因縁
ホリーの家にきてから1週間が過ぎた。
俺は彼女の家の一室を借りて、そこで寝たきりの生活を続けている。
ホリーの家は、家族数人で住めそうな大きさだが、どうやら他に住んでいる人はいないみたいだ。
「んー、お薬ものんで安静にしてるのに、良くならないですね」
「だから、言っただろ。俺は病人とは違うって」
「そんなはずはありません。とりあえず、おしぼり変えておきますね」
ホリーが、俺の額にのっている濡れタオルをとり、新しいものに交換した。絞りが甘かったのか、おしぼりから溢れた水が額の上から一筋ながれ、枕を濡らす。ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
すこし雑なところはあるが、こんな調子で、ホリーは俺に付きっきりで看病をしてくれている。
具合が良くならないが気に食わないのか、ホリーは腕を組んで寝ている俺の顔を見下ろす。
「やっぱり、このままではラズ様に見てもらうしかないのでは?」
「そ、それだけは勘弁してくれ! どうしても会いたくないんだ!」
最強の聖女の名前を聞いて、俺はたまらずベッドから上半身を起き上がらせる。
もう、このやりとりを何度したか分からない。ホリーの家に来て1週間、俺はラズ・シルバーの名前があがるたびに、どうにか話題をそらして、会うのを拒否し続けている。
絶対にあのババアに会うのだけは避けなくてはいけない。ホリーもエレンも、俺の顔をしらないから、なんとか今までバレずにすんでいる。
しかし、ラズ・シルバーは違う。何度も戦場で顔を合わせた仲だ。顔色の悪い病人で誤魔化せるはずがない。
そんな俺の不安を知らないホリーは、不満そうに頬を膨らます。
「またそれですか。どうしてエドが、会いたくないのか知りませんけど、このままじゃ体調は悪くなる一方ですよ?」
「別にかまわない。むしろ会ったらもっと体調が悪くなる気がするんだ」
根拠のない言い訳を並べて、どうにか逃げようとする。しかし、ホリーの態度からして、拒絶しつづけるのも限界かもしれない。
(こうなったら、強行突破で逃げるしかないぞ。けど、力のない俺が果たして聖女から逃げきれるのか?)
魔力のない俺は、はっきり言って雑魚だった。
正確に言えば、多少魔力は残っており空を飛んで逃げることも可能だが、そんなことをすれば、残りの寿命が大幅に減少してしまう。最悪、アンデットとバレて聖女と戦う可能性だってある。
そんなの論外だ。
俺はなるべく長い時間を、サキュバス達とイチャイチャして過ごしたい。だからのこされた時間は俺にとっていま最も大切なものだ。
しかし、ラズと会えばどのみち死ぬ。だから、俺は決意した。今夜この家を出よう。運よく近くの家で馬を飼育しているのを見た。それを盗めば、チャンスだってあるはずだ。
そう思うと気が楽になってくる。
ヴァンパイアらしく、夜まで力は温存だ。俺は休むために、起こしていた上半身をたおして、ベッドで横になろうとする。
すると、突然身体からふわりと力が抜けて、自分で制御できなくなる。頭もぼーっとして集中できない。
「あ、あれどうなってるんだ?」
動転して、隣にいるホリーにすがろうと手を伸ばす。
しかし、彼女の表情を見て、俺は咄嗟に手を止めた。
ホリーは笑っていた。まるで、俺がこうなることを予期していたかのように。
「……なにをした」
「ふっふっふ。実はさきほど睡眠薬を盛らせていただきました」
「な……んだと?」
「頑固なエドが悪いのですよ? 重病なのにラズ様に診断してもらうのを拒むから。だから、寝ている間に運んでしまおうと思って」
「う、うそだ……ろ」
「強引な手段でごめんなさい。でもエドの健康が一番なので許してね?」
両手を合わせてごめんねのポーズをとるホリーを見ながら、俺の意識は薄れていった。
◇
どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
目を覚ますと、俺は知らない部屋でソファーで横になっていた。
「あっ、目を覚ましたみたいね」
声はした方に振り向くと、ホリーが隣に座っていた。
「ホリー、ここはどこ?」
「ここは大聖堂にあるラズ様のお部屋ですよ。これからエドの診察をしに、ラズ様がいらっしゃるので安心してください」
その言葉のどこに安心できる要素があるのだろうか?
