呼びかける残響
乱戦の余韻を宿したまま、俺とアミリアは「Eden Root Module」と呼ばれるサーバーの周囲を歩いていた。真っ暗な室内には非常灯らしき微かな光が残り、かろうじて足元の確認はできる程度。さっきまで鳴り響いていた警告音は止まり、代わりに低く唸るような駆動音だけが響いている。
アミリアは猫のぬいぐるみを抱えながらも、素早く端末をいじってサーバーへアクセスを試みていた。戦闘のドタバタで負傷こそしていないが、精神的な疲労感は隠せないようで、時折小さな息をつくのが聞こえる。
「アミリア、無理すんなよ。もし俺が役に立つなら手伝うけど……」
「ありがとうございます。でも、私が管理AIとして持ってる権限を使わないと、この“Eden Root”には触れられないみたいです。もう少し頑張ってみますね」
「おう。あの監視役が放り出したままだから、何か仕掛けが残ってるかもな」
俺も端末の画面を覗き込みながら、小さく肩を回す。ここは仮想空間とはいえ、先ほどの戦闘で緊張と痛みが重なったせいで、体がぎくしゃくしていた。とはいえ、これ以上の敵襲があるとも思えない今がチャンスなのかもしれない。
Eden Root Module――Project Edenのコア。もしここに人間の意識を融合する機能が眠っているのだとしたら、誰かが再起動すれば、楽園を根底から揺るがす事態になる可能性がある。そして、それを食い止めようとしているのか、あるいは守ろうとしているのかは分からないが、監視役の男が絡んでいるのは確かだ。
(アイツが、なぜ“Eden”の真実を隠そうとするのか……一体、何を守っているんだ?)
疑問が尽きない。けれど、その答えに近づくには今この瞬間が勝負なのだろう。俺は焦燥を抑えつつ、アミリアの隣で画面を覗き込む。
「……あ、少しだけ侵入できそうです。見てください」
アミリアの端末に、ディレクトリらしきリストが表示される。そこには“Eden_Core”“Memory_Sharing_Protocol”“Conscious_Link_Temp”など、明らかに穏やかでないファイル名が並んでいた。
「ずいぶん物騒な名前ばっかだな。メモリーシェアリングに、コンシャスリンク……やっぱり意識融合のシステムがまだ残ってんのかよ」
「可能性は高いです。あとは、これが実際に今も動作するのか、それともただの残骸なのか……」
アミリアが慎重に操作を進めると、画面が数秒フリーズし、やがて1つのファイルが解凍されたように展開された。そこには信号波形のようなグラフと数行のメモが残されている。
Conscious_Link_Temp/Log_210X
「エラー回避のため、人格同期を段階的に実施。マスターが提唱した“意識の共有”はまだ試験段階に過ぎない。集団化のリスクは想定以上に高い。……M.K.による警告レポートを参照のこと。」
「これって、やっぱり……?」
「ええ、M.K.さんが言っていた“危険性”の証拠かもしれません。人格を同期させる実験を中途半端にやってしまった結果、エラーが頻発していた……」
アミリアの瞳が揺れる。やはりProject Edenは、人々の意識をまとめて“完全な世界”を作ろうとしたが、危険性の高さから凍結された計画のようだ。
「でも、ログがあるってことは、凍結されたあとも誰かが手を加えていたってことか?“マスター”なのか、それとも監視役か……」
「それはまだ分かりませんね。このファイルの日付が10年前なのか20年前なのかも、仮想空間の時間軸では曖昧ですし」
まさに五里霧中。それでも一歩ずつ真相へ近づいている気がする。と、そのとき、アミリアの画面が薄くノイズを発し、何か音声データらしきファイルが自動再生を始めた。
「え……勝手に再生が……?」
スピーカーから流れる音声は、最初こそザラザラとしたノイズだけだったが、やがて低く抑えた男の声がかすかに聞こえ始める。まるで遥か昔の録音データのようだ。
「……もしこれを聞いているなら、私は“Project Eden”の維持を望まない。……意識の融合はあまりにも危険だ。だが、私は否定もしきれない。……人々は苦痛を捨てたいと願う……」
ガリガリとノイズが入り、中断しかけるが、再び声が戻る。
「……もし君が“マスター”のキーを持っているなら、ここを閉じる権利がある。……“Eden”を再び開くか、完全に閉じるか……私は……M.K.は、楽園を……」
そこまで言ったところで、音声が途切れた。どうやらデータが破損しているらしい。だが、数秒間、室内には残響のようにその声がこだました気がする。
「今の声って……M.K.さん?」
「かもしれない。“もし君がマスターのキーを持っているなら、ここを閉じる権利がある”……ってことは、俺たちが今持ってる権限のことか?」
