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駐在員と市街戦(第2回)  作者: 南風はこぶ
2/2

前篇 その2

    第三章


          1


「元気がないわね、憂鬱そうな顔をして」

 鳥羽屋の女将が、真壁を心配そうに見つめている。マニラ市内の公共事業道路省で用事を済ませた帰り、マビニの鳥羽屋で真壁は昼食を取っていた。

「そうなんですよ。役所の職員から嫌われてしまって」

 カウンターに座った真壁が、二日前の秘書の一件を説明した。

「それなら、マニラの市街戦のことを勉強しなくちゃね。社会科の先生をしていたのなら、それなりのことは知っているでしょうけど」

「いやぁ、恥ずかしながら、ほとんど知識がないんです。どうやって勉強しようか、困っているんですよ」

「それなら私が持っている本を貸してあげるから、明日にでも店にいらっしゃい。私がいなくても、分かるようにしておくから」

 ざっくばらんに女将が申し出てくれた。恐縮しながら真壁は礼を言う。

「ところで、女将さんはマニラ市街戦の経験者ですか」

 年齢を知ることになり躊躇っていたが、思い切って真壁は訊ねた。

「五歳の時だったけど、ちょっとした理由で私は地方にいたので、市街戦の経験はないの。マニラに残っていたら、とっくに死んでるわよ」

 思いがけない女将の話だった。女将は当時からの在留邦人だったのである。

「市街戦の話だけど、あまり深く関わらないほうが良いわよ。勉強するのは良いけど、厭な経験をするかもしれないから」

 女将が言いよどんでいる。厭な経験とは何なのか、真壁は次の言葉を待った。

「いろいろな日本人がいてね、ひと言でも市街戦の話をしようものなら、血相を変えるお客さんが何人もいたわ。皆さん何も知らないので、突然の話に気分を害するのよね。まぁ、マニラへは女遊びに来て、浮かれ気分でいるんだから無理もないけど。

 でもね、市街戦が終わった直後、市内を視察したマッカーサーが余りの悲惨さに激怒して、徹底的な調査を命じたおかげで、その記録が大量に残っているのよ。だから、世界的に見れば、誰もが知っていることなんだけどね。

 まぁ、色々考えずに、とにかく勉強してみなさい。その結果、何も分からないかもしれないし、分かっても他人に喋らなければ良いわけだし」

 どことなく歯切れの悪い女将の言葉が返ってきた。

「他人に喋らなければ良い」とは、どういうことなのかと疑問に思いながらも、まだ何も勉強していないうちに訊くのも野暮だと真壁は思った。真壁は踏み込みが弱い男なのである。



          2


 二日後の日曜日、体の具合が悪いと藤原に嘘をついてゴルフの誘いを断り、予め「鳥羽屋」に寄って女将から借りてきた数冊の本を真壁は熱心に読み始めた。中には英語で書かれた本もあったが、歴史の本を読むのは久しぶりであり、脳が生き返ったような気になる。教師を辞めてからの五年間、貿易関係を除いては全くと言って良いほど本を読まなかったせいであろう。

 商社に入って以来、本を読まなかった理由は、忙しいからではなかった。知識は無駄だと思っていたのだ。なまじ知識があると、いっぱしの気分になる。その結果、教師時代に何があったのか。どんなに沢山の、どんなに立派な知識を持っていても、いざとなって主張も出来ず、怯えて逃げ出す羽目になったではないか。知識に何の意味があるのかと疑問を持つようになったのは当然なのである。

 しかし、よくよく考えてみれば、知識を持つことに意味のないはずはない。なぜ、過去において自分は逃げ出してしまったのか、なぜ今はマニラ市街戦の知識を得たいと思っているのか、真壁は真剣に考えた。

 考えあぐねた末に脳裏に閃いたのは、過去の知識は受け身で学んでいたことである。先生から、本から得た知識が全てであった。しかし、今度は違う。灌漑局の秘書や部長の話から、心の底から学ばねばならないと思っている。決して受け身ではないのだ。

 本を読みながら、丹念に真壁はノートを取った。仕事が忙しく疲れており、読むだけでは記憶に残らない。頭に残らなければ時間と労力の無駄になる。

 夕方になると、読んだことを整理するために年表を作り始めた。まずは市街戦が始まる前の状況である。


 ー1941年ー

12月8日 ルソン島リンガエンに日本軍上陸


ー1942年ー

1月2日 日本軍マニラ入城、軍政部設置

4月 バターン死の行進(死者数は収容所含め3万人)

5月2日 最高裁判所長官ホセ・アバド・サントス処刑

7月 「軍政部」を「比島軍政監部」へ改称再編

12月 フィリピンの全政党に対して解散命令


 ー1943年ー

11月 大東亜会議(於東京/国会議事堂)


 ―1944年―

9月

 21日 米軍によるマニラ初空襲

10月

  6日 満州より山下奉文大将マニラ着任

 12日から十六日にかけて 台湾沖航空戦

 19日 大本営海軍部発表

<台湾沖航空戦の戦果>撃沈=空母十一隻、戦艦二隻/撃破=空母八隻、戦艦二隻

 20日

 a.一億憤激米英撃攘国民大会(於日比谷公会堂)

b.米軍、レイテ本島に上陸(世界最悪の戦場)

 c.台湾沖航空戦の「大戦果」を受け、大本営はルソン島決戦をレイテ島決戦に方針変更

 21日 「大戦果」に対し天皇より海軍へ嘉賞の言葉

22日 「大戦果」の発表を受け、陸軍南方軍寺内元帥がレイテ島決戦に変更を命令 山下大将は反対

 24日~25日 レイテ沖海戦(連合艦隊壊滅)

 25日 関大尉以下五機の敷島隊は、五度目の出撃で突入

 27日 大本営海軍部発表

<レイテ沖海戦の戦果>撃沈=空母八隻、巡洋艦三隻、駆逐艦二隻/撃破=空母七隻、戦艦一隻、巡洋艦二隻/撃墜=五百機以上

11月

 17日 岩淵少将「三十一特別根拠地隊」司令官に着任

 18日 南方軍司令官寺内元帥がマニラからサイゴンへ移る

12月

 17日 マニラより陸軍は撤退作業開始

 18日 南方軍派遣の飯村中将との会議(南方軍はレイテ決戦を主張。山下将軍と対立)

 19日 山下大将の実質的レイテ作戦中止命令。第十四方面軍を「尚武」(ルソン島北方山岳地帯)、「建武」(ルソン島中部)、「振武」(マニラ東方山地)の三集団に分ける

 22日 南西艦隊司令長官大河内中将「マニラ海軍防衛部隊」の編成を下命し、「三十一特別根拠地隊」司令官の岩淵少将を指揮官に任命(「マ海防」兵士数二万三千六百六十四名)

 24日 大本営海軍部派遣の宮崎第一部長との会議にて、方面軍の意見が通る(レイテ決戦中止)

 26日 

 a.レイテ決戦中止を大本営同意

 b.山下大将が、マニラ近郊東北部イポへ移動

 27日 大本営より「レイテ決戦を全比島決戦へ拡大」と発表


 ―1945年―

1月

  5日 南西艦隊司令部はバギオ、振武/司令部はマニラ東方モンタルバンへ移る

  6日

 a.午前零時より、マニラ方面海軍部隊は陸軍振武集団の指揮下に入るよう大河内より岩淵に命令

 b.米軍艦隊、ルソン島中部リンガエン湾に出現

  7日 第四航空軍富永中将、マニラから北部山岳地へ移る

  9日 午前七時二〇分 米軍リンガエン上陸開始

 14日 モンタルバンの振武集団司令官横山中将を岩淵が訪問

 15日~26日 マニラ湾封鎖作業

 16日 富永中将、エチアゲから台湾へ逃亡

 20日 振武集団/横山中将 海軍司令部をマニラ郊外マッキンレーの「桜兵営」に移す

 25日 藤重兵団長(振武集団)によるルソン島南部バタンガス、ラグナ住民徹底粛正命令

 31日未明 ルソン島南部バタンガス州ナスグブ沖に米艦隊出現


 女将から借りた本によると、市街戦の始まる直前の状況は、このようなものである。気になるのは、「台湾沖航空戦」、「レイテ海戦」に対する大本営海軍部の発表だった。とりわけ、台湾沖航空戦の「大戦果」は天皇陛下に上奏され、国民を提灯行列に繰り出させる熱狂ぶりである。

 しかし、「大戦果」にもかかわらず、戦局が悪化しているのは隠しようがない。このままでは海軍の威信が失われる。どうしたらデタラメ発表であったことを誤魔化せるか、大本営海軍部は頭を悩ませたに違いない。

 考えられるのはただ一つ、国民の関心をそらすことだ。それには、こんなに海軍は懸命にやっていると思わせ、悲壮感を漂わせれば良い。その悲壮感を漂わせる最たるものが神風特攻隊であり、その犠牲的精神に国民は感動したであろう。

 しかし、真壁は疑問に思う。初の特攻隊である敷島隊を指揮した関大尉は、女将の本によれば、アメリカの機動部隊を求めて五度も出撃したのである。これで最後と思いながら空母を見つけられず帰還し出撃を繰り返したというのは、どれほどの苦悩であったろうか。



          3


 真壁の年表作りは、いよいよ市街戦突入部分になった。時間は午前零時近くになり、明日の仕事を気にしながらのまとめ作業である。

 

