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024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(15)


「ふっふっふ、ついにやってやったわよ!」


 その日、ノイシュリーベは朝からとてもご機嫌だった。

 雪が降り積もり始めた小川の畔に連れ出されるまでの間、エバンスは彼女が嬉しそうに鼻歌を口ずさみながら前を歩く様子を目の当たりとする。


 なお余談ではあるがノイシュリーベが普段、館内で過ごす際には常に何かしらの分野の家庭教師が就いており、貴族家の令嬢として相応しい教育を受けている。

 それは言語や社交術にはじまり史学や算術、魔法理論に芸術分野と多岐に渡る。その息抜きとして、こうしてエバンスを連れて館の外へと飛び出しているのだ。



「良かったですね、ベルナルド様のお許しが得られて」



「ええ! お父様が館に戻っている間だけになるけれど

 武芸の基礎を教えてもらえるようになったのは大きな一歩よ!」


 騎士を目指そうとするノイシュリーベの度重なる懇願と説得を受けて、とうとうベルナルドは「護身用としての鍛錬なら……」と折れたのである。

 とはいえ、まだまだ彼女が騎士になること自体を認めてもらえた訳ではない。

 その入り口である武芸の手解きを許されたに過ぎないのだが、それでも僅かながら前進したのは確かだった。




「エバンス、あんたも私と一緒にお父様から武芸を習いなさい!

 お父様がいらっしゃらない時に一緒に練習する相手が必要だもの」


 この館でノイシュリーベと同年代の子供は、弟のサダューインの他にはエバンスしか居ない。それにノイシュリーベは、将来はエバンスも騎士または従者になることを望んでいたので、これは充分に予測できた申し出であった。



「あはは、まあそう言われるんじゃないかなって思ってましたよ……。

 もちろん良いですよ、でも一つだけ おいらからもお願いしてもいいですか?」



「珍しいわね? 言ってみなさい」



「寛大な御心に感謝します。それでは……その稽古の機会ですけども

 おいらの他にもう一人誘ってくれませんか? 弟のサダューイン様とかね」



「……えっ!?」



「サダューイン様なら既に独学で武芸は学んでいらっしゃる ご様子でしたけど

 それでも一緒にベルナルド様から教わることに、大きな意味があると思います」



「……あんたから、あいつの名前が出て来るなんて思わなかったわ。

 私の知らないところで随分と仲良くなったみたいじゃない」



「彼には勉強面でお世話になっていますからね。

 その分、おいらも彼の研究を手伝ったりしていますけど」



「むー……相変わらず、ずるい奴ね!

 でも今更、あいつと会ったところで話が通じるのかしら?

