#7 市場
『達する、艦長のライナルディだ。当艦はあと五分でティルブダム港に到着する。各員、入港準備にかかれ。以上だ』
いつのまにか、寝てしまったようだ。このどこからともなく聞こえてくる声で、私は目覚める。
ここは、どこだろう? おぼろげな記憶を辿る。ああ、そうだ。風呂場から出て、アンドレオーニさんと一緒にこの部屋に来て、それから……にしても私、どうして素っ裸なんだろう?
そういえば、アンドレオーニさんの姿が見えない。どこに行ったのだろう。私はこの薄暗い部屋を見渡すが、そういえば私の服も見当たらない。
うう、どうしよう。逃げ出そうにも、こんな格好じゃ逃げられない。いや、今逃げたら私、どうやって生きていこうか。ティルブダムに着いたってことは、ただその場から逃げればズーデルアルデ王国の役人に捕まって、ゴブリン・コロシアムの刑を喰らうのがオチだ。不本意だが、アンドレオーニさんに頼るしかない。
にしても、せめて着るものくらいは欲しいな。このままでは落ち着かない。
そんなことをぼーっと考えながら、シーツをまとったままベッドの上で座り込んでいた。が、あの声が響いたしばらく後に扉が開いて誰かが姿を現す。
「なんだ、起きて、いたのね」
薄暗くてよく顔が見えないが、この間の抜けた言葉区切りはアンドレオーニさんだ。
「あ、あの、私……」
「大丈夫、ちょっと、寝てた、だけだから」
「ちょ、ちょっとって、どれくらい……?」
「一時間くらい、かな」
一時間というのが、どれくらいの時間のことを言っているのかは分からないものの、口ぶりからしてそれほど経っていないようだ。そんな私に、迫るアンドレオーニさん。
「ぐふふ……よほど、疲れてた、みたい。私に、いじられて、すっかり熟睡、してたし」
ゾッとする。背筋に、冷たいものが走るような感覚が襲う。私、何をされていたんだろう?
「あ、あの、それよりも私の服、返してください!」
顔を寄せてくるアンドレオーニさんに、私は叫ぶ。ところがアンドレオーニさんはこう答える。
「ダメ、よ」
ええーっ? まさか私に、この格好のまま過ごせというのかな。それはあまりにもご無体な、せめて服を着せてほしい。
「あの服、今、洗濯中、だから」
「せ、せんたく?」
「だって、泥まみれ、尿まみれ、酷い服。だから今、自動洗濯機で、洗ってる」
な、なんだ。洗ってるのか。てっきり捨てられてしまったのかと思った。いや、でもそれじゃあ私、しばらくこの格好でいろと?
「それじゃ私、何を着れば……」
「大丈夫……ほら、着替え、持ってきた」
そう言いながら、アンドレオーニさんはベッドの上に服を置く。薄水色の上着とトラウザーズ、一見すると女が着るような服ではない。
が、そういえばここではなぜか、男も女も同じような服を着ているな。皆、濃い青色の上着にトラウザーズ姿だ。
「軍服、着せるわけに、いかないし、エルマちゃん、背が、低いし……だから、ジャージしか、なかった」
そう言われて渡されたその服を、私は持ち上げる。この服、妙に伸びる。不思議な布だ。それを着ようと広げると、アンドレオーニさんが止める。
「ちょっと、待って」
「えっ、だって服着ないと」
「ブラも、パンツも、なしに、着るの?」
ブラ? パンツ? なにそれ。するとアンドレオーニさんが置いた服のしたから、なにやら白い布製のものを取り出した。
「これ、ブラジャーと、パンツ。これつけないと、擦れて、痛いわよ」
といって渡されたものの、どうやって身につければいいのか分からないものばかりだ。戸惑う私の後ろに、アンドレオーニさんが回り込む。
「この、ブラジャーは、こうやって、つけるの」
といってアンドレオーニさん、胸当てのようなものを私に当ててきた。だが、その手つきがどこかいやらしい。
「ぐふふ……やっぱり、ちっちゃいわね。これでも、小さい方、でも、隙間だらけ」
