アルカディア・マーケット
中央管理区へ向かう道のりは、想像以上に広々としていた。高いアーチを描くアーケード街を抜けると、大小さまざまな建物が並ぶ賑やかな一帯が見えてくる。高級感のあるレストランから、こぢんまりした雑貨店まで、まるでテーマパークのように多彩だ。
もちろん、この楽園では目的地まで一瞬で移動できる便利な機能がある。けれど、俺は“歩いて”街を眺めたいと思った。せっかくの未知の世界を、できるだけ自分の足で感じたい。アミリアも、「マスターがお望みなら!」と楽しそうに微笑み、快く付き合ってくれている。
「もう少し先に進むと、大きな市が開かれているんです。『アルカディア・マーケット』って言うんですよ」
アミリアが指し示す先には、色とりどりの看板が並ぶエリアがあった。大勢の人が行き交い、露店や屋台が所狭しと並んでいるのが遠目にも分かる。
「マーケットか。賑わってるな……。本当に“商売”ってわけじゃないんだろう?」
「はい、どちらかというと“お祭り”に近いかもしれません。自分の作ったものや集めたものをみんなに見せて、面白いと思ってくれたら交換したりする感じですね。お金の概念はほとんどありませんから」
「ふーん……」
“商売”という定義には当てはまらないかもしれないが、活気に満ちた雰囲気はまさに市場そのものだ。俺は興味をそそられ、アミリアに「ちょっと寄ってみよう」と提案した。
「ぜひ! 私も、誰かと一緒に回るのは久々なので……ふふっ、なんだか嬉しいです」
アミリアは瞳を輝かせて笑う。十年ものあいだ、この世界を守りながらひとりで過ごしてきたと聞いた。彼女がはしゃぐ気持ちも、少しだけ想像できる。
マーケットに足を踏み入れると、そこは想像以上の賑わいだった。果物や菓子、手作りアクセサリーや奇妙なオブジェなど、雑多な品々が所狭しと並んでいる。服装も多種多様で、和装の女性と西洋甲冑風の男性が談笑していたり、近未来的なスーツを着た青年が不思議な植物を品定めしていたりする。
「わあ、見てください! あのフルーツ、すごく綺麗ですね!」
アミリアが指差す先には、水晶玉のように透き通った実を並べる屋台があった。店主は俺たちに気づき、にこやかに声をかける。
「どうもどうも、遠慮なく試してみてください。口に入れたら、お客さんの好みに合わせて味が変化しますよ!」
差し出された一粒を恐る恐る口に含むと、ぷるんとした食感のあとに甘酸っぱい風味が広がる。しかも、なぜか自分の“ちょうどいい”と感じるバランスに調整されているようだ。
「……本当だ、うまいな」
正直驚いた。楽園の技術力が凄まじいというか、ここでは“できないこと”が見当たらない。アミリアはそんな俺の様子を見て、楽しそうに笑う。
「すごいでしょう? ここにいる皆さんは、それぞれ好きなことを追求して生きてるんです。食べ物だってこうやって、自分好みにアレンジできちゃうんですよ」
「便利すぎて、ちょっと怖いくらいだな……」
とはいえ、このカラフルで自由な空気感は悪くない。むしろ現実の閉塞感とは真逆で、何でもできる可能性に満ちているようにも思える。
「マスター、あっちにも面白そうなお店が……!」
そう言ってアミリアが手を引く先には、雑貨や小物を扱う店が並んでいた。ウインドウには大小さまざまなぬいぐるみが並び、風に揺られてとぼけた仕草をしているものもある。アミリアは猫のぬいぐるみに目を留め、嬉しそうに頬を緩めた。
「可愛い……。触るとしっぽが動くんですね!」
彼女が撫でると、猫のぬいぐるみはまるで生きているかのようにくるんとしっぽを振り、小さく鳴き声を上げる。びっくりして俺が目を丸くしていると、店の主人が「癒されるでしょ?」と微笑んだ。
「なんか不思議だな。アンドロイドのお前が、こういう可愛いものを見て喜ぶっていうのは」
「あ……ええと、私にも好奇心はあるんですよ!」
アミリアは少し照れくさそうに言いながら、ぬいぐるみを名残惜しそうに見つめている。その姿は“アンドロイド”というより、どこにでもいる普通の女の子に見えた。
「もし気に入ったなら、もらっていけばいいんじゃないか?」
