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日常

 あの完璧な青空を仰いで、俺はふと不思議な感覚にとらわれた。


 今のところ、この世界はまさに「楽園」という言葉にふさわしい。平和で、美しく、すべてが恵まれている。でも、一方でどこか現実感の薄さを感じる瞬間もある。何かが足りないような、あるいは何かが過剰であるような──うまく言葉にはできないけれど、そんな印象だ。


 しかし、ここに暮らす人々はみんな楽しそうに笑い合っている。家族連れやカップルたち、友達同士が公園で語り合い、道端のカフェでは談笑が途切れない。仕事らしきものをしている気配はなく、誰もが自由気ままに過ごしているように見えた。


「ねえ、マスター。そろそろお腹が空きませんか?」


「え……あ、そういや……」


 言われてみれば、確かに朝から何も食っていない。時間感覚がよくわからなくなっていたせいで気づかなかったが、身体が空腹を訴えている気がする。もっとも、この世界で空腹を感じるのが自然なことかどうかも怪しいが……。てか、こいつ腹減るのか?!


「この楽園には、いろんなお店がありますよ。特に食事は“味”をいくらでも再現できるので、本当の世界とは違って失敗しないんです」


 アミリアは得意げに微笑むと、俺を案内するように先へと歩き出した。通りには色とりどりの看板やショップが並んでおり、飲食店の種類も驚くほど豊富だ。和食、中華、イタリアン、スイーツ専門店まで、現実で見かける飲食店の“理想形”のような外観が軒を連ねている。


「ねえ、あそこなんてどうです?」


 アミリアが指差したのは、まるで絵本に出てくるようなファンシーなカフェだった。店先には小さなテラス席があって、カラフルなパラソルが並んでいる。店内を覗くと、スイーツのショーケースが所狭しと並んでおり、見るからに甘くて美味しそう。


「カフェか……。まあ、いっか。俺、コーヒーでも飲みたい気分だし」


「いいですね! じゃあ入りましょう!」


 アミリアに促されるまま、俺はカフェの扉を開いた。中に入ると、コーヒー豆の香ばしい匂いと、パティシエが作ったばかりの焼き菓子の甘い香りが同時に鼻をくすぐる。俺は思わず鼻を鳴らしてしまう。


「ああ、いい匂いだな……」


 窓際のテーブルに案内され、俺とアミリアは向かい合って座った。店内は明るく清潔で、白を基調としたインテリアが統一感を出している。シャンデリアまでぶら下がっていて、なんだか高級ホテルのロビーみたいだ。


「いらっしゃいませ~。本日もありがとうございます」


 店員とおぼしき若い女性が満面の笑顔でやってきた。彼女の笑顔は、他の客と同じく作り物めいた完璧さを持っている。それでも対応は丁寧で、初めて来た俺にも親切にメニューを説明してくれた。


「当店のコーヒーは、豆の選別から焙煎までこだわり抜いた、最高の一杯を提供しております。カプチーノやエスプレッソ、フレーバーコーヒーなど種類も豊富ですが、ご希望があればどんな味でも再現できますよ」


 どんな味でも再現──この楽園では当然のようだが、よく考えるとすごい技術だ。俺はひとまず、普通のホットコーヒーを頼むことにした。余計なフレーバーを入れず、“本物”に近いものを味わってみたい。


「私はレアチーズケーキと紅茶をお願いします!」


 アミリアはスイーツ好きなのか、それともアンドロイドにも味の概念があるのか。彼女は嬉しそうに注文を告げる。その姿はまるで人間の女の子と変わらない。


 店員が去ってしばらくすると、ほどなくして俺のコーヒーとアミリアのケーキが運ばれてきた。


「わぁ、美味しそう……!」


 アミリアは目を輝かせてケーキを眺める。俺もコーヒーカップを手に取り、香りを確かめてから口をつけた。


 ──まろやかな苦味と、ほのかな酸味。舌の上に広がる豊かなアロマ。


 正直、驚くほど美味い。これまで飲んできたコーヒーの中でもトップレベルかもしれない。


「うまいな……」


 素直にそう呟いた。


「でしょ? 楽園では味覚も自由に調整できるので、みんな自分の好みを追求してるんですよ。自分が“最高”と思った味を何度でも味わえるんです」


「最高か……」


 これほど美味いコーヒーなら、確かにずっと飲んでいたい気もする。でも、なんだろう。心の奥にチクリとした違和感が走る。


 あまりにも完璧すぎるのだ。


 たとえば、酸味がもう少し強すぎるとか、苦味が残るとか、そういう些細な“欠点”がまるでない。整いすぎている。


「うーん。確かにうまいけど、ずっと飲んでると飽きるかもな」


「え? それはどうしてです?」


 首を傾げるアミリア。彼女の水色の瞳はきらきらとしているが、疑問の光も混じっている。


「いや……何ていうか、人間って意外と不完全なものが好きだったりするだろ? たとえば、ちょっと焦げた苦味とか、“当たり外れ”も含めて楽しむみたいな……」


 自分で言いながら、何を言っているのかよく分からなくなってきた。でも、俺はこの完璧すぎるコーヒーにどこか物足りなさを感じていた。


「そういうものなんですかね? 私はずっと、みんなが『最高の状態』でいられるのが幸せだと思っていました」


「そりゃ、理屈ではそうかもしれないけど……」


 答えに詰まる俺。それを見たアミリアは、小首を傾げながら笑う。


「でも、マスターがそう言うなら、きっとそうなんだと思います。もし飽きてしまったら、また他の味を試せばいいだけですし!」


「……まあ、そうだな」


 彼女の言葉を聞いて、俺は少し肩の力が抜けた。実際、選択肢はいくらでもある。飽きたら新しいものを求めればいい──それがこの楽園の在り方なのかもしれない。


 コーヒーを飲み終えたあと、アミリアは「街をもっと案内しますよ!」と意気込み、俺を連れ出した。


 大通りを歩けば、清掃ロボットが自動で道を掃き、ゴミ一つ落ちていない。空は相変わらず雲ひとつなく、建物の壁面には美しい植物がツタのように絡んでいて、人工的なのか自然なのか分からないが、とにかく洗練されている。