と言いながら、いちいち私の胸に触れてくる。うう、なんだろう、不快ではないが恥ずかしい。
で、その調子で下に履くパンツというやつも履かされた挙句に、ようやくジャージとかいう服を着ることができた。ただこの服、少し大きい。でも伸びやすい布のおかげで、とても動きやすい。
こうしてようやく私は、部屋の外に出ることができる。
「ところで、エルマちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「さっき、事情を言って、手続きしたから」
「手続き?」
「宇宙港の街で、暮らすための、許可」
アンドレオーニさんがそう言い終わるか終わらないかの時に、突然、ガシャーンという大きな音が響く。少し、床が揺れた。
「ああ、着いたわね……」
その音を聞いて、アンドレオーニさんがそう呟く。
「あの、着いたって、どこにです?」
「ティルブダム港、つまり、宇宙港、よ」
また意味不明なことを口走るアンドレオーニさん。ティルブダムということは、王都だ。でも港って……王都には、海も湖もない。川はあるが、港というものが作れるほど、大きな川ではない。
が、そういえばこの船は、空を飛ぶんだった。空飛ぶ船の港か。それなら海や湖がなくても作れるかも。でも、そんなもの王都にあったかな?
アンドレオーニさんの手に引かれ、私は再び通路を歩く。しばらく歩くと、またあのエレベーターというところにたどり着く。あの四角い模様を押してしばらく待つと、扉が開く。
が、今度は思いの外、たくさんの人が乗っている。その隙間に、私とアンドレオーニさんが乗り込む。
中は、私とアンドレオーニさん以外は男ばかりだ。しかも皆、私の方をジロジロと見てくる。そんなに私、珍しいのかな。皆の視線を気にしながら、どうにかそのエレベーターを降りる。
出口が見える。目の前には大きな扉が開いており、そこからは陽の光が差し込んでくる。と言っても、もう夕刻のようで、赤い空が垣間見える。
その出入り口に向かう私とアンドレオーニさん。だけど、そこで私はふと気づく。
そうだ、ここは王都ティルブダムだ。ということは、ここを一歩でも出れば、役人が待ち構えているかもしれない。私は一瞬、立ち止まる。が、アンドレオーニさんはそんな私の腕をぎゅっと引く。
「大丈夫……怖がらなくても、いい」
と言われて、再び歩き出す。そして出口から外に出る。
見たこともない光景が、目の前には広がっていた。
地面が真っ黒だ。そこに白い真っ直ぐな線が引かれている。その向こうには、大きな灰色の城塞のような船が、いくつも並んでいる。
ふと見上げると、私が今まで乗っていた船が見える。真上には、真四角で大きな柱のようなものがすーっと伸びており、中程から膨らんで、その先端が地面に伸びており、そこにこの出口がある。
こんな大きなものに私、乗っていたんだ。改めて見ると、こんなものが空に浮かんでいたなんて、とても信じられない。でもふと周りを見ると、まだ浮かんでいる船が見える。ちょうど真上に向かって離れていくもの、反対に、降りてくる船。そんな船が行き来している。まさしくここは港だ。
だけどティルブダムにこんな場所、あったかな? いつの間にこれほど大きな港ができたのだろう。故郷を離れて二年、その間に王都は、大きく変わってしまったようだ。
で、それから私とアンドレオーニさんはバスという乗り物に乗って、ある建物に向かう。そこはガラスという透明な板で囲まれた不思議な建物で、中に入ると、とてつもなく広い。その広い場所のなかで、荷物や人が行き来している。
唖然としながらアンドレオーニさんに連れられて、その建物のエレベーターに乗り込む。透明なエレベーターで、昇る様子が見える。遠くを見ると、宮殿が見えてきた。
ああ、ここは本当に王都なんだ。だけどよく見れば、王都とこの宇宙港の間には、高い壁のようなものがある。エレベーターを降りるとそこは辺りを見渡せる展望台というところだった。そこで私は宮殿とは反対側を見てみた。
