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開かれた扉

第8話:「開かれた扉」


 暗がりの中、埃っぽいアナログ・アーカイブの部屋に、静まり返った空気が広がっていた。仮想空間とはいえ、視界には薄く舞う塵や紙のページを捲る音。まるで現実の古い倉庫に迷い込んだような錯覚を覚える。


 俺とアミリアは、どこか背中合わせのような体勢で段ボール箱の山に向かっていた。さっきちらりと見えた“Project Eden”の文字が気になって、入念にファイルを探っている。


「アミリア、この辺りはどうだ? 似たような書類があったら教えてくれ」


「分かりました。もし何か見つけたら声をかけますね」


 アミリアは相変わらず猫のぬいぐるみを抱いているが、その瞳には今までにない鋭さが宿っていた。見た目は柔和だが、やはり彼女は長年ここを管理してきたアンドロイドだ。細かい文字を一瞬でスキャンしているのだろう。


 しばらく資料のページをめくり続ける。開発初期の技術メモ、スタッフたちの落書きのような走り書き、いずれもバラバラの形式で読みづらいが、断片的なキーワードだけでも拾えればいい。


「“人格の分岐テスト”……“記憶データの境界”…“精神安定化プログラム”……」


 目に飛び込んでくる言葉は、どうにも不穏な響きを放っていた。今の楽園が完璧に近い完成度を誇っているのは、こうした試行錯誤の積み重ねの果てなのかもしれない。


 俺は手元のファイルに貼り付けられた付箋を慎重にめくりながら、その下に隠されていた文字列を覗き込む。


…Project Eden…複数の被験者に対する意識融合実験…


「意識融合? なんだそりゃ……」


 思わず独り言が漏れる。そこにあったのは、楽園の中で“複数の人間の意識をひとつのデータにまとめる”という、どう考えても尋常じゃない実験の概要だった。


 これまでの電脳楽園は、“個々の意識をデータ化して、各自が自由に暮らす”という建前で成り立っていると理解していた。しかし、この“意識融合”というキーワードが本当なら、当初は人間同士の境界すら曖昧にしてしまおうとしていたのかもしれない。あまりにも危険な発想だ。


(そりゃ失敗するリスクも高そうだが……)


 書類には“被験者A〜Dの人格の一部が混在し、同一ID化に失敗”といった記述がある。結果的にエラーが多発したのだろうか、実験は頓挫したらしい。そこからどのように現在の楽園の形へと転換したのかは分からないが、少なくとも“Project Eden”は大規模なプロジェクトの一環だったことが想像できる。


 さらにページを捲ると、目に留まったのは“M.K.”というイニシャル。以前、ノートで見かけたのと同じだ。


「現在、M.K.が主導する意識同調化プロトコルの検証は難航。人格の境界を保ったまま複数存在を統合する試みは、……」


「M.K.……やっぱり、こいつが“Project Eden”に深く関わってるみたいだな」


 小さく呟くと、アミリアが手元の資料をカサリと動かして、こちらに向き直った。


「マスター、私のほうにも似たような記述がありました。こちらは“高度意識融合における倫理問題”という論文の断片なんですが……執筆者の欄に“M.K.”の文字があるんです」


「やっぱり同一人物か。つまり、この“M.K.”って研究者は、楽園の初期開発において“意識融合”の技術を推進してたキーマンなんだな」


 整理しながら頭を抱える。いったい何が狙いだったのか。人間の意識をひとつにまとめることで、完全な調和を目指したのか。それとも別の思惑があったのか?


「でも、今の楽園はそういう融合を行ってないよな? 少なくとも、ここにいる人たちはみんな別々の意思を持って生活してる。……ってことは、その計画は頓挫したのか?」


「私も、そう考えていました。初期段階の実験で危険性が高いと判断されて、途中で破棄されたのだと思います。だけど……」


 アミリアは言い淀む。何かが引っかかっているようだ。


「どうした?」


「ええと、確証はないんですが、十年前に“マスター”が行った変更作業のログに、“Eden”という単語が出てきた気がするんです」


「なんだと……? ってことは、俺にそっくりな顔をしたあのマスターが、この“Project Eden”に関わってたかもしれないってことか?」


「はい。具体的な内容までは覚えていないんですが、何かしらデータを書き換える際に“Eden”という言葉がログに残っていたんです。でも、そのログ自体が今は消失していて……」


 ますます謎が深まる。俺はファイルを手のひらでバンと叩きながら、思わず立ち上がった。


「となると、この“Project Eden”ってのが、楽園の本質に関わる何かだった可能性が高い。あのマスターがわざわざデータを書き換えてるんなら……」


 言葉を続けられず、頭の中でぐるぐると考えが回る。“意識融合”なんておぞましい技術がもし実現していたら、今の楽園の姿は全然違ったはずだ。あるいは、今の楽園はその副産物としてできあがったものに過ぎないのか?