2月

 3日

  a. 午後七時 ケソン市サント・トマス大学に米軍突入(市街戦開始)

  b. 午後十一時 「振武」/横山の命令により陸軍野口部隊が岩淵指揮下に入る

4日 バタンガス州ナスグブに上陸した米軍が北上し、マニラ南部郊外に迫る

 5日 豊田連合艦隊司令長官より激励電

 「『マニラ』決戦ヲ目睫ノ間ニ控エ善戦敢闘以テ我ガ海軍ノ伝統ヲ遺憾ナク発センコトヲ切望ス」

 7日

  a. マッカーサーがマラカニアン宮殿に入る

  b. 米軍、マニラ市内中央パシグ川を超える

 7日から8日にかけて 市内フィリピン人処刑命令


  *バタンガス/ラグナ州各地で数万人の虐殺事件(タナワン地区で最初の討伐=虐殺発生)

 10日 サント・トーマス地区、カラワン地区

 13日 カランバ市、リパ市

 24日 サン・パブロ市

 28日 バウアン


 8日頃

  a. サンホアン地区の海軍西山大隊敗走

  b. 海軍第一大隊はパコ駅周辺で激戦

 9日

  a. 米軍パコ駅占領

  b. 岩淵少将が市内農商務省ビルからマニラ郊外マッキンレーへ脱出

 10日から21日にかけて ドイツ人クラブ、ベイビューホテル、スペイン人クラブ、イントラムロスなど、市内各地で虐殺事件発生

 11日

  a. 午前十一時四十五分、岩淵が農商務省ビルに戻る

  b. 午後二時十五分、岩淵が陣地死守命令を出す

  c. 夜、岩淵の命令により、第一陣親日ガナップ部隊約80名、第二陣兵20名/ガナップ60名がマニラ脱出(最後の組織的脱出)

  d. 連合艦隊司令長官より電報

「今後益々靱強果敢ナル反撃ヲ強行シ皇軍ノ真髄ヲ弥ガ上ニモ発揮センコトヲ望ム」

 12日

  a. グリスウォルド少将、総攻撃開始を命令

  b. マッキンレーとマニラ市内の連絡がほぼ遮断される

 14日 山下大将が振武/横山中将に海軍部隊の撤退を命令

 15日 横山が岩淵にマッキンレーへの撤退を命令

 17日

  a. 横山が全マニラ部隊の撤収を命じる

  b. マッキンレー守備隊撤収(マニラ完全包囲される)

  c. 総合病院制圧、七千人市民を米軍が救出

 18日

  a. 横山の脱出命令を受け、「今夜十一時を期して陸海軍全員最後の切り込みを決行す」と岩淵は命じたが、砲撃凄まじく、夜十時、組織的脱出計画に中止命令

  b. 絶望した兵が個別に脱出を始める

  c. 連合艦隊司令長官より電報

「愈々士気ヲ振作シ不退転ノ意気ヲ以テ 長期持久飽クマデ任務達成ニ邁進センコトヲ望ム」

 20日 

 a. 新警察署ビル陥落

 b. 午後六時三十五分 「海軍全般」宛、岩淵は別れの打電

 21日から22日にかけて 米軍「マニラホテル」占領

 22日 イントラムロス攻撃開始

 24日 午後三時五十五分 岩淵は司令部の通信機破壊を命令

 26日

 a. 午前四時少し前、財務省ビルから脱出を試みた野口大佐がルネタ公園で死亡

 b. 午前九時より午後二時半まで農商務省ビルにて激戦

 c.  夜九時過ぎ 岩淵少将自決

 27日 午後六時 国会議事堂陥落

 28日 午前十時半 マラカニアン宮殿でオスメニア

     大統領就任式

3月

 1日 行政府ビル、農商務省ビル破壊

 1日から2日にかけて 日本兵22名投降

 2日 財務省ビル破壊 ベイトラー少将が岩淵の死体を確認(岩淵50歳の誕生日)

 3日 午前十時四十五分、グリスウォルド少将が正式に市街戦終了宣言


 マニラ市街戦の時系列をまとめているうちに、包囲され追い詰められた日本兵のことが頭に浮かび、真壁は胸が痛くなった。近代的な武器で迫り来る米軍に対して、日露戦争時の歩兵銃でビルに立て籠もり抵抗する兵隊たち、とりわけ、新兵の訓練は受けたものの戦闘経験のない在留邦人たちの恐怖、意味のない死を迎える憤怒と絶望感は、どれほどのものだっただろうか。



          4


 岩淵司令官のことも考えた。市内での戦闘が始まって間もない二月八日、マニラ北東に配備された西山海軍大隊が早々と敗走したことで、偵察に出た海軍士官が陸軍から「海軍はもう負けたか」と嘲られ、その報告を岩淵少将は受けていたと言われている。当時、陸軍と海軍の関係は最悪で、海軍の軍人であった岩淵は歯ぎしりする思いであったろう。

 一方、豊田連合艦隊司令長官からは、マニラ死守を強要する激励電報がしつこく送られてくる。陸軍から馬鹿にされ、海軍上層部からは圧力をかけられ、岩淵少将は簡単に撤退するわけにはいかなかったはずだ。二万の兵を犬死にさせることにどれほど苦しんだか、心中察するに気の毒すぎる。とんだ激励もあったものだと思う。しかも、威勢の良い言葉で部下に死を強要しておきながら、豊田司令長官は戦後も生き延びているのだから、真壁には怒りすらこみ上げてくる。

 それにしても、と真壁は考える。なぜ市街戦が決行されたのかだ。岩淵少々の立場になって真壁は考えてみた。いくつもの疑問が浮かんでくる。

 1.市街戦と言えば、ワルシャワやレニングラードの攻防戦を思い出すが、コンクリートや石造りの建物はマニラには少なく、大半は木造である。火事が起これば多くの市民が犠牲になるのは誰にも分かる道理だ。

 2.マニラ湾に面した海抜ゼロメートルのマニラでは、海水が湧き出るため短期間での地下陣地構築は不可能である。

 3.武器、弾薬、兵員などの戦力が少なく、百万の市民に対して治安を守る兵力も足りない。

 4.二万の兵を養う食料がない。

 5.となれば、市外で防戦することを考えるべきだが、これも兵力が足りず不可能である。

 6.市街戦を行い、市民を巻き込むのは国際法上の問題がある。

 7.米軍の戦力は巨大であり、市街戦になれば味方の犠牲者が多く出るどころか、海を背にしたマニラでは包囲され全滅する。

 これだけの理由があれば、素人が考えても、マニラを無防備都市と宣言し、早々に撤退するのが常識ある方法だったと言うべきだろう。

 いったい誰の責任なのかと真壁は考える。マニラで市街戦をする軍事的必要性など全くなく、山下将軍は早くからマニラ撤退を進言していた。となれば、山下将軍をしのぐ立場の人物が誰かということになる。山下将軍の進言を却下できる人物だ。彼こそが何らかの理由で、あえて市街戦を命じたとしか考えられない。

 その答えに繋がるのは、誰が、どんな恩恵を受けたかだと真壁は推測する。推理小説によくあるように、ある事件が起こると、その恩恵を受けた人物が犯人と考える方法だ。事実を整理しながら、真壁は考え続けた。



   第四章


          1


十月に入り、「東比貿易」マニラ支店長の藤原は忙しそうだった。「国家電力局」のフィリピン中部ビサヤ地方海底電線入札が、来年に迫っていたからである。入札を専門とする「東比」駐在員の仕事は入札関係者への根回しであり、まずは入札の最終承認機関となる電力局理事会のメンバーと顔見知りになっていなければならない。

「国家電力局」理事会の議長は「フィリピン国立銀行」の総裁であった。メーカーのデモ・テープを見せることから工作が始まっており、マニラ市内のエスコルタ通りに面した銀行本社の総裁室に、真壁も大型画面のテレビやビデオ装置を運び込む手伝いをしている。

 今回の藤原の出張も表向きはメーカーによる現地調査の付き添いであるが、実際はフィリピン中部ビサヤ地方各地の州知事を訪問し、顔を覚えてもらうことにあった。入札の審査が始まれば、ビサヤ諸島を繋いだケーブルの通過する地元の発言権は強く、そこに登場してくるのがサマール、レイテ、セブ、ネグロス、パナイなどの州知事なのだ。

 いくらホスピタリティ旺盛なフィリピン人とはいえ、初対面の相手を信用するほどお人好しではない。そのため、出張のひと月ほど前から、藤原は頻繁に支店の出入りを繰り返していた。ビサヤ地方選出の国会議員を訪問したり、各州知事の友人を探し回って紹介状をもらっていたのである。

 早く藤原が出張してくれないかと、真壁は一日千秋の思いでいた。お小言ばかりの毎日、そのうえ会社の宿舎で一緒に住んでいるため、平日であろうが休日であろうが、朝も晩も藤原の顔を拝んでいなくてはならない。特に日曜日などは、休日であるにもかかわらず、好きでもないゴルフに付き合わされる。気心の知れた友人ならば良いが、口うるさく嫌みな上司との共同生活ともなると、ノイローゼになりそうなのだ。

 藤原の出張を待ち望みながらも、真壁には気になることがある。リサとのデイトだ。

 藤原がいる時は、藤原の目を考え、電話一つかけるのも躊躇していた。しかし、藤原が出張したところで、果たして思いを遂げられるのか自信がない。ライバル会社ということもあるのだが、それにしたところで自分の弱さを痛感せざるを得ない。

 要するに、好きになった女性にすら、告白どころか電話一つかけられないのが自分なのだ。臆病にもほどがあると、つくづく自分が厭になってくる。



          2


 十月半ばに入りかけたその日も、朝から激しい雨が降り続いていた。またしても、台風が発生しているのだ。

 午後六時過ぎ、役所回りをして真壁が支店に戻ると、秘書のテシーが一人残っていた。現地社員は他に誰もおらず、藤原は役人を接待するため外出しており、支店には戻らないはずである。

