#17 デート
「はぁ……」
「なに、ため息、ついてんの?」
うう、一千ユニバーサルドルが、たった一軒のお店で使い果たされてしまった。
そこは、この街の中でもすごく眺めのいいお店。すぐ脇には吹き抜けがあって、一つ下の階層に広がる公園を眺めることができる、そんなお店。確かに、眺めはいい。
そしてそこで食べた料理も、確かに美味しかった。フルコースというらしいのだが、極めて上品で、前菜から主料理に至るまで、贅を尽くした料理の数々が並べられる。
が、言ってしまえばそれだけのことに、ピザ五十枚分のお金がすべてつぎ込まれてしまった。後には、百七十ユニバーサルドルしか入っていない、普段使いの電子マネーだけが残される。今後のことを思うと、これもあまり使えないな。
うう、もっと手軽で美味しいもの、チュロスやアイス、クレープが食べたかったのに。私にとっては、甘味こそが至高の味。それをいくつも味わう手段を得ながら、よりにもよってアンドレオーニさんにすべて使い果たされてしまった。
しかも、だ。
「あ、ごめん、これから私、仕事、ある」
といって、アンドレオーニさん、私一人をこの街の只中に放り出して去ってしまった。
で、高級料理店から眺めていた公園に、私は一人、座り込んでいる。緑多いこの場所には、多くの男女が手をつないで仲睦まじく歩いているのが目に入る。
が、私にはそんな相手はいないし、肝心のアンドレオーニさんはどこかへ行ってしまったから、たった一人、この見知らぬ四階層の街に放り出されてしまったのだ。
私は今、あの尖がった帽子に、ごわごわした薄茶色の魔術士の姿で、ここにいる。
これがあの宇宙港の街なら、チュロスの一本でももらえるところなのだが、ここでは奇妙な姿をしたおかしなやつくらいにしか思われていないようだ。誰一人、私のこの姿に関心を抱くものはいない。
ああ、寂しい……こんなことなら、最初から私一人であの電子マネーを握りしめ、豪遊していればよかったな。たらふく甘味を味わうことができただろうに。どうして私はアンドレオーニさんに渡してしまったのだろう。
後悔で心押しつぶされそうになりながら、公園のベンチに座ってうなだれていると、突然、声をかけられる。
「あれ、やっぱりこの格好、エルマさんだ」
不意に名前を呼ばれて、ふと顔を上げる。そこにいたのはカルデローニさんだった。
「あ、カルデローニさん」
「浮かない顔だね。どうしたの?」
「いや、実はですね……」
話し相手もいなかったし、私はここに来てからの話を洗いざらい、カルデローニさんにしてしまった。
「なんだ、それですることがなくて、ここで黄昏ていたんだ」
「ええ、まあ、そういうことです」
そんな話をカルデローニさんにしたところで仕方がないのだけれど、やり場のないこの気持ちを発散したくてつい、話してしまった。少しだけ、後悔している。
「それじゃあ、僕がいいお店に連れて行ってあげようか」
ところがだ、この話を聞いてこの人は、私をどこかに連れて行ってくれるという。
「えっ、いい店、ですか?」
「そうだよ」
「でも私、さっきたくさん食べてしまったので、そんなにお腹空いてないのですが……」
「飲み物くらいなら、飲めるでしょ?」
「ええ、まあ」
「じゃあ決まりだ。この街にいるなら、一度は訪れた方がいいお店だよ」
というので、私はカルデローニさんについていくことにした。
「しかし、酷いなぁ。それってつまり、エルマさんの魔力で稼いだお金を、アンドレオーニ少尉の思うがままに勝手に使い込まれたってことでしょう?」
「はい、そういうことになります」
「そういうのはまず、エルマさんのやりたいことを聞くべきだよねぇ。僕だったら、そうするかなぁ」
この人、わりと遠慮もなしにずけずけと物申す人だけど、今度ばかりは私も同意するばかりだ。まったくその通り、私のお金、返せと言いたい。
「で、その飲み物のお店というのは、どこにあるんですか?」
「もうすぐだよ。ほら、あそこ」
といって、カルデローニさんが指差す先には、妙に賑わったお店が見える。
何のお店だろう。飲み物とは言っていたが、どんな飲み物が出るのか、私は知らない。
「そうだ、エルマさんは二十歳を超えているよね」
唐突に、カルデローニさんが尋ねかける。
「はい、二十歳になったばかりですが」
「そうなんだ。じゃあ、大丈夫か」
「何が、大丈夫なんですか?」
「いや、お酒飲めるよな、と思ってね」
「えっ、お酒?」
飲み物って、お酒のことか。でもどうして二十歳以上だと聞いてきたのだろうか?
