第15話 変な虫が止まっていたから払ってあげただけよ
「うっ……」
突然の痛みに思わず声が漏れる。
こんなことをするのは誰だ?
そんなことが頭をよぎったが、すぐに思い当たった。
街中で俺のことを刺してくるようなやつは、通り魔でなければ一人しかいない。
振り向くとそこに立っていたのは、やはり想像通りの人物。
「土曜の朝早くから、こんな所でなにをしているのかしら?」
朝日をキラキラと反射させる黒髪を鮮やかにかき上げながら訝しむような視線を投げかけくるのは、さくら。
これから部活なのだろう、2メートルほどの長さのなぎなたを手にしている。
先ほど俺を刺したものに違いない。
「なにをしてるのかって、いきなり人を刺すような奴に言われたくねえよ」
「あら、肩に変な虫が止まっていたから払ってあげただけよ」
「それはありがたいけど、もっと違う方法があったはずだろ?」
「先に質問したのは私のほうなのだけれど。忘れてしまったのなら仕方ないわね。思い出してもらおうかしら?」
おもむろになぎなたを上段に構えるさくら。
それで俺の頭を叩くつもりか?
たまにやられるけど結構痛いからやめてほしい。
「いや、待てって。言うから、話すから。とりあえずそれを下ろしてくれよ」
「最初から素直になればいいのよ。で? もしかして生徒会長と一緒にお出かけとかなのかしら?」
『で』ですか。
ぞんざいな扱いだな。
けどそれはいいとして、加那さんとお出かけってどういうことだ?
「いや、会長は一緒じゃないぞ。今日はなんか用事があるって言ってた」
「そうなの? よく二人で出かけていたことがあったそうだから、またそうなのかもしれないと思ったのだけれど。じゃあ、なんなのかしら?」
俺と加那さんがよく出かけていたってどういうことだ?
たしかに仕事のために生徒会室で一緒になることはよくあるし、たまに依頼の関係で外出することもあるけど、そんなに多くはないはずだ。
なんでさくらがそんな物言いをしたのか気にはなるけど、訊ねると余計なことにしかなりそうにない。
ともかくこの場は素直になにをするかを打ち明けたほうが良さそうだ。
そもそも別に隠す必要もないし、葵伝いにでも知られるとこじれそうなので、正直に話していたほうがいい。
「同じ中学校だった山下さんって覚えてる?」
「どの山下さん?」
そう、鹿児島では『山下』は非常にポピュラーな苗字。各クラスに最低一人はいるぐらいだ。
「三つ編みで眼鏡をした山下さん」
「あぁ、あの地味な子ね」
ばっさり斬り捨てるな。
けどたしかにそうだから反論はしない。本人が聞いてるわけじゃないし。
「そう、その山下さんと映画を見る約束をしてるんだよ」
「へぇ……。って、それってデートということかしら?」
わずかにさくらの語気が強まった気がする。
しかしなぜ女は男女で映画に行くと言うと、デートなんて発想をするのだろうか。
そんなにいかがわしいことなのか? 俺は違うと思うんだけどな。
「違うよ」
俺はあくまで冷静に告げる。
「生徒会の仕事の一環だよ」
「……なるほど、そういうことね。まぁ、颯真が誰とデートをしようと私の知ったことではないのだけれど」
『デートでもないし、じゃあほっといてくれよ』と言いたくもなるが、そんなことを口にするとまた反撃をくらうのは分かりきっているので、あいまいに笑って流しておく。
「さくらは部活なんじゃないのか?」
「そうよ。もうすぐ大会だし、颯真の相手をしている時間がもったいないからもう行くわね」
学校のほうへ歩き出したさくらの背中に「頑張れよ」と俺は声をかけた。
その背中を見送って、さくらが横断歩道にさしかかったころ、「喜入くん、おはよう」と逆方向から山下さんがやってきた。
学校でも地味だが、私服もやはり地味だ。
深緑色のカーディガンにベージュのパンツ。もちろん、いつも通りもっさりした眼鏡に三つ編み。
もし次に出かけることがあれば、それとなくもうちょっと華やかな服装にすることを伝えたほうが良さそうだ。
素材がいいだけにもったいない。
「待たせちゃった?」
「いや、ついさっきまでちょっと絡まれてて、いい時間つぶしができてた」
「絡まれてって不良に? 大丈夫?」
「不良じゃないよ。まぁ、ある意味それより面倒な奴だけどな」
キョトンとする山下さんに「気にすることない」と苦笑を返すと、俺たちはシネコンへ向かった。




