024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(16)
ベルナルドは用意した数々の武器を一通り手に採り、自身が修めた型を次々と披露していった。正式な流派として存在する型もあれば彼が実戦の中で独自に築き上げた、変則的な技まで存在する。
続けて、それぞれの武器を使った立ち回りや実戦での位置取り、呼吸の仕方に至るまで実に一刻半ほどの時間を要して三人の子供達に垣間見せる。
脇に控えた二名の騎士達も、時には受け手役を務めることで限りなく実戦に近い雰囲気を再現しようとしてくれていた。
冬季の裏庭は相応に冷えるものだが、ベルナルド達が発する熱によって子供達が凍えることはなかった。逆に、座っているだけで汗ばんでくるほどである。
「お、お父様……そろそろ私達にも武器を触らせてください。
実際に動いていかないと技を覚えきれないわ!」
座学よりも、率先して身体を動かすほうが性に合っているノイシュリーベが真っ先にベルナルドへ申し出た。むしろ彼女の性質を鑑みれば一刻半もじっとしていられたことのほうがよく辛抱したといって良いのかもしれない。
それに対してベルナルドは、静かに首を横に振って彼女の意見を拒んだ。
「いいや、今日はお前達には武器は触らせない。
私が披露する型を脳裏に焼き付けることに専念しなさい。
そして一つ一つの動きが、どういった意味を持つのかを真剣に考えるんだ。
考えた上で、自分に合いそうな武器を選ぶ……まずは、そこからだな」
その後も延々とベルナルドだけが武器を振るい続け、子供達は見学に専念させられる。ノイシュリーベは明らかにつまらなさそうにしていたが、サダューインは真面目な表情で頷きつつベルナルドの肉体の動きを検分していた。
エバンスはただただ圧倒されるばかりであったが、次第にベルナルドの足裁きに着目するようになっていた。
気が付けば雲を霧散させた空には太陽が直上まで昇っており、六名は館内で軽い昼食を口にした。その後、再び裏庭へと集合する。
午後に入って間もなく、軽い屈伸から徐々に身体を温める柔軟体操を行い、万全の状態へと整えた。
「それでは幾らか身体を動かしていくとしようか」
「やった! ついに槍や剣を扱えるのね!」
「いや、朝にも言ったが今日はお前達が武器を持つことはない。
これから指導するのは、あくまで基礎的な鍛錬法だけだよ」
「そ、そんなぁ……」
「雪道用のブーツは確りと履いてきたな? じゃあ、私の後を追って来なさい。
……ケビン、カール、済まないが演習用の武器を片付けておいてくれ。
その後は通常通り、君達は館の警備に戻ってほしい」
「はっ!」
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ」
若い騎士達に指示を与えてから、裏庭から敷地外へ向けて駆け足で走り出してしまう。子供達は慌てて彼の後を追い、夕方前までひたすら走り込むこととなった。
子供の足に合わせて先導しているとはいえ、ベルナルドは一向に速度を緩める気配はなく、ノイシュリーベは付いていくだけで精一杯であったが、サダューインは涼しい顔で淡々と走っている。エバンスに至っては、かなり余裕に感じていた。
そうして日が暮れ始めたころに再び裏庭へと戻り、走り込み後の柔軟を入念に行いながら疲弊した身体を徐々に落ち着かせていく。
「ぜぇ……はぁ……つ、疲れた……」
長時間の渡り走り込みをした経験がなかったのか、ノイシュリーベは柔軟体操の最中もすっかり草臥れた様子であった。年齢を考えれば決して彼女は体力的に劣っているわけではないのだが、積もった雪の上を駆けるという行為は普通に走る以上に堪えるものである。
「途中で脱落することなく完走できたじゃないか。偉いぞ、ノイシュ。
正直に言って、お前達がここまで走れるとは思っていなかった」
「……一応、僕は定期的に身体を動かすようにはしていますので」
「おいらは、まだまだ走れるかもですね」
サダューインはそれなりに疲弊したとはいえ幾分か余力があるようで、エバンスはそれ以上に余裕そうだった。
「な、何であんた達はそんな平気そうにしているの? ……ずるいわ!」
「エバンスは狸人です。獣人種は山野の疾走に長けているし
それを抜きにしても彼の体力と根気強さは常人を遥かに凌駕している」
