プロローグⅠ『後戻りは適わぬ宿痾の清算』
其は地上世界に顕現した地獄と見紛うばかりの愁嘆場であった。
多種多様な種族が対立しながらも手を取り合い共存してきた豊かな大地と歴史は今、正に灼け剥がされて糜爛し始めている。領民達は悍ましき呪詛により、濁った翡翠の如き結晶体へと姿を変え、彼等が暮らした町々は業火の直中へと焼べられていく。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ]
グレミィル半島と呼ばれる領土の中央に位置する白亜の頂。
嘗ては半島南部で暮らす純人種達――『人の民』が、北部に拡がるグラナーシュ大森林に棲息する亜人種達――『森の民』との抗争のために築いた防衛拠点に端を発する街であったが、現在はグレミィル半島の消滅を左右する裁断の舞台と化していた。
既に城塞都市内部の至る箇所より火の手が上がり、結晶化した領民達は軍馬を駆る最精鋭の騎士達によって文字通り粉砕されていく。
騎士達を率いているのは、白く輝く全身甲冑に身を包んだ高潔なる女性騎士。
然れど激戦を潜り抜けてきたためか、流麗なる意匠が施された面当てや特注品と思しき甲冑の各部は破損しており、彼女の面貌は、その泣き腫らした双眸は、戦火の熱とともに直に晒されていた。
純人種ではなく、半島で暮らす亜人種の一角たるエルフと呼ばれる種族の特徴である鋭利で長い両耳と美貌、そして真珠の如き銀輝の髪。
おそらく甲冑に覆われた手足は騎士にあるまじき細さと、しなやかさを兼ね備えていることだろう。
本来、エルフ種は金属製の武具を身に纏うことを禁忌としている筈だが、城塞都市に居る誰もが彼女の井出立ちに疑問を懐くことはなかった。
左掌で手綱を操りながら右掌で握る斧槍を振るい、蹄鉄が打ち鳴らす走破音と共に一人、また一人と自らが護るべき領民達を砕いて回り、代償として慟哭を零す。
やがて彼女は、生き残った領民達の大多数が避難している城館……即ち、己の居城の前へと辿り着くと年季の入った鋼鉄製の門の前に立ち塞がる小山の如き異形体と相対した。
大樹の如き六本の脚が支えるのは六つ首の竜の頭。歪な翼の如く生え渡る十二本の復腕。意のままに動く図太く長い尻尾。そして――異形体の中枢には純人種と思しき成人男性の上半身が生えていた。
騎乗したまま城館へと近寄る女性騎士は、その悍ましき異形体の中枢を睨み据えて口を広いた。
「……退きなさい、サダューイン。
間もなくグラナグラムが着弾する、それで全ては終わりよ」
「姉上こそ、これ以上 罪過を重ねることは止めてくれ。
貴方がそんなものを背負う必要はなかった! 俺の役目の筈だった!」
異形体が腕を広げ、何としてもこの門は通さないと誇示しながら尾を振るう。
周囲の地形ごと女性騎士が騎乗する白馬を目掛けて薙ぎ払わんとした。
怒涛となって押し寄せる質量。長年に渡って苦楽をともにしてきた白馬は、主人が操る手綱に先じて己の判断で逸早く回避行動を採っていた。
短く駆け出し、勢いを付けた後に大きく跳躍。
異形体の尾撃を見事に躱して着地すると、今度は十二本の複腕のうちの二本が左右から挟み込むようにして迫り来る。
まるで壁の如く分厚く巨大な掌。これには場数を踏んできた白馬とて成す術はなく、合計十本の指にてあっさりと絡め獲られて動きを封じられてしまった。
「くっ……フロッティ!」
複腕に挟まれる刹那、馬上に在った女性騎士は間一髪のところで直上へ飛翔して捕縛を逃れていた。
眼下で捕まる愛馬の名を叫びながら、甲冑の至る箇所に設えられた噴射口より豪風を放出させることで、空中にて巧みに姿勢制御を行いながら両脚より大地へと落着。諸手で斧槍を握り締め、涙交じりの眼で異形体を睨み据えた。
「……化け物め」
「今ならばまだ退き返せる。
母上が築いたこの街と無辜の民達はまだ生きているんだ!」