「あちこち洪水になっているよ。凄い交通渋滞だ」

 全身ずぶ濡れ、汗まみれになった顔と首筋をタオルで拭いながら、支店へ戻る途中の街の様子を思い浮かべて真壁はテシーに言った。大雨が降ると耐えがたいのは、傘を持っていても車の乗り降りの際に雨が大量に降りかかり、降り立った地面も冠水のため靴下までずぶ濡れになることである。何カ所もの役所を回るとなれば、同じことが何度も繰り返され、雨の中を靴なしで歩ってきたようになるのだ。

 テシーの顔を見た途端、何か言いたそうなことに気がついた。数日前、やはり同じような豪雨の時、テシーも含めた現地社員を送って帰宅したことがある。彼らはジープニーで通勤しているため、雨の日に家まで送ってやると喜ぶのだが、その時、テシーの家の付近は洪水になっていた。間違いなく、今夜も洪水になっているのだろう。

「大変だろうから、送っていくよ」

 察し良く、真壁はテシーに申し出た。目を丸くしてテシーが嬉しそうに微笑む。

 テシーはスペイン系のメスティーサ(混血女性)だった。フィリピン男が憧れる美人である。鼻筋が通り、白人の血が流れているのがひとめで分かる。スタイルも良い。真壁にとって残念なのは、既に婚約者がいることだった。クリスマスには、出稼ぎ先の中近東からマニラへ帰って来ると聞いている。

 テシーを後部座席に乗せ出発した。洪水と渋滞を避け、一時間ほどをかけてエドサ大通りからマカティ地区を右手に南方高速道路へ入る。更に二十分ほどマニラ市に向かって車を走らせ、右折してフィリピン国有鉄道の踏切を渡ると、テシーの住むサン・アンドレス地区であった。

 テシーの家に近づくと、予想通り、辺り一面に水が出ており、深さは三十センチほどになっている。エンストを案じながらしばらく進むと、水かさが増し、車がノッキングし始めた。マフラーから水が入り込んでいるのだ。こんな時、真壁の車はマニュアル車なので、エンジンがストップしてもセカンドギアに入れたまま車を押してもらい、クラッチを繋げば動かせるのだが、住宅地のせいもあり、車を押してくれるような人影は全く見られない。

 ゆっくり車を進めているうちにも、どんどん水かさが増してくる。この地点は低地になっているのだ。このままではエンジンに水が入ってオーバーホールしなければならなくなり、支店長に怒鳴り飛ばされる。やむを得ず路肩に車を寄せ、エンジンのスイッチを切った。

「悪いけど、これ以上は無理だ。ここで降りてくれないか。家まで俺も一緒に行くよ」

 後部座席に向かって真壁は声をかけた。車のヘッドライトを消すと、外は真っ暗闇である。付近一帯が停電になっているようだった。

 秘書の家まで僅か百メートルほどだったが、ここは物騒な国である。ここまで送ってテシーの身に何かあれば、自分が悔やむだけなら良いが、婚約者や家族に、一生、恨まれることになるだろう。下手をすれば殺されかねない。車から降り、膝上までの水に浸かって真壁も歩いた。

 マンゴーの皮やビニール袋と思われるゴミが、太ももに絡みついては流れていく。穴の開いた道路に落ちないよう注意しているため、足下の見えない闇の中では、何が流れているのかまで神経が回らない。洪水と言えば聞こえは良いが、実際は糞尿の混ざった汚水の中を歩いているのだろうと真壁は思った。



          3


 テシーの家に着き、家族に挨拶をすると、しばらく休んでいけと言う。真壁は甘えることにした。車に戻っても水が引くまで動かすことは出来ず、車内にいれば強盗に襲われることもあるからだ。

 停電のため蝋燭のともされた薄暗い家の中に入ると、居間らしい一階をぬけて真壁は二階に通された。

 二階にはソファーがあり、その上に既にタオルが敷いてある。洪水が日課のようになっているのか、手回し良く家族が準備していたようだ。

 真壁をソファーに座らせると、すぐにテシーは階下に行き、水の入ったバケツとタオルそれに石鹸を持ってきて、「よく洗いなさい」と言う。洪水の中を歩いた場合、浸かった足が痒くなるので、石鹸で洗わねばならないのだ。

 バケツの中で洗った足をタオルで拭き、びしょ濡れになった靴下を絞りながら、置き去りにした車がどうなっているのか、今夜は無事に帰れるのかと真壁が考えていると、階下から人の声が聞こえてきた。テシーを訪ねて客が来たようである。

 しばらく階下で雑談していたかと思うと、二階へ上がってくる気配がした。時刻は八時を過ぎている。こんなに夜遅く、しかも洪水になっている所へ、誰がやってきたのかと真壁は関心を持った。

 真壁が階段の方向へ目を向けていると、テシーを先頭にやってきたのはリサだった。「あれっ」と思わず真壁が声を出すと、リサも意外だったのか、恥ずかしそうな笑顔を見せる。

 頭から雨が滴るリサを思ってか、紹介もせずに急ぎ足でテシーは階段を下りていった。洪水用のワンセットを取りに行ったのだ。

 隣り合わせにリサがソファーに座ると、二人がどんな関係なのか真壁はリサに訊ねた。

「コーリー(故アキノ上院議員夫人の愛称)を支持する集会で知り合ったの。二ヶ月前かしら。お互い日本企業に勤めていることが分かって、意気投合したのよ」

「ということは、ひと月前に君と僕が初めて出会った時、もう君たちは知り合いだったのか」

「そういうことね」

 意味ありげに彼女が口元を崩した。恐らく、二人の間では自分のことも話題になっているはずだ。自分のことをテシーから聞いていると思うと、真壁は何やら気恥ずかしくなってくる。

 やがて、テシーがバケツやタオルを持ってくると、リサは頭をすっぽりとタオルで包み込み、それからジーンズの足元をまくり上げて足を洗い始めた。

 洪水に見舞われ、ずぶ濡れになった被害者同士という気持ちがあるのか、急に二人の距離が近くなったように真壁は感じる。

「ところで話しておきたいことがあるの」

 足をタオルで拭き終えたリサが、真壁を見つめて言った。

「アメリカへ行くことにしたの。だから貴方と会えなくなるわね。アイ・ミス・ユー(I miss you)」

 リサの表情と「I miss you」という言葉に、真壁の心臓は止まりそうになった。これは「恋しい」という意味なのだろうか。それとも、元々、英語に「恋しい」などという意味はなく、単に「寂しい」というだけなのだろうか。英語力の乏しいことが、これほどもどかしいと思ったことはない。

 真壁はリサを見つめ返した。まずは、アメリカへ行くというのが、冗談か本気なのかを確かめねばならない。本当だとすれば、それこそ真壁にとっては一大事である。

「本当にアメリカへ行くの」

 真壁が確かめると、彼女は静かに頷いた。



          4


 気落ちのあまり、どう反応したら良いのか真壁には分からない。冗談を返して平静を装うべきか、それとも自分の恋心を打ち明け、アメリカへは行かないでくれと必死に頼むべきか、真壁は迷い続けた。テーブルに置かれた蝋燭の炎が、頼りなくゆらゆらと動いている。

 その場を和ます冗談も言えず、考え直すよう頼み込むこともできず、「恋しい」のか「寂しい」のかも訊けず、ただ沈黙の時間が過ぎていく。何を躊躇っているのか、何か言えと真壁は己をせき立てた。

 深い仲でもないのに、胸に穴があいたような、真壁は不思議な気持ちになっている。沼林景子の時のように、怒りに満ちた気分で別れる方が、よほど楽だと思えた。

「ところで、英語が弱いので教えて欲しいんだけど、君の言った『I miss you』とは、どういう意味なの」

 勇気をふりしぼって、ようやく真壁は口を開いた。

「だって、アメリカへ行ったら好きな人と会えなくなるんですもの、寂しいに決まってるでしょ」

 不意にリサが真壁の頬にキスをし、すぐに離れた。リサを慕う真壁の気持ちが通じたのか、それとも真壁に感謝する、礼儀のような挨拶なのかは分からない。それでも、真壁は宙に浮くような気分だった。

「なぜアメリカへ行くの。アメリカへ行ってどうするつもりなんだい」

 気持ちが軽くなり、真壁は話し続けた。

「あなたもアメリカへ行かない。仕事なら心配しなくても大丈夫よ。政府関係のあてならあるわ」

 真壁の質問には答えず、一緒に行こうとリサが誘いかけてきた。アメリカで暮らすことなど考えたこともない真壁には、返事のしようがない。仕事があるならアメリカ生活も満更ではない気がするものの、それにしても、政府関係の仕事ならあるとよくも簡単に言うものである。

「それで、いつ出発するの」

「まだ決めていないわ。仕事に区切りをつけてからかな」

 具体的な日取りが決まっていないことをリサから聞いて、真壁は安心した。しかし、アメリカへ行く日取りも問題だが、なぜ行くのかが気になる。多くのフィリピン人のようにグリーンカード(市民権)を持つ親戚がいるのだろうが、母国を捨てがたい日本人との感覚の違いを思い知らされ、急にリサが別世界の人間のように思えてきた。

