遊園地
暗く重たい話題を抱えていた俺たちは、そのまま公園のベンチに座り込んでいても気が滅入るだけだと判断した。アミリアが「気分転換が必要ですよ」と提案した先は、なんと遊園地。楽園にはかつての人間が作ったという大規模なアミューズメントパークが幾つかあるらしい。
「さっきは朝食をとろうって話だったけど、いっそのこと遊園地でいろいろ食べ歩きして楽しみたい気分だよな。どうせ楽園の中なら、胃袋もデータしだいだし」
俺は半分冗談めかして言ったが、アミリアは嬉しそうに微笑んで頷く。
「ええ、遊園地なら食べ物屋さんもアトラクションもいろいろありますし、ストレス発散にはちょうどいいかもしれません。……昨日までは地獄みたいな場所ばかりでしたからね」
猫のぬいぐるみを抱える彼女を見ると、先ほどの陰鬱な表情が少し和らいでいるのを感じる。俺も気を取り直して、素直にその提案を受け入れることにした。
転送ゲートを使い、ショッピング街の奥にある大規模アトラクションエリアへ移動すると、そこは一気に華やかな光景が広がっていた。巨大な観覧車、ジェットコースター、水辺を滑るボートライド……いかにも“夢の国”然とした装飾が施され、通りを歩く住人たちも笑顔が絶えない。
「ふふ……朝早いから、まだ人は少ないですね」
アミリアが猫のぬいぐるみを抱きつつ、アトラクション案内の看板を眺める。メリーゴーラウンドやお化け屋敷、パレードのスケジュールなど、現実さながらのエンターテインメントが揃っている。
「さっきの落ち着いた公園とは打って変わって、こっちは派手だなあ……。まあ、こういう場所でガッツリ遊ぶのも悪くないよな」
俺はちょっと頬を緩める。恐怖を忘れたいわけではないが、せめて気分だけでもリフレッシュしたい。アミリアもうなずき、「どこから回りましょう?」と楽しげだ。
「……そういや、飯の話もしてたよな。とりあえず腹ごしらえするか?」
そう言いかけたとき、アミリアが微かに口元をほころばせる。
「あ、じゃああそこに“ホットドッグ”の屋台が見えます。食べてみませんか?」
「いいね……久々にそういうジャンクな感じのものが食べたくなった。……俺が言うのも変だけど、仮想空間でもジャンクフードって旨いんだよな」
冗談めかして言いつつ、二人で屋台へ向かう。ソーセージやバンズの匂いが漂い、店員が元気よく「お客さん、今日も最高の一品ですよ!」と呼びかけてくる。アミリアが笑顔でオーダーし、俺はホットドッグをひとつ受け取った。
「うわ、まじで旨そう……。いや、これデータなんだけどさ」
「ふふ。楽園の食は“完全再現”を追求しているので、現実とほとんど変わらないですよ。むしろ調整で美味しさを極められる場合も……」
アミリアも同じものを頼んで、猫のぬいぐるみを器用に小脇に抱えたまま、ホットドッグにかぶりつく。食事を楽しんでいるようで、その光景に少し心が和む。
「そういえばさ……ふと思ったんだけど、俺って今“生身の体”は現実に置いてるわけだろ? いったい栄養とかってどうなってんのかな」
唐突に疑問が湧いたので、かじりかけのホットドッグを一度置いて尋ねる。アミリアは軽く目を丸くしてから、思い出したように言った。
「そうでしたね……まだちゃんとお話してませんでした。昔は人間が電脳楽園に接続している間、現実の身体は“自動注射システム”などによる栄養補給を受けていました。病院や専用施設に眠る形の人もいましたし、在宅でも専用装置をレンタルしている人も。しかし、今では人々は完全に意識を移植してしまったため、生身の身体はもう存在しません」
「へえ……つまり、点滴みたいなもんが挿さってるのか。そりゃ確かにそうだよな、何日もこっちにいたら、現実の身体が死んじまうわけだし」
