プロローグ『後戻りは適わぬ宿痾の清算』
(2025.10.31) 微修正を行いました。
其は地上世界に顕現した地獄と見紛うばかりの愁嘆場であった。
覆せぬほどに成熟した悪意に侵され、相反する者達を削ぎ落すことでしか先へと進む路を望めぬ、一つの物語の終着点。
多種多様な種族が対立しながらも手を取り合い、共存してきたグレミィル半島の豊かな大地と歴史は今、正に灼け剥がされて糜爛し始めている。
領民達は悍ましき呪詛により、濁った翡翠の如き結晶体へと姿を変え、彼等が暮らした町々は業火の直中へと焼べられている最中であった。
[ 決戦の地 城塞都市ヴィートボルグ ]
グレミィル半島と呼ばれる領土の中央に位置する白亜の頂。
嘗ては半島南部で暮らす純人種達……『人の民』が、北部に拡がるグラナーシュ大森林に棲息する亜人種達……『森の民』との抗争のために築いた防衛拠点に端を発する街であったが、現在はグレミィル半島の消滅を左右する裁断の舞台と化していた。
既に城塞都市内部の至る箇所より火の手が上がり、結晶化した領民達は軍馬を駆る最精鋭の騎士達によって文字通り粉砕されていく。
「…………」
騎士達を率いているのは、白く輝く全身甲冑に身を包んだ高位の女性騎士。
激戦を潜り抜けてきたためか流麗なる意匠が施された面当てや、特注品と思しき甲冑の各部には破損が見受けられる。
そうして一部露わとなった彼女の面貌は、その泣き腫らした双眸は、戦火の熱の直中にて直接晒され始めていた。
「…………」
無言だった。無貌で民を砕き続け、其の罪過を一身に引き受けていた。
もし謝罪や赦しを求める言葉を発したならば、涙と共に嗚咽が停まらなくなってしまうと理解しているのだから……。
彼女は純人種ではなく、半島で暮らす亜人種の一角たるエルフと呼ばれる種族。特徴的な鋭利で長い両耳と美貌、そして真珠の如き銀輝の髪を備えていた。
甲冑に覆われた手足は騎士にあるまじき細さと、しなやかさを兼ね備えていることだろう。
本来、エルフ種は金属製の武具を身に纏うことを禁忌としている筈だが、城塞都市に居る誰もが彼女の井出立ちに疑問を懐くことはない。
左掌で手綱を操りながら右掌で握る斧槍を振るい、蹄鉄が打ち鳴らす走破音と共に一人、また一人と自らが護るべき領民達を砕いて回り、代償として心の内だけで慟哭を零すのだ。
「…………」
やがて彼女は、生き残った領民達の大多数が避難している丘上の城館……即ち、己の居城の前へと辿り着くと年季の入った鋼鉄製の門の前に立ち塞がる小山の如き異形体と相対した。
大樹の如き六本の脚が支えるの六つ首の竜の頭。
歪な翼の如く生え渡る、十二本の復腕。
意のままに動く図太く長い尻尾。
そして……異形体の中枢には純人種と思しき成人男性の上半身が生えている。
騎乗したまま城館へと近寄る女性騎士は、その悍ましき異形体の中枢を睨み据えてゆっくりと口を開いた。
乾いた喉と感情の奥底より、それまで封じていた言葉を絞り出す。
「……そこを退きなさい。
間もなく『グラナグラム』が着弾する、それで全ては終わりよ」
「姉上こそ、これ以上 罪過を重ねることは止めてくれ。
貴方がそんなものを背負う必要はなかった! 俺の役目の筈だった!」
彼女達は双子の姉弟であった。
しかし其の姿は、其の生き様は、理想は、理念は、何もかもが異なる路を歩み進んでしまった。果ての終焉にて、両者は再会する。
互いが背負ったもの、切り捨てたもの、喪ったものは余りにも大きい。
連綿と続いた宿痾を一身に引き受けて、両者は対峙する。
異形体が腕を広げ、何としてもこの門は通さないと誇示しながら尾を振るった。
女性騎士が騎乗する白馬を目掛けて、周囲の地形ごと薙ぎ払おうとしたのだ。
ガ ガガガガ……ッ!!
怒涛となって押し寄せる尾の質量。長年に渡って苦楽を共にしてきた白馬は、主人が操る手綱に先じて己の判断で逸早く回避行動を採っていた。
短く駆け出し、勢いを付けた後に大きく跳躍。
異形体の尾撃を見事に躱して着地すると、今度は十二本の複腕のうちの二本が左右から挟み込むようにして迫り来る。
まるで壁の如く分厚く巨大な掌であった。
これには場数を踏んできた白馬とて成す術はなし。
二本の腕、合計十本の指にてあっさりと絡め獲られて動きを封じられてしまう。
「……こんなもので!」
複腕に挟まれる刹那、馬上に在った女性騎士は間一髪のところで直上へ飛翔して捕縛を逃れていた。
眼下で捕まる愛馬の名を叫びながら、甲冑の至る箇所に設えられた噴射口より豪風を放出させることで、空中にて巧みに姿勢制御を行いながら両脚より大地へと落着。
諸手で斧槍を握り締め、涙交じりの眼で異形体を睨み据えた。
「……化け物め」
「今ならばまだ退き返せる。
母上が築いたこの街と無辜の民達は、まだ生きているんだ」
「黙れ!! 『人の民』と『森の民』、棲み分けながらも一時は手を取り合い
互いを尊重し合える未来を……お父様が築いた可能性を信じていた」
脚と肚に力を込めて、大地を踏み締めながら斧槍を構える。
言の葉と共に、殊の刃を異形体へと傾けながら――
「でも一度呪いが蔓延すればこの有様よ。
此処から『人の民』と『森の民』の境目が見えるかしら?