 道行く人々は皆、楽しげに笑みを交わし合い、誰一人として暗い顔をしていない。ケンカなんて起きようもなさそうだ。


(本当に“ここ”は欠点が見当たらない場所なんだな)


 そう思えば思うほど、頭の片隅にふと疑問が芽生える。


(でも、本当にこれでいいのか?)


 当然、俺には答えなんか見つからない。ただ、なんとなく漠然とした不安があるだけだ。


「あ、あそこです!」


 アミリアが指差した先を見ると、小さな噴水がある広場があった。中央に天使の像が立ち、その周囲を水が優雅に噴き上げている。周辺にはベンチが配置され、人々が思い思いにくつろいでいた。


「今はちょうど音楽演奏のイベントをやってるみたいですよ」


 耳を澄ますと、どこからか優美なバイオリンの音色が聞こえてくる。噴水の横に簡易ステージが設けられ、ドレス姿の女性がバイオリンを演奏しているのだ。周囲には観客が集まり、拍手と歓声を送っている。


「へえ……すごいな。こんな場所で生演奏か」


 俺はベンチに腰かけ、しばらくその演奏に耳を傾けた。メロディは甘美で、まるで心の奥底まで染み入るような響き。技術的にも一分の隙もなく、完全に完成された演奏だ。


「すごく上手ですね」


「そうですね」


 アミリアが微笑み、俺もそれに相槌を打つ。確かにすごい。


 でも、なぜかまた違和感がある。どんなに素晴らしくとも、“完璧”すぎる芸術にはどこか人間味が感じられない。


(いや、これが“最高”なんだろうけど……)


 頭の中でぐるぐると考えながらも、俺はしばらくその演奏を楽しんだ。やがて演奏が終わると、観客たちは一斉に拍手と歓声を上げる。演奏者は満面の笑みで一礼し、次の曲に移った。


 そのとき、俺はふと視線を感じた。噴水の端に立つ、スーツ姿の男がこちらを見ている。いや、“こちら”というか、アミリアの方を見ているのかもしれない。


 男は薄い笑みを浮かべながら、ただじっと動かずに立っていた。彼の姿はほかの人々と同じように整った容姿だが、なぜか眼光だけが冷たく見える。


「なあ、アミリア。あの人、知り合いか?」


 俺が囁くように問いかけると、アミリアは首を振った。


「いえ……でも、楽園にいる人は皆、基本的にフレンドリーですよ?」


「そうか……」


 じゃあ、なんで俺たちを見ているんだ?


 ちょっと気になるが、わざわざ声をかけに行くのも変だ。向こうが何か用事があるなら近づいてくるだろう。


 そう思った瞬間、男はスッと踵を返し、人混みの中へと消えていった。まるで最初からいなかったかのように、跡形もなく。


(……気のせいか?)


 妙に胸騒ぎが残るが、今はどうしようもない。俺は立ち上がって、アミリアの隣へ歩み寄った。


「どうしました?」


「いや……なんでもない。さっきの演奏、もう少し聴こうかと思ったけど、なんか落ち着かなくて」


「わかりました。じゃあ、別のところへ行きましょう!」


 こうして、俺たちは再び街の散策を続ける。思えば、これだけ大きな街なのに、時間の流れや日差しの変化に明確な変動がない。空はずっと明るいままで、夕暮れの気配さえ感じられない。


 ここは仮想空間なのだ。太陽も気温も、すべてが人間の都合に合わせてコントロールされているのだろう。まるで観光地のように美しく、刺激に満ちているが、同時に“変わらない”違和感を残している。


(もしここでずっと暮らすとしたら、俺はどうなるんだろう……?)


 そんな疑問が頭をよぎったとき、ふいにアミリアが思い出したように声を上げた。


「そういえば、マスター! 今日はまだ目的を果たしてませんよね?」


「目的? ああ……言われてみれば、ここに来た理由ってなんだっけ」


「人類がどうなったのか、確かめたいんですよね? それなら、“中央管理区”に行ってみましょう。そこには、楽園に関する詳しいデータや、現在の住人リストもあります。きっとマスターの疑問を解決する手がかりが見つかるはずです」


「へえ、そんなとこがあるのか……」


 俺は少し考え込んだ。楽園の住人たちが本当に今も“人間”として生きているのか、確かめるには最適な場所かもしれない。どんな仕組みで運営されているのかも、気になるところだ。


「じゃあ、行ってみるか」


「はいっ!」


 アミリアが嬉しそうに頷く。それを見て、俺も自然と笑みがこぼれた。


 完璧すぎるこの楽園。俺にはまだまだ分からないことばかりだ。


 でも、ここで暮らす人々と交流し、色々と知っていくうちに、何かが見えてくるはず。そう思いながら、俺はアミリアと共に再び大通りを歩き始めた。


 ──行き交う人々は相変わらず、皆優しい表情を浮かべている。そこには争いも痛みも存在しない。まるで理想だけで形作られた、絵に描いたような平和。


 その先に、俺は何を見つけるのだろうか?

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