(何が真実なんだ……?)


 混乱する頭を落ち着けようと、部屋の奥にある小さなテーブルへ向かう。そこには年代物のモニターらしき機械が埃をかぶって転がっていた。アミリアが興味深そうにそのスイッチを押すと、意外にも微かな電子音とともに画面が明るむ。


「この端末、まだ動くみたいですね。古いOSがインストールされてる……」


「お前、使い方わかるのか?」


「はい、かつての管理用サブ端末に似てますし、仮想空間ですから動作自体はエミュレートできるかと」


 アミリアがキーボードを軽快に打ち始めると、画面には“ACCESSING ARCHIVE…”という文字が表示された。さらに数秒後、“CONFIDENTIAL FILE DETECTED”と警告らしき赤い文字が点滅する。


「極秘ファイル……か。開けるのはちょっと怖いな」


「でも、ここまで来た以上は覗いてみたほうがいいですよね」


 そう言うアミリアの瞳は真剣だった。俺は小さく息を呑み、頷く。


「頼む。何が出てきても驚かない覚悟はしておく」


 アミリアがエンターキーを押すと、画面には膨大なテキストが流れ始める。その英数字が入り混じった文章は、最初こそ意味不明だったが、やがて自動翻訳的なプロセスが働いたのか、少しずつ可読な文に変わっていく。


【CONFIDENTIAL: Project Eden – Phase4 Report】

この計画は、電脳化による完全なる人類統合を目指す。複数の意識を収束させ、一つの上位存在(仮称:Collective Consciousness)を形成する可能性を探るもの。


「……やっぱり、意識を“ひとつ”にするつもりだったのか」


 テキストを追いながら、背筋に冷たいものが走る。さらに読み進めると、報告書には重大な問題点が記されていた。


– 意識パターンの衝突による人格崩壊リスク

– 集団的狂気(Collective Insanity)の発生可能性

– データ量の過負荷によるサーバー障害


「こんな危険な計画……よくやろうと思ったな」


 俺が思わず声を上げると、アミリアは黙って画面を見つめている。報告書はさらに続き、Phase4段階で“主導研究者M.K.”が撤退を提案したことが記されていた。


【M.K.の所見】

個別の人格を保ったまま融合を行うには、現在の技術ではリスクが大きすぎる。プロジェクトを凍結し、“個の尊重”を前提とした電脳楽園の設計に移行すべき。


「……M.K.、まともな人じゃねえか。意識融合に賛成だったわけじゃなくて、むしろ危険だと訴えてたんだな」


「はい。どうやら“M.K.”という人は、ある時点までは融合に期待していたものの、研究が進むうちに問題点が多すぎると判断したようですね」


 さらに文章を読み進めると、このM.K.が中心になって今の電脳楽園の基本設計を立ち上げたらしい。つまり、最終的に“個”を尊重し、“誰でも理想の姿を追求できる世界”を作った功労者がM.K.だということだ。


「じゃあ、今の楽園はM.K.が中心になって作ったようなものか……。となると、“マスター”が“Eden”って言葉をログに残してたのは何を意味してるんだ?」


「うーん……“Eden”の名残として、何か特殊な機能を残していたのかもしれません。どこかにその痕跡があるとしたら……」


 アミリアが首を傾げたそのとき、また扉の軋む音がした。今度ははっきりと聞こえる。しかも足音がこちらに向かって近づいてくる。


「誰だ……?」


 俺は反射的に身を固める。楽園は平和だと聞いていたが、さっきの人影らしきものが今度こそ姿を現すのか。アナログ・アーカイブの扉がゆっくりと開き、薄暗い室内に白い光が差し込む。


