再訪問
柔らかな日差しが傾きはじめた街を抜け、中央管理区のビル群がそびえ立つエリアへとたどり着いた頃には、俺たちの緊張感も高まりを見せていた。アミリアが猫のぬいぐるみを胸に抱きしめながら、少し深呼吸をしている姿からも、その空気は伝わってくる。
「よし……いよいよ、行くか」
昼食の甘い余韻を振り払うように、俺は気合いを入れる。アミリアは静かに頷き、先日訪れた中央管理区の入口ゲートへと足を進めた。
巨大なアーチ状のゲートをくぐると、内部はいつも通り広いロビーが広がり、受付の職員や管理スタッフが行き交っている。だが、今日はどこか落ち着かない雰囲気を感じる。無意識のうちに周囲の視線を警戒してしまうのは、俺たちが“不正な目的”を抱えているからかもしれない。
「特別区画への入口は、ロビーの奥にあるエレベーターホールを進んだ先です。普通の利用者は立ち入らない区域なので、職員の目をかいくぐらないと……」
アミリアが声を潜める。俺はゆっくりと周囲を見回し、なるべく自然な態度を装いながら歩き始めた。最初は堂々としていれば、怪しまれないはずだ。
ロビーの中央に設置された大きなモニターには、楽園の各エリアの状況や告知が映し出されている。“今日の仮想ライブ情報”や“共同体アーカイブの新着イベント”など、楽しげな話題が次々と流れる。だが、そこで“Project Eden”や“監視役”に関する情報は一切見当たらない。
「アミリア、このまま奥へ進むんだよな? 受付とか通さなくていいのか?」
「はい。受付は通常の利用者用なので、私たちが行く区画は別なんです。……あちらのエレベーターを使いましょう」
アミリアの視線の先には、人通りの少ない隅のほうに設置されたエレベーターホールが見える。周囲には、警備ロボらしきものもいない。見たところ、ここを使う人自体が滅多にいないのかもしれない。
「行こう。あんまりキョロキョロしてると怪しまれそうだ」
俺はアミリアの手を軽く引き、足早にエレベーターホールへ向かう。エレベーターにはカード認証の端末が設置されていたが、アミリアがいつものように端末に手をかざすと、数秒後に「Access Granted」の文字が出る。
「よし……通ったぞ」
深層領域へアクセスできる権限を持つ管理AIが、アミリア以外にどれだけいるのかは分からない。しかし、彼女の“マスターの代理キー”が上手く機能しているのは確かなようだ。
エレベーターの扉が静かに開き、俺たちは中に乗り込む。無人の空間に乗り込み、アミリアが目的フロアと思われるボタンを押すと、扉は音もなく閉まっていく。
「……大丈夫か? 監視役の男に見つかったりしないよな」
「正直、分からないです。彼がどのように行動しているのか、管理区のログにもほとんど記録が残っていないので……」
緊張を紛らわせるように、俺は軽く肩を回す。少し息が詰まるような静寂がエレベーター内を満たすが、やがて機械音が一つ鳴り、エレベーターは上昇を始めた。
数十秒ほど経ったところで、エレベーターが停止する。アミリアが小さく息を呑み、扉が開くと、そこはまるで研究施設のように無機質な通路が伸びていた。左右に並ぶドアには、技術部門や保管室などのプレートが見える。
「ここから先が、特別区画……」
「ずいぶんと広そうだな。まあ、適当に探すわけにはいかねえし、お前の端末で地図とか見られないのか?」
「うーん、普通のマッピング機能は制限されているみたいです。少しだけ内部ログを解析しながら進むしかありませんね」
アミリアが端末を操作しつつ、通路の隅にあるコンソールにアクセスを試みる。しかし、画面に表示される文字はほとんどブロックされており、明確な地図は出てこない。
「やっぱり手強いな。なるべく人目を避けつつ、鍵になりそうな部屋を当たってみるしかないか……」
「はい。気をつけましょうね、マスター」
俺たちは静かに足を踏み出す。通路の天井からは白い蛍光灯のような光が放たれ、足音がやけに響く。壁際には監視カメラがあるようだが、今のところ反応は薄い。アミリアが時々端末をいじりながら、カメラの視線を一時的にそらすような仕組みを使っているらしい。
