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024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(11)


 更に季節は巡り、春から夏に差し掛かり始める。


 その日、エバンスはヘルマンに頼まれてダュアンジーヌの部屋へ奇妙な硝子容器を運ぶのを手伝わされていた。

 ダュアンジーヌの身の回りの世話は、侍従のアンネリーゼが執り行っているのだが、運び込む硝子容器の数が膨大であったために人手が必要になったとのこと。


 そこで人一倍早く自分の仕事を終えていたエバンスが運搬の補佐を務めることになったのだ。この頃になると他の使用人見習い達が丸一日費やす作業を昼過ぎにはもう終えてしまうようになっていた。




 [ エデルギウス家の館 二階 ]


 昼下がりの陽光が眩く照り付ける時分にてエバンスとアンネリーゼの二人は、小さな車輪が四つ備わった板の上に硝子容器を載せて二階の廊下を移動していた。


 厳重に紐で縛っているとはいえ、やはり割れ物を運ぶ時は緊張してしまう。

 それに、この硝子容器に近付くと微妙に尻尾の毛先が逆立ち始めていたのだ。



「ありがとね、エバンス君。この量を一人で運ぶのは大変なのよ」



「あはは……もっと力のある使用人はいると思うんですけど

 おいらなんかで良かったんですかね?」



「んー……モノがモノだからかしら、君が一番適任だと判断されたんでしょう。

 この硝子容器はワケアリな魔具(デミ・マギア)なのよ。いわゆる呪物ね」



「えぇっ!!?」



「"魔導師"であるダュアンジーヌ様は時々 呪物の解析や解呪を依頼されるのよ。

 この魔具(デミ・マギア)も恐らくは他領から運び込まれたモノなのでしょう」



「え、その……そんなものを運んじゃって大丈夫なんですか?

 ダュアンジーヌ様なら何とでもしそうですけど、おいら達は……」



「そうね、普通のヒトはなるべく触れないほうが良いと思うわ。

 でも君や私は大きな精霊の境振を得ているから大丈夫な筈よ」



「精霊の……境振?」



「ええ、精霊の周りで発生している魔力の振動膜のようなものね。

 "声"が聞こえるくらいに、常に君の周りに精霊が付いて来るのでしょう?

 だったら呪物が放出する軽い呪詛くらいなら、その境振が防いでくれるわ」


 呪詛は魔力を変質させたものであり、超高密度の魔力塊である精霊が傍に付いている者ならば、彼等の振動膜の庇護を得られるというわけだ。



「そっか、それでおいらにお声が掛かったんですね」



「そういうこと。多分これからも、この手のお手伝いの機会は増えると思うわ。

 不安に感じるなら早いうちにヘルマン様に打ち明けてみるか、

 もしくは本格的に魔法(スペリオル)を学んで精霊との付き合い方を覚えるといいわ」



「アンネリーゼさんは魔法が使えるのですか?」



「ええ、"妖精の氏族"出身者は大なり小なり魔法の素養を持っているものよ。

 といっても私は戦いに関する才能はからっきしなんだけどね」


 アンネリーゼはノイシュリーベ達と同じくハーフエルフであり、元々はダュアンジーヌの生家であるフィグリス家に代々使える従者の家系であった。

 年齢はエバンス達よりも十歳ほど年上で、侍従の中ではかなり若い。にも拘らずダュアンジーヌの近習を担っているのだから、相応に高い素養があるのだろう。


 などと話しているうちに目的地の前まで辿り着いた。






 [ エデルギウス家の館 二階 ダュアンジーヌの部屋 ]



