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昼下がりのカフェにて

 噴水広場を後にした俺とアミリアは、歩きながら周囲をキョロキョロ見回していた。目的は、軽く昼食をとれる場所。楽園では食事という行為は飾りに近いとはいえ、やはり何かを口にするとリフレッシュできるし、自然と会話も弾む。


「このあたりにカフェテリアがあるって言ってたよな?」


「はい。昔、マスター……あ、昔のマスターですね……と一緒に来たことがあって。確か、通りを一本曲がった先にあったはずです」


 アミリアは少し照れたように微笑む。自分がずっと待ち続けていた“マスター”との思い出を、こうして俺に打ち明けるのは、彼女にとっても不思議な感覚なのだろう。俺は気まずさを少し感じながらも、黙って頷いた。


(昔のマスターか……。いろいろ複雑だけど、今は深く突っ込まないほうがいいか)


 そう思いつつ、アミリアの案内で路地を曲がっていく。すると、少しこぢんまりとしたカフェが見えてきた。大きな看板に、アルファベットのロゴと可愛い動物のイラストが描かれている。どこかレトロな雰囲気で、近代的なビルが並ぶ中で異彩を放っていた。


「ここですね。『メルティ・ラグーン』……だったかな」


「へえ、名前からして甘そうな感じがするな」


 ドアを開けると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐる。バターやチョコレートが混じったような、いかにもスイーツが充実していそうな香りだ。店内はこじんまりとしているが、カーテン越しに柔らかな日差しが差し込み、落ち着いた雰囲気が漂っている。


「いらっしゃいませー!」


 若い男性の店員が笑顔で迎えてくれた。その容姿はやや中性的で、仮想空間ならではのスタイリッシュなアバターを使っているようだ。アミリアは静かに会釈し、俺たちは窓際のテーブルへ案内される。


「このお店、あまり人通りが多くないところにあるんですけど、意外とお菓子好きの住人たちの間では評判がいいんですよ。お店の奥で手作りスイーツを『シミュレート』してるらしくて……」


「なるほど。シミュレートって言い方もややこしいけど、要は職人みたいなもんなのか?」


 楽園では、“食材の生成”も“調理”も自由自在だが、それでもあえて手間ひまかけて作るのが好きな住人もいるらしい。自分の理想を追求する過程自体が楽しみであり、芸術作品を作るようなものだろう。


 メニューを開くと、スイーツの写真が色とりどりに並んでいた。ショートケーキ、ガトーショコラ、フルーツタルト……どれも本当に美味そうに見える。ドリンクも凝った名前のものが多く、ちょっとしたテーマパークのカフェのようだ。


「うわ……甘いものは得意じゃないと思ってたけど、この写真見てると腹が減るな。っていうか、ここじゃ腹は減らないはずなのに、不思議だな……」


「人間は視覚と嗅覚でも食欲が刺激されますからね。楽園ではそこもリアルに再現してるんですよ。いかにも美味しそうに見えるでしょ?」


 アミリアはクスッと笑い、猫のぬいぐるみを椅子の隣にそっと置く。


「さて、何にするかな……。あんまりがっつりはいらないけど、せっかくだし何か食うか」


「私は……んー、ミルフィーユにしてみようかしら。飲み物は……紅茶でいいかな。マスターはどうします?」


「じゃあ俺は、ガトーショコラとコーヒーかな。朝食からそんなに時間たってないけど……まあいいや」


 ハハッと笑いつつ、店員を呼び止めて注文を告げる。店員は丁寧にメモを取り、「しばらくお待ちくださいね」と穏やかな声で応じてくれた。その目は優しげで、あまり客の多くない店内を落ち着いた空気が満たしている。


 注文を終えると、店内は静かになり、BGMのピアノ曲がかすかに聞こえてきた。まるで現実にある落ち着いたカフェそのものだ。俺とアミリアはテーブル越しに向き合い、ふと視線が交わる。


「……なんか、こんな普通のカフェに入ってると、本当に“深層領域に潜る”とか信じられなくなるな」


「ふふっ、そうですね。私も、ここでスイーツを食べながら寛いでいると、“管理AIとしての任務”をすっかり忘れそうになります」


 アミリアはテーブルの上で指を組みながら、少しだけ恥ずかしそうに笑う。猫のぬいぐるみを傍らに置いている姿は、やはり普通の女の子のようだ。俺は軽い気持ちでからかうような言葉を投げる。


「お前、アンドロイドなんだろ? こういうときは『私は任務に忠実です』とか言うんじゃないのか?」


「うーん……私、そういう堅い性格じゃありませんからね。大昔はもっと“メイドロボ”っぽい喋り方をしていたらしいですけど、いろんなアップデートを重ねて今の形に落ち着いていますし」


