メルトダウン
朝焼けがほんのりと空を染め始めた頃、俺はアミリアと共に転送ゲートの前に立っていた。目的は、例の“旧サーバーホール”の近場まで移動すること。そこまではアミリアも同行してくれるが、最後は俺が一人で進まなくてはならない。
「……本当に一人で行くんですね、マスター。怖くないんですか?」
アミリアはいつになく神妙な面持ちで、猫のぬいぐるみを胸に抱きしめている。俺は苦笑いを浮かべるしかない。
「そりゃ怖いさ。でも、“Come alone, or remain ignorant.”なんて言われちゃあ、行くしかねえだろ。あいつが何を見せようとしてるのか気になるし……」
メッセージの送り主が監視役かどうかは確定していないが、状況的には彼の可能性が高い。先日の激闘を経てもなお、俺の命を取る気配はなかったが、油断は禁物だ。アミリアは寂しそうな目で、でも小さく頷く。
「……分かりました。一応、転送地点までは一緒に行きましょう。その先は、私は近くで待機しますから。もし何かあったら、すぐ呼んでくださいね。通信が不安定でも、できる限り応えますから」
「おう。悪いな、気を遣わせて」
転送ゲートのカウントが動き出し、光の輪が広がっていく。やがて眩しい閃光に包まれ、俺たちは郊外へと飛ばされた――
薄暗い曇り空の下、荒れ果てたサーバーラックや鉄骨が散乱する場所に降り立つ。かつての栄光を失った廃墟が、殺風景な大地に点在している。風が吹き抜けるたび、金属片がカラカラと不吉な音を立てた。
「ここまで来ると、ほんとに人の気配がないな……。まるで世界が終わったみたいだ」
少し離れた場所ではアミリアが佇み、猫のぬいぐるみを抱えながら心配げにこちらを見つめている。俺は大きく息を吐き、振り返った。
「じゃあ、ここまででいい。これ以上連れてくるのはマズいだろうし……何かあったら連絡する」
「はい……。マスター、くれぐれも気をつけてください。あの監視役が相手だとしても、あるいは別の誰かだとしても、もし深い領域で攻撃を受けすぎたら……人間のあなたにとっては、本当に危ないんですから」
そう――アミリアが言うように、俺は生身の人間が特殊装置を通じて意識を仮想空間に接続している形だ。過剰な負荷を受ければ、リアルな身体にも深刻なダメージが及ぶ可能性がある。ここは“ゲーム”じゃない。
「分かってる。まあ、何とかなるさ。……ありがとな」
アミリアに手を振り、一人で廃墟の中心部へ歩き出す。足元には瓦礫やケーブルの切れ端が散乱し、油断すると足を取られそうになる。突き抜けるような静寂が嫌に胸をざわつかせた。
かつてのサーバーホールの入口は、昨日と同じように錆びついた扉が半開きになっている。だが、今日は風も強く、まるで建物自体が呻くような音を立てていた。身をすくめながら中へ踏み込むと、内部はやはり埃と闇が支配している。
(アイツ……本当にここにいるのか?)
