024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(14)
夏から秋へ掛けて季節が移ろう間に、エバンスは実に様々な知識に触れていく。グレミィル半島に棲息する魔物や動植物、特産品、地政学、流通、経済、宗教、音楽、芸術、雑学から貴族の事業に至るまで、幅広く。
古グラナ語への理解も少しずつ進んでいった。これには先に供用語を習得した際に培った経験が役に立った。言語体系こそ異なれど、言語を学ぶ際の心構えやコツというのは意外と共通しているものなのである。
また知識の増加に伴なってサダューインとの議論も活発になっていった。
彼の思考速度にある程度は付いていけるエバンスだからこそ成し得た、常人では入り込めない速度で繰り広げらえる言葉と思想の応酬。
とても八歳になったばかりの子供達の会話とは思えない内容であったが、近寄る者が限られた地下室ならば誰にも聞かれることはない。
「サダューインは、どうしてそんなに熱心に魔法や魔術を研究してるのさ?
魔力が全然足りないって君も自分で言ってたじゃないか」
「尤もな疑問だな。
確かに適正や効率を考えれば父上のような騎士を目指していくべきなのだろう。
……だが僕が表立って人々を率いると、様々な面で支障が出てしまう」
「それは……周りのヒトと話が噛み合わないから?」
「それもある。君と話すようになってから多少は対処法も身に付きつつあるけど
根本的に僕は大衆と交わり、切磋琢磨しながら皆を導くやり方は合わないんだ。
そういったことは、姉上のほうが遥かに向いておられるしね」
やり方が合わない。つまり出来ないというわけではなく、やろうと思えばいつでも実行できるのだろう。
「最大の問題は僕の容姿が、髪と瞳の色以外は父上の似過ぎていることだ。
このまま成長すれば、きっと大衆は英雄ベルナルドの再来を望んでしまう」
「ああ、そっか……そうなるよねぇ」
微かに表情に陰を落としたサダューインを見て、エバンスは即座に察した。
恐らくこれまでにも容姿については散々言われてきたのだろう、心許ない期待を添えられて。
そして常人より遥かに優れた頭脳を併せ持つサダューインだからこそ、大衆が幼い自分に求めているものを理解しているのだ。
即ち、父ベルナルドのように最前線で勇敢に戦う新たな時代の英雄。
「ラナリア皇国の軍人達は再び大陸北部を侵略する機会を虎視眈々と伺っている。
その時代に、もし僕が騎士として大成してしまっていたら、どうなると思う?」
「……北部侵攻の最前線に駆り出されちゃうねぇ。
なんせベルナルド様はラナリア皇国陸軍を散々に苦しめた英雄だったから
今度はその才能を受け継いだサダューインを自分達の力として使おうとする?」
「ふっ、そういうことだよ……あの男はやり過ぎたのさ。
だから僕は"偉大なる騎士"のようになる訳にはいかないんだ!」
もしサダューインが騎士となれば、皇国は必ず新たな英雄の力を利用しようとするだろう。場合によっては強力は手札を保持していることが開戦を後押しする結果に繋がってしまう可能性も考えられる。
「でも、おいらは感謝してるよ。ベルナルド様が大領主になっていなかったら、
君やノイシュリーベ様が産まれて来なかったかもしれないし、
おいらは骨拾いのまま、あの都市で惨めに死んでいたのかもしれない」
「それは一理ある。しかし、どうあれ僕はあまり表舞台に立たない方が良い。
逆に母上のように影ながらグレミィル半島を支える役割のほうが向いている。
だから……"魔導師"を目指すために魔法、魔術、錬金術を研究しているんだ」
"魔導師"ダュアンジーヌは『大戦期』以前より、決して目立つことなく常に暗躍を続けてグレミィル半島に尽くしてきたという。
不世出のもう一人の英雄として、誰にも知られることなく生涯を終える覚悟であったそうだが、『人の民』と『森の民』の諍いを鎮めたいというベルナルドの熱い想いに共感し、紆余曲折を経て両者は婚儀を交わしたと聞かされている。
「僕の魔力量では夢のまた夢であることは理解しているよ。
だが、どんなに時間が掛かっても、どんな代償を支払っても辿り着いてみせる!
そして母上の理念を受け継いで、このグレミィル半島の民を護り続けたい」
「家督はどうするのさ? それに、いずれ大領主の座も代替わりするだろうし」
「最初から姉上に譲る心算だよ。もしくは姉上の子供だな」
即答だった。奇しくもノイシュリーベ自身がエデルギウス家の当主になると宣言しており、この点に関して姉弟の思惑が合致していたのだ。
「今こうして地下室に籠っているのも人目を避けるためってこと?