「なぜそんなに、私がアメリカへ行くのが気になるの。もしかすると、私に惚れているのかな」

 リサが大胆な言葉を返してきた。

「いや、違う、違うんだ。だってそうだろ、友人がいなくなるのは寂しいじゃないか」

 言ってしまってから、真壁は後悔した。なぜ素直に自分の気持ちをぶつけられないのか、ほとほと自分が情けなくなる。リサは、「そうでしょうね」とでも言うように頷いた。

 真壁の内心は揺れている。一緒にアメリカへ行かないかと誘うからには、彼女にもそれなりの思いがあるはずだ。ただの友人に言えるセリフではない。おまけに頬へのキスである。思い出せば、頬のキスされた部分がひくひくと痙攣してきそうであった。



          5


「ところで、知りたいことがあるの。貴方は教師をしていたと聞いているけど、なぜ『東比』に就職したの」

 申し訳なさそうな口ぶりではあるが、厳しい表情を浮かべてリサが真壁を見つめ返した。

 思いがけない質問である。真壁には彼女の意図が分からない。教師をしていたことは秘書のテシーに話したことがあるので、テシーから聞いたのは間違いないとしても、なぜ自分が転職した理由を知りたいのだろうか。

 瞬時に真壁は推測した。リサは男としての真壁に興味があるのだろう。欧米流の考えであれば、転職には二通りの評価があるという。一つはスキルアップ、もう一つは節操のなさである。前者は向上心の表れであるから評価されるが、後者はジョブホッパーと言われ、軽蔑の対象となる。

 リサが真壁のことをもっと深く知りたがっているとなれば、それは恋人にしても良いものかどうか迷っているからに違いないと、都合良く真壁は考えた。満更ではないものの、自分の転職はジョブホッパーに該当する。迂闊な返事をすれば、評価が下がるどころか見捨てられてしまう。

「ある人に頼まれたのさ」

 ヘッドハンティングがあったかのように、いかにも能力ある男のような回答をした。山岸に迫られて逃げ出したとか、沼林恵子との失恋が原因だとは、リサを前にして口が裂けても言えるものではない。

「ふうん、そうなの」

 いかにも怪訝そうな顔を見せ、リサが微笑した。真壁は気が気ではない。彼女の微笑は、納得したからなのか、それとも見え見えの嘘を見抜いているからなのか。

「七年余り教師をやっていたけど、『東比』の社長から頼まれると断り切れなくてね。ちょうど三十歳になる頃だったこともあったし……」

 真壁は嘘の上塗りをした。頼まれたとはよく言ったものだ。実際は新聞の求人欄を見て応募しただけなのだから、思わず顔が赤くなってくる。

「教職を辞めても良いほどの仕事が『東比』にあったのかしら。なにしろ、社長から頼まれたんですものね」

 真壁の嘘を信じているかのように、頼もしげな眼差しをリサが見せた。

「それで、どんな仕事を任されたの」

「『東比』は入札専門商社だけど、入社した頃は、民間の機械輸出を担当していたよ」

 並の社員とは違うことを示すために、またもや真壁は嘘の上塗りをした。

「へえっ、特別扱いされていたんだ。それで、どんな機械を輸出していたの」

 意外なほどリサが興味を示してきた。

「工作機械の輸出とか、ほかにも色々あったなぁ」

 自分を大きく見せようと、少しばかり誇らしげに真壁は答えた。実際は先輩社員から怒鳴られ、右往左往して涙ながらに仕事を覚えようと必死になっていたのだが、最初に担当した仕事らしい仕事と言えば、シンガポール向けの工作機械であったのは事実である。

 嘘を重ねた自責の念から、目のやり場に困った真壁が宙を睨み口をつぐむと、しばらくの間、ひんやりとした空気が漂った。



          6


 やがて、渡米する具体的な日時も理由も分からぬまま三十分ほどが過ぎると、屋根に叩きつける雨の音が消えていた。豪雨は峠を越したようである。

「送っていくよ」

 まだ濡れている靴下を履くと、ソファーから立ち上がって真壁は申し出た。

「今夜はここに泊まることになってるの。ありがとう。気をつけて帰ってね」

 リサが素っ気なく言う。いかにもドライな感じがした。彼女についた嘘が見破られたのかと、少しでも早く逃げ出したい気分になってくる。

 それでも、立ち去る瞬間、真壁は躊躇した。リサの姿を見るのは、これが最後になるかもしれない。本当にこのまま立ち去って良いのか、まだ引き返すことは出来るのではないか、真壁は後ろ髪を引かれる気分になっていた。しかも、転職理由の嘘をついた自分が恥ずかしく、なんとか失点を取り返したい気分にもなっている。

 その時、真壁が思い出したのは、無断外泊をすると藤原支店長がうるさいことだった。治安の悪いフィリピンであり、部下に何かあれば責任を問われるので、厳しく怒るのも仕方ないことなのだが、かつて従業員を送っていった時、真壁は十時間も車に閉じ込められたことがある。南方高速道路での出来事で、道の途中が洪水のため交通止めになっていたのだ。高速道路の周囲は延々とフェンスで囲まれており、引き返すことは勿論、横道に出ることも出来ないのである。

 へとへとになって朝六時頃に宿舎へ戻ると、藤原からぼろくそに怒られた。送っていったことに対してではなく、帰りが遅くなるくらいなら送るなと言うのだ。

 遅くなるかどうか分かっているなら苦労はしない、それで文句を言うのなら、初めから送るなと言えば良いのにと、心の内で真壁は反発したものである。

 今すぐ宿舎に戻れば、藤原に怒鳴られずにすむ。リサのアメリカ行きに気落ちしてしまい、怒鳴られようが殴られようが構わない気分なのだが、立ち去る理由を探す真壁には、藤原への臆病風は救いになっていた。

 秘書の家族に車を表通りまで押してもらい、何とかエンジンをかけての帰りの道すがらになっても、リサのことが脳裏から離れない。しかし、それは思慕の念ではなく疑問であった。

 洪水に見舞われている秘書の家へ、なぜリサは訪ねて来たのだろうか。友人のよしみで秘書のテシーに会いたかったのなら日を延ばせば良いことで、わざわざ洪水の夜に来ることはあるまい。

 いつぞやの葬儀屋で再会したのも、こんな暴風雨の夜だったことを思い出す。灌漑局の入札で初めて出会ったことも含め、本当に全てが偶然なのだろうか。

 転職の理由を訊かれたことも、一時は自分に気があるのだと考えたが、いつまでも自惚れてばかりはいられない。もし真壁の期待するような意味ではないとしたら、どんな意図がリサにあるのだろうか。

 思い出すのは、葬儀場で再会した夜、リサは影山の指示でやってきたと言っていたことだ。となれば、リサは影山の手先であり、この夜も影山に命令されていたと考えられる。

 いくら考えても答えは出てこない。出てこないというより、出したくなかった。そのうち、「もしかしたら」と、またしても淡い期待が再燃してくる。悪い癖だと、心の内で真壁は苦笑した。



    第五章


          1


 真壁が赴任してからひと月半が過ぎた十月十八日、金曜日の午前三時頃、周囲はまだ暗闇である。

「見送りはここまでで良いぞ。あとを頼む。気をつけてな」

 ゆっくりと振り返りながら、支店長の藤原が真壁進次郎に声をかけ、マニラ国内空港の入り口に消えていく。東京から出張してきた二人の電線メーカー社員を連れ、藤原支店長がセブに向かうのは、百二十億円を超える予算のついた海底ケーブル入札が、来年半ばに予定されているからだった。

 国内空港は国際空港と隣り合わせになっているが、二年ほど前に完成した国際空港に比べると、やけに小便臭く感じられる。かつては国際空港としても使われ、到着した乗客はタラップで飛行機を降り、滑走路の上を入国管理局まで歩いていたらしい。「滑走路に沿って椰子の木が点々と続いて、その黒いシルエットが俺の旅情を掻き立てたものだ」と、今しがた車の中で藤原から聞かされたばかりだ。数年前まで、成田からの到着便は夜だったのである。

(「気をつけてな」とは、よく言うよなぁ)

 意外なほど優しかった藤原の言葉を思い出しながら、真壁進次郎は心の中で呟いた。普段の藤原の言動からして、「俺がいないからといって、調子に乗るんじゃないぞ」くらいは言われると覚悟していたのである。

 午前三時四十分発のセブ行きPR-861便に搭乗させるために、時間的余裕を持たせて支店長たちを乗せて車を運転してきたのだが、まだ夜明けには時間がある。

(これからどうしようか。出勤するには早すぎるし、宿舎へ戻ってひと寝入りするには遅すぎるし……)

 車に向かって歩きながら、真壁は迷った。

「お見送りですか」

 ふいに真壁の背後で男の声が聞こえた。振り向くと、深緑色のパパラッチを着た、見覚えのない日本人が立っている。年齢は五十前後、身長は180センチを超えていた。胸のポケットには数本のボールペン、肩にはカメラをぶら下げている。いかにもジャーナリストといった恰好だが、ジャーナリストだとすれば、近々予定されている大統領選挙の取材であろう。

「あんたは『東比貿易』の駐在員だろ。ちょっと教えてくれないか。円借款に絡むマルコス大統領への賄賂なんだが、誰に、どうやって送金しているんだ」

 突拍子のない質問に真壁は狼狽えた。こんな場所で、こんな時間に、社内ですら極秘事項の話を持ち出すとは、人を驚かすのもいい加減にしろと言いたい気分である。そもそも、なぜ真壁が「東比貿易」の社員と知っているのか疑問が湧く。