毎日、仕事と並行してノイシュリーベのお守りや、仕事終わりにサダューインの大書斎に通って勉学に励んでいるのだ。体力の豊富さは折り紙付きであった。
「ビュトーシュで暮らしていたころなんて一日中、都市を歩いてたからね」
「ふむ、その歳にして足腰が確りと鍛えられているのだろう。
ノイシュも明日から毎日、一刻以上は時間を掛けて走るようにしなさい」
「えぇっ……!?」
「エバンスには少々、物足りないかもしれないと思うが
普段は使用人の仕事もあるだろう、走り込みの距離はノイシュ達と同じで良い」
「分かりました。必ず時間を作って教わった通りにいたします」
「では残った時間で今のお前達に最も必要な鍛錬法を幾つか教えておこう。
私が居ない間は、それをひたすら繰り返し行うようにしなさい。
そうして武器を扱うに値する身体が出来上がってきたら、技を伝えよう」
「……長い道程になりそうですね、姉上」
そうして日が暮れるまでの間、ベルナルドは子供達 一人一人に対して効果的な基礎訓練の術を叩き込み、この日の鍛錬の機会は幕を閉じた。
ベルナルドが館を発って、勤務地であるヴィートボルグへ向かった後も三人は、ほぼ毎日ひたすら走り込みと基礎訓練に邁進した。
一週間のうちの六日は身体を動かし、一日は完全に休む。その繰り返し。
どれも地味な訓練ではあったが、実のところ何れも武器を扱う型の習熟に繋がる身体の動かし方であり、そのことにサダューインだけは最初から気付いていた。
年が明けて冬から春へ、瞬く間に春から夏へ……半年以上が経過しても一向に武器を触らせてはもらえなかった。
月に一度もしくは二ヶ月に一度、館に帰宅したベルナルドは武芸の型を披露しつつ、三人の仕上がり具合を確かめる。必要ならば新たな鍛錬法を提示していった。
「むー……いつになったら技を教えてもらえるのかしら。
こんなことばっかりしていても、騎士になれるとは思えないわ……」
夏の陽射しの下、今日も走り込みを続けながらノイシュリーベが愚痴を零す。
継続の成果とも云うべきか、この時期になると指定された時間と距離を充分に走り抜けられるようになっており、むしろ走っている最中に喋る余裕まであった。
「今はきっと、土壌を耕している時期なんだと思うよ」
「土壌を耕す?」
並走してくれているエバンスの言葉に反応を返す。
なおサダューインは普段は一人で鍛錬を積んでおり、ベルナルドが戻って来た時だけ二人に合流するようにしている。また春を過ぎた時期より何度か館を離れることがあり、隣のウープ地方の図書学院に遠征するようになっていた。
「うん、昔……故郷の村で畑で作業していた時に教わったことなんだけど。
どんなに肥沃な土地でも、ちゃんと土を耕さないと満足に作物は実らない。
そりゃあ、もしかしたら一度くらいは育つかもしれないけど……それで終わり。
中途半端な実を一度だけ作って、翌年以降は芽さえ出なくなっちゃうんだよ」
「つまり私達は、まだ種を撒く前の畑だって言いたいの?」
「そうだよ、だっておいら達はようやく九歳になるかならないか……だからね。
ベルナルド様は出来る限り入念においら達を鍛えようとされているんだと思う」
これが『大戦期』の真っ只中であったり、戦後の混迷期であれば悠長に訓練を積ませている余裕などは無かったことだろう。当時は貴族家の子供でさえ戦場に駆り出されて、戦場で育てられていた事例も珍しくはなかった。
仮初の安定期を迎えた今だからこそ、戦時中の凄惨さと過酷さを知悉した英雄は次代を担う子供達を育てるのなら、より丁重に成したいと欲したのだ。
「最初から武器を握らせて表面的に技を真似させても変な癖が付くだけだからね。
身体が成長して手足の長さや視点の高さ、重心の位置なんかが変わってくると
どこかで必ず歪みが生じてくる……ってサダューインが言ってたよ」
「あいつ、涼しい顔して色んなこと考えているのね」
「それだけじゃないよ、サダューインはベルナルド様が披露された動きの
一つ一つを分析して研究し尽くしている。筋肉の動きだとか、呼吸の頻度だとか
重心の移し方だとか、視線の傾け方だとか……細かいよぉ」
大書斎で討論している最中にサダューインが書き記した備忘録を読ませてもらったことがあり、その内容の細かさにエバンスは目を回しかけた。
「……あいつならやりかねないわね。いったいどんなことが書いてあるのかしら」
「気になるんなら見せてもらえば?