まあ研究に専念できる場所ってのもあるだろうけど」
「その通りだ。こうして隠れ続けていれば、いずれ大衆は僕のことを忘れ去る。
幸い、姉上は見目麗しく、大いに人々の注目を集めてくれる御方だからな。
あと数年の間は、こうしてここで研究に没頭していく予定なのさ」
「…………そっか、君の方針はだいたい分かったよ」
子供のエバンスには全てを納得できるような回答ではなかった。呑み込めない部分も大いにある。然れど、胸中を偽ることなく明かした眼前の美少年からは確かな誠意と、己に対する信頼のようなものを感じ取れた。
それと同時に、サダューインという人物は、やはり常人とは異なる傑物の片鱗を見せ始めていることを実感した。果たして、このような人物を影に埋もれさせ続けることが正しい行いなのだろうか? 幼いエバンスは、密かな葛藤を懐いた。
更に時が流れた。秋から冬へ、エバンスがエデルギウス家の館で働くようになってから丸一年が経過しようとしていた。
使用人として任される仕事量は少しずつ増えていき、より日々の充実を感じる。
この頃になると政務が忙しくなってきたのか、今年はベルナルドが領内視察を行う余裕はなく、館にも二ヶ月に一回の間隔で戻るくらいであった。
そして彼が館に戻る度にノイシュリーベは根気よく騎士としての鍛錬を積むための許可を強請るのだ。
サダューインは大書斎に籠りつつも、時々は山野や領内の村へと出掛けていた。彼曰く「実地でこそ学べることもある」とのこと。
何度かエバンスは彼の外出に同行させてもらえるようになった。その道程は非常に過酷なものであった。
山野の獣道を凄まじい速度で走って進み、鉱山に入っては内部を検めたり、時には炭鉱夫に混ざって自ら鉱石や魔晶材を採掘していた。
魔物と遭遇すれば自作の魔具を駆使して追い払い、道具と知識を活用して当たり前のように野営して夜を過ごした。料理の腕前も申し分なかった。
村に入れば冒険者の連れ子のふりをして村人達と接触し、領民の実生活や生の声に耳を傾ける。実に手馴れたものであった。
「……もしかして、ずっと前からこういうことやってたの?」
「まあな、引き籠ってばかりでは身体の成長の妨げになってしまう。
それに意外と良い気晴らしになるんだ」
「あー……ノイシュリーベ様が知ったら、拗ねそうだなぁ」
「姉上は御身体があまり丈夫ではないからね。
父上も母上も、なるべく館より離れた場所には行かせないようにしている。
昨年の領内視察の旅へ同行させる時には、随分と悩んでおられたものだ。
まあ普段から姉上に連れ回されている君ならば、その辺は熟知しているだろう」
「うん。遠出したとしても、館の近くの川の畔になるかな?
おいらはあの場所が気に入ってるから、連れ回されるのは全然苦じゃないけど」
「姉上はすっかり君のことがお気に入りのようだ。
……そういえばエバンスがこの館にやって来てから、間もなく一年が経つのか」
「んー、あと三日ってところかな……本当に劇的な一年だったよ。
サダューインやノイシュリーベ様のおかげで、とても楽しかったけどさ」
「それは、こちらこそだな。君が来てから、随分と研究が捗ったよ。
どうだろう、一年経過の祝いも兼ねて何か君に贈りたい。
……欲しいものはあるか? 物でなくても良い」
「……そうだねぇ、なら一つだけ」
頭上を見上げて夜空を一度眺めてから、再び隣の美少年へと視線を傾ける。
この時のエバンスの表情は、真剣さ半分、期待半分といったところであった。
「もう少し、ノイシュリーベ様とも接してほしいかな。
君の方針や、彼女の素質に対して思うところがあるのは、よく知っているけど
実の姉弟で双子なんだし、全く顔を会わさずに暮らすのは……寂しいことだよ」
嘗てエバンスには双子の兄が居た。両親と同じく非常に利口で、それ故に戦場に出ては大いに活躍していたという。
しかし愚かな氏族長の方策により、味方に首を斬られて最悪の死を遂げたのだ。
だからこそエバンスは、血の繋がったこの姉弟が擦れ違う様を見続けたくはなかったのである。今は難しくとも、いずれ手を取り合って欲しいと願ったのだ。
「ノイシュリーベ様は以前から仰っていたよ。
もっとサダューインとも一緒に遊びたいってさ」
「それは……今の僕にとって最も難しい注文の一つだな」
「今すぐに仲良くしてくれとは言わないよ。
まずは一回だけでもノイシュリーベ様と顔を会わす機会を作ってほしいんだ」
「……分かった。友人への祝いの代物として相応しいかどうかはさておき
君が真摯に欲していることなら出来る限りのことはしてみよう」
逡巡の末に言葉を絞り出し、サダューインは前向きに返答した。
この一件の先に、後々の姉弟の進路を決定付ける出来事が待ち受けているとは、
誰も予想だにしていなかったのである。
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この辺りから、サダューインはエバンスのことを友人として認識するようになっていきました。