          2


「突然に失礼した。俺はフリーの記者で、こういう者だ」

 訝しげな表情を見せた真壁に男が名刺を差し出した。名刺には「長井満春」とある。

「確かに私は『東比』の者ですが、ただの平社員、それも赴任して二ヶ月にもならない新米駐在員ですよ。難しいことは一切、知りません」

 記者から質問されるのは初めての経験である。やたらなことを喋ると、あることないことが書かれるに違いなく、その場を取り繕って真壁は立ち去ろうとした。

「平社員でも、何か知っているだろ。例えば、あんたの会社の社長が、民自党の誰それと懇意にしているとか」

答えるのがお前の義務だとでもいうように真壁の進路を塞ぎ、男は平然として真壁の顔を凝視している。

「何も知りませんね」

取り付く島を与えまいと、ぶっきらぼうに真壁は返事をした。

長井の質問主旨は分かる。多額かつ使途不明の海外送金は隠し資産と見なされ、膨大な税金を納めねばならない。しかも、その追徴金を前提に賄賂を上乗せすれば契約金額が跳ね上がり、円借款の日本側窓口である「海外経済協力基金」の疑いを招く。

にもかかわらず、国税当局からの追徴もなしに多額の海外送金ができ、すんなりと契約が承認されるのは、何らかの政治的お目こぼしがあるからだ。税務署や「海外経済協力基金」に顔の利く政治家が絡んでいると疑われても、当然なのである。

質問の意図は分かるが、「東比貿易」の社員として、社内の極秘事項を軽々しく真壁がしゃべるわけにはいかない。

「借款はフィリピン国民の財産だぜ。それが大統領の私腹を肥やすために使われているとなれば、あんたは大泥棒の片棒を担いでいることになるんだぞ」

 長井が体を真壁に寄せ、圧力をかけてくる。僅か一言でも、何かを言わせたいのだ。

「大泥棒の仲間のように私のことを言いますが、それなら戦前のマスコミは何だったんですか。軍部の片棒を担いだのはマスコミでしょう。国民を煽り、戦争に駆り立てたんだ。それでも平気な顔をして、商業主義丸出しで今も新聞や雑誌を出しているのは、どういう了見なんですか。売り上げ第一のあなた方が、正義面する資格などないと思いますがね」

 ちょうど良い機会だとばかりに、皮肉たっぷりに真壁は応戦した。今以て記憶に残る、歴史に学んだ学生時代の怒りである。

「あんたも言うじゃないか。しかし、新聞だって商売だ。商業主義のどこが悪いんだね」

 長井が反論してきたが、ひと回りほど年下の真壁を相手にしているせいか、無気になっている様子はない。マスコミ関係でもない素人が、何を偉そうなことを言っているのかと、見くびっている風でもある。

「ジャーナリストのあなたを前にして言うのも恐縮ですが、明治以降、日本が戦争を繰り返してきたのはご存知でしよう。その都度、新聞は国民を正論に導くのではなく、売れる世論に従ってきた、つまり、戦争を煽れば売れることを学び、その結果が太平洋戦争にも繋がったわけです。

 そして今も、商業主義に則って販売競争を繰り広げている。『朝夕』や『立読』などの大新聞は、一千万部を目指して競っているではないですか。今はまだ戦争反対の空気が残っているので進歩的な風を装っている『朝夕』も、風向きが変われば売れる方へとなびくことになりますよね。これは恐ろしいことです。何も歴史から学んでいないのですから」

 マスコミへの疑念を、真壁はまくし立てた。

「あんたの言うことは分かる。それだからこそ、その反省の上で俺はジャーナリズムの道を選んだのだがね」

 真壁の疑問は長井も持っていたらしく、同調するように急に長井は大人しくなった。

「ところで、なぜ私が『東比』の駐在員だと分かったのですか」

 長井が静かになったところで、今度は真壁が質問した。

「偶然だよ。『ホンエイ商事』の坂上支店長とマビニで飲んで、セブへ行く彼に空港までついてきたら、前を歩いているあんたらに坂上支店長が気付き、『東比貿易の社員がいる』と教えてくれたのさ」

 声をかけられた疑問は解けたが、長井の口から「ホンエイ商事」と聞いて、真壁の頭に「漁港」案件の疑問が蘇った。「漁港」案件には真壁の首がかかっている。通常では参加しない円借款の「漁港」案件に、なぜ今回は大手商社の「ホンエイ」が乗り込んできたのか、「東比」本社の栗山部長から背景を調べろと厳命されているのだ。ところが、「ホンエイ」の現地社員にまで接触して情報を得ようとしたのだが、これまで何の成果もない。

 一ヶ月半もの間、部長の指示に応えていないことで、真壁は焦っていた。「ホンエイ」の支店長と飲み友達なら、「漁港」案件について何か分かるかもしれない、ここは思い切って、ギブ・アンド・テイクの取引をしてやろうと真壁は目論んだ。

「その辺で、飲みながら話しましょうか」

 これまでの態度を一転して、人懐こい笑顔を浮かべながら、真壁は長井を誘った。いやしくも商社の駐在員である。相手が記者ということで毛嫌いしても何も始まらない。

 提案に同意した長井を車に乗せ、空港近くの「フィリピナス・ホテル」へ真壁は車を向けた。「フィリピナス・ホテル」は数年前まで五つ星のホテルだったが、カジノが撤退したせいか、四つ星に格下げになっている。



          3


 ホテルの入り口近くに深夜営業のレストランを見つけ、二人は入った。

「ひとつ取引をしませんか。なぜ『ホンエイ商事』が漁港近代化のプロジェクトに介入しているのか教えて頂ければ、大統領への政治献金についても、それなりの話をしますよ」

席について双方がビールを注文し終えると、道すがら考えていたように真壁は非常手段に出た。とにもかくにも、駄目で元々である。

真壁の出した条件に、笑顔になりながら長井が頷いた。長井にすれば、してやったりの心境なのであろう。

「どこまで役立つか分からないが、俺の知っていることを話してやるよ。『ホンエイ』マニラ支店の特別顧問に『カゲヤマ』という人物がいる。元陸軍の特務機関員だ。『漁港』案件は、その『カゲヤマ』が全てハンドルしている。

 奴の目的は、『漁港』の契約を結んで大統領と直接話をすることらしいが、それが何かは分からない。『ホンエイ』の坂上支店長もこぼしていたが、支店長を差し置いて極秘で動いているというのだから、よほど大事なことだと想像は出来るがね」

 ここまで言って、長井は深呼吸をした。知っているのはこれだけ、今度はお前の話す番だと言いたい様子である。

 確かに新しい情報で貴重ではあったが、「カゲヤマ」が大統領に近づく理由が分からないのでは、情報としては不充分である。真壁が思案げな表情を浮かべていると、

「訊きたいのは、公の入札なのに、なぜ三社しか円借款の入札には参加出来ないのかだ。大統領への賄賂が理由なら、参加したい商社は日本側の『海外経済協力基金』に不正を訴えれば、簡単に解決できる話だと思うんだが」

 おかしな話だとばかりに、長井が首をかしげた。

「わざわざ訴え出ない理由の一つは、一件あたりの契約金額が小さいからでしょう。一億、二億は我々のような零細商社には大きい金額ですが、大手の商社ではクズと呼んでますからね。しかも、トラック、発電機、掘削機、ポンプといった具合に入札品目が多く、メーカーとの対応や委任状のサイン認証などの書類作りが面倒なので、大手商社にとっては魅力がないのだと思いますよ。

 参加しない理由は他にもあります。入札前の資格審査で、落とされる可能性があるからです。具体的には、資格審査の書類の中に政府への納入実績があり、賠償を手掛けてきた三社は難なく選考を通りますが、大手商社は実績不足として落とされる場合もあり得るわけで、そうなればメンツは丸つぶれですからね」

「本当にそれだけが理由なのかね」

 納得できない表情を長井が浮かべる。真壁は説明を継ぎ足した。

「まだあります。日本側メーカーの商習慣は、入札情報が早く来た商社と組むことになっているんです。ここに来て気がつきましたが、我々は入札専門商社なので、役所回りは日課になっています。ところが、大手商社の場合は、日本人駐在員はおろか、現地社員にもあまり役所では出会いません。当然にも大手商社が入札情報を摑んだ頃には、競争力のあるメーカーは既に我々が抑えていることになるわけです。

 日本のメーカーは信義を大事にしますから、円借に限らず、たとえ大手商社から入札の声がかかっても、情報が遅ければ応じません。しかも、これは自慢話になりますが、我々『御三家』は、二番札、三番札は当たり前、時には七番札、八番札をひっくり返した実績もありますから、メーカーとしては頭が上がらないのです。なにしろ、メーカーには生産スケジュールに穴が空くという場合があり、赤字を出しても契約を取らねばならないことがあるんですよ。そんな時に、裏の手を使える我々が役に立つというわけです」

 会社を裏切ることがないように、調べればわかる程度の情報を選んで真壁は答えた。



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 「大手商社は、参加出来ないのではなく、参加したくないという訳か。まぁ、それはそれとして、大統領への賄賂はどれくらいなんだ。かなりの額になるはずだよな。それなのに、なぜ日本の税務署や『海外経済協力基金』は黙認しているのかね」

畳みかけるように、長井が質問を投げかけてくる。

「円借款を通して大統領への政治献金があるのはご想像通りで、本船渡し契約額の十五パーセントです。送金が追徴なしに可能になる日本の事情については、私は知りません。噂話では、大蔵省に強い民自党の派閥に顧問の『先生』がおり、その『先生』の依頼によって民自党の代議士が税務署長に口利きをしているようですね。ご存知のように、税務署は東大出身のエリートが三十代の若さで署長になっていますから、野心家の彼らに将来の希望を約束することで、問題は解決すると聞いています」