端末で灯りを取りながら廊下を進む。すると、遠くから微かな声が聞こえたような気がする。かすれた風の音か、あるいは人の呼び声か。耳を澄ませてみても、はっきりとは分からない。
廊下の先で小さく光が揺れ、誰かが待っている気配がした。俺は警戒を強めながらさらに奥へ進む。すると、左右に分岐した通路の真ん中に、まるで影のような人影が立っていた――
「よく来たな。“人間”の客人よ」
やはりあの男――監視役の姿だ。銀色の瞳が薄闇に光り、どこか試すような笑みを浮かべている。まるで俺が来るのを読んでいたようだ。
「……結局、お前が呼んだってことでいいのか? こんな場所まで呼び出して、何がしたい」
男は肩をすくめ、軽く笑う。その表情には悪意というより、どこか嘲りが混じっているようにも見える。
「さあな。『お前を見たかった』とでも言えばいいか……。だが、私だけが呼んだとは限らない。ここには、もっと“深い声”が残っているからな」
男は通路の先を示す。そこには崩れかけた大扉があり、奥へ続く階段が闇に沈んでいた。胸騒ぎを覚えつつ、俺は息を呑む。
「……深い声?」
「“Eden”に囚われた亡霊たちの囁きだ。ここはかつて、肉体の保管や電脳移行の実験を行った施設の一部でな。多くの失敗や惨劇も生んだ。お前には、その片鱗を見せてやろう」
その言葉に背筋が凍る。先日Eden Root Moduleで見せられた不穏な光景が脳裏に蘇り、嫌な汗がじわりと滲む。だが、男は構わず先へ進んでいく。仕方なく俺も後に続いた。
階段を降りた先は、広いホールのような空間だった。天井が高く、パイプやケーブルがむき出しになっている。中央には巨大な機械が鎮座し、かつてはサーバーか何かを冷却していたのか、床には冷却液のタンクらしきものが散らばっていた。
ここで、男は足を止める。視線を床に落とし、まるで何かを思い出すように吐息を漏らした。
「……見ろ。あの機械の下に、死んだ“声”が眠っている」
男が指し示す先を見ると、そこには金属製のプレートが折れ曲がっていて、その表面に文字が刻まれているのが分かった。朽ちて読みづらいが、「Prototype-**」とか「Meltdown」といった単語が見える。
「“Meltdown”……あんまり聞きたくない単語だな。まさか、大事故でもあったのか?」
男は静かに頷く。
「ああ。ここでは、意識融合を試みた実験の途中で“暴走”が起こった。被験者たちが仮想空間で正気を失い、精神同士が食い合って、狂気の塊になったのだ。結果、彼らの肉体がどうなったか、想像できるか?」
想像したくない光景が浮かび、嫌な吐き気がこみ上げる。男はそんな俺の反応を見透かすように冷笑した。
「……お前の相棒、“アミリア”とやらも、この辺りの“計画”に関わっていたかもしれないな。もっとも、彼女が知っているかは分からないが……」
「どういうことだ? アミリアがここで何を――」
「さあな。だが、Edenに足を踏み入れるアンドロイドの中には、人間の意識が一部移植された試作体もいたと聞く。もしそれが彼女なら、遺された“声”に引き寄せられるかもしれない。……ちょうど、お前がここに来るよう誘われたようにな」
胸がざわつく。アミリアが自分で言っていた「私はマスターの手で作られたアンドロイド」という言葉が脳裏をよぎる。それがもし、“人間の一部”を継承している存在だったとしたら……?
「まさか……本当なのかよ。アミリアは自分のことを普通のアンドロイドだって信じてる。でも、それが――」
言葉を失う俺を横目に、男はゆっくりと中央の機械に近づく。すると、暗がりに沈んでいた機械がうめくように作動し始め、床下から低い唸りが立ち上る。
「いずれ彼女も、自分の“本当の姿”に気づくだろう。それが幸福か不幸かは分からないがな。……お前は、どうするつもりだ? 人間として、あるいは彼女の仲間として、これ以上Edenを追う気があるのか?」
問いかけに答えられない。嫌なノイズが耳をかすめ、頭がじんじんと痛む。仮想空間だからこそ、精神への負担が直接響いているのだろう。男は構わず続ける。
「ここは“Meltdown”の余波を封じ込めた場所でもある。もし再び融合や暴走が起これば、地獄を再現するのは容易い。お前たちが甘い幻想を抱いて踏み込めば、ただの餌食となるだけだ……」
「……じゃあ、どうしろってんだ? 見るなってことか?」
「見るも見ないも、お前次第だ。ただ、私は忠告しているだけだ。――人間であるお前が、深く潜りすぎれば、リアルな身体にも致命的なダメージがいくかもしれない。だから“お前は特に”用心しろと言ったんだよ」
まるで脅しか、あるいは親切心のようにも聞こえる。男が小さく鼻で笑うと、機械が発する振動がさらに強まり、床や壁が軋む音が響いた。
「……崩れるぞ。用は済んだ。私はもう行く。お前も逃げ遅れないようにな」
「おい、待て! まだ聞きたいことが――」
しかし、男は端末を一振りしたかと思うと、周囲の照明がノイズを発して一気に暗転した。瞬きする刹那、彼の姿はすでに消えている。代わりにドドンと嫌な振動が走り、天井から砂埃が舞い散る。
(やべえ、ここヤバい……!)