『尊重すべき境界線』は何の役に立ったというの?」
斧槍の穂先を鋭く傾け、徒歩にて駆け出し突撃体制に移る。
愛馬を奪われても女性騎士の真髄である『過剰吶喊槍』の暴威が削がれることは無し。必殺の一撃を以て、眼前の異形体を討ち破る意向である。
「全てを灼いて、やり直させる……そのための『グラナグラム』よ」
「だから自分自身を誘導針にして、この都市に墜とすというのですか。
灼き尽くすことが救済になるとは思えない。俺は絶対に認めない!」
「これが私の、いや……私達が導き出した答えだ!」
女性騎士が脳裏で想起するのは、肉体を悍ましき結晶へと変えた両親達。
数多の同胞、部下、領民、そして……彼女にとって掛け替えのない大切なヒト。
多くの者を奪ったこの呪詛は、グレミィル半島の外にまで広がろうとしている。
故に、生き残った者達ごと全てを灼き尽くすしかないと決意したのだ。
「……それだけは絶対に阻止してみせる。
この身に代えてでも生き残った民を護る。そして貴方達の尊厳と理想も守る!」
宣言と同時に異形体の中枢を担う男性は胸部に埋め込まれた宝玉に掌を添えた。
「……頼む。今一度この不甲斐ない俺に、どうか力を貸してくれ。
罪なき民を護る力を俺は欲する!」
宝玉に向けて祈りを捧げると、その言葉に呼応するかのように宝玉が輝き始め、夥しい量の魔力を伴う黄金の光粒が溢れ出す。
然れど、黄金の光粒は即座に闇に染まり、極夜の如きの帳へと変換されながら纏わり付くことで、異形体の悍ましさの位階を更に一段階 深化させた。
「…………」
「…………」
両者の間には後戻りの適わぬ決別の兆しと死闘の匂いが充溢し、成すべき想いを遂げる為には、互いが互いを討つべき宿痾であることを改めて認識させた。
『――来たれ、尖風!』
ダ ン ッ … !!
女性騎士が大地を蹴り、圧縮された風を噴射させながら一挙に跳ぶ。
狙いは一点、異形体の中枢。双子の弟の喉首へと穂先を突き立てるべく一条の彗星と化して吶喊したのだ。
常軌を逸する速力は、騎馬突撃をも凌駕する彼女の真骨頂。
矮躯の女性騎士が数多の害敵を打ち破ってきた限りなく常勝に近しい、世界を変える風の勲。
これに対して極夜の帳を纏った異形体は、竜の頭に加えて白馬の捕縛に宛がわなかった残りの複腕を稼働させて彼女を阻もうとした。
背後に聳えるのは、僅かに生き残った領民達が身を寄せ合う最後の砦。
グレミィル半島を存続させる為の、最後の希望なのかもしれない者達だ。
高潔なる女性騎士 と 悍ましき異形体。
白夜の如き甲冑 と 極夜の如き魔力の帳。
亡ぼす者 と 護る者。
同じ血を別けた双子の姉 と 弟。
対極なれど鏡合わせな両者の姿は旧き御伽噺の題材ともなった『白亜の魔王』と『漆黒の勇者』のようですらあったと、後に語られることとなる。
「…… うぅ あ あ ぁ ぁ ぁ !!」
「貴方は此処で俺が停めてみせる! 姉上の理想は、俺が遂げてみせる!」
絶叫と共に姉弟が激突し、二人の最後の闘いが幕を開ける。
一方、城塞都市より北域に位置するグラナーシュ大森林では、一筋の翠礫が遥か虚空の彼方へと昇り始めていた。
其の翠礫の銘こそは―――
幻 創 の グ ラ ナ グ ラ ム
~ 貴き白夜と堅き極夜 ~
・皆様、お初にお目にかかります。作者の黒垣という者でございます。
この度は貴重なお時間を割いてプロローグを読んで下さり、誠にありがとうございました。
小説を書く、投稿するというのは私の人生に於いて初めて試みとなり、
何かと不慣れな点が多くございますが完結を目指して誠意努力する所存ですので
もし少しでもご興味を持っていただき、皆様が余暇を満喫されるに値するコンテンツと成り得れば感無量でございます。
・この物語は双子の姉弟が、父と母が遺した領地の平穏を護っていくために奔走するハイファンタジーものとなります。
プロローグで描かせていただいたのは、その終着点。
姉弟が如何にして擦れ違い、最後の闘いを演じるに至ったのかを、お楽しみいただければ幸いです。
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