 円借款にまつわる賄賂金額については、アジア開発銀行や世界復興銀行の入札結果と比較すれば簡単に分かることである。噂話については、真壁が本社にいた頃、先輩社員たちが話しているのを小耳に挟んだ程度のものであった。

「つまり、日本側は官民一体となって賄賂を払っているという訳か。それで、フィリピン側はどうなっているんだ。まさか大統領の口座に直接送金はしていないだろうから、フィクサーがいるはずだよな。フィリピンの裏世界にいる人物というのは、一体どんな奴なんだ」

 長井の質問が、核心に迫ってきた。目つきが鋭くなっている。

「残念ながら、フィクサーが何者なのか、私ごときの平社員には分かりません」

 実際に真壁は知らなかった。会社の極秘事項なのだ。この質問には、仮に真壁が知っていても白を切るしかなかったであろう。

しばらくの間、真壁の答えに不満そうな表情を浮かべてから、賄賂問題の詮索を諦めたのか長井が話題を変えた。

「ところで、あんたはマニラ市街戦の話を知っているかね」

 真壁進次郎の目を覗き込みながら、テーブルの上のコップをつかみ取ると、長井が喉を鳴らしてビールをひと飲みした。



          5


「今回、俺は大統領選挙の取材でマニラへ来たんだが、実はもう一つ目的があるんだ。というのは、俺の親父は元海軍で、お袋からはレイテの海戦で死んだと聞かされていたのさ。戦後二年が過ぎた頃、役所から戦死の通知が届いたそうだ。

 ところが、今から三年前、元上官と名乗る人物が、当時、俺の勤めていた新聞社に現れ、親父はマニラの市街戦で死んだと言うのさ。ある記事の中で、俺の父親がレイテ沖海戦で死んだことに触れたのだが、それが署名記事だったため俺の名前が彼の目にとまり、親父の名前が満秋(みつあき)ということから、もしかすると戦友の息子かと思い訪ねて来たそうだ。俺の名前は、満春みつはるだからな。

 元上官から親父の本当の死に場所を知らされ、俺は新聞社を辞めた。子供の頃から聞かされていたことを疑いもせず、『私の父はレイテ沖海戦で死んだ』と嘘を書いてしまった、だからジャーナリストとしては失格だ、と思ったから辞めたと言えば聞こえは良いが、そんなものではなかったんだよ。体が崩れ落ちるような衝撃だったんだ。

『マニラ市街戦』のことは知っていたものの詳しいことは知らず、にもかかわらずそこが親父の死んだ場所となれば、とんでもない思い違いをしていたことになる。役所の戦死通知を信じ、長い間疑いもしなかったのだから、親父には申し訳ないことをした、親父に会いたいと、その時、初めて心底から思ったものさ。そんな自分を反省した時、俺は忙しい新聞記者には向いていない、能力がないと気がついたんだ」

 薄暗いレストランの明かりの下で、長井の無精ひげが震えているように見える。

「マニラの市街戦は凄まじいものだったらしいな。八十歳近い元上官が、三十七年前の体験を語りながら、俺の前で涙を流すんだよ。マニラが完全に包囲され、組織的な脱出が不可能になった頃、砲弾や機銃掃射が飛び交う中を元上官は俺の親父と一緒に脱出を試みたそうだ。その時、よほど恐ろしい思いをしたんだろうな」

 元上官の姿を思い出すように、長井が目を瞑った。

「かなりのお歳でしょうから、死ぬ前にかつての部下の最後を伝えたくて元上官は訪ねてきたんですかね」

 長井の話に真壁は興味を持った。灌漑局秘書の件以来、「マニラ市街戦」について真壁は随分と勉強をしている。

「そうかもしれない。しかし、おかしな点があるんだ。せっかく俺を訪ねて来てくれたので近くの居酒屋で一盃やりましょうと誘って飲んだのだが、酔いが回るにつれて妙なことを言い出した。市街戦の話を自分が持ち込んだからといって、余計な詮索はしないでくれと言うのさ。 詮索するなと言われれば興味が湧いてくる。そこで、市街戦の真相を俺が問い質すと、元上官は口をつぐみ、急に帰ると言いだした。慌てて俺が住所と電話番号を訊くと、まるで聞こえなかったかのように立ち去ったんだ。おかしな話だろ」

 長井がまたビールをひと飲みした。



          6


「なぜ元上官が長井さんを訪ねてきたのか、何か引っかかりますね。市街戦の真相を知ることに、何か不都合なことでもあるのでしょうか」

 真壁は同意して見せた。 

「釈然としないので、三ヶ月後、名前を頼りに住居を探し出し、俺は元上官の家を訪ねた。しかし、一週間前に彼は死んでいた。老衰だそうだ。残念としか言いようがないのだが、その時、家族から聞かされたのは、彼が潜水艦乗りだったこと、しかも、彼は戦犯容疑で戦後起訴されるところだったが、一切を秘密にするという条件でGHQ(連合軍総司令部)から釈放されたそうだ。

 GHQの口止めと言えば細菌兵器を研究していた石井部隊の関係者が有名だが、潜水艦乗りとはどうも結びつかない。それに、何を義理堅くいまだにアメリカとの約束に縛られているのか、家族にも語らなかったそうだ。

 そんなことから、俺の親父はどの潜水艦に乗っていたのか、マニラ市街戦と何か関係がないかと、旧日本海軍の潜水艦について俺は調べ始めた」

 長井の話は真壁の興味をそそった。海軍と言えば連合艦隊、連合艦隊と言えば真珠湾、レイテ沖海戦といった華々しい話しか思い浮かばないが、それだけ潜水艦の活動は秘密のベールに包まれており、裏方の任務を負っていたことになる。

「俺の調べた潜水艦の活躍は、昭和17年頃からだ。前年にヒトラーがレーダー技術の供与を許可し、『伊30号』がドイツに派遣されている。生ゴムや航空母艦の技術を持って行った上に、積んでいた零式小型偵察機もプレゼントしたそうだから、よほど日本はレーダー技術が欲しかったんだろうな。しかし残念と言おうかなんと言おうか、『伊30』はシンガポールまで戻ってきたが、そこで機雷に触れて沈没してしまった。持ち帰ったレーダーを引き上げたが、原形をとどめていなかったそうだ。

 その後、第二次派遣として、タングステンや生ゴム、阿片などを積んで『伊8号』が出発し、ベンツの大型エンジンやレーダーなどをドイツから受け取り、昭和18年末に呉に帰港している。もっとも、昭和18年の12月となると、欧州戦線では三ヶ月前にイタリアが降伏しているし、時既に遅しというところだが、ヒトラーも焦っていたんだろうな」

 潜水艦の極秘行動は想像できるが、具体的な活躍は真壁には初耳だった。

「潜水艦による日本とドイツの軍事協力は、意外に進んでいたんですね。それにしても、阿片まで日本が供与していたのは何故ですか」

「前線の兵士や障害児童を安楽死させるためだったらしい。残酷な話だが」

 顔をしかめながら、テーブルの上のビールに手を伸ばし、長井は話を続けた。

「更に第三次として『伊34号』が派遣されたが、往路のマラッカ海峡で撃沈され、第四次派遣の『伊29号』は、ロケットやジェット戦闘機の設計図を持ち帰ってきたが、昭和19年3月、フィリピンまでは戻ってきたもののバシー海峡で撃沈されている。余談だが、ドイツの潜水艦からインド独立の指導者チャンドラ・ボースを引き取ってシンガポールで降ろしたのは、インド洋で活躍していたこの『伊29』で、ドイツへ派遣される前の話だよ」

「すると、長井さんの親父さんが乗っていたのは、派遣された潜水艦で唯一無事に日本へ戻った『伊8号』ということですか」

「いや、乗員名簿を調べたが、親父も上官の名前もなかった。しかし、一つだけ気になるのは、ドイツから持ち帰った品目の中に、帰路で降ろした荷があったことだ。なんらかの軍事物資であることは間違いないと思うが、どの港で、何を降ろしたかは分からない。もしかすると、寄港はしていなくても、洋上で受け渡しが行われたのかもしれないが」

「名簿に名前がないとなると、親父さんは『伊8号』には乗っていなかったことになりますね。他の潜水艦はどうなのですか」

「市街戦のあった昭和二十年二月頃にフィリピン方面に従事していた潜水艦を調べると、やっとの事で分かったのは、中型の呂号潜水艦が少なくとも六隻いて、ルソン島に残った要人救出をしていたらしい。その要人とは誰なのか、その潜水艦がなぜマニラへ寄り、なぜ元上官と俺の父親が降ろされたのか、如何せん資料が乏しく今も疑問は解決していないが、この六隻の潜水艦の一つに元上官や親父が乗っていたのは間違いないと思う」

 謎だらけの話である。潜水艦の役割上、機密の任務があるのは頷ける話だが、さぞかしもどかしい思いをしていることだろうと真壁は長井の心情を思いやった。



          7


「それにしても、『マニラ市街戦』には謎が多すぎる。例えば、レイテ海戦で沈没した戦艦『武蔵』の生き残り千二百名が良い例だが、多くの水兵が救助され命拾いをしたというのに、どうして日本へ戻されずに市街戦へ投入されたのか、陸軍は山下将軍の命令で山へ籠ったのに、武器も食料もない中で、しかも戦闘経験のない在留邦人や水兵をかき集めて、何のために大本営はマニラを死守せよと命じたのか、さっぱり分からない。首をかしげるような説明は随分とあるがね。