やはり、壁がある。そして囲まれた壁のその内側の地面は全て真っ黒で、それが碁盤目のように敷かれていて、その間に建物がいくつも並んでいる。とても高いものもあれば、まだ作りかけのものもある。
「ここは、ティルブダムとは違う、宇宙港の街」
「宇宙港の……街?」
「そう、地球七七二の人たちだけが、住むことが、できる、治外法権の街、なの」
そういえばアンドレオーニさんは、遠くの星からやってきたと言っていた。いわば、星の国の人。その遠くの星から来た人が暮らす街が、いつの間にか築かれていた。
「で、私とエルマちゃんが、住むのは、あの、建物」
といって、アンドレオーニさんが一際大きな建物を指差す。それは高く、幅も広い茶色の建物。窓がずらりと並んでいて、まるで蛮族の侵入を阻止するための城塞のような、そんな雰囲気の建物だ。
「あれぇ、エルマさんとアンドレオーニ少尉じゃないか?」
と、後ろから急に声をかけられる。振り返るとそれは、あの男の人、確かカルデローニさんと言ったか。
「カルデローニ少尉、どうして、この、展望台に?」
「いや、この街を写真に納めたくて来ただけなんだけど、それよりもどうしてアンドレオーニ少尉とエルマさんが一緒に?」
「彼女、私と一緒に、暮らすから」
「えっ? だってエルマさんは、王国側に引き渡すんじゃないの?」
「そんなこと、したら、エルマちゃん、殺されてしまう」
「ああ、それはそうだよね。そういえばエルマちゃん、王国を裏切って隣国に逃げたったよね」
いちいち私に聞こえるように言わないでほしいなぁ。というか、この会話の中で私は、あることに気づく。
「アンドレオーニさん、ちょっとお聞きしたいんですが」
「なに……?」
「私、アンドレオーニさんと一緒に暮らすんですか?」
「そう、あなた、私の使用人、そういうことに、して、この街の住人登録、しておいた」
ええーっ? 私、いつの間にかアンドレオーニさんと暮らすことになっていた。でもどうしていきなり、私はアンドレオーニさんの使用人てことになるの?
「そうか、使用人制度を使って、この星の住人にしたんだな」
「そう……それなら、この街に、この星、地球一〇五六の人、住めるから」
「なるほど。で、この街の仕組みに慣れていないエルマさんにとっても、アンドレオーニ少尉がサポートしてくれるわけだ。いやあ、連れ帰った時はどうなるかと思ってたけど、これでエルマさんも安心だね」
えっ、安心なの? 悪い予感しかしないけど。カルデローニさん、とても笑顔でこちらをみてくる。こう言ってはなんだがこの男、単に面倒ごとが解消できたと思っているだけじゃないのか?
「それじゃ、あとのことは頼んだよ、アンドレオーニ少尉」
「ええ……任せて、ちょうだい」
私とアンドレオーニさんに手を振るカルデローニさん。そしてそのまま、エレベーターへと向かっていった。
「さて……私たちも、行きましょう」
なぜか私を見る目が、とても鋭く感じられる。前髪の隙間から見せるあの眼光からは、とてつもない魔力のようなものを感じる。魔力量なら誰にも負けないはずの私が、圧倒されている。この人やっぱり、只者じゃない。
そして、エレベーターを降りる。一番下の地面まで到達すると、そこで降りてこの宇宙港のセンタービルとかいう建物の外に出る。
その建物の前には、平らな建物がある。板を並べたような建物だが、大勢の人が出入りしているのが見える。
その建物に、アンドレオーニさんは私の手を引いて向かおうとする。
「アンドレオーニさん、あれはなんの建物なんですか?」
私は尋ねる。
「あれは……仮設の、市場」
「えっ、市場?」
「この街、まだ、作りかけだから……あそこで、エルマちゃんの、服や食べ物、買わないと」
どうやらこれから私は、買い物に付き合わされるらしい。