 そこに立っていたのは、スーツ姿の男。視線は鋭く、どこか冷たい雰囲気をまとっている。背は高く、その目は銀色に近い光を帯びていた。


「こんなところで何をしているんだ?」


 男は一瞬、アミリアの姿を見て微かに驚いたようだが、すぐにこちらへ視線を移した。俺は息を呑みつつ、相手の態度を探る。


「お前こそ誰なんだよ。こんな埃だらけの部屋に用でもあったのか?」


 そう問い返すと、男はゆっくりと廊下から足を踏み入れてくる。光の加減で、その顔がはっきりと見えた。どこか人間離れした整いすぎた容姿——まるで彫刻のようだ。


「私はここの管理員……いや、正確には“監視役”とでも言うべきか。アナログ・アーカイブは滅多に人が立ち入らない場所だ。何をしているのか確認しろと指示があってね」


「監視役……?」


 なんだその肩書は。少なくともアミリアからは聞いたことがない職務だ。アミリアが困惑したように小さく首を振る。


「あなた、中央管理区の所属の方ですか? 私はアミリア。管理AIのひとりですが、あなたのデータは——」


「私の存在が表に出ることはない。だが、こうして行動を監視するのも仕事のうちだ。……そっちの人間は、いつからここにいる?」


 鋭い視線が俺を貫く。まるで挨拶もなければ名乗りもしない。非常に不躾だが、下手に刺激すると面倒なことになりそうだ。


「いつからって……さっきから資料を見てただけだ。何か問題あんのかよ」


 つい語気が荒くなるが、男は微動だにせず、冷たい目でこちらを見つめる。


「ここにある情報には、楽園の初期段階で封印されたものも含まれている。勝手に閲覧されては困るが……アミリアがいるなら、許可を得ているのか?」


 アミリアは一瞬たじろいだが、すぐに頷いた。


「一応、私は管理AIとしての権限があります。この部屋に入る許可自体は正式なものです。……ただ、こんなに大量の資料がそのまま残っているとは思いませんでした」


「そうか。まあいい、あまり深入りしすぎないようにな。特に“Project Eden”関連の文書には触れないほうが身のためだ」


 その言葉を聞いて、俺たちは目を見合わせる。男は今まさに“Project Eden”という言葉を口にした。封印されている情報だと分かっているからこそ、ここに様子を見に来たのだろう。


「……どういうことだ? お前は“Project Eden”について知ってるのか?」


 俺が問い詰めようとした刹那、男は振り返りもせずに言い放った。


「知る必要はない。余計なことを知れば、楽園での暮らしが不安定になるだけだ。——特に、人間のお前にはな」


 それだけ言うと、男はスタスタと廊下へ出ていく。まるでこちらの反応を試すように、わざと情報を小出しにしているようにも感じた。


「待てよ!」


 思わず追いかけようとしたが、アミリアが腕を掴んで止める。


「……マスター、やめましょう。彼が何者か分かりません。下手に衝突しては危険です」


 確かにそうだ。いくらアミリアに権限があるとはいえ、楽園にはまだ俺たちの知らない組織や役割があるのかもしれない。ひとまず無闇に暴走するのは得策じゃない。


「くそ……。でも、あの男は確実に“Project Eden”のことを知ってる。ってことは、あれは今も何かしら楽園の核心に関わってる可能性があるってことだろ……」


「ええ……だからこそ、私たちも下手に動かないほうがいいのかもしれません。かといって、知らないままでいるのも気になりますが……」


 アミリアの声は揺れていた。俺も同じだ。楽園の裏側に潜む“Eden”の残滓。その情報を封じようとする者の存在。果たして俺たちが踏み込んでいい領域なのか——


 しかし、引き返すわけにはいかない。あのマスターの手がかりがここにある可能性は高いし、“Project Eden”がまだ生きているなら、楽園そのものの運命を左右しかねない。


「分かった。ひとまず、今日のところはこれで切り上げよう。あの男が本気で邪魔をしてくるなら、今ここで騒ぎを起こすのは得策じゃない」


 言いながら、俺は先ほど読んだ極秘報告書を端末からコピーしようと試みる。しかし、どういう仕組みかコピー機能がブロックされているらしく、画面にはエラーが表示される。


「ダメか……。じゃあ、せめてこの書類だけでも持っていくか」


 “Project Eden – Phase4 Report”と書かれた紙のコピーを手早くまとめ、鞄代わりの古いバッグに突っ込む。アミリアは少し焦った様子で周囲を見渡し、扉のほうを気にしながら手伝ってくれた。


「はい、これで一通り大事そうな部分は揃ったはずです。……それじゃあ、戻りましょうか」


「そうだな。またあの男が戻ってきたら面倒だ」


 アナログ・アーカイブの部屋を出ると、廊下はしんと静まり返っている。さっきまでの気配は感じられない。俺たちは足早に中央管理区の出口へ向かった。


(——“Project Eden”、そしてM.K.。それから、妙な監視役の存在……)


 いろいろな考えが渦巻くが、今は無理やりまとめようとしても仕方ない。行き当たりばったりだが、これが俺とアミリアのやり方だ。


 楽園に来て、まだ大して時間も経っていない。けれど、知らないままではいられない真実が、この広大な世界の底に沈んでいる。俺は自分の手のひらを見つめながら、ぎゅっと握りしめた。


(そういえば俺は、ただの日和見の大学生だった。だけど……この未来に来て、初めてやりたいことができたのかもしれない)


 息を吐いて、前を向く。アミリアも、猫のぬいぐるみを抱え直して微笑んでいた。困難は多いだろうが、それでも一歩ずつ進んでいくしかない。


 こうして俺たちは、再び楽園の穏やかな街並みへと戻る。だが、先ほどの“開かれた扉”が示すように、楽園の裏側にはまだ多くの謎と危険が潜んでいるのだろう。いつか必ず、その核心を暴かなくてはならない——そんな決意が胸の奥で燃え始めていた。



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