「え、でも……」
「ここじゃ、お金もいらないんだろ? あんたが喜ぶなら、そのほうが店の主人も嬉しいんじゃないか?」
俺の言葉に、店の主人は大げさなくらい頷いた。
「その通り! 気に入ってくれたのなら、ぜひ連れてってあげてください。僕も嬉しいですよ」
アミリアは少し遠慮がちにお礼を言いながら、猫のぬいぐるみを抱きしめる。その姿に、俺はなんとも言えない温かさを覚えた。
「……ありがと、マスター。大切にしますね」
「おう、そうしてくれ」
さっきまでは“アンドロイド”ということにぎこちなさを感じていたが、こうして笑っているアミリアを見ていると、いろいろ考えすぎるのが馬鹿らしく思えてくる。
それからしばらくマーケットを散策して回ると、不思議な果実や雑貨、音楽の流れる屋台など、どこも個性的で楽しい。俺はいつの間にか、現実とは違うこの空気感を素直に楽しんでいた。
やがて市場の喧騒を抜けた頃には、遠くにそびえ立つ塔のような建物が見えてくる。光を反射してきらきらと輝く外壁が、近未来の芸術作品のようにも見える。
「あれが……中央管理区か?」
「はい。あの塔の麓に、大きなドーム状の施設があるんです。そこに行けば、楽園の基本システムや、住んでいる人々の情報が管理されていますよ」
アミリアの言葉に頷きながら、俺はゆっくりと足を進める。
この世界の“中枢”ともいえる場所に行けば、俺が感じた疑問の数々──なぜこんなに完璧なのか、人々は本当に幸福なのか、そもそも肉体を捨てることはどういうことなのか──少しは答えが得られるかもしれない。
きらびやかなマーケットの風景が遠ざかり、人通りもまばらになってきた。広い歩道は整然としていて、街路樹のようなデジタル装飾が等間隔に並んでいる。空気がひんやりして感じるのは、気候設定が変化したからだろうか。
アミリアが、大事そうに抱えていた猫のぬいぐるみをそっと撫でる。俺はその横顔を見て、改めて思う。
(こうして見ると、彼女がアンドロイドだなんて信じられないな……)
その素直な反応や、やや控えめな照れ方は、人間とほとんど変わらない。こういう子が十年間もひとりで待っていたのだと思うと、胸が締め付けられるような気持ちになる。
「さ、あそこですよ」
顔を上げると、巨大なドームが目の前に迫っていた。表面はガラスと金属を組み合わせたような造形で、近づくほどに圧倒される。入口にはアーチ状のゲートがあり、その上には何らかの紋章のような装飾が施されていた。
「これが……中央管理区か」
ゲートの前には警備ロボットらしき機械が立っているが、アミリアの姿を見るや否や、すぐに道を開けてくれた。やはり彼女は“管理側”の立場なのだろう。俺もそれに続いてゲートをくぐる。
すると、内部は吹き抜けのように広大なロビーが広がっていた。透明なパネルが宙に浮いており、無数の情報が行き交っているらしい。床や壁には柔らかい光が流れるように埋め込まれ、近未来的というよりはどこか神秘的な雰囲気すらある。
「すげえ……これ全部、楽園の運営に関する情報なのか?」
「はい。ここでは各エリアの環境調整や、住人のアバター管理、時には不具合の修正なども行われています。いわば“この世界を形作る場所”ですね」
アミリアがそう言うと、すれ違う職員らしき人々がにこやかに会釈してくる。皆、一様に整った容姿だが、先ほどのマーケットの住人たちとはまた違った、落ち着いた空気感をまとっている。
「確かに、空気が違うな……」
どこか神聖な場所に足を踏み入れたような気持ちになる。俺は思わず息をのんだ。
「それじゃあ、案内しますね。少し広いので、迷わないように注意してくださいね!」
アミリアは自信たっぷりに胸を張ると、猫のぬいぐるみを抱え直し、先へ進んでいく。その背中を追いかけながら、俺はこの場所がどんな秘密を隠しているのか、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
こうして、俺たちは電脳楽園の中枢へと足を踏み入れる。
ここには、一体どんな“真実”が眠っているのだろうか。