カフェでの一件
台無しだ。
何が台無しかって、決まっている。日々の癒しのティータイム、あるいは読書タイム、人によってはインプット時間だなんて言い方をするあの時間が台無しにされたのだ。
何に? 蚊にである。
秋も秋、ようやく鳴りをひそめつつある太陽に別れを告げたかと思えば、いよいよ連中が肩を鳴らしながら出てきたのだ。
アメリカン・チェーン・カフェにて、いつものようにカフェモカのグランデをものすごい勢いですすり上げながら、『火星の人』をゆるりと読んでいたその時である。
妙に足が痒い。風呂上がりなのもあり、遅効性の乾燥肌が暴れ出したのかと思えば、痒みを宥める爪先に妙な肉丘の感触があった。
えてして、あの瞬間というのは思考と行動が一瞬だけ停止する。その後、脳内を「蚊」の一文字が支配したかと思えば、感情は怒りと憎しみに支配される。
意味がわからない。連中は決まって、一箇所からがっぽり血を抜いていくのではなく、複数回に分割してそうしてゆくのだ。
しかもご丁寧に、全回にわたって痒みを残していくのだから救われない。
右脚のふくらはぎ、もも、左脚のふくらはぎに二箇所、ももに一箇所の計五箇所をやられてのちに気付いた。自身がカモにされていることを。
私のことをニブちんと笑うやつもいるかもしれないが、驚くべきことに、ここまでカモにされるまで全く気付いていなかったのである。自身の血が失われていることに。
なぜ私から奪い去るのか?
夜更けのカフェには多くの人間が集まっている。そしてそのほとんどが私よりはるかに健康そうな肢体をしている。
ここまで蚊に食われるとは、きっと長谷川は足がクサいに違いない笑
なんて邪推するのはお門違いだ。なぜなら私は風呂上がりだから。ではなぜ私からこれほどまでに血を抜いていくのか?
答えは単純。私の血液が悪玉コレステロールたっぷりのガッツリ系脂血液だからである。先ほど食べた二郎系ラーメンが効いたのであろう、きっと汗腺という汗腺から全マシマシの香ばしいかおりがしていたに違いない。
大体、他種からのタンパク質の提供がないと産卵できないという連中の生態もはなはだ疑問である。
なぜ私の遺伝子が多分に含まれた液体を使っておいて、他のオスとの子供ができるのか理解に苦しむ。これはもう托卵だとか、NTRとか、その辺りの文化と同様といっても差し支えないだろう。
「あの、もし、わたくし、かわいいぼうやを産みたいのですけれども、少しおたくの血を分けてくれないかしら」なんて挨拶でもしてくれれば渋々だが血を提供するにも関わらず、連中はそれが当たり前かのように奪い去っていくのだ。
全く教育というものが行き届いていない。
少なくとも、私の血を抜いて子供を産むという人生ならぬ蚊生のライフステージを進めているのだから、「あなたのおかげで元気な子供が産まれました。母子共に健康です」とかそういったポストカードの一枚でも送るのが筋であると私は思うのだ。
毎年、この季節になる度に……