「ええ、マスターの身体は今も最初に来たサーバールームにあります。そこにある装置で自動注射システムによる栄養補給を受けていますし、私もそのすぐ横の装置にいます。ただ、私はアンドロイドなので補給の必要はありませんが」
考え込んでしまいそうになるが、ここは遊園地。暗い顔を続けても仕方ない。アミリアが小さく笑い、「あんまり悩んでも変わりませんから、楽しまなきゃ損ですよ」と促してくれる。俺は肩の力を抜き、再びホットドッグにかぶりついた。
「……確かに、今は遊びながら気分転換して、また後で考えよう。お前こそ、いろいろ考えるの疲れたろ?」
「はい……正直、不安だらけですけど、こういう時間があるだけでも救われます」
そう言ってアミリアははにかむ。俺も安心したように微笑み返す。昨日の廃墟や“メルトダウン”の話を抱えたままだが、それでもこうして笑い合える瞬間があるのは大切なことだ。
食後はゆるいアトラクションを回ってみることにした。まだ朝が早いためか、行列もほとんどなく、ジェットコースターですら待ち時間ゼロで乗れる。アミリアは初めて乗るのだというジェットコースターに、少し緊張しながらも楽しげな笑みを浮かべた。
「こ、これ結構高いですね……」
「大丈夫だって。意外と怖いけど、仮想空間なら安全だし……って言いたいところだけど、意識にダメージって意味では危険かもな。ま、まあ気にすんな!」
冗談めかして言うと、アミリアは苦笑いで応じる。実際はホログラムのような体験とはいえ、落下や加速度の感覚はリアルそのもの。うまくシステムを騙すことで、本物の絶叫体験が可能なのだ。
コースターが発車すると、急坂をゆっくり登り始める。アミリアの手が少し震えているのが伝わってきた。俺は軽く彼女の手を握り、「大丈夫、大丈夫」と声をかける。
てっぺんに達し、車両が一瞬静止したかと思うと、急降下――
「うわあああああっ!!」
アミリアの絶叫が脇で響く。俺も思わず身を強張らせつつ、仮想空間の風を切る感覚を全身で味わう。さっきまでの不安や暗い気持ちは一瞬吹き飛んだように、ただスリルと爽快感が支配していた。
ひとしきり宙を舞い、ループを抜け、やがてコースターが停止。乗り終えたときにはアミリアの表情が真っ赤になっていたが、口元には確かに楽しそうな笑みがある。
「は、はあ……こんなに叫んだの、初めてです。すごい……!」
「だろ? アドレナリンが出るってやつだな。リアルでもこうだったんだけど、こっちでも全然引けを取らない迫力だ」
そうして二人で笑い合い、コースターを降りる。次はメリーゴーラウンドや観覧車に乗ったり、スイーツコーナーでアイスクリームを食べたり、まるでデートのように遊園地を回った。猫のぬいぐるみも一緒に抱えられたりベンチに座らせられたりして、俺たちの戯れに加わっている。
ふと、観覧車の頂上あたりで、アミリアが窓の外の景色を見つめて呟く。
「……こうして見ると、楽園って本当に綺麗な場所ですよね。あの暗い廃墟とは別世界みたい……」
「ああ、そうだな。でも、どっちもこの世界の一部なんだよな。あんな悲惨な場所と、こんな夢みたいな遊園地が同居してる」
淡い雲が流れ、遠くの街並みがキラキラと輝いて見える。人々が笑顔で歩く広場が、ここからはミニチュアのようだ。アミリアは少し悲しげに微笑んだ。
「楽園という名の理想郷……でも、その理想を支えるのは、いろんな苦痛や犠牲なんですね。マスターが教えてくれた“Meltdown”の話も……いつか私も、向き合わなきゃいけないんでしょうか」
「……向き合うことになるだろうな。だけど、一人で背負わなくてもいい。俺がいるし、ほかにも協力してくれる人がいるかもしれない。監視役だって、ああ言いながら本気で俺たちを消そうとしてないっぽいしさ」
