第37話 南国さいこう
西大山駅で電車を降りると空気が熱気を帯びているのを感じる。
さすがは南国だなんて思いながら俺は大きく息を吸う。
「で、ここにはなにかあるの?」
菜月に声をかけながら俺は周りを見渡す。
駅舎もない単線の無人駅。
間近に見える開聞岳は薩摩富士と呼ばれるだけあってきれいな形をしている。
ただ、ほかにこれと言って目に付くものはなくて周りには畑が広がっているだけ。
漂う芳ばしい香りは畑にまかれた肥料だろう。
青々と茂ったサツマイモの葉っぱが田舎に来たってことを実感させる。
「あれを見てほしいの」
菜月が指差す先には『日本最南端の駅』と書かれた標柱が立っていた。
「これを見に来たのか?」
「最南端って聞くと遠くまで来たって感じがしない?」
「まぁ、そうだな。特別って感じはするかな」
「特別か……。うん、やっぱりいいね」
微笑みながら小さなホームから出る菜月。
「あった。颯真くん、こっち来て」
手招きする菜月のそばに行くと、そこには陽の光を鈍く反射させるベルがあった。
「幸せのベルなんだって。願い事の数だけ鳴らすと幸せを呼び込めるんだよ。……一緒に鳴らしてくれる?」
菜月は不安げに訊ねてくるが、もちろん断る理由なんてない。
楽しいデートを象徴してくれるいい演出だ。
2人並んでベルの前に立ち、ベルから延びるロープを握る。
「いい? 願い事は決まった?」
見上げる菜月の目を見て俺は頷く。
「じゃあ、鳴らすよ?」
カーンっ――
乾いた音が響いた。
「1回だけでいいのか?」
「うん。今日は1回だけでいいよ」
「今日は、か。じゃあまた一緒に来ような?」
「そうだね」
小さく頷くと菜月は辺りをキョロキョロ見回す。
「どうかしたのか?」
「えっとね……あっ、あった。ちょっとだけ待ってて」
突然駆け出したかと思うと道路向かいにある小さな商店に入っていった。
よっぽどこのデートが嬉しいのか、これまで見たことがないぐらいにハイテンションになっている。
一人残され手持ち無沙汰になった俺はなにもない小さな駅を見やる。
目についたのは、ベンチのそばに置かれた銀色のケース。
中を窺うとノートが入っていた。
表紙に『旅の思い出』と書かれたそのノートを手に取りパラパラとめくってみる。
『南国さいこう』
『東京から来ました。風情があってとても素敵な駅ですね』
『菜の花畑に囲まれてて映画のワンシーンみたい』
結構遠くから観光客が来てるんだな、なんて思いながらページをめくっていると、菜月が小走りに戻ってきた。
「待たせちゃってごめんね」
「いいけど、なにしてたの?」
「これ買ってきたんだ」
葉書を両手で掲げるように持って俺に見せてくれた。
上半分に菜の花畑に囲まれた開聞岳と駅が描かれている絵葉書だ。
「すぐ書いちゃうから、もうちょっとだけ待っててね」
俺の返事を待たずにベンチに腰かける。
ペンを取り出すと、バッグを下敷き代わりにして葉書を書き始める。
わざわざ手紙を書くなんて誰に向けたものだろうと、その様子を眺めていると、
「あっ、恥ずかしいから見ないでよ」
「恥ずかしいことでも書いてるのか?」
「そんなことはないけど……でも葉書なんて普段書かないから、なんとなく恥ずかしいなって思って」
「言われてみればそうかもな」
「でしょ? いつもはスマホにメッセージ送って終わりだし。その反応って、だいたいすぐ返ってくるよね」
「そうだな。既読スルーも含めて反応はすぐに分かるな」
「だよね。でも、っていうか、だからかな? 反応がすぐには分からない葉書を書くのってなんか緊張しない?」
「緊張か……。うん、そうかもな」
「よしっ。こんな感じでいいかな」
振り向くと菜月は立ち上がっていた。
そのとき、遠くからガタンゴトンと電車の音が聞こえてきた。
「ヤバっ。もう電車来ちゃった。これに乗らないとまずいよね?」
「これを逃すと、あと2時間はここにいることになるな」
「2時間もこんな所ですることないよ。急がなきゃ」
声を上げて菜月が向かったのはホームの目の前にある黄色いポスト。
街中でよく見かける四角いものではなく、昔の映画に出てくるような丸っこいものだ。
書き終えたばかりの絵葉書を投函して菜月は、
「幸せを運ぶポストって言われてるんだって」
顔だけこちらに振り返って微笑んだ。
「そうだ、写真撮っとこ」
スマホを取り出し操作する。
「颯真くんもこっち来てくれる?」
「時間ないって」
けれど菜月は「早く早く」と手招きしてくる。
どちらかといえば大人しめの菜月にしては珍しい行動だ。
ほんとに旅先でテンションが上がりきっているんだろう。
写真を一緒に撮るとキスしたあとにちょっとばかり面倒なことになるのだけれど、まぁそれでも誤魔化せないことはない。
せっかくのいいムードに水を差したくはないし、俺は素直にポストの前に行く。
「いい? 撮るよ?」
黄色いポストを左端に俺と菜月が顔を寄せ合う構図。
「近すぎないか?」
俺の疑問は聞こえなかったのか、それとも無視したのか、菜月は自撮りモードにしたスマホのシャッターボタンを押す。
カシャっという音が鳴るのとほぼ同時。
プシューっと電車がホームに停車した。
「急ぐぞ」
俺は菜月の手をつかみ、ホームに走る。握った手を通して菜月の体温が伝わってくる。
「あっ、えっ、う、うん……」
菜月は肌と肌が触れて戸惑っているようだったけれど乗り遅れるわけにはいかない。
それに初心な菜月にこんなことをしてやればきっと喜んでくれるはずだし。
俺はそのまま手を引いてワンマン電車に飛び乗った。




