第29話 なんか懐かしいな
それから10分後。加那さんは両手にビニール袋をぶら下げてゲート前にやってきた。
「どうしたんですか、それ?」
「スタグルだよ。スタジアムグルメ」
「いや、スタグルは分かりますけど。ちょっと量が多すぎないですか?」
「だってさあ、食べたいのがありすぎて選べなかったんだよ。アゴ肉にタコライスに、肉巻きおにぎりに。これでも厳選したんだからね」
「そうですか。アゴ肉とか聞いたことがないのもありますけど、加那さんが食べたいならいいんじゃないですかね。とにかく行きましょう?」
そうして俺はゲートをくぐろうとしたのだが、加那さんがついてこない。
顔を俯かせて、その場に立ち止まっていた。
「どうかしましたか?」
「……ううん、なんでもない。これから始まる試合が楽しみすぎただけだよ。行こっか?」
今度は逆に俺のことを置き去りにしそうにする加那さんの背中を俺は慌てて追った。
そうして俺たちはようやくスタジアムの中に入った。
加那さんが持っていたチケットはメインスタンドのもの。
ホームチームのサポーターが多い北側の真ん中ぐらいの席に俺と加那さんは並んで座る。
ピッチ上ではすでに両チームの選手たちがポジションについている。
「いよいよだね」
スタグルをビニール袋から出しながら瞳を輝かせる加那さん。
「毎年、熊本には苦しめられてますけど、どうなりますかね?」
「去年はあのでっかいブラジル人にヘディングを決められてから試合の流れが変わったからね。今年はまずはセットプレーを与えないことが大事だね」
俺は去年のこの対戦カードを見てないけど、たしかロクちゃん先生も同じことを言っていた。
「会長はサッカーのこと詳しいんですね。この間はそうでもないって言ってたのに」
「あっ……」
加那さんはなぜか絶句して目を逸らした。
女の子がスポーツに詳しいのが恥ずかしいとでも思っているんだろうか。
「別に変じゃないと思いますよ」
「変じゃないってなんのことかな?」
「だから女の子がサッカーが好きだってことですよ。ロクちゃん先生なんて仕事もせずに選手名鑑を熟読してるぐらいですし」
「だっ、だよね。うん、実は私もサッカーというかポールスターのことは詳しいんだよね」
「やっぱりそうなんですね。いまは彼氏はいないって言ってましたけど、前付き合ってた人の影響かなんかですか?」
「まぁ……そんなところかな」
はにかむように加那さんが笑ったのと同時。
長いホイッスルが鳴らされて試合が始まった。
ポールスターのスタイルは4―1―4―1。
中盤を厚くして主導権を握ろうとする攻撃的な戦術を採用している。
だけどやはり予算の差は選手の質の差に表れてしまうようで、金満な上位チームには苦戦している。
この日の対戦相手の熊本も予算はポールスターより上。
ポールスターの選手たちはなかなかやりたいことをやらせてもらえていない。
なんてことを考えていると、甲高くホイッスルが鳴らされた。
ピッチ上ではポールスターの選手がファールを受けて倒れていた。
「おぉい、審判っ、なに見てんだよ! 今のはレッドだろっ!」
観客席の前辺りから激しいヤジが飛んだ。
ん? いまの声はどこかで聞いたことがあるような気がする……。
「ねぇ、あれって?」
加那さんが指差す先に視線を動かすと、そこにいたのはロクちゃん先生だった。
今年のモデルのオーセンティックユニフォームに身を包み、審判に怒声を浴びせていた。
手に持ったカップにはビールが揺れて、黄金色に輝いていた。
知らない人に「あの人はうちの学校の養護教諭です」なんて言っても絶対に信じてもらえないだろう形相を浮かべている。
「なんか懐かしいな」
ぽつりと漏らす加那さん。
「懐かしい、ですか?」
「あっ、そのほら、前に来たときにもあんなロクちゃん先生を見たからさ。今日も相変わらずだなって思ったんだよね」
「たしかに俺も見たことがあるような気がします。いつのことだったかは忘れたから、きっといつもあんな感じなんでしょうね」
「うん、そうだね」
ぼそりとつぶやく加那さんの顔はどこか寂しそうだった。
きっと前に一緒に観戦に来たという彼氏のことでも思い出しているんだろう。
和ますために冗談でも言ってやろうかと考えていると、スタンドが歓声に包まれた。
ピッチに視線を戻すと、熊本ゴールにボールが転がっていた。
「颯真くん見たっ? すごかったねっ!」
「見逃しちゃいました。なにが起こったんですか?」
「フリーキックだよ。フリーキック。ぐいーんって曲がりながらがくんって落ちて、直接ゴールに突き刺さったんだよ」
話しながらも加那さんは頬を紅潮させて、両手を打ち鳴らしている。
「よっぽどすごいゴールだったんですね」
「あれを見逃すなんて、颯真くんもツイてないねえ」
「そうかもしれないですね。でも会長が元気になってくれて嬉しいです」
「えっ、私、元気なさそうに見えた?」
「はい。今日は普段見ないような顔をしてることが多い気がしてました」
「そっか、そっか」
いまだ興奮収まらずって感じでうんうん頷く加那さん。
「颯真くんはそれほど私のことを気にしてくれてるんだね。泣いちゃいそうなほど嬉しいよ」
「なっ、違いますからっ! そんな意味じゃないですからね?」
「いいんだよ。颯真くんはもっと素直になっていいから」
「だから違うって言ってるじゃないですか」
変な勘違いをされたら困る。
でも必死で抗議する俺を見て、加那さんは「イシシ」と口元を押さえながら笑うばかりだった。
 




