エンカウント
「Data Core Access」への手がかりを求めて、薄暗い特別区画の廊下をさらに奥へと進んでいく。足音を抑えながら歩くたびに、床に響く微かな振動がやけに耳についた。
天井の蛍光灯は一定間隔で並んでいるが、その光はどこか冷たく、まるで病院の無機質な白さを思わせる。壁の端末や監視カメラを気にしながら、俺はアミリアと一緒に慎重に進んでいた。
「……ここ、本当に人がいるのか分からないけど、静かすぎて不気味だな」
思わず小声で呟く。確かに職員や警備ロボが巡回しているはずだが、さっきの資料庫付近で見かけた以外、今は誰の姿も感じられない。まるで見えない“意志”に監視されているようで落ち着かない。
「ええ、さっきみたいに急に来られたら大変ですから、気をつけましょう。……端末のマップ機能、相変わらず弱い反応ですけど、あともう少し先に大きめのゲートがあるみたいですよ」
アミリアが端末を覗き込みながら言う。その瞳には不安もあるが、何より目的地へ急ごうとする決意が浮かんでいるように見えた。
「大きめのゲート、ね。そこが“Data Core Access”の入り口かもしれないな」
俺は足早に廊下を曲がり、表示のないドアをいくつかやり過ごす。空調の冷気が肌を撫で、仮想世界とは思えないほどリアルな“寒さ”を感じさせる。そんな微妙な演出まで徹底しているのだから、やはりここはただの研究施設ではないのだろう。
少し進むと、やがて行き止まりのような広いスペースが現れた。そこには確かに大きなゲートらしき構造物が鎮座している。左右には警備端末か何かのパネルが並んでおり、上部には赤いランプがぼんやりと点灯していた。
「これが……“Data Core”の入口かな?」
「たぶんそうだと思います。私もここは初めて見ますが、アクセスログによると“高セキュリティエリア”になっているようです。突破できるかどうか……やってみますね」
アミリアが端末を操作し、ゲート脇のパネルに手を当てる。かすかな電子音が響くと同時に、画面には**“Identity Authentication in Progress…”**の文字が浮かび上がる。数秒間、ドキリとするほどの静寂が流れた。
Access Denied. Please Provide Additional Clearance.
やはり一筋縄ではいかないらしい。アミリアは唇を噛み、さらに端末をいじり始める。前にやったように“マスターキー”の権限を使おうとしているのかもしれない。
「……大丈夫か? 時間がかかってると、また誰か来るかもしれないぞ」
「わ、分かってます。もう少しだけ……」
彼女の指先がパネル上を滑り、複雑なコードを入力していく。画面にはエラーが続くが、諦めずに異なるアプローチを試みているようだ。俺には何がどうなっているのか全然わからないが、アミリアの表情から相当気を張っているのは伝わってくる。
すると、やがて画面が一瞬暗転し、**“Override Approved (Master Access Key Detected)”**というメッセージが点滅した。
「……やったか?」
「多分……今のでゲートが解放されるはずです。あとは……」
言葉を継ぐまでもなく、巨大なゲートがわずかに唸りを上げながら左右にスライドしていく。そこに現れたのは闇に包まれた通路。まるで洞窟の入口のように、内部がほとんど見えない。
「……行こう」
俺は息を呑み、アミリアとともに足を踏み入れる。ゲートの先は、今まで以上に暗い空間が広がっており、壁面に取り付けられた小さなランプが通路をかろうじて照らしている程度だった。
空気が一気に冷たくなり、背筋を震わす。まるで楽園とは思えない、死んだような静寂が支配していた。
「ここが“Data Core Access”……? 何にもないように見えるが……」