俺はアミリアと顔を見合わせる。マスターのキー――十年前に旅立ったというアミリアの主こそ、このキーを扱っていた人物。しかし、今、そのキーはアミリアが代理人として保持している。つまり、俺たちに“Eden”を封印する権利があるかもしれないのだ。
(だけど、封印したらそれで本当にいいのか? もしかすると、この機能を使って楽園をアップデートできる可能性もあるし……)
頭がぐるぐるする。とりあえず、音声ファイルはここで終わりのようだ。アミリアは真剣な面持ちで、猫のぬいぐるみに手を添えている。
「……M.K.さんが、あの監視役に関わっているかどうかは分かりませんけど、少なくとも“Eden”が生きてる限り、危険は残るということですね」
「うん、それに“苦痛を捨てたいと願う人々”ってのは今の楽園にも多いだろうし、意識融合を完全に否定できるわけでもない。難しい問題だよな」
楽園は理想郷である一方、その根幹にある危険をどう扱うかは大きな課題だ。監視役は、そのジレンマを抱えているがゆえに、俺たちを試しているのかもしれない。単に邪魔をしたいだけなら、あの時点で徹底的に潰してもよかったはずだ。
「まあ、今は情報不足だ。ほかに何か手がかりが……」
言いかけると、アミリアの端末が再び震える。画面には**“New System Notification”**のメッセージ。どうやら外部から送られた通知らしい。緊迫した空気の中、アミリアが確認ボタンを押す。
——Meet me at the old server hall, if you wish to learn more.
——Come alone, or remain ignorant.
英語混じりの素っ気ない文章が表示される。送信者情報は不明。しかし、内容からして、あの監視役が送りつけた可能性が高そうだ。
「……また随分と仰々しい招待だな。『来たければ来い』ってか」
「“Old server hall”……あっ、昔使われていた施設が楽園の郊外に残っていると聞いたことがあります。もうメイン稼働から外れて久しいはずですけど」
アミリアが端末を操作し、確認している。しかし、座標までは書かれていないらしく、ヒントはこれだけ。まるでパズルのようだ。
「来いって言われても、罠かもしれねえ。けど、あの男なら……というか、試しているんだろ? 俺たちが本当に“Eden”に立ち向かう覚悟があるかどうか」
「そうですね……さっきはあれだけ派手に攻撃してきたのに、“殺し”には至らなかった。もしかしたら、私たちに選択の余地を与えたかったのかもしれません」
確かに。その意図は未だ不透明だが、監視役が完全な“悪”というわけではなさそうだ。むしろ、あの戦いを通して、俺たちの力を測るように仕向け、今度は別のステージへ誘っているような気がする。
「……どうする、アミリア? 行くのか? それともこのまま“Eden Root”を封じて撤収するか?」
指を画面から離し、アミリアはしばらく考え込んだ後、小さく息をつく。
「今の状態じゃ、完全な封印も難しいです。私たちが権限を持っていても、このコア全体を停止させるには色々なセキュリティを突破しないと……。やはり、もっと情報が必要ですね」
「ってことは、“old server hall”に行くしかねえってわけだな。面倒だが、他に道はなさそうだ」
いつの間にか、俺の心にも迷いはなかった。もはや逃げる気は起きない。不思議なことに、危険であっても突き進む“意志”を自分の中に感じる。
「……じゃあ、行こう。あの監視役を追って、もっと“Eden”の真実に近づくんだ」
「はい。私も、そのほうがいいと思います。今はまだ、何が正解か分からなくても……やれるだけやってみたい」
猫のぬいぐるみを抱えたアミリアが柔らかく笑う。その表情は、かつての孤独を少しずつ乗り越えつつあるかのように見えた。俺自身も、ここで足を止めるわけにはいかない。深い闇を抱えるこの楽園の底で、何を見つけるかは俺たち次第だ。
「よし……とりあえず、ここで集められるデータは持ち出せるだけ持っていこう。それで一旦外へ出て作戦を練る。『old server hall』ってのがどこにあるかも調べないとな」
「了解です。……マスター、これが終わったら少し休みましょう。先ほどのダメージが残っているはずですから」
アミリアの優しさが身に染みる。俺は頷き、改めてコンソールへ手を伸ばす。暗い空間に低い駆動音がこだまし、まるで誰かの息遣いのようにも聞こえた。
こうして、俺たちは監視役が残した謎のメッセージを胸に、いずれ訪れる次の舞台へ思いを馳せる。楽園の“深層”に渦巻く意識データ、その中心にある**“Project Eden”の残響**はまだ消えない。むしろ、今こそ俺たちを呼び寄せようとしているようだった。