ある共通した笑みの謎
私がいつもゆっくりとした時間を過ごしている、アメリカン・チェーン・カフェの話をさせてほしい。
私はいつもそこで、カフェモカを頼んでいた。最近、ホワイトモカに変えた。理由はないけど、舌が父親に似てきて、チョコレートの味がダメになったのかもしれないって推察している。
それを、ほっぺたが爆発四散するくらい甘くカスタマイズして、すするのが好みなのだ。私はよくこの手の飲み物を“すする”って表現するけれど、実際“のむ”よりそっちの方が正確で、あるいは、卑しいやつだと思う人もいるだろうけど、私は実際、卑しいほうの人間なので、その評価は“甘んじて”受け入れる。
すまない、そんなことは関係なかった。それでだ、それで。そのカフェの店員に、ある若い男の人がいる。名前は知らない。その気になれば名札をちょっと覗くとかして、苗字くらいは知れるのだろうけれども、それはまだしたことがない。
その人の何が気になるのかって、すごい愛想がいいのだ。それはもう、おっかないくらいに。私がモバイルでオーダーした品を受け取る時に、一発、にこりとほほえんでくれるのだ。
それの何が引っ掛かるのかって、その笑顔が、私が賃貸を借りる時に世話になった不動産仲介業者の人のそれに限りなく似ているのだ。
限りなくって、それはもう、限りなくという表現が最も適切で、これ以上は存在しないんじゃないかってくらいにどんぴしゃり。そのものではないけれど、ほとんどすべてそのものという意味で。
初めてその笑顔を向けられた時、春、新生活に不安ながら胸を躍らせていたあの感覚を思い出すくらいにはそっくりだったし、逆にいえば、あんな笑顔をする人間がそう何人もいるとは思えない。
この街ではなく、この世界で、だ。
顔つきも、結構そっくり。だけど背格好は全然といっていいほど違うから、同一人物では、多分ない。それに、不動産仲介業者が副業を認めてるとも思えないし、営業の仕事が終わってから世界的カフェでアルバイトできるようなバイタリティの人間はこの世に何人いるだろうか?
かといって父子ほど歳が離れているようには見えない。カフェの人は私より一つか二つ下に見えたし、不動産の人は私より三つか四つ上に見えた。
だから、私は彼らがきっと兄弟であると思っている。そしてその今世紀を代表するくらいに重大な謎は、私がアクションを起こさない限りけっして解けない謎であるのだ。