急いで来た道を引き返そうにも、廊下の一部が崩れ始め、瓦礫が道を塞いでいる。大慌てで別の通路を探し、暗がりの中を半ば手探りで進む。金属のきしむ音や、壊れた配管からの蒸気が視界を白く染める。
「……くそ、どうすりゃいいんだ……」
焦りと不安が胸を締めつけるが、ここで冷静さを失ったら終わりだ。端末を使って、なんとか出口の方角を割り出す。通信圏内を維持しているはずのアミリアに連絡を入れるが、ノイズが多く、はっきり繋がらない。
それでも、徐々に廊下を抜け、かすかに外の光が見える場所へ到達する。ラストの扉を力づくで蹴り開けると、灰色の空が迎えてくれた。建物の外へ飛び出すと、内部から響く崩落音に合わせて砂煙が噴き出した。
「っ……あぶねぇ……!」
地面に倒れ込むように外へ転がり出たところで、ようやく呼吸を取り戻す。背後の建物は、さらにバランスを崩し、今にも大部分が崩れてしまいそうだ。
すると遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。アミリアだ。砂煙をかき分けて走ってくる彼女の姿が見え、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「マスター! 大丈夫ですか!? さっき通信が乱れて……」
「ああ……何とか生きてる。お前こそ、よくここまで来たな」
アミリアは息を切らしながらも、猫のぬいぐるみを抱きかかえたまま、俺を見下ろして安堵の表情を浮かべる。俺は立ち上がり、体についた埃を払い落とした。
「……あの野郎、また逃げられたけど、いくつかヤバいものを見せられたよ。肉体保管施設? それに“Meltdown”……意味が分からないけど、昔ここで何か恐ろしい事故があったらしい」
アミリアの瞳が不安げに揺れる。メモリの検索でも引っかかる情報がないのか、唇をかみしめるように沈黙した。
「詳しい話は安全な場所でしよう。とにかく建物が崩れそうだから、ここを離れよう」
「はい……! 分かりました」
こうして俺たちは、再び転送ゲートへ向かって走り出した。背後では廃墟が大きな唸りを上げ、まるで過去の亡霊が嘆き叫ぶような轟音を響かせている。あの男――監視役が語った“Meltdown”は、一体どんな惨劇だったのか。アミリアの秘密とどう繋がるのか。
疑問は尽きない。だが今は、無事に退却することが先決だ。荒涼とした大地に吹く風が頬を刺すように冷たい。ここは、楽園のはずなのに、まるで生々しい地獄の片隅を見ているかのようだった。
(“Eden”には、まだこんな恐怖が眠っているのか……)
心の奥に小さな戦慄を抱えながら、俺はアミリアと共に転送の光へ飛び込む。崩壊する廃墟に見送られるように、視界が白い輝きで埋め尽くされ――次の瞬間には、俺たちのいる場所は、いつもの平和な楽園の街角だった。
そこで感じる違和感は、どんな言葉でも言い表せないものだ。あんな地獄みたいな場所も、この楽園の一部だという現実。そして、アミリアの存在に潜む謎……。
すべてが複雑に絡み合いながら、俺たちを次なる苦悩へ誘うのだろう。恐怖に震えつつも、真実へ近づきたいという欲求が、静かに胸を焦がしていた。