ノイシュが頼めば、きっと普通に説明してくれるよ!」
「うっ……私から頼むのは気が乗らないわね。あいつに借りを作るのも癪だし」
「あはは……まあサダューインのことはさて置き、今は地道に頑張ろう。
逆に、この基礎訓練すらちゃんと熟すことができないようなら
ベルナルド様に見限られてしまうかもしれないよ」
「そ、それだけはなんとしても避けないといけないわ!
お忙しい中で私達のために時間を作って指導してくださっているんだもの。
……分かったわ、不満を零すのは、もう止めにするから!」
これ以降、ノイシュリーベが文句を言う機会は各段に減っていった。
彼女は日頃、語学や社交術、その他諸々の稽古を受ける傍らでベルナルドの提示した基礎訓練を熟している。エバンスは使用人の仕事があり、サダューインは前述の通り図書学院へ遠征して新たな知識や技術を貪欲に吸収している。
伸び代の塊である幼年期に、三人はそれぞれ自分に与えられた環境で精いっぱいに学び得ようと邁進した。
同時に、自分達が如何に恵まれた境遇に在るのかを実感する。『大戦期』を終えて僅か十数年しか経っていないというのに、これだけ充実した学習の機会を得られているのだから……。
嘗ては神々なる存在が地上世界を席巻し、生きとし生ける者達に様々な試練や恩寵を与えていた。時には災厄として、時には奇跡として。
神々に愛された一部の者は、常人では到底及ばぬ劇的な躍進を遂げたという。例えば底辺に在った者が突如として強大なる力に目覚めたり、凄まじい武具を手にして伝説に記されるような戦いを演じたり、前世の記憶を取り戻したり……等々。
然れど、神々の悉くは斬獲され尽くした。そして"主"が敷いた新たな秩序と常理の裡にてヒトは大きく進化を果たし、嘗ての神々が齎していた災厄や奇跡など取るに足らない矮小なものと化した上で淘汰された。
即ち、常理で生きる現代のヒトは、誰にも頼ることなく自分の脚だけで一歩ずつ歩いて行かなければならない。
逆に言えば自分の脚で歩いて行こうとした者は、時には"主"の思惑すらも超えてどこまで歩いて行ける筈なのだ。
都合の良い奇跡や覚醒などは起きない。
前世の記憶など、仮に持ち合わせていたところで役には立たない。
幻想など、精々が御伽噺の中だけの記述と化した。
故に、子供達は今この瞬間に出来る限りの努力を積み重ねていくしかなかった。
自分の掌で一つ一つ、幻創を築き上げていかなければならなかった。
恵まれた環境に感謝しつつ、己が目指す未来に備えて、理想に辿り着けると信じて鍛錬を続けていったのだ。
・第24話の16節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・プロローグⅡ辺りから「君達は、どこまでも歩いて行ける」という、本作のテーマのようなものを幾度か散りばめさせていただいていたのですが、
これからも、時には言葉や表現を変えて散りばめていく予定なので、もし良ければ探してみていただければ幸いでございます。