「いえ、この先に中枢となるサーバールームがあるはずです。……ちょっと、私が先に行きますね」
アミリアが一歩前に立ち、猫のぬいぐるみを抱えて慎重に進む。その小柄な背中を見ていると、何だか妙に守ってやりたい衝動が湧く。とはいえ、彼女のほうがずっと経験も知識もあるのだろうから、下手な口出しはせずに後をついていった。
通路を進むうちに、かすかな機械の駆動音が聞こえてきた。高周波のようなピーンという音が混ざり、やがて扉のような場所に行き当たる。
「ここ……開くかな」
アミリアがパネルに触れると、予想に反して扉はあっさりと横にスライドした。その先に見えたのは、巨大な円形の室内。円周に沿ってコンソールが並び、中央には円柱状のサーバーらしき装置が鎮座している。どこかで見たような風景にも思えるが、明らかに先進的な印象を受けた。
「すげえ……これが楽園の中枢か?」
「さあ、どうでしょう……。いくつかサーバー群があるうちのひとつかもしれませんが、かなり重要度が高い場所だと思います」
アミリアが端末をかざしてスキャンを試みる。すると、端末の画面がちらつき、エラーを吐き出すかのように不規則な線が走った。
Interference Detected…
「干渉……? ここでは通常の管理権限が通用しないみたいです。どうして……?」
アミリアが眉をひそめる。俺は周囲を見渡し、室内のコンソールの一つに近づいた。そこには“EDEN ROOT MODULE”という文字が刻まれている。まさに“Project Eden”と関連しそうなネーミングだ。
「おい、ここ……“EDEN ROOT MODULE”って書いてあるぞ。やっぱり“Eden”に関わる装置なのか?」
「本当だ……。ということは、やはりここに“Project Eden”のコアが残っている可能性が高いですね。まさか、本当に稼働中だったなんて……」
そう呟いた瞬間、円形の室内の隅から微かな足音が響いた。ぞわり、と背筋が凍る。アミリアも息を呑み、猫のぬいぐるみをさらに強く抱きしめた。
「……誰かいるのか?」
俺が警戒して声を上げると、暗がりの奥でスーツ姿のシルエットが動く。淡い光がその姿を照らすと、現れたのは例の監視役の男……銀色の瞳を持つ、冷たい雰囲気の人物。
「やれやれ、またお前たちか……。こんな場所まで踏み込むとは、よほど“Eden”に興味があるらしい」
男は静かな口調で言い放ち、目を細める。まるでここに来るのを待ち構えていたかのようだ。俺は舌打ちを噛み殺し、アミリアの前に立つ。
「お前こそ、何でここに……。てめえの仕事は監視ってだけじゃなかったのか?」
「私は監視役であると同時に、“Eden”の残存機能を管理する立場でもある。……と言っても、表には出ない役割だがな」
男は冷笑を浮かべる。その顔はどこか感情の欠片もないように見える。まさか、この男が“Project Eden”の再稼働を狙っているわけではないだろうが……
「お前たちがここを探っているのは知っていた。アミリア、お前は管理AIだが、こうも強引に侵入を続けるとは……失望したと言うべきか」
アミリアは震える声を押し殺すように応じる。
「失望、ですか……? 私たちは“Project Eden”が引き起こすかもしれない大変な事態を未然に防ぎたいだけです。もし本当に意識融合が再び動くようなことになれば、楽園がどうなるか分かりません」
「ふん……それがお前たちの正義か。だが、知らないほうが幸せな真実もある。ここに踏み込むことで、お前たちは余計なものを見てしまうだろう」
男は一歩近づき、俺たちとの距離を詰める。その瞳には敵意というよりは、どこか嘲りにも似た光が宿っている。
「何を言ってる? お前は“Eden”を守りたいのか、それとも隠したいのか……どっちなんだよ?」
俺が問い詰めると、男は小さく笑う。