とりあえず絶体絶命のピンチということだけ分かった。
俺は睡眠薬の影響でふらつく体を叱咤して、強引に起き上がる。
今すぐにでも、この場を去らないと殺される未来しか残らない。
しかし、時は既に遅かったようだ。
「待たせたねホリー。見て欲しい病人ってのはどこだい?」
部屋のドアが開き、老婆が一人入ってくる。
年齢にそぐわない艶やかな銀髪をした女。その声はかつて戦場で聞いた時よりも、いくらかしゃがれていた。しかし、業火のように燃える赤い瞳はかつてのままだった。
忘れもしない。このババアこそ、最強の聖女ラズ・シルバーだ。
そんな最悪な相手との再会に、今すぐにでも窓から身を投げ出したい衝動に駆られる。しかしお節介極まりないポンコツ聖女に腕を掴まれ逃げることすらできない。
「ラズ様! お待ちしておりました。 さあ、さあ、早く診てください。こちらが病人のエドワードです。私がいくら看病しても良くならなくて」
「ふん、いくら聖女といえど、癒しの力で全てを治せるわけじゃないからね。どれ、エドワードとやら、そこに座って顔をみせろ」
ラズがソファーの前に自分の椅子を置いて座る。
しかし、俺は緊張から身動きひとつとれない。気がつけば、手の平が汗でべっちょりと濡れている。
「おや、どうした何故立っている? はやく座りなさい」
違和感を感じたのか、ラズに再度要求される。
「エド、ほらここに座って!」
「う、うん」
ホリーにも催促され、俺は仕方なくソファーに腰を下ろす。
「じゃ診察を始めようか。うん? なんでずっと下を見ているんだい?」
「あはは、昔からシャイな性格でして」
「こんな老いぼれに照れる理由はないだろ。ほらさっさと顔をあげな」
ラズの皺れた指が俺の顎を掴んで、無理矢理顔をあげる。
そして、お互いの視線がぶつかる。
まさに、時が止まったとは、このことだろう。
俺と目があった、ラズは限界まで目を見開いて静止している。口も大きく開けて、鳩が豆鉄砲をくらったかのような表情だ。
俺は気まずい空気に耐えられずに、久しぶりの旧友に挨拶をかわす。
「ど、どうも」
「……」
しかし、俺の気の利いたフランクな挨拶に返事が返ってくることはなかった。
代わりにラズはホリーに顔を向けて鋭い口調で言葉を投げかける。
ちなみに、ラズの手は俺を逃がさんとばかりに、俺の顎を掴んだままだ。
「ホリー、お前はコイツをどこで拾ってきたんだい?」
「人間とアンデットの国境ですけど」
「ほー、ということは、やはり私の目が腐ったわけじゃないみたいだね」
ラズの瞳が、ギロリと擬音がつくような動きで再度俺を睨んでくる。
蛇ににらまれたカエルとは俺のことだ。恐怖で指一本すら動かないんだが?
このババア怖すぎる。
そんな俺達をホリーが心配した表情で様子をうかがってくる。
「あのー、ラズ様。エドの病気は治るのでしょうか?」
「病気だと? 私の視界に病人などどこにもいないが?」
「ええー、なにを言ってるんですか! すぐ目の前にいるのに」
「お前にはコイツが病人にみえるのかい?」
「当たり前ですよ! だって死にそうな顔してるじゃないですか!」
ラズが呆れたような深いため息を吐く。
「はあ。ポンコツだと思っていたがここまでとは……どうしてこんなチンチクリンが聖女なんかに……」
「ひ、ひどい! いくらラズ様でも怒りますよ! 名誉毀損です! 聖女の権利侵害だー」
ホリーが心外だとばかりに声を荒げる。ラズはホリーの存在自体が頭痛の種だと言わんばかりに、空いている片手で頭を抱える。
すると、唐突にラズは俺から手を放し、立ち上がる。
「とりあえず、コイツは私には治せないよ。あんたも聖女なら自分の目で、きちんと相手のことを見極めて診察することだね」
「そ、そんなぁ。ラズ様でも無理なんですか! こ、困ったなー」
むむむ、とホリーはこめかみに指をつけて考え込む。
「どうしよう。エドの病気を治すって約束したのに……こうなったら私が新薬を開発して治してあげるしかありませんね! そうときまったら、こうしてはいられません! エド、すぐに家にもどって再検査をしましょう」
「お、おう」
「ラズ様ありがとうございました!」
ホリーに腕を引かれ、俺は立ち上がる。そのまま勢いに任せて部屋にから出ようとするが、ポンっと小気味の良い音を立ててラズが後ろから俺の肩に手をのせてきた。
スローモーションのようにゆっくりと振り向く。そこには、ゆがんだ笑顔の老婆が、恐ろしい表情で待ち構えていた。
「ちょっとお待ち。私はコイツと少し話があるから、ホリーは先に帰りなさい。後で私がちゃーんと、家まで送っていくから心配無用だよ」
こうして、俺はこちらの正体を知っている最悪な聖女と二人きりで、逃げ場のない部屋に取り残されることになった。