そんな状況で僕が領地から離れた場所で一人で生活すると、どうなると思う?」
「……誘拐でもされて、ベルナルド様を脅す材料にされちゃうってこと?」
「ふっ、短絡的な輩なら暗殺を企てる可能性もあるかもな。
嫡子が途絶えれば、貴族家にとってはそれだけで大打撃となる」
更に、自分の息子一人 守れなかったとなれば英雄ベルナルドの名声も失墜し、グレミィル半島の統治に影響を及ぼすことにもなりかねない。
「あ、そっか……それでダュアンジーヌ様も、この館で暮らしているんだね」
"魔導師"ダュアンジーヌもまた『大戦期』で影ながら活躍していた不世出のもう一人の英雄。その力は絶大であり、彼女が傍に居れば暗殺や誘拐に遭う可能性は皆無に等しくなるだろう。
「最初は城塞都市ヴィートボルグに一家揃って移り住むことも検討されていたが
まだまだ あの都市は旧来の為政者の息が掛かった者が潜んでいるからな。
父上が完全に都市の全てを掌握するまで、僕達はこの館に留まるしかないんだ」
最近になってサダューインが遠征するようになったのは、彼一人でもある程度は危険を避ける手立てを身に付け始めたからである。
「……姉上に誘われて、父上の武芸を学ぶ場に参加するようになってから
実感させられたよ。僕達が自由に歩き回るには頭脳だけでは駄目なのだと」
英雄の息子として目立たないよう過ごしつつ、僅かでも自分の意思で自由に歩き回ろうとするならば、それに相応しい力が必要なのだ。
「あの男の武力の一欠片でも身に付けておかないといけないらしい」
ベルナルドが武器を振るう様を間近で検め、独自に分析した結果を纏めた書類の束を取り出しながら、遺憾ながらその有用性を認めた。
「そっか、それであんなに熱心にベルナルド様の動きを見詰めていたんだね。
君にしては不思議だなと思っていたけど、合点がいったよ!
この館で暮らしていることと合わせて、教えてくれてありがとう」
「気にするな。友達からの疑問には誠意を以って答えても良いと思っただけさ」
朗らかに笑いながら言葉を締める。出会った当初の彼の態度からすれば、相当に心を許してくれているなとエバンスは実感した。
「じゃあさ、たまにはノイシュもここに呼んでみない?
サダューインのその分析記録には彼女も興味を持っていたみたいだしさ」
「……本気で言っているのか?」
「本気だよ。それにノイシュはノイシュで何か掴んでいるかもしれない。
研究や議論を交わす人数は多ければ多いほど得られることも増えるしさ」
「ふむ……」
「それに、その楽器もだよ。
竪琴、弦楽器、六弦琴……折角三つも用意してくれたのなら
三人でそれぞれを弾いてみたら、きっと楽しいことになるよ!」
複数の楽器が音色を重ねる素晴らしさは、あの冬の終わりに首府ビュトーシュの中央広場で公演を行っていた旅芸人一座を目の当たりとした際に気付いていた。
それに、己とこの姉弟で協力して何か出来るのなら、それはとても素晴らしいことのように思えたのだ。
「ふっ、どうも君は僕と姉上を交流させたくて仕方ないらしい。
隙あらば捻じ込もうとしてくるじゃあないか」
「あはは、バレてたかー」
「まあ、良いだろう。僕と姉上だけなら顔を会わせるのは難しいが
エバンス……君が間を取り持ってくれるのなら、蟠りも薄れるからな」
観念したかのように胸中を吐露した上で、承諾してくれた。
次の日の昼過ぎにはエバンスからノイシュリーベにこのことを伝え、夜には大書斎に三人で集ってそれぞれの意見を交わし合ったり、楽器に触れるようになった。
成長とともに姉弟が歩む路は擦れ違い始めていくものの、この時はまだ英雄ベルナルドの武芸を共に学ぶという切欠に加えて、友人という存在が二人を繋ぎ止める楔の役割を担っていたのである――
・第24話の17節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・この時期の姉弟が基本的に館に居続ける理由なども綴っておいたほうが良いかな?
と思い、挿入させていただきました。