(やっぱり、こういうハッキングめいたことにも長けてるんだな……)
そんなことを考えていると、通路の奥からスーツ姿の職員がこちらへ歩いてくるのが見えた。瞬間、俺たちはちょうど近くにあった扉を開き、逃げ込むように中へ入る。
部屋の中は資料庫のようで、天井まで伸びる書棚がぎっしり並んでいた。アナログアーカイブとは違い、管理が行き届いているのか埃はあまりない。電子カードが整然と差し込まれたラックもあり、どこか図書館じみた雰囲気だ。
「うわ……なんか、懐かしい感じがするな。アナログじゃなくて、電子データ用のカードみたいだけど……」
俺が棚を眺めていると、アミリアが端末を使ってラックのコードをスキャンしている。すると、表示された一覧に“技術部門レポート”や“研究ログ”といった項目が並ぶ。
「このあたりは、楽園が安定運用されるまでに行われた小規模な研究の記録みたいですね。回復システムの調整とか、メンタルケアプログラムの検証とか……」
「“Project Eden”に関するものは……?」
「うーん、今のところ見当たらないです。もう少し奥の棚を調べないと分からないですね……」
アミリアがそう言いかけた瞬間、廊下から人の話し声が近づいてきた。どうやら先ほどの職員だけではなく、複数人が歩いているような音がする。俺たちは慌てて本棚の陰に身を潜めた。
(くそ、こんなタイミングでかよ……)
すぐ外の通路からは、「それで、次の会議は何時?」「いや、まだ調整中だ」など、職員同士の会話が漏れ聞こえてくる。どうやら業務の話をしているらしい。通り過ぎてくれればいいが、もし資料庫の中へ入ってきたら面倒だ。
「……アミリア、出口は他にないのか?」
小声で問いかけると、彼女は首を振る。
「ここは入口と同じ扉しかなさそうです。入り口のモニターでアクセスログを確認しましたけど、非常口は別のフロアにしかないようで……」
(まずいな。見つかったらどう言い訳する? 下手すりゃ不審者扱いだぞ……)
息を潜めてやり過ごすしかない。幸い、職員たちの足音は資料庫の扉の前で一瞬止まりかけたものの、再び遠ざかっていく気配があった。俺もアミリアも安堵の息をつく。
「ふう……助かった。でも、このままだと進むのも大変だな」
「ええ。もう少し奥まで行きたいですけど、職員さんが多いと隠れるのも限界があります。どうしましょう?」
アミリアが不安げに呟く。深層領域には警備ロボだけでなく、こうした職員や研究スタッフも少なからず働いているのだろう。下手にウロウロすれば、普通に捕まるかもしれない。
「……考えても仕方ねえ。行くしかないだろ。とはいえ、やみくもに探すのも時間の無駄だ。何か目印があればいいんだが……」
「そうですね。もしかしたら、楽園の中枢に繋がるエレベータールームが別にあるのかも。そこを目指してみましょう」
そう言ってアミリアは端末を再び操作する。地図はまだ不明瞭だが、検索キーに“中央サーバー”や“バックエンドアクセス”などのキーワードを打ち込み、何とかヒットしそうな部屋を探している。わずかに表示された候補リストを見て、彼女の目が輝く。
「ありました……“Data Core Access”というラベルのついたエリアが記録に残っています。場所は、このフロアのさらに奥……そちらへ行ってみますか?」
「おう、それしかないな」
俺は静かに立ち上がり、アミリアを促して資料庫を出る。廊下にはもはや人影はなく、機械音だけがかすかに響いている。警備ロボにも気を配りながら、奥へと進んでいく。
(……この先で、本当に“Project Eden”の手がかりが見つかるのか?)
胸がざわつく。けれど、もう引き返すわけにはいかない。アミリアと視線を交わし、互いに頷くと、俺たちは迷路のような特別区画の廊下をさらに奥深くへと歩んでいった。
——そこに待ち受けるのが新たな発見か、それとも何らかの罠なのか、今の俺たちには知る由もなかった。