「入りなさい」


 アンネリーゼが扉を四回ノックすると数秒を空けてから返事が返ってくると同時に誰もドアノブに手を掛けていないのに扉が勝手に開いたのだ。

 恐らくはダュアンジーヌが魔法か魔術で操作したのだろう。




 ツツミコマレル…… フシギナセカイダ……。


「(えっ……?)」


 脳内に"声"が響き、次いでエバンスは周囲の大気が揺らめく気配を感じた。




「ダュアンジーヌ様が、自室とその周囲の廊下に結界を張ってくださったのよ。

 呪物の解析中に不意に呪詛が暴走して拡散しないためのご配慮ね」



「な、なるほど」


 全てを理解することは適わなかったが、それでも身の危険を感じるようなこともなかったので、アンネリーゼに倣う形で部屋内に硝子容器を運び入れた。




「ご苦労様、アンネリーゼ。それにエバンスも。緊張したでしょう?」



「勿体ないお言葉です」



「あ、はい……危険な代物だと聞いたもので」



「ふふ、ごめんなさいね。

 こういった呪物を運ぶことが出来るヒトはとても限られているのです」


 申し訳なさそうに話すダュアンジーヌであったが、どこか目論見通りに(こと)が運んだことを喜ぶような素振りが見え隠れしていた。

 次いで右目に三重輪の光輪を灯し、エバンスの頭の上の狸耳から爪先までをじっくりと検めていく。


 その間にアンネリーゼは運び込んだ硝子容器を、作業机の傍のスペースに一つずつ丁重に置いていた。



「貴方に呪詛の余波が堆積した形跡はありません。素晴らしい素質ですわ。

 ノイシュリーベも呪詛に対する抵抗力はとても高いのだけれど、

 あの子の性格ではこういった運搬作業は……ね」



「あはは、そうですよね」


 思い立ったら即行動、どこまでも突っ走るノイシュリーベに割れ物を運ばせるのは誰がどう考えても危険極まりない。それに彼女は、七歳という年齢を考慮してもあまり腕力が強くないのだ。



「そういった訳なので貴方にはこれからも呪物の運搬を頼みたいと思っています。

 大きな精霊の境振があるとはいえ、少なからず危険が伴うことでしょう。

 ……それでも、よろしいかしら?」



「はい、使用人としてエデルギウス家のお役に立てるのなら」


 恐怖は感じる。しかし新しい仕事に挑戦できること、恩義を感じているエデルギウス家に尽くせるのなら断る道理は無かった。

 そんなエバンスに対し、ダュアンジーヌは優し気な微笑みを返す。その面貌は娘であるノイシュリーベの微笑みと、とてもよく似ていると感じさせた。



「感謝いたしますわ。

 ところでエバンス、文字の読み書きについては進んでいるのかしら?」



「はい! 旧イングレス語の筆記は、ほぼ出来るようになりました。

 供用語はノイシュリーベ様にもご指導いただいて日常会話くらいなら……。

 なんとか文字を読むことは出来ますが、筆記はもう少し掛かりそうです」



「まあ! 半年でそこまで出来るようになるなんて、思った以上の逸材ね。

 良いでしょう、それならば以前に話していたことは覚えているかしら」



「地下の大書斎に行って部屋の主と会え、という件でしょうか。

 その、つまり……御子息のサダューイン様のことですよね?」



「あら、それも既に解っていたのですね。その通りですよ。

 今の貴方ならば、あの子にも良い影響を与えてくれると信じていますわ」



「……サダューイン様は、頭が良過ぎて他のヒトと会話が成立しないと

 ヘルマン様達から聞きました。おいらなんかで大丈夫なのでしょうか?」


 祝宴の日の夜、初めて彼と邂逅を果たした時は明確な壁のようなものを感じた。それは知能の差というよりは、身分の差からくる線引きであったのだが。

 この時のエバンスには到底その壁を踏み越えられる気がしなかったのだ。



「……そうですね。

 幸か不幸か、あの子は頭脳だけは わたくしによく似てしまった。

 この館であの子と真っ当に会話が成立するのは わたくしだけなのです」


 ヒトは知能に差が生じると会話が成り立たなくなる。それは理解速度や範囲の差異によるもので、低位の者は高位の者の思考に付いて行くことが出来ない。

 したがって高位の者が低位の者と話す際には会話の質と速度を落とすことで調整していくのだが、幼いサダューインにはまだその心得が充分ではなかったのだ。


 姉のノイシュリーベも常人と比べれば遥かに頭は良いのだが、それでもサダューインに対しては見劣りしてしまう。館の使用人達も彼の思考には付いていけない。

 加えてノイシュリーベとは魔術に関する一件もあり、彼は孤立を深めていた。



「ですが、この館の者達とは異なる体験をしてきた貴方なら

 きっと良い切欠をあの子に与えてくれるのではないかと期待しているのです」



「分かりました、あまり自信はありませんけど……やるだけやってみます。

 それでは、おいらはこれで失礼いたします」



「ええ、手伝ってくれてありがとう。またよろしくお願いしますわ」


 恭しく頭を下げてから退室するエバンスを見送ってから、ダュアンジーヌは作業机の前へと移った。すると先刻の会話の最中にアンネリーゼは呪物を解呪するための段取りを整えてくれていたようだった。