アミリアは少し意外そうに目を丸くする。
「確かに、あれだけの戦闘でもトドメは刺してこなかった……。不思議ですよね。私たちに見せたいものがあるのか、試しているのか……」
「ま、考えすぎても仕方ない。今はこの空の景色を堪能して、うまいもんを食って、それからまた作戦を考えようぜ。とりあえず、心の余裕がないといいアイデアも出ねえし」
俺がそう言うと、アミリアは“ふふっ”と微笑みを返してくれた。猫のぬいぐるみのしっぽを撫でながら、観覧車がゆっくりと下り始める。
「はい……ありがとうございます、マスター。私も、こういう時間があるからこそ、まだ頑張れます」
遊園地でのひとときを満喫したあと、俺たちは気分も幾分か軽くなった気がした。もちろん、深刻な問題が消えたわけじゃないが、心を整える大切さを改めて実感する。仮想空間の利点も、こういう時には大いに役立つのだ。
「さて、そろそろ帰るか。……なんだかんだ結構遊んだな」
「はい。マスター、疲れてませんか? 人間は栄養も休息も必要ですし……あ、前にお話したように、仮想空間にいる間は自動注射システムが身体を支えているけど、それでも無限に持つわけじゃないんですよ。ふふ、ちゃんと休みましょうね」
「お、おう……そうだったな。現実の体もお留守だし……って、なんか変な気分」
冗談めかして会話しつつ、遊園地のゲートを出ると、日中の街の喧騒が耳に入ってくる。行き交う住人は誰もが楽しげで、あの暗い廃墟や監視役の存在など露ほども感じていないだろう。
(でも、これが楽園の日常か……。俺たちだけが特別に厳しい現実を知ってしまったのかもしれない)
そんな思いを抱えながら、俺はアミリアの隣を歩いた。かつては大学生として日々をだらだら過ごしていた俺が、今は未来の世界で命がけの戦いをしながら、遊園地でリフレッシュしている――その不思議さに、少しだけ笑みがこぼれる。
「……さて、次はどうするか。今夜あたり、また整理してみようぜ。“Meltdown”や“Eden”の深層に関して、分かったことや推測したいことを全部まとめたい」
「はい、私も端末に残ったデータを再確認してみます。監視役が示唆した“実験体”の情報も、どこかにあるかもしれませんし……」
アミリアは少し気を引き締めたような声で言う。その青い瞳には、強い決意が灯っていた。遊園地で遊んだばかりなのに、もうすでに先を見据えている。きっと彼女も必死なのだろう、楽園の深層を知る覚悟を固めているのかもしれない。
「よし、じゃあ一旦解散かな。夜にまた連絡する。……今日はありがとうな、つきあってくれて。楽しかった」
「いえ、こちらこそ。マスターが一緒なら、どんなときも少しだけ明るい気持ちになれます。……また、明日!」
そうして、俺たちは互いに手を振り合って別れた。先ほどまでのアトラクションの熱気が、まだ体に残っているようで、心地いい疲労感を覚える。アミリアの背中が人混みに溶けて見えなくなるまで見送ったあと、俺はふと空を見上げる。
(暗いことばかりじゃ息が詰まるしな。たまには、こうして遊びに行くのも悪くない。……でも、いつまでも逃げていられるわけじゃない)
いつか、楽園の深層“Meltdown”を正面から捉えなくてはならない。そして、アミリアの秘密――もし彼女が本当に人間の意識を宿しているのだとしたら、支えてやるのは俺の役目だろう。そんな決意を抱きながら、俺は少し足取りを軽くして帰路に就く。
遊園地の明るい音楽が遠ざかり、雑踏に紛れ込む中でも、不思議と希望のようなものが胸に灯っていた。いずれ再び恐怖と対峙する日が来るに違いないが、俺はもう、一人じゃないのだ。