第36話 ずっとこの関係が続けばいいなって思ってるよ
白い車体に濃いブルーのラインが入った電車は定刻通り駅を出た。
構内に響く地元出身の有名フォーク歌手の歌に見送られて俺たちは南へ向かう。
ゴールデンウイークを1週間後に控えた日曜日とあって、車内には観光客の姿もほとんどない。
先に車内に入った山下さんは4人掛けブース席の窓際、進行方向と逆向きに座る。
俺はその対面に腰を下ろす。
手を伸ばせば簡単に頬に触れられる距離。
電車がガタンゴトンと揺れるたびに膝が触れる。
「近いね……」
「そうだな」
はにかむ山下さんに笑顔を返しながら、そろそろもっと距離を縮めていい頃合いだなと思う。
「あのさ、山下さん」
「ん? なに?」
「山下さんじゃなくて菜月って呼んでいい?」
「えっ……?」
「嫌だったら菜月ちゃんでもいいよ」
「嫌とかそういうことはないんだけど……」
「こうして一緒にデートをする仲になったことだし、いつまでも山下さんって苗字で呼び続けるのも変じゃないかな?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「けど、なに?」
優しく訊ねる俺の目の前にある顔は真っ赤。
しばらく視線をさまよわせていたけれど、やがて観念したのか目と目が合った。
「男の子に下の名前で呼ばれたことってないから」
「じゃあ俺が初めてだね?」
「……うん」
「あらためてよろしくね、菜月ちゃん」
「ちゃんはいらないよ。子どもっぽいから」
なるほど、大人の関係を築きたいということか。
それは都合がいい。
「そっか、じゃあ菜月、な」
「うん。私も颯真くんって呼んでいい?」
「もちろん」
俺がニカっと笑うと菜月もほっとしたように頬を柔らかくしてくれた。
――チョロいもんだ。
これで菜月も完全に落ちた。
キスしたいと言えば、いつでもさせてくれるだろう。
いつでも切る準備はできたから、あとは楽しむだけ。
いつになるかは分からないけど、飽きるまではこの仮初の関係を楽しませてもらおう。
俺たちを乗せた電車は街中を抜けていた。
車窓から見える景色に民家は少なくなってきていた。
しばらくすると急に外が明るくなって、窓の外に視線をやると錦江湾が広がっていた。
青緑色の海面でキラキラ反射した陽射しが車内に届いていた。
「あっ、見て」
海の青さに目を奪われていると、ふいに菜月が声を上げる。
指差すほうに視線を移すと桜島が噴火していた。
「なかなか派手に噴煙が上がったな」
「うん、風向きはどっちかな?」
「この季節だとこっちにも来るんだよな。今朝はニュースを見る暇がなかったからどっちだろう?」
俺は言いながらスマホを操作して鹿児島地方気象台のホームページにアクセスする。
トップページに表示されている桜島上空の風向きを確認すると今日は西風。
つまり、こちら側に灰は流れてこない。
東側の大隅半島の人たちには申し訳ないけど、灰まみれのデートは嫌だ。
そんなことを菜月に伝えると、同じことを考えていたのか、
「そっか、良かった」
胸に両手を当てて安堵の笑みを浮かべる。
「そうだな。せっかく俺たちの初デートなのに桜島なんかに邪魔されたくないよな」
ちょっとキザっぽく俺が言うと菜月は、
「はっ、初、なんて……。2回目もあるの?」
ちょっと声を上ずらせる。
初々しい反応がかわいい。この調子ならしばらくは退屈しなさそうだ。
「もちろん。菜月は嫌なの?」
「そっ、そんなことないよ。2回目だけじゃなくて3回目も4回目も、ずっとこの関係が続けばいいなって思ってるよ」
髪の先っぽをいじりながら早口に返してくれた。