 最後に顔を会わせた時なんて明らかにそっぽを向かれちゃったし……」


 少しだけ拗ねた様子を見せながら、次いで僅かに不安気な表情を浮かべながら訊ねてきた。



「サダューイン様も以前より考え方を改めつつあるようです。

 今なら、きっとノイシュリーベ様ともちゃんと話して下さる筈ですよ」


 ノイシュリーベの不安を和らげるために、エバンスは率先して笑顔を浮かべながら楽観的な口調で諭そうとした。




「……わ、わかったわよ! あんたの言う通り、あいつも誘ってみるわ。

 家来の言うことを聞き入れるのも貴族の務めだって、お父様達も言ってたし」


 その言葉を受けてエバンスは大いに安堵した。姉弟間でもっと仲良くしてほしいと願う彼としては、今回の一件は千載一遇の機会なのだから。



「ほっ……良かった。ありがとうございます、ノイシュリーベ様」



「礼には及ばないわ! いつもこうして付き合ってもらってるわけだし。

 ……嫌にならないの? あんたは自分の仕事だってあるでしょうに」



「……? そのように感じたことは一度もありませんよ。

 確かに仕事はありますが時間をやり繰りして備えているので問題ありません。

 むしろ、おいらなんかを気に掛け続けてくださって嬉しい限りですけど」



「そ、そう……ならいいわ。あいつと一緒に勉強してるっていうから

 もしかしたら迷惑なんじゃないかなって思っただけよ」


 今度はノイシュリーベが安堵した表情を浮かべた。そして照れ隠しも兼ねて、別の話題を切り出してく。




「そういえば、あんたがこの館に来てから明日で一年になるわね。

 何かほしいものはあるかしら? 何でも言ってもいいわよ」



「……ぷっ」


 その言葉を聞いて、エバンスは思わず噴き出してしまった。姉弟で言っていることが同じなのだ。才能や能力、考え方などは大きく違えども、根っこの部分の人間性は案外、かなり似通っているのかもしれない。



「な、何がおかしいのよ、失礼ね!」



「あはは……ごめんごめん、同じことを……つい先日も言われたもので」



「む! さてはサダューインのやつね。

 あいつ以上のプレゼントを用意してみせるから、遠慮なく言いなさい」


 妙な勘の鋭さを発揮して、弟に対する謎の対抗心を燃やし始めた。



「いやぁ、ノイシュリーベ様には本当によくしていただいているので……。

 今更、他に何かをいただこうなんて思えませんよ」



「ふーん、じゃあ何か必要なものが出来た時に遠慮なく言いなさい。

 その時に出来る限りのことをするわ……それでいい?」



「ええ、身に余る光栄です」


 一歩下がり、御礼の言葉とともに恩人(ノイシュリーベ)に対して恭しく(こうべ)を垂れた。




「…………ねぇ、サダューインと会っている時もそんな風にしているの?」


 使用人として完璧な所作で直角に頭を下げたエバンスを真顔で見詰めたノイシュリーベはふと、そのような疑問を投げ掛けた。



「……いえ、それは」



「正直に話しなさい、誰にも言わないから」



「えっと……実はサダューイン様の計らいで、彼と二人きりの時は

 敬語や敬称を付けずに対等な友達として話すようにしています。

 そのほうが隔たりなく意見を交わし合えるから……とのことで」



「愛称は? お父様はあいつのことを『ダイン』って呼んでいるけど」



「いえ、名前を呼ぶ時は普通にサダューイン……と呼ばせてもらっています」



「……そう、よーくわかったわ」


 何かに納得したようにその場で頷き。急に口を閉じて考え込み始めた。

 そして何かを決心したのか、エバンスの瞳を見詰めて一つの提案を切り出す。




「決めたわ! エバンス、これからは私と二人きりの時も敬語は無しよ!

 それから私のことは『ノイシュ』と呼びなさい、お父様のようにね!!」



「……えぇっ!?」



「あら、あいつとは対等に接することが出来て、私とは出来ないっていうの?」



「そういうわけではありませんが、その……いろいろと問題があるのでは……」


 旧イングレス王国の文化に影響された土地では貴族家の令嬢を愛称で呼ぶのは、その家族もしくは親しい血縁。そして仲の良い同性の友達が殆どであり、血縁以外の異性に愛称で呼ばれるとしたら、それは婚約者くらいのものなのである。


 しかし近年ではラナリア皇国など大陸南部の文化が流入して来ているために社交界の在り方も変わりつつあり、前述の愛称に関して云えば大陸南部では単純に気に入った者に対して気軽に使う程度の感覚であった。