『マニラ市街戦』と言えば、ほかにも気がかりな点がある。親父とは関係ないと思いたいが、市街戦の最中に発生した、ドイツ人クラブやベイビュー・ホテルなど市内各所でのマニラ市民虐殺事件だ。もしかすると親父もかかわっていたのではないか、そんな疑問がいつも頭の中から離れないでいる。しかし、親父の足取りを探る資料は探し出せず、結局、仕事にかまけて、何も分からないまま俺は今日まできてしまったわけだが……」

 個人的な話しを持ち出したせいなのか、自分の努力不足を恥じているのか、申し訳なさそうに言い終えた長井が真壁から目をそらした。

「私にも疑問があるんですよ。全く初歩的なものですが」

 長井の話に触発され、真壁も話し始めた。

「『マニラ市街戦』は、スターリングラード、ワルシャワ、ベルリンといった人類史上最も有名な市街戦の一つで、百万の市民を巻き込み、しかも首都で一ヶ月も続いたアジア最大の市街戦、更には十万人の市民を犠牲にした悲劇であり、東京を初めとした本土各地への空襲や原爆投下に対しては、アメリカ人の復讐心を燃え立たせた重大事件です。

 にもかかわらず、日本では昭和史の本にすら一行も書かれていないことがあります。まるで誰かが隠蔽しているようにしか思えないのですが、どうしてなんでしょうかね」

長井の答えは期待していなかったが、これまで抱いていた疑問を真壁は披露した。マニラの市街戦については、中国の南京事件などとは違い、惨憺たる被害に激怒したマッカーサーの命令で多くの証言記録や証拠写真が残っており、国際的に知られている歴史的重大事件なのだ。

「独立の見習い期間とはいえ、当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。その保護国の首都マニラで行われた市街戦や住民虐殺が、その後の東京大空襲や原爆投下など日本の悲劇を大きくしたのは事実だろうな。報復の論理というやつさ。

 報復と言えば、無差別爆撃で十一万人の市民が殺されたと言われるドレスデン大空襲が、四年以上も前のロンドン大空襲の報復だったことは有名な話だよ。勿論、報復のために無差別爆撃をしたと表だって言ってしまったら、余りに浅ましいと言おうか、作戦そのものの正当性が疑われるから、連合国側は報復を否定しているがね。

 まだ報復の例はある。配色濃厚となったドイツが、ロンドンを狙って撃ち放った『V2ロケット』を君は知っているだろ。宣伝省のゲッペルスが名付けたそうだが、その意味を知って意外に思ったね。『V』は『報復』というドイツ語の頭文字なんだ。『V』の頭文字といえば、てっきり『VICTORY』の意味かと思っていたから、白人の復讐心というのは凄いものさ。

 報復の話ついでに言えば、連合艦隊司令長官の山本五十六が撃墜された事件だ。待ち伏せ攻撃に米軍のつけた名前が、『真珠湾の復讐作戦』というんだから、そのものズバリだよ。

 まだまだ他にもある。レイテ海戦の際、真珠湾攻撃に参加した唯一生き残りの空母『瑞鶴』がエンガノ沖に現れたというので、囮部隊の小沢艦隊にハルゼーの機動部隊がおびき出され、レイテ湾をがら空きにしてしまったのも、異常な復讐心からだ。

 白人の復讐心というのは、日本人の想像が及ばないほど強烈らしい。東京大空襲が行われたのはマニラ市街戦が終わった一週間後だが、一般市民を狙って十万人の死者を出したというのも偶然ではないだろう。

 報復の論理というのは、戦争に飽き飽きしている将兵を鼓舞するためには、自由や民主主義のためといった大義名分より効果があるんだな。マッカーサーがリンガエン湾に上陸し日本兵の死体を見て『死んだ日本人だけが良い日本人だ』と語っているが、それは『日本人は皆殺しにしてやる』と、復讐心を吐露したようなもんだろ。大元帥ともあろう人物が、こんな怒りを平気で口に出すんだから、本当に白人の復讐心というのは凄まじいもんだ。

 そう考えると、なぜ『マニラ市街戦』が日本国民の間で知られていないのか、分かるような気もする。というのは、『マニラ市街戦』の悲惨さを日本人が知れば、東京大空襲や二つの原爆などは、市街戦の復讐として受け入れざるを得なくなるからさ。それは日本人の国民感情に背く、つまりマニラ市街戦が民族として大きな負い目になるからには、知らせたくない、知りたくないといった国民感情があるということだろう。

 国民感情の話は別として、市街戦の知られていない本当の理由は、隠すに値するほど現在に通じる何かがあるんじゃないのかね。誰が何を隠そうとしているのか、今は分からない。しかし、戦後四十年近くにもなって、元上官がわざわざ俺に会いに来たのは、その辺と関係がありそうな気がするんだ」

 なぜ『マニラ市街戦」が日本で無視されているのかという真壁の疑問に対して、長井が持論をまくし立てた。『マニラ市街戦』を知る真壁を前にして、積もり積もった怨念のようなものが噴き出てきたようである。

 ひと息つくと、長井が身を乗り出して真壁の次の言葉を促した。



          8


「ほかにも私には疑問があります。『マニラ海軍陸戦隊』の岩淵少将は、なぜ市街戦を続行したんでしょうか。戦艦『霧島』の艦長だった岩淵少将は、第三次ソロモン海戦で艦が沈められたにもかかわらず生き残ってしまい、そのために死に場所を求めていたと言われていますが……」

 真壁は長井の意見を求め、長井の表情を注意深く見守った。長井の反応を窺うのは、父親が市街戦で死んだという長井の話が果たして本当なのか、真壁に近づいて目的の情報を探り出そうとする作り話ではないかと、疑いを持っているからである。もし本気で市街戦の真相を勉強したのなら、この程度の考えに同調するはずはない。

「それは全く違うと思う。自分の死に場所といった個人的な理由で、七十万とも百万ともいわれるマニラ市民や、最終的に二万の日本兵を、岩淵少将が巻き込んだとは俺には思えない。少将はそんな小者ではないよ。その証拠に、激戦の最中、岩淵少将は撤退を具申して、マニラ郊外にあるマッキンレーの『桜兵営』へ脱出したんだ。初めから死ぬつもりだったら、撤退の許可など求める訳がないだろ。

 にもかかわらず、岩淵少将が死に場所を求めていたなどという実しやかな噂が流れているのは、市街戦の責任を個人的な問題にすり替え、何らかの目的があって真相を隠そうとしている連中がいるからだと俺は思う」

 市街戦の責任を岩淵司令官の私的な問題にする話を真壁が持ち出したせいか、半ば怒っている口ぶりで長井が答えた。

 長井の返事に真壁はほっとする。確かに長井はマニラ市街戦を本気で勉強していたようだ。長井の父親に関する話は本当なのであろう。

「ところで、マニラ市街戦は昭和二十年のことですが、四十年前の当時、長井さんは何歳だったんですか」

 心の内で長井の意見に同意しながら、まだ目の前の人物を信用しきれない真壁は話題を変えた。

「俺は八歳だった。自慢の親父だったよ。今でこそ軍人なんてのは流行らないが、当時は少年の憧れの的だったからな」

 真壁の質問に触発されて少年時代の自分を思い出しているのか、長井は視線を宙に泳がせた。しばらくの間、沈黙が続く。

「君はなぜ『東比』の社員になったのかね。新米駐在員だと君は言うが、君の年格好からすると中途入社だろう。何か事情がありそうだな」

 口を開いた長井の唐突な質問に、真壁は言葉を詰まらせた。偏向教育を指摘され、何も反論できずに逃げ出したことなど、初対面の相手に言えるはずがない。

「いやいや、語るほどのものはありませんよ。それより、話を元に戻して恐縮ですが、大統領選挙の取材の他に、長井さんにはもう一つマニラでの目的があると伺いましたが、何でしたっけ」

 自分への個人的な質問を終わらせようと、必死に真壁は話を切り替えた。

「市街戦の真相を突き止めることさ。なぜ親父は市街戦で死なねばならなかったのか、何を元上官が言いそびれていたのか、気になって仕方がないんだ。ひょっとすると、潜水艦から親父たちが降ろされた理由と関係がある気もする。ところが、調べようにも、終戦直後、日本側の文書は悉く燃やされていて、核心に触れる資料が日本ではみつからない。そこで、このマニラで何かないものかと、淡い期待を抱いているというわけさ」

 もどかしそうな顔を長井が見せた。確かに、ポツダム宣言受諾が決まった八月十四日から三日三晩をかけて、陸軍省、海軍省、内務省のビルからは書類焼却の煙が濛々と立ち上がっていたといわれ、多くの事実が闇に葬られている。

 もし書類が残っていれば、マニラ市街戦をめぐる山下将軍の無実が証明されるばかりか、シンガポール華僑粛正事件の真相も明らかになっていたはずなのだ。書類の焼却は、本当の戦争犯罪人が戦後も大手を振って活躍するのを許し、今もって多くの謎を残すことになったと真壁は考えている。

「長井さんの気持ちは分かりました。ここに参考にしてもらいたい資料があります。後で、ゆっくり読んで下さい」

 ズボンの後ろポケットに畳んで入れていた書類を広げると、真壁は机の上に置いた。未完成ではあるが、マニラ市街戦の時系列表である。昼食時や役所での待ち時間を利用して勉強するために、いつもコピーを持ち歩いていたのだ。

