静止
中央管理区へ向かうべく、大通りを歩いていた俺とアミリアは、ふと異様な光景を目にして足を止めた。人々が突然、まるで時間が止まったかのように動きを止めているのだ。
「……え? な、なんだ……?」
ついさっきまで歩いていた住人たちが、通りの真ん中でピタリと静止している。喋りかけようとしても、まったく応答がない。アミリアも思わず猫のぬいぐるみを抱きしめる腕に力をこめ、困惑の表情を浮かべていた。
「もしかして、システムトラブル……? マスター、気をつけてください」
「お、おう……」
電脳楽園だということを忘れそうになるほど、まるでホラー映画さながらの光景。道端で買い物袋を提げたまま停止している人、笑顔で談笑していたはずの二人連れ――その全員が動かなくなっているのだ。
そんな“フリーズ”状態が続くこと、およそ二十秒。やがて人々は何事もなかったかのように再び歩き出し、まるで時間が巻き戻されたように会話や動作を再開した。まるでさっきの静止が“なかった”かのように……。
「な、何だったんだ……?」
俺は思わず呟く。周囲の住人たちは、何も気づいていない様子で通りを行き交っている。まるで自分たちだけが幽霊を見たかのような不安が頭を駆け巡る。アミリアが困惑した面持ちで端末を操作し始めた。
「システムログを確認してみます……。いくつか異常値が出ていますけど、原因が不明ですね。外部から強制的に一時停止がかかったような形跡がありますが、どこの権限で行われたのか……」
「誰が何のために……? 監視役? いや、さすがにこんな大規模な……」
考えを巡らせながら辺りを見回す。さっきまで異様な静止に包まれていた通りは、今や普段と変わらない賑やかな朝の風景を取り戻している。人々は何事もなかったかのように行き交い、店員が呼び込みの声を上げている。
(本当に何も覚えていないのか? それとも覚えていても認識できないのか?)
そのとき、アミリアが顔を上げて小さく息をのむ。
「マスター……今度は、猫のぬいぐるみが……」
「え、ええ?」
彼女の腕のなかにある猫のぬいぐるみが、かすかに震えている。まるで心臓の鼓動があるかのように定期的にビクッと揺れ、耳の部分がピクリと動いた。視線を向けると、あの可愛らしいリボンが微かに揺れている気がする。
「おいおい、今度は見間違いじゃないだろ……?」
「はい……これは、さすがに……」
アミリアが恐る恐るぬいぐるみを持ち上げると、ピタリと動きが止まった。先ほどと同じく、短い時間だけ“何か”が稼働したように見える。もしかして、先ほどの住人フリーズと関係があるのだろうか。
「……これ、偶然じゃないかもな。さっきの一斉停止も、何かの干渉かもしれないし……」
「ええ……。もしかすると、どこかで“メルトダウン関連のデータ”が動いたのかもしれません。楽園全体に微妙な影響を及ぼした可能性は否定できません」
メルトダウン――この電脳楽園の深層でかつて起こった大惨事。もし再発の兆候だとしたら、洒落にならない。監視役の動きや、中央管理区の書類移動。そして、猫のぬいぐるみの不可解な挙動……すべてが繋がり始めているのかもしれない。
「とにかく、ここで立ち止まってても仕方ない。ひとまず中央管理区へ行ってログを調べようぜ。何かしら痕跡が残ってるかもしれない」
「はい。リリスにも連絡してみますね。装備は一通り持ってますし、いざというときに備えて……」
アミリアは端末を操作しながら、猫のぬいぐるみを脇に抱える。さっきの震えが嘘のようにぬいぐるみはおとなしくなり、いつもの愛らしい姿で彼女の腕に収まっていた。
道を急ごうと歩き出したところで、すれ違う住人たちの声が微かに耳に入る。
「……ねえ、さっき止まらなかった? うちの時計が10秒くらい進んでるのかも……」
「ああ、なんか急に人々が静止したような? でも気のせいじゃないかって……」
どうやら一部の住人も違和感を覚えたらしい。けれど、大半は「気のせい」で片づけてしまうか、意識をそこまで向けていないようだ。電脳楽園という仮想空間ゆえに、一時的なラグやバグだと思ってしまうのも無理はない。
「マスター……皆さんも薄々感じてはいるみたいですね」
「だろうな。でも、これが本格的なトラブルに発展する前に、俺たちが動かねえとな……」
アミリアは小さく頷き、俺と目を合わせる。彼女の瞳には、管理AIとしての責任感と、一人の仲間としての不安が混じっているように見えた。俺は気丈に笑みを返し、目の前を歩く人々の背中を見据える。
(メルトダウンの兆しがこんな形で現れるのか? それとも監視役の仕業か?プロジェクト・エデンが関係しているのか?あるいは、まったく別の存在が暗躍してるのか?)
タイムスリップで未来に来た俺が、この世界で何を成すべきか――その答えは、こうした異変の中に埋まっているのかもしれない。猫のぬいぐるみも、まるで何かを訴えたかったように動いていた。
そう思いながら、俺とアミリアは中央管理区への道を早足で進んでいく。住人たちが再びフリーズすることがないことを祈りつつ、あの大惨事が再び起きないようにするためにも――今こそ調査を急ぐべきだ。