「へえ、メイドロボか。そりゃそれでちょっと見てみたい気もするな」


「意地悪ですね、マスター。もう忘れちゃいましたよ、あんな喋り方……」


 拗ねたように頬を膨らませるアミリア。そんな表情を見ると、本当に彼女がアンドロイドだと忘れそうになる。十年も孤独に過ごしてきたなんて信じ難いくらい、今は生き生きとしているのだ。


 そんな雑談をしていると、ちょうど店員がスイーツを運んできた。ガトーショコラは小ぶりながら艶やかで、皿にはベリーソースが添えられている。アミリアのミルフィーユはサクサクの生地が何層にも重なり、クリームがたっぷり挟まっていた。


「うわ……これはまた……」


「いただきます、マスター」


 一口食べると、しっとり濃厚なチョコレートの甘みが口いっぱいに広がる。口当たりは重すぎず軽すぎず、絶妙なバランスだ。思わず目を閉じ、幸せそうな表情を浮かべてしまう。


「うまい……現実でもこんなチョコケーキ、食ったことないぞ……」


 アミリアのほうを見やると、彼女もミルフィーユを頬張っていて、満足げに瞳を細めている。ぬいぐるみを抱えたまま、上品にナプキンで口元を拭う姿は、どこか微笑ましい。


「ふふ……やっぱり、美味しいですね。ここはあまり人が知らないお店なんですけど、それが逆に落ち着ける雰囲気を作っているんです」


「確かにな。大通りのカフェも悪くないけど、こういう隠れ家的な店もいいもんだ。……おっと、コーヒーもうまいな」


 カップを口に運ぶと、コクのある苦みが舌を刺激する。甘いガトーショコラとの相性は抜群で、思わず緊張がほぐれていく。


(こんなにのんびりしてていいのか、という気もするけど……)


 深層領域での危険や“Project Eden”の脅威を思い出すと、胸がどこかチクリと痛む。しかし、今この瞬間だけは、アミリアとの何気ない時間を楽しんでも罰は当たらないだろう。俺はそう自分に言い聞かせる。


「マスター、あまり考えすぎても仕方ないですよ。私たちが今できることは、前に進むことだけ。だから、ちゃんとこういう息抜きも必要だと思います」


 アミリアが小さく笑う。その言葉に救われるような気持ちになる。そうだ、何が起きるか分からないからこそ、こうした日常を大切にしておきたい。


「お前がそう言うなら、俺も甘えさせてもらうかな。……しかし、ほんとにうまいな、このケーキ」


「ふふ、もっと食べるなら他の種類もありますよ? タルトとか……」


「いや、さすがにそこまで甘党でもねえけど……まあ、ちょっとだけ気になるかもな」


 そんなやりとりを続けながら、俺たちはゆっくりとスイーツを味わう。店内の静かなBGMと、時折店員が動く音だけが心地よいリズムを刻んでいた。


 やがて皿が空になり、コーヒーも飲み干す頃には、外の光がやや傾き始めていた。楽園の昼下がりは、現実の太陽とは違うリズムで動いているらしい。アミリアがふと窓の外を見つめ、微かな寂しさを滲ませた表情をする。


「……そろそろ行きましょうか。ここでのんびりしていたい気もしますけど、深層領域のことを放置しておくわけにはいきませんし」


「ああ、そうだな。いつまでも甘いもの食ってるわけにもいかねえし……」


 俺はテーブルに代金を置こうとするが、楽園では基本的にお金が必要ない。アミリアは「一応お店のデータに“お気に入り登録”すれば、向こうも喜ぶと思いますよ」と言い、端末を操作している。どうやら“応援”という形で店主とコミュニケーションが取れるらしい。こういう仕組みも、現実にはない概念だな、と感心する。


 最後に店員が笑顔で見送ってくれた。俺も簡単に礼を言い、扉を開けて外へ出る。すると、カフェの外にはさっきよりも淡くなった日差しが広がっていた。


「さて……このあとは、本当に行くんだよな、深層領域へ」


「はい。それでもうまく侵入できるか分かりませんが、まずは中央管理区のゲートまで行ってみましょう。そこから奥へ続くルートを使わないと、深層には到達できません」


 アミリアが少し緊張した面持ちで言う。俺はそれを聞いて、肩を回すように軽く深呼吸をした。


「……じゃあ、腹ごしらえも終わったし、行くとするか。いよいよ本番ってやつだな」


「ええ、行きましょう……」


 こうして、昼下がりのカフェを後にした俺たちは、いよいよ中央管理区への道を再び歩み始める。スイーツで満たされた穏やかな気持ちの奥には、次なるステージへの不安と期待が入り混じり、複雑な波を立てていた。


 ——甘くて優しい時間が終わるとき、楽園の深部が、その素顔を少しずつ見せ始めるのかもしれない。



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