「親父の一件を知ってから俺も市街戦については随分と勉強したつもりだが、頭を整理するには役立ちそうだ。いったいどうして、こんなものを作ったんだい」

「ちょっとした事情があるんですが、詳しいことはいずれお話ししますよ」

 話を切り上げたくなった真壁が質問をはぐらかすように言ったためか、礼を言いながらざっと目を通すと、あっけなく長井は時系列表をパパラッチ服のポケットにしまい込んだ。



          9


「ところで、一つだけ君に注意しておきたいことがある」

 大真面目な表情を浮かべ、長井が真壁の目をじっと見つめた。何事かと、真壁も見つめ返す。

「それは『カゲヤマ』なる人物のことだ。実は、今回の取材にあたって、俺は『ホンエイ』の社長に会って協力を頼んだのさ。社長は元大本営の作戦参謀をしていた瀬川虎三だ。有名人だから、君も知っていると思う。初めてのマニラだということで協力を頼むと、渋々、口を開いて了解してくれたが、やんわりと念を押されたよ。マニラ支店は忙しいので、選挙以外の取材協力は出来ないとね」

 長井の顔に緊張感が浮かんだ。息を吸い込むように間をおいて、長井が話を続ける。

「二ヶ月前、俺は『ホンエイ商事』のマニラ支店を訪れた。すると、そこで出会ったのが特別顧問の『カゲヤマ』で、何度か通っているうちに支店長から教えられたのは、彼が元特務機関員ということだった。マニラ市街戦の関係者だと俺は睨んでいる。というのは、それとなく市街戦のことをカゲヤマ本人に訊くと、特務機関員だったことは認めたものの、当時は中国の満州にいてマニラにはいなかったので何も知らないと奴は言うのさ。

 勿論、あからさまな嘘をつくからには、何か隠していると俺は想像している。今後も奴にへばりついて、何を隠しているのか探るつもりだ。勿論、俺の親父のことは話していない。警戒されてしまうからな」

 悪名高い憲兵隊の陰に隠れているが、フィリピンでの特務機関の悪行については、この間の勉強で真壁も知っていた。俗に第五列と言われているスパイ活動である。戦争開始前から在留邦人の間に潜り込み、フィリピンの内情を探っていたのだ。とりわけ、反日的な発言をする有力なフィリピン人は大本営へ報告され、サントス最高裁長官や人気ある政治家が、日本軍の占領早々に処刑された。日本軍政の失敗の始まりである。

「どうして満州にいたという話は疑わしいのですか」

 真壁は口を挟んだ。

「満州の特務機関はアヘンの売買に従事していた。その売り上げは満州国予算の四分の一だったそうだが、その金でタングステンなどの軍用物資を集めて軍に納めていたのさ。ところが、その話をすると、奴には知識が全くなかった。無政府主義者の大杉栄らを殺害した甘粕元大尉に会ったこともなければ、首都新京の上下水道完備や新幹線のモデルとも言われる特急『あじあ号』も知らない。ありえないことだよ」

「なるほど、満州にいたというのは、マニラにいたのを隠すための、真っ赤な嘘ということですね。しかし、注意しろと言われても、私と『カゲヤマ』なる人物の接点はありませんよ」

 心配無用とばかりに、真壁は笑って見せた。

「何を言ってるんだ。『漁港プロジェクト』があるじゃないか。君も動いているんだろ。『ホンエイ』が今回の円借案件に介入してきたのは、今までとは違う何かがあるからだと、さっき言ったじゃないか。奴が日本から送られてきたのは、その何かのためなんだよ。だからこそ、用心しろと言っているんだ」

 真壁の脳天気ぶりに、長井は苛立っているようであった。ジャーナリストの嗅覚は、とうてい真壁の及ばぬものらしい。

「それだけではないぞ。『カゲヤマ』の部下だ。部下といっても『ホンエイ』の社員ではなく、どうやら何らかの組織に属している連中らしい。三ヶ月前にマニラに来て以来、何度か日本料理屋で見かけたんだが、歳恰好は様々で老人もいれば若い奴もいる。いつもひそひそ話をしているので、よほどの隠し事があるんだろう。俺の勘だが、奴らの顔つきからして、かなり物騒なことをやらかす連中だと思う。用心するに越したことはない」

 落ち着きを取り戻した長井が、俺を信じろとばかりに目に力を入れて真壁を見つめた。

「物騒なことというのは何ですか」

 長井の異様な表情に不安を感じ、真壁は眉をひそめた。

「殺しを屁とも思わない連中のやることだよ。二・二六事件を知っているだろうが、あの時に何が起きたか、あんたは具体的に知っているか」

「高橋是清らが暗殺されたのは知っていますが」

「あれは単なる暗殺事件ではなく、惨殺事件だったんだ。高橋是清はめった刺しにされた上、腕を切り取られ、更に胴体を切り刻まれたのさ。それを知った当時の政治家たちは震え上がり、その後、軍部には何も言えなくなったというわけだ。『カゲヤマ』の取りまき連中を見れば分かるが、そんな危険な臭いが奴らにはプンプンするよ」

 惨い話をしたせいか、長井の眉がひくひくと動いている。暗殺といえば撃たれるか刺されるぐらいにしか考えていなかった真壁には、生きたまま体を切断される暗殺もあったと知り、にわかに「カゲヤマ」なる人物の現実感が増してきた。

 葬儀屋の帰りに語っていたエリザベスの話を思い出す。治安の悪いマニラで、午前零時を過ぎて、しかも女一人で、おまけに台風の暴風雨下という、これ以上ない危険な状況を斟酌せず仕事をさせていたことだ。



          10


 得体の知れぬ不安と苛つきが次第に増してくる。真壁は話題を変えた。

「しかし、お父さんがマニラで死んだとなると、息子さんとしては、どこで、どんな最後を迎えたのか知りたいでしょうね」

 ひと月ほど前、リサと再会した台風の夜、死んだ父親を思い浮かべながら車を運転していた自分のことを真壁は思い出している。

「確かにその通りさ。でも、正直なところ、俺は諦めてるよ。元上官と脱出した親父が、その後どうなったのか、もう四十年も過ぎてしまったんだからな」

「何を言ってるんですか。せっかくマニラにいるんですよ。そんなに簡単に諦めたら、お父さんが可哀想だと思いませんか」

 つい真壁は声を張り上げた。長井を励ましたいと思ったのだ。

「君の言うとおりかもしれん。それならば、もしできればの話だが、マニラ市街戦で生き残った日本兵がまだフィリピンに残留しているはずで、その人たちを君に探してもらいたいな。

 市街戦を経験した残留兵士がいると俺が思うのは、市街戦のために駆り出された陸軍の兵隊は現地徴収の日本人、つまり在留邦人だったからだ。内地から派遣されていた駐在員などは別として、戦前に日本で食えなかった人たちは、戦争に負けたからといって大人しく日本へ帰ったと俺には思えないんだよ。

 勿論、当時のフィリピン政府が日本人を一掃したのは知っている。しかし、あの手この手で帰国しなかった在留邦人もいたはずで、もしその中にマニラ市街戦の生き残りがいたら、市街戦の様子をもっと聞きたいと俺は思っているんだ」

 自分の推測に確認を求めるように、長井が真壁の顔を見た。

「陸軍中野学校を出た小野田少尉の例を除けば、フィリピンに残留兵士がいると聞いたことはありませんが、長井さんの仰る通りかもしれません。当時の在留邦人は覚悟を決めて移住した人ばかりでしょうから、恐らく日本に戻りたくはなかったでしょう。それに棄民だなんのと蔑まされたり、英語が出来るということで軍からスパイ扱いされ処刑された人もいたそうですから、意地でも帰国しなかった人がいたはずですよね」

 鳥羽屋の女将が、任期切れになる多くの駐在員がマニラに残りたがる話をしていたのを思い出しながら、真壁は同意して見せた。景気の良い日本から来た今の駐在員が、底なしに明るいフィリピンの空気から離れたくないのとは違い、そんな一種の浮ついた動機からではなく、食い詰めて移住してきた日本人なら、帰国したところで仕事もなく、家族からも歓迎されないとなれば、そう簡単にフィリピンから離れられなかったことだろう。

「先日、大蔵省を訪ねた時の話だ。廊下の片隅でコピー取りを商売にしている婆さんと出会ったんだが、その婆さんが自分のハズバンドを探して欲しいと言うのさ。訊けば、山本という姓で、福岡出身だと言うんだ。

 初め俺は、彼女が生活苦のために金蔓を求めているのかと思った。しかし、よくよく話を聞けば、終戦直後、ハズバンドが生きているかもしれないと、毎日、捕虜収容所の門の前で立っていたそうだ。同じフィリピン人からは、売国奴として石を投げられもしたが、それでも収容所が閉鎖されるまで立ち続けていたと言うんだな」

 長井が天井を見つめた。マニラ市街戦で死んだ自分の父親を思い浮かべているのだろうか、それとも日本人の夫を探す婆さんの姿を思い出しているのだろうか。

 真壁も思い出していた。ひと月ほど前、現地従業員から新しい日本人が赴任したと聞いたフィリピン男性が「東比」の事務所にやってきて、長野出身の父親を捜してほしいと言う。突然の話に為す術を知らない真壁は丁重に断ったが、がっかりした表情の彼の顔が未だに忘れられない。不親切な応対だったかと、罪悪感のような気持を覚えたものだ。

「そろそろ帰るとするか。『ホリデイ・イン』まで送ってくれや」

 長井が席から立ち上がった。ホテル「ホリデイ・イン」はロハス大通り沿いにある。その近くの「レガスピ300」というアパートが、長井の定宿らしい。


        -続く-


     参考文献  後篇に記載


       (この作品はフィクションです)


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