「黙れ!! 『人の民』と『森の民』、棲み分けながらも一時は手を取り合い
互いを尊重し合える未来を……お父様が築いた可能性を信じていた」
脚と肚に力を込めて、大地を踏み締めながら斧槍を構える。
言の葉とともに、殊の刃を異形体へと傾けながら――
「でも一度呪いが蔓延すればこの有様よ。此処から『人の民』と『森の民』の境目が見えるかしら?『尊重すべき境界線』は何の役に立ったというの?」
手にした斧槍の穂先を鋭く傾け、徒歩にて駆け出し突撃体制に移る。
愛馬を奪われても女性騎士の真髄である『過剰吶喊槍』の暴威が削がれることは無し。必殺の一撃を以て、眼前の異形体を討ち破る意向である。
「全てを灼いて、やり直させる……そのためのグラナグラムよ」
「だから自分自身を誘導針に、ここにグラナグラムを墜とすというのですか。
……それだけは絶対にさせない。この身に代えてでも民を護る、そして貴方の尊厳も守る! 『灼熔の心臓』よ。今一度、俺に力を貸してくれ!!」
異形体の中枢を担う男性が胸部に埋め込まれた宝玉へと希うと、その言葉に呼応して黄金の光粒が溢れ出した。同時に夥しい量の魔力が総体へと纏り着く。
然れど、黄金の光粒は即座に闇に染まり、極夜の如きの帳へと変換されて悍ましさの位階を更に一段階、深化させていったのだ。
両者の間には後戻りの適わぬ決別の兆しと死闘の匂いが充溢し、成すべき想いを遂げる為には、互いが互いを討つべき宿痾であることを改めて認識させた。
『――来たれ、尖風!』
ダ ン ッ … !!
女性騎士が大地を蹴り、圧縮された風を噴射させながら一挙に跳ぶ。
狙いは一点、異形体の中枢。双子の弟の喉首へと穂先を突き立てるべく一条の彗星と化して吶喊したのだ。
常軌を逸する速力は騎馬突撃をも凌駕する彼女の真骨頂。
矮躯の女性騎士が数多の害敵を打ち破ってきた限りなく常勝に近しい、世界を変える風の勲。
これに対して極夜の帳を纏った異形体は、竜の頭に加えて白馬の捕縛に宛がわなかった残りの複腕を稼働させて彼女を阻もうとした。
背後に聳えるのは、僅かに生き残った領民達が身を寄せ合う最後の砦。グレミィル半島を存続させる為の最後の希望なのである。
高潔なる女性騎士と悍ましき異形体。
白夜の如き甲冑と極夜の如き魔力の帳。
同じ血を別けた双子の姉と弟。
対極なれど鏡合わせな両者の姿は、恰も旧き寓話の勇者と魔王のようですらあったと、後に語られることとなる。
「…… うぅ あ あ ぁ ぁ ぁ !!」
「姉上、いや……騎士ノイシュリーベ・ファル・エデルギウス!
貴方は此処で俺が停める……!」
絶叫と共に姉弟が激突し、二人の最後の闘いが幕を開ける。
一方、城塞都市より北域に位置するグラナーシュ大森林では、一筋の翠礫が遥か虚空の彼方へと昇り始めていた。
其の翠礫の銘こそは―――
幻 創 の グ ラ ナ グ ラ ム
~ 貴き白夜と堅き極夜 ~
・皆様、お初にお目にかかります。作者の黒垣という者でございます。
この度は貴重なお時間を割いてプロローグⅠを読んで下さり、誠にありがとうございました。
小説を書く、投稿するというのは私の人生に於いて初めて試みとなり、
何かと不慣れな点が多くございますが完結を目指して誠意努力する所存ですので
もし少しでもご興味を持っていただき、皆様が余暇を満喫されるに値するコンテンツと成り得れば感無量でございます。
・この物語は双子の姉弟が、父と母が遺した領地の平穏を護っていくために奔走するハイファンタジーものとなります。
プロローグⅠで描かせていただいたのは、その終着点。
姉弟が如何にして擦れ違い、最後の闘いを演じるに至ったのかを、お楽しみいただければ幸いです。
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