「あら、貴方も随分と手際が良くなってきましたね」


 運び込まれた硝子容器の中の一つを手に取り、あらゆる角度から視ることで検分しながら作業机の上にそっと置いた。



「ダュアンジーヌ様やセンリニウム様のお傍で働かせていただいていますから。

 ……先程のお話ですが、果たして彼に務まるのでしょうか?」



「ふふ、彼はとても利口で器用な子ですもの。きっと大丈夫。

 ノイシュリーベとも仲良くしてくれているそうですし、今のうちにあの子とも

 接点を築いてくれれば将来的に二人の橋渡しになってくれるかもしれません」


 一旦 硝子容器から目を離し、窓の外の大空へと視線を傾ける。

 それは恰も遠い未来を見渡しているかのような眼差しであった――







 ダュアンジーヌの部屋に硝子容器を運んでから一ヶ月が経った。

 すっかり夏の息吹を垣間見せ始めていた季節にて、エバンスは早くも使用人見習いから正式な使用人へと昇進を果たした。


 通常、見習いを卒業するには二年から三年の月日を要することを鑑みれば異例の早さであった。当然、他の見習い達からの嫉妬は凄まじいものであったがエバンスはヘルマンの助言に倣って己に与えられた仕事を黙々と熟していったのである。

 それと並行して共通語の習熟にも熱心に励んだ。その甲斐あってか、基本的な読み書きはほぼ問題無く行える位階に達していた。

 



 [ エデルギウス家の館 地下室 ]


 共通語の読み書きにも一定の成果を確信したエバンスはこの日、一日の仕事を終えた後に、いよいよ件の大書斎を訪ねるべく地下へと続く階段を降りていった。


 なお地下には食糧倉庫や宝物庫、囚人を捕えておく牢屋など重要な部屋も存在しているために正式な使用人でなければ自由に出入りすることは許されない。

 見習いであっても主家の者や、他の使用人が同席していれば立ち入ることは可能であったが、それも限定的な状況に限られていた。

 故に、エバンスが一人で階段を降りるのはこれが初めてのことでもあったのだ。




 階段を降りた先に通路が左右に別れて伸びていた。大書斎に赴くために左へ進んでいくと、頑丈そうな観音開きの鋼鉄の扉が視界に映った。


 早速、扉を三回ノックする。



「エバンスと申します……奥方様に、こちらを訪ねるよう仰せつかりました」



「……母上に? そんな話は聞いていないが。まあ良いか、鍵は開いているよ」


 やや間を置いて返事が返ってきた。どうやら今日は館内に居てくれたようだ。

 というのも大書斎の主であるサダューインは時折、単独で館を抜け出しては付近の村や山野を散策して回ることがあるらしい。



「し、失礼します!」


 少し緊張しながら鋼鉄の扉に設えてある縦長の取っ手に掌を添えて、力いっぱいに動かした。かなりの重量であり子供のエバンスはそれだけで体力を使い果たす。



「ぜぇ……ぜぇ……なんて、重さだよ……」


 肩で息をしながら大書斎の中に足を踏み入れると、そこには部屋中を埋め尽くす本棚と、大量の書物、そして部屋の隅に作業机がちょこんと置かれているだけの空間であった。




「ああ、君は確か……いつぞやかの祝宴の時に会った骨拾いの狸人(ラクート)か。

 わざわざ母上が寄越すとは、いったいどういった風の吹き回しなのやら」


 作業机の椅子に腰掛けていたサダューインが、ゆっくりと背後を振り向いた。

 机の上には分厚い書物が山と積まれている、今 正に解読している最中といったところなのであろう。



「…………」


 眼前の美少年を検める。とても同い年とは思えないほど落ち着いており、特に双子の姉であるノイシュリーベの活発さと比べれば雲泥の差といって差し支えない。

 机の上に積まれた書物も、とても七歳児が読むような代物とは思えなかった。


 文字の読み書きを覚えたばかりのエバンスでは到底理解できないような……或いは大の大人であったとしても目にしただけで匙を曲げるような内容だ。



「えぇっと、旧イングレス語とラナリア皇国の供用語の読み書きを覚えたので

 なにかサダューイン様の身の回りのお手伝いが出来るのではないかと……」



「ふむ、つまり母上は孤立気味の僕に、小姓を付けようとお考えなのか? 

