#4 食肉
「おう、アンドレオーニ少尉か。なんで主計科がここにくるんだ?」
「娘、連れてきたから、女の私が、行けと、艦長が。それに、その娘、お漏らししたって、聞いたし……」
うう、私自身も忘れたいことがどんどんと広がっているようだ。お願いだから、あまり言わないでほしい。
「それもだけどよ、このお嬢ちゃん、空腹らしいんだ」
「えっ、そんな話、聞いてない……」
「俺も今、聞いたところだ」
「ぐふ、首輪付きで、お漏らしして、おまけに、空腹だなんて……ぐふふふ、なんて、不憫な娘……」
私を見てほくそ笑むこの女。アンドレオーニさんと言ったか。何がそんなに面白いんだろうか。もしかして、また馬鹿にされている?
「なら、まずは食堂へ、連れて、いきます……」
アンドレオーニさんがそう告げると、私の方を見て、手を差し伸べる。なんとなくだが、手を出せと言っている? 私は恐る恐る手を伸ばす。するとアンドレオーニさんは私の手をつかむと、つかつかと歩き出す。私は慌ててついていく。
首輪がなくなったので、歩きやすくはなった。が、この人、歩くのが早い。ただでさえ空腹なのに、おまけに早歩きに付き合わされる。これではまるで、ケムニッツェ王国での扱いと変わらないじゃないか。
天井にも壁にも窓がないのに、妙に明るい通路を進む。すると、扉がならんだ壁が正面に現れる。そこで立ち止まったアンドレオーニさんは、脇にある四角い模様を指で押す。
「あ……これ、なんだか、分かる?」
と、この人は私に尋ねる。何が何だか分からないから、私は首を横に振る。
「そうなのね、やっぱり、私たちのテクノロジー、知らない、わよね」
と、なんだか見下ろすように私を見るアンドレオーニさん。なんだろうか、もしかして私、さげすまれてる?
「これは、エレベーターって、言うの……簡単に言うと、この艦の中の、上下の移動を、するための、ものなのよ」
ふね、今、ふねと言った。そういえば、ごたごたで忘れかけていたが、ここは空中に浮かんだ城塞のようなところだった。外から見た限りでは、とてつもなく大きな建物のように見えた。当然、上り下りをするのは大変だろう。
などと考えていると、目の前の扉が開く。すーっと横に開いたその扉の奥には、小さな部屋が現れる。
「さ、乗り込む、わよ……」
この人、前髪がとても長くて、顔がよく見えない。おまけに独特なしゃべり口調が妙に不気味だ。しかも、その髪の毛の隙間から見せる目がいやに鋭い。その鋭い目で私を睨みつけながら、私をこの部屋に入るよう誘う。うう、なんだかこの人、おっかないな。
何が何だか分からぬまま、そのエレベーターという部屋に乗り込む。扉が閉まると、一瞬、フワッと身体が浮いたような感じがする。
やがて、扉が開く。さっきとは明らかに違う場所だ。扉を抜けて、再び通路を歩く。その先にはひときわ明るい場所が見えてくる。
そこから漂う匂いが、食べ物の香りであることはすぐに分かった。もしかして、何か食べさせてもらえるのか?
