第42話 いつまで逃げるつもりなんですか?
「ただいま」
ロクちゃん先生に送られて家にたどり着いたのは午後11時すぎ。
もう葵は寝ているだろうとつぶやくように声を出してリビングの扉を開けた。
次の瞬間
――バチンっ
左頬に熱を感じた。
「お兄ちゃん、もういい加減にしてください」
思いっきり頬をはたかれた。
葵が目を真っ赤にして睨みつけてきている。
俺の帰りが遅くて心配していたんだろう。
スマホの電波がつながる本土に戻ってからも連絡するのを忘れていたし。
「ごめん、ちゃんと連絡すればよかった」
「そうじゃありません。お兄ちゃんがなにをしていたのかはロクちゃん先生に聞きました」
「だったらなんで怒ってるんだよ? 心配してくれたんじゃないのか?」
「心配は……しています。でも今日のことだけじゃありません」
「今日のことだけじゃないって?」
「葵は――お兄ちゃんが最近いろんな女の子と二人で遊びに行っているのを知っています」
「……やきもちを妬いてるのか?」
疑問に応えず葵は俺の目をジッと見つめる。
「スポーツカーはどうして速く走れるか知っていますか?」
「なんだよ、それ? あっ、分かった。最近やったギャルゲーにそんなセリフが出てきたんだろ?」
取りなすように俺はヘラヘラ笑みを浮かべるのだが、葵はなおも険しい表情を崩さない。
「葵は真面目に訊いてるんです」
「……ったく、なんなのかわかんねえよ」
「質問に答えてください」
「……エンジンがいいとか、車体が軽いとか、そんなところだろ? これでいいか?」
「違います」
葵はまばたきすらせずに俺の目を覗きこんでいる。
「スポーツカーが速く走れるのはブレーキの性能がいいからです。ちゃんと止まれるからです」
「あぁ、そう。一つ賢くなったよ。ありがと」
長い一日を過ごして俺も疲れている。
この会話で葵がなにを伝えようとしているか理解できないけど、もう切り上げてさっさと寝たい。
そんなつもりで軽く告げたのだが、葵はまだ俺の前から動かない。
「いつまで逃げるつもりなんですか?」
「ああっ、もうっ! 葵までわけの分からないことを言うなよ! だいたい、逃げるってなんのことだよ? 俺は疲れてるんだよ。そろそろ休ませてくれよ」
もう付き合いきれない。
ほんとにどいつもこいつも、いい加減なことを言うばかりで俺を振り回すのはやめてほしい。
俺はもうなにも考えたくない。
ほんとに疲れたんだ。
だから俺は葵の脇を強引にすり抜けて自室へと向かおうとする。
だが、俺の耳に信じられない言葉が届いて足が止まった。
「恋愛拒絶ウイルスから、ですよ。お兄ちゃんが感染していることを葵は知っています」