 ……いいや、違うな。"魔導師"ダュアンジーヌは、そんな凡庸な手は打たない」


 顎に手を添えて少し考え込む素振りを見せる。実母の計らいの真意を探るためであるが、同時に難解な方程式を解き明かすような面持ちをしていた。

 そうして幾らか思考を巡らせた末に、試すような素振りで言葉を紡ぎ出した。



「……旧国語と共通語の読み書きが出来るようになったと言っていたが、

 君はいつごろから学び始めたんだ?」



「この館にやってきて間もないころからヘルマン様達に教わりました」



「一日辺りの学習時間は?」



「見習いの仕事を終えた後からになりましたので半刻、よくて一刻です」



「……そうか」


 素っ気無く言葉を返し、再び考え込み始めた。

 暫くしてエバンスが手持無沙汰になり始めていると、何やら机の奥より水晶の塊のような代物を取り出し、エバンスの眼前へと突き出したのであった。



「この魔具(デミ・マギア)の先端に触れてみてくれないか?」



「……? 分かりました」


 言われた通りに、小さな狸人の掌を添えてみると、六角柱の水晶の先端が橙色に輝き出し、やがて中央付近にまで光が伝播していくのであった。



「共鳴値は五十二……いや五十三といったところか、獣人種にしては中々だな。

 しかも発光の色味からして精霊憑きか。成程な」


 何かの呪文を唱えるかの如く、一人でぶつぶつと呟き出した。



「えっと、あの……これは魔力を測る道具か何かなのでしょうか?」


 魔具の形状やサダューインの呟きから類推しつつ、恐る恐る訊ねてみた。




「おっと、すまない。つい考察に没頭し掛けてしまった。

 その通りだ。これは僕が自作した魔具で、凡その魔力量と先天性を測れるんだ。

 君の数値は……まあ母上や姉上には大きく劣るが、結構なものだよ」



「ははぁ……そ、そうですか」



「ちなみに僕の数値は、君の十分の一も無い」


 眼前の美少年もまた同じように魔具に触れると、今度は水晶の先端部に僅かに白色の光が燈るのみであった。



「ですが、これだけの魔具をその齢でお造りになられるのでしたら……」


 手先の器用さは勿論のこと、設計や加工の知識や術式理解など膨大な知識が必要となることは、ダュアンジーヌの手伝いのために彼女の私室を訪れるうちに漠然と理解しつつあった。

 計測具ともなれば、より精密さが求められることだろう。己と同じ七歳の子供が造り上げたなど俄かには信じがたいことである。



「魔具造りにはそこまで魔力を必要としないからね。

 不出来な僕でも、まあ頑張ればこれくらいは出来たというわけさ」


 自嘲気味に嘯く。その僅かな仕草の中にはどこか寂寥めいたものを感じ取れた。




「エバンス、と言ったか。

 これから君に幾らか質問をするので適当に答えてみてほしい」



「えっ……あぁ、はい……!」


 それからエバンスは多様な分野に渡る脈絡のない質問を何度も投げ掛けられた。


 例えるならば知識量の暴力。常人を圧倒的に凌駕する頭脳の持ち主から一方的に知性でぶん殴られ続けるような境地であったという。

 思わず目を回しそうになるのを必死に堪え、サダューインが発する質問の意味を可能な限り読み解いて、少しでも答えを返すべく喰らい付いたのであった。


・第24話の11節目をお読み下さり、ありがとうございました。

・サダューインは恐らくIQ150くらいあると思います。(子供の頃なら相対的な数値はもっと上になります)

・なお本編の登場人物の中でサダューイン以上の知能を持っているのはラスフィシアくらいとなります。

 外伝も含めるなら、ギラ・レスティート博士という人物が居るにはいるのですが……!

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