 他領の令嬢達とも定期的に交流を重ねているノイシュリーベは、その新しい風習を余さず受け入れているのだが、古風な者達は未だに旧来の習慣を重んじている。

 故に、万が一にでもエバンスがノイシュリーベのことを愛称で呼んでいるところを他の使用人に聞かれでもしたら一大事となるのである。




「誰にも聞かれなければ問題ないわ! それにロフェリア領の人達は

 異性であったとしても仲の良い友達なら普通に愛称で呼び合っていたし!」



「いや、でも……」



「ノイシュって呼びなさい、それにタメ口で喋ることもよ! いいわね!」


 じりじりと近寄りながら圧を掛けてくる。こうなったノイシュリーベは並大抵のことでは折れないことをエバンスは嫌というほどに理解していた。

 あのベルナルドですら、度重なる彼女の申し出に最後は屈して武芸の鍛錬を許可したのだから……。




「うぅっ、わかったよ……の、ノイシュ……?」



「ふふふ、よろしい! これであいつよりも先に進んだわ」


 エバンスが折れると、ノイシュリーベは満面の笑顔で得意気になった。弟への対抗心のようなものも作用しているのだろう。



 一方でエバンスは複雑な心境に陥っていた。罪悪感に似たものを感じているのかもしれない。なにせ彼女はエバンスにとって人生を救ってくれた恩人であり、生涯を賭して支えて行こうと誓い始めた主君なのだから。


 対等に接してくれようとしていること自体は嬉しいが、そんな身に余る扱いを受けて本当に良いのだろうか? と自問自責してしまうのである。

 それを抜きにしたとしても同い年の、それも見目麗しい異性を愛称で呼ぶというのは少年のエバンスにとって、とても気恥ずかしいことのように感じてしまった。




「今日はとても気分のいい日だわ! さあ、雪合戦でもしましょうか」


 そう言いながら、足元の雪を小さな掌で包み込むようにして礫を象り、上機嫌でエバンスに対して投げ始める。この日の彼女との遊興は夕方前まで続いた。







 [ エデルギウス家の館 ~ 裏庭 ]


