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第49話 誰かの記憶に残らないのであれば、生きていなかったのと同じだ

 果たして――舞台は整えられた。

 あまりにできすぎている気もするけど、現実はときに都合のいいことを起こしてくれるらしい。


 加那さんに提示された条件を達成するために、まだ成し遂げないといけないことがあるが、ノーチャンスではなくなった。

 俺が出場するサッカーは日程の最後に予定されている。

 そしてこれまでに終わった競技の結果は五対五。つまりサッカーに勝った学校が大会の勝者ともなる。

 俺がゴールを決めて勝てばいいという舞台が整ったってわけだ。


 そんなわけで薩摩電子スタジアムのスタンドには両校の生徒がひしめき合い、ピッチに向けて声援を送っていた。

 他の種目は終わっているから、全校応援の様相を呈していてプレーごとにスタンドが大きく沸く。


 30分ハーフで行われる試合は両チームともにチャンスはつくるものの、どちらもゴールを割れずスコアレスのまま後半を迎えていた。


 俺たちのチームは中盤がダイヤモンド型の4―4―2。

 フォワードにはバレー部とバスケ部の長身の生徒が並び、両サイドハーフは陸上部と野球部の快速自慢が務める。

 俺はトップ下。両サイドハーフがサイドを駆け上がってクロスを放り込んで、フォワードが頭で落としたボールを俺が決める狙いだ。


 実際、その狙いは何度かうまくいって俺がフリーでシュートを放つシーンも何度かあった。

 けれど相手チームのキーパーがサッカー経験者ということもあり、得点を奪うには至っていない。


「PK戦で勝っても加那さんとの約束を果たしたことにはならないよな」


 チラリと時計を見るとすでに後半アディショナルタイム。

 相手の攻撃をしのぎ、ボールは自陣深く。

 相手チームの選手よりこちらのディフェンダーのほうがボール近くにいる。


「カウンターだっ!」


 俺は叫ぶと前線へ駆け上がる。

 前がかりとなった相手チームは2人のセンターバックを残すのみ。

 まともにサッカーをするのは久しぶりとあって俺のスタミナはほぼ尽きている。

 呼吸をするたびに肺が焼けそうな感じがする。

 足ももつれて転びそうになる。


 でもきっと俺が加那さんのことを忘れてしまってから、加那さんはずっとつらい思いをしていたはず。

 いまの俺が感じているしんどさなんかとは比べ物にならないはずだ。

 だから思いを加那さんにしっかり伝えるために俺は止まるわけにはいかない。


「あとは頼んだぞ」


 チームメートが自陣深くから力任せに蹴ったボールは、俺と相手ディフェンダー2人のちょうど真ん中辺りに落ちて転がる。

 ディフェンダーの1人はボールをクリアしようと前進し、もう1人は俺の突破に備えてバックステップで後ろへ下がる。


 俺は前進してきた相手選手の2歩前でボールを触る。

 首を振って周りを確かめるが、味方のあがりは遅い。


 自分でいくしかない。

 もつれそうな足を操って、ボールを浮かせて相手選手の頭上を通す。

「くっ……」

 相手選手も足に限界がきていたらしくその場にしりもちをつく。

 残るディフェンダーはあと1人。


「いっけぇー」

「ファールしてでも止めろ」


 スタンドからは歓声とも悲鳴ともとれる声が響く。

 時間的にここでゴールを奪えれば、そのまま試合は終了となるはず。


 ここで決めるしかない。


 1人かわした勢いそのままに俺はドリブルのスピードを上げる。

 芝のにおいが鼻孔に広がる。

 やっぱり芝のピッチはいいなんて思うと自然と笑みがこぼれる。

 まだ少しだけ余力は残っているみたいだ。


 最後方の相手ディフェンダーと並走する形で俺は相手ゴールに迫る。

 中央へのコースは切られている。

 ペナルティーエリアの右側へ進む。

 重心の変化で相手選手をかわして、加速。最後のディフェンダーを振り切ると、あとはゴールキーパーのみ。


 シュートを放つべく右足を振り上げる。

 コースはニアか、ファーか。

 一瞬の逡巡の間にキーパーが前進してくるのを間接視野で捉えた。


 ここしかない――。


 ループシュートを狙って右足を振る。

 足の外側でボールを捉えてすくいあげるようにそっと下を叩く。

 軽めの力で威力よりもコントロールを大事に。


 タイミングは完璧だった。

 ただ、最後の最後で足がもつれてボールは狙いよりもわずかに高く上がる。


 右にゆるくカーブのかかったボールはキーパーの頭上を越えた。

 軌道を見極めようとスタンドは静寂に包まれる。

 夕日を浴びるボールが緩く回転しているのが見えた。

 スタンドの誰かがゴクっと唾をのむ音が聞こえた。

 そして、


 パサっ――


 ボールがゴールネットを静かに揺らした。


「おおおおおおおおおおおおっ!」


 スタンドが揺れた次の瞬間、試合終了を告げる長いホイッスルが吹かれた。

 俺は膝に手をつきながら立ち上がり、拳を天に突き上げる。


 その拳の先には青空が広がる。


 あの日、俺と加那さんに雨を降らせたような雲はまったく見えない。

 俺たちが勝った。

 そう感慨に浸れたのはほんの一瞬だけだった。

 すぐにチームメートたちに囲まれ、背中や頭をバチバチ叩かれる。


「やりやがったな」

「おいしいところを持っていきやがって」


 手荒い祝福に俺は、

「ゴチです」

 と、笑顔で応じる。


 久しぶりに味わった勝利。久しぶりに出した全力。

 もう足に力は入らないけど生きてるって感じがする。

 同時に不思議な思いを抱く。


 加那さんとのことを忘れていた間、俺は本当に生きていたんだろうか?


 誰とでもいいから適当に付き合って、飽きたらキスして俺のことを忘れさせて。

 きっと俺はその間、空っぽだった。そ

 れでもいいとどこかで自分に言い聞かせていた。

 それは、葵やロクちゃん先生が言っていたように、俺が自分のことを傷つけていたということなんだろう。


 誰かの記憶に残らないのであれば、俺は生きていなかったのと同じだ。

 加那さんも似たような気持ちを抱いていたのかもしれない。

 チームメートたちと笑い合いながら、俺はすぐにでも加那さんの所に行きたいと、それだけを思っていた。

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