「私の役目は、“Eden”を暴走させぬこと。そのためには、余計な干渉を防ぐ必要がある……お前たちがその“余計な干渉”になりかねない。だから、ここで退いてくれるなら、それが一番だが……」
言葉を途切れさせると、男はポケットから何か端末のようなものを取り出す。すると、円柱状のサーバーが小さく唸り始め、まるで部屋全体に振動が広がったように感じた。
「……なんだ、これ?」
「お前たちには、見せるわけにはいかない。『Project Eden』がどういう形でこの楽園に溶け込んでいるのかも、知る必要はない。今すぐ引き返すのなら見逃してやるが……それ以上踏み込むなら、相応の覚悟がいるぞ」
男の銀色の瞳がギラリと光る。アミリアは怯んだ様子を見せながらも、一瞬だけ俺を振り返った。言葉はないが、その瞳には「どうする?」という問いが宿っている。
(ここで引くのか、引かねえのか……。)
もし引き返すなら、今が最後のチャンスなのかもしれない。だが、俺たちは既に“Eden”がこの楽園に今も残っていることを知ってしまった。放っておけば、いずれ誰かが再稼働する可能性だってあるはずだ。
「……わりぃが、引き返すわけにはいかねえな。さっきも言ったが、意識融合なんてヤバいもんが暴走したら、多くの人が巻き込まれるかもしれない。俺は知らん顔して逃げるのはごめんだ」
男は軽く溜息をつくように首を振る。すると、端末に指を走らせ、何やら操作を続ける。それと同時に、室内のコンソールが赤く点滅し、警戒態勢を示すようなアラート音が低く鳴り始めた。
「そうか……ならば、お前たちの“覚悟”を見せてもらおう。私も、ここに立ち入る者をただ見逃すわけにはいかない」
まるでボスキャラのような台詞を放ちながら、男の周囲にわずかな光が集まり始める。これは仮想空間ならではの何らかの“戦闘”なのか? それとも強制的にシステムから排除しようとしているのか?
いずれにせよ、事態は穏便には済まなさそうだ。アミリアが歯を食いしばりながら、端末を構えるように操作する。彼女もまた管理AIとしての権限を使い、対抗しようとしているのだろう。
「マスター、ここは……覚悟が必要かもしれません。私もシステム操作である程度の防御はできますが、強制排除を受けるリスクが……」
「いや、やるしかねえだろ。お前が苦しむのは俺だって見たくねえけど、このまま退くよりはマシだ」
気づけば、心臓が高鳴っている。こんな仮想空間での“戦い”なんて想像もしてなかったが、ここまで来たら引き下がれない。俺はアミリアの背に手を置き、男を睨む。
「いいぜ、来るなら来いよ。俺もお前が何を企んでるのか、ここでハッキリさせてやる」
次の瞬間、赤い警告ランプがさらに強く点滅し、床と天井に何か光の帯のようなものが走る。監視役の男は微笑を浮かべたまま言い放った。
「馬鹿な人間だな……。では、その愚かな意志が“Eden”にどんな波紋をもたらすか、見せてもらおうか」
その言葉が合図かのように、室内のサーバーが轟音を立てて振動し始める。アミリアが必死に端末を操作しているが、どうやらこちらのアクセスは阻まれているらしい。
まるで、この場所全体がひとつの“戦場”と化したような異様な空気が広がっていく。俺はゴクリと唾を飲み込み、逃げ道を探すが、扉はロックされているのか閉じきったまま動かない。もう、退路はない……。
(ちくしょう……こんなところで終わるのか? いや、まだ諦めるわけには……)
アミリアの瞳が揺れる。猫のぬいぐるみを強く抱いたまま、彼女は怯えているのか、あるいは方法を探っているのか。
「マスター……大丈夫です。必ず、なんとかしますから」
震える声の奥に決意が滲む。その表情を見た瞬間、俺は腹の底から勇気が湧いてくるのを感じた。たとえ絶望的でも、彼女がいるから投げ出せない。
こうして、俺たちは監視役の男が待ち受ける“Eden Root Module”の前で、決定的な局面を迎えようとしていた。果たしてこの先に待つのは、さらなる深淵か、それとも……。