 ノイシュリーベ、サダューイン、エバンスの三人は帰宅したベルナルドによって館の裏庭へと連れ出されていた。

 この日は曇天で、前日の間に降り積もった雪が残っていたが外で身体を動かす分には特に影響を及ぼすことはない。


 裏庭には既に多種多様な武器が用意されており、一箇所に固められていた。

 そして裏庭の隅には武器を運び込んだと思しき二名の若い騎士が待機している。この館の守衛を担ってくれている、ベルナルドの配下の者達だ。



「うわぁ……お父様! もしかして、この武器を全て使えるの?」


 片手剣、両手剣、曲刀、槍、斧槍、杖、棍、斧、戦鎚、短剣、弓、弩、投擲具、珍しいところでは大鎌など、展示場でも開けそうな数と種類である。

 これにはノイシュリーベやエバンスだけでなく、流石のサダューインも目を見開いて驚愕していた。



「うむ、元々エデルギウス家は武門の家系ということもあるが

 『大戦期』では使える物は何でも使わないと生き延びることが出来なかった。

 気が付いた時には、一通りの武器の扱いを極めてしまっていたのだよ……」


 試しに斧を手に取り、諸手で構えてから振るってみせる。大振りの斬撃から幾つかの型へと派生し、流れるような所作で矢継早に技を披露していったのだ。

 歳を重ねて尚も『大戦期』の英雄の肉体は、衰えを感じさせなかった。




 パチパチパチパチ……。


 ベルナルドが一頻り演舞を終えると、ノイシュリーベは目を輝かせながら拍手を送り、エバンスもそれに倣って掌を叩いた。



「ふぅ……少し身体の鈍りを感じるが、まだまだ動いてはくれそうだ。

 お前達には一通りの型を教えていこうと思う。

 そして、その中から自分に合いそうな武器を探して、選択しなさい」



「はい、お父様!!」



「…………はい」



「あの、ちなみにベルナルド様が一番得意な武器はどれなのですか?」


 三者それぞれの反応が返って来たところでベルナルドは斧を置いて、代わりに槍を掴み取った。



「まあ……コイツだろうな。若いころは両手剣を好んで振り回していたものだが

 騎馬を駆って戦場を奔走するうちに、いつの間にか槍が最も馴染んでいた」


 穂先を見詰め、遠い目をする。過去の凄惨な戦いの記憶が蘇ったのだろうか。




「……『太陽の槍(ゾンネンランツェ)』」


 ぽつり、とサダューインが言葉を零す。



「嘗ての父上の二つ名ですね。多くの仲間達と一丸となって皇国陸軍に抗った。

 その衝撃力、破砕力は誰にも停められず、当時 皇国最強と謡われていた

 皇王直属のコングリゲガード達を何名も打ち破ったとか……」



「よく調べているじゃないか。

 私のことを理解しようとしてくれて嬉しいよ、ダイン」



「……この程度は常識です。現代戦史の教本にも記述されていましたからね」


 久しぶりの父と息子の会話に嬉しそうな笑みを浮かべるベルナルドと、澄ました貌のまま淡々と語るサダューインであった。



「ふふっ、では教本には書かれていないようなことを披露してみるとしよう」


 槍の柄の半ば程を右掌で握り締め、片手半身に構えた後に大きく重心を落とす。そうして両脚に力を蓄えると同時に大きく息を吸い込み、総身に闘気を充溢させていった。



「(す、すごい……)」


 エバンスは圧倒された。ただ槍を構えただけだというのに、ベルナルドから凄まじい熱を感じたのだ。まるで間近で篝火を囲んでいるかのような熱さ。




「ふぅぅぅぅ………こひゅぅぅ」


 鋭く息を吐き、再び吸い込む。これを何度か繰り返すうちにベルナルドの裡なる熱は際限なく高まっていったのである。






 ダ ン ッ …… !!



「……でやああああ!!」


 降り積もった雪ごと大地を砕く勢いで一歩踏み出し、虚空へと槍を突き出す。

 余りにも凄まじい踏み込みにより、周囲の雪と大気が一瞬にして掻き消えた。



 それだけには留まらなかった。




「…………ッ!!?」


 彼が槍を繰り出した先……遥か上空に視線を移したエバンスは思わず言葉を失うほどに驚愕する。なんと上空を覆っていた雲に、大きな孔が空いたのだ。

 更に、その孔はどんどん広がっていき数秒の後に雲自体が霧散したのである。


 それまで曇天によって遮られていた太陽が顔を出し、眩き陽光が冬季の澄んだ大気の中を我が物顔で照らし始めた。


 もしこれを虚空に向けてではなく地上でそのまま放っていたならば、たった一突きで大軍を纏めて消し飛ばせることは容易に想像することが出来る。



「お見事でございます!」


「これが『大戦期』の英雄の力……」


 隅に控えていた二名の若い騎士達が感嘆の声を挙げた。世代的に、彼等が騎士叙勲を受けたのはベルナルドが大領主に就任した後なのであろう。故に彼が全力で槍を振るう姿を見るのはこれが初となる。



「う、うわぁ……」



「…………なんという、凄まじい刺突」


 姉弟も揃って言葉を失い、晴れ渡る天空の有様を凝視するしかなかった。



「こ、こんなすごい魔法……見たことないや」


 辛うじて言葉を零したエバンスの第一声だった。

 大魔法(スペリオルエピック)というものが世の中には存在するとサダューインに教わっていたのだが、仮にそうであったとしても、この威力は常軌を逸している。




「いいや、それは違うぞ……エバンス」



「ええ、今のは魔法や魔術じゃないわ……だって、魔力を全く感じなかったもの」


 両目に三重輪の光輪……魔力の流れや精霊を視認する『妖精眼』を起動したノイシュリーベが、緊迫した声色でサダューインの言葉を肯定した。




「その通りだ。これは、ただの鍛え上げた技なのだよ」


 刺突を放ち、残心を解いたベルナルドが三人の子供達に向けて微笑み掛ける。



 こうして『大戦期』の英雄による武芸の手解きが始まったのであった――


・第24話の15節目をお読みくださり、ありがとうございました。

・英雄ベルナルドはラナリア皇王が直々にヘッドハントして大領主に封じたくらいなので、これくらい盛っても大丈夫かなと思う次第でございます。

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