「服を、何とか、したいけど、まずは……食事ね」
そう告げるアンドレオーニさんに、私は首を縦に振る。もうお腹が空いてたまらない。何か食べたい。いかにもおいしそうな食べ物の香りの漂うその場所で、私の食欲は頂点に達する。
「ちょっと、待ってね……まずは、注文しなきゃ」
が、その入り口で私は止められてしまう。そこには、何やら食べ物の絵の描かれた看板が置かれている。注文って、人ではなく看板に注文? この人、何を言っているのやら。
が、そこに描かれた絵は、アンドレオーニさんの手の動きに合わせてするすると動き出す。次々と流れる、食べ物らしき絵。なにこれ、そんな魔導が仕掛けられているの? 何枚かめくったところで、とある絵で手を止める。アンドレオーニさんが呟く。
「手っ取り早く、食べたいよね……じゃあ、ピザに、しちゃおう」
といって、その絵に手を触れる。すると絵の周りが明るく光ると、何やら文字のようなものが現れる。
「ピザ、注文したわ……さ、行きましょう」
といいながら、再び私の手を引いて中に入る。厨房のようなところの前に、二人で立つ。
なんだか、私の方を見る視線を感じる。思えば、私だけ違う服装だ。周りの人たちは皆、濃い青色のさっぱりした服を着ているが、私は茶色で硬い上着に、乳白色の下着と黄色いベルト、そして尖った帽子。明らかに目立つ。
だが、そんな視線よりも気になるものが、厨房の奥には見える。
腕だけの奇妙な化け物が、忙しそうにうごめいている。それは食材らしきものをさばきながら、料理をしているようだ。しかしその腕には胴体もなければ、顔もない。ただ腕だけが動いており、器用に何かを作っている。うう、気持ち悪いな。
その腕の化け物が、私の目の前に大きな皿を差し出す。
「さ、できた」
皿だけ出されても、と思ったが、皿だと思ったそれは、こんがりと焼け目がある。まさかこの皿、食べ物なのか? さらにその皿からの香りが私の顔を襲う。
ああ、これはチーズの香りだ。平らな皿のようなそれは、やっぱり食べ物だったのか。よく見ると切れ込みが入っており、上にはチーズと思しき黄色のものと、ちりばめられた細切れの野菜、そして茶色の何かがちりばめられている。
それを、厨房の後ろに並べられたテーブルまで運ぶ。そこで座り、いよいよ食事にありつける。
が、これって、どうやって食べるの?
「あ、ピザの食べ方、分からない?……簡単、これを、こうやって、ちぎって……」
するとアンドレオーニさんが、そのピザという食べ物の食べ方を教えてくれる。要するに、切れ込みに沿ってそれを一つつまみ上げ、そのまま食べる物だと教えてもらう。
ようやく私は、半日ぶりに食事にありつける。つまみ上げたその薄く香ばしい匂い漂うその食べ物を一口、口にする。
なんという、濃厚な味か。熱いチーズと、コリコリとした小刻みな野菜、そして……そう、この茶色のものは、肉だ。
ただの肉ではない。濃厚な味ながら、それでいて少し、ピリッとする刺激がある。香辛料だ。そんな贅沢な味を、私は久しぶりに味わった。
しかし、香辛料なんて貴族でなければ口にすることができない。私もズーデルアルデ王国で蘇生魔術士として迎え入れられた直後に行われた社交界で、初めて口にしたほどだ。貴族でさえも年に数回しか口にできない、非常に貴重なものだ。
そんな貴重なものを、転がり込んできた私に気前よく渡される。それどころか、周りの生地もチーズもすべてが格段に美味い。これほど美味しいものがこの世に存在していたとは、とても信じられない。
で、あっという間にその一枚をたいらげてしまった。
しかし、ちょっと物足りない。
「あ……食べ足りない、のね。追加で、頼むわね」
そんな私の表情をみて、アンドレオーニさんがまたピザという食べ物を頼んでくれた。再び、あの薄くて丸い食べ物が、目の前に運ばれてくる。
ただ、今度は少し赤い。肉はあるが、先ほどのものと比べると薄くてとても硬い干し肉だ。だけど不思議なことに、その硬さがいい歯ごたえを生んでくれて、これはこれで美味しい。
さらにもう一枚、こんどはチーズばかりのピザを頂いて、ようやくお腹が膨れる。ああ、なんて美味しい食事だろうか。お腹も体力も、そして魔力もみなぎってくる。
周りを見渡すと、ここでは二十人ほどが食事をしているのが分かる。食べているものは様々だ。見渡す限りでは、茶色の大きな肉の塊と思われる食べ物、分厚い一枚肉など、肉料理が多いように感じる。
そこで私は、ふと思いつく。
肉料理、言い換えればあれは、動物の「屍」じゃないか。
それはつまり、あれに私の魔術が通じるのではないか?
ここがどこだか分からない。ここにいる人たちが、どこの国から来たのかすら知らない。私は今、ここで美味しいものにありつくことができたが、それはつまり、その分、私を働かせようと考えているのかもしれない。
ケムニッツェ王国へ出向いた時も、最初は歓迎された。が、その日の夜に彼らは豹変し、私は牢に閉じ込められてしまった。まんまとしてやられた過去がある。ここでも、同じ目に会わないとは言えない。
だから私が今、ここで自らの下僕を得ることは、自らを守る上で損はない。
となれば、今しかない。
そう考えた私は、右手を伸ばす。そしてこの食堂にある屍どもに、満腹となり満ちあふれた我が魔力を送り込む。
「グェフ マファン アンダズェ モンフェス!」