聞けば、ここは二十歳以上でないとお酒は飲めないそうだ。そういう法があるという。ふうん、そうなんだ。知らなかった。
「えっ、エルマさんって、今までにお酒飲んだことあるの?」
「だって、ズーデルアルデ王国の社交界では必ず飲まされてましたよ。ワインとか、エールとか」
「へぇ、それじゃあもうお酒は経験済みなのか。いや、むしろその方が楽しめるかな」
お酒にはあまり、いい思い出がない。特にケルニッツェ王国で飲まされたお酒は、酷いものだった。
薄い、というか、生臭い。本来、水の生臭さを消すためのエールであるはずが、それを川の水で割って渡されていたから、よほど喉が渇いていないと飲めたものではなかった。
ズーデルアルデ王国にいた時の社交界でも、酸っぱいワインを飲まされたその翌日には、酷い頭痛に襲われたことがあった。だから、できれば飲むのは断りたかったが、そうもいかないのが貴族社会というところだ。社交界のたびに悩まされていた。
うう、嫌だなぁ。そんなものより、ジュースとかの方がいいかな。
「あの、私、お酒は苦手なので、ちょっと……」
「そうなの? せっかく奢ってあげようかなって思ってたのに」
「へ? 奢り?」
「しかもその店、ティルブダム港の街では見られないタイプの店だから、行かないときっと、後悔することになるよ」
やんわりと断ろうとしたら、奢ってくれると言われてしまった上に気になることを言う。手元のお金が乏しいから、お金を出してもらえるのはありがたい。その言葉に負けて、結局私はカルデローニさんについていくことになった。
大きな店に着く。丸いテーブルが並び、そこでは幾人もの男女が向かい合って座り、各々グラスを持ってお酒らしきものを飲んでいる。
らしきもの、と言ったのは、それがお酒には見えないからだ。鮮やかな赤や青、黄色といった不思議な色合いのそれは、果たして飲み物なのかも怪しい。ジュースでも、あれほど刺激的な色のものは見たことがない。
「じゃあ、エルマさんはカシスオレンジで、僕はモスコミュールにしようかな。おつまみは、ゴーダチーズに、ゴルゴンゾーラにしようかな?」
店員さんに注文しているみたいだが、今のはなんだ、何かの魔術の詠唱か? まるで古語のごとき響きの名前が飛び出したぞ。それは多分、お酒の名前なんだろうけど、名前からはその姿は想像がつかない。
が、やってきたのは鮮やかな柑橘色をした飲み物だった。カルデローニさんの前には、薄茶色のもの。二人の間に置かれたのは二種類のチーズ。その一つは、青かび特有のツンとした香りを醸し出している。
「あの、これって……」
「カクテルっていうんだよ。エルマさんの口に合うと思うんだけどなぁ」
軽い調子でカルデローニさんに返されてしまったが、要するにこれは柑橘系の飲み物だ。でも、そんなお酒がこの世にあるとは……私は恐る恐る、そのグラスに口をつける。
一口、飲む。口の中で、ぱあっと広がる甘さと酸っぱみが、何とも言えない爽快感を与えてくれる。
確かに、これはお酒だ。が、どちらかというとジュースに近いお酒。こっちの文化の食べる物と飲む物は、いつも私の予想のかなり上を行ったものが飛び出してくるから怖い。
その点、このチーズの方はわりと予想通りだった。これならズーデルアルデ王国にもありそうな味だ。ただし臭みは少な目で、若干上品な風味ではある。
「うふ、うふふ」
なんだか嬉しくなってきた。こっちのお酒がこれほど美味しいものだとは知らなかった。半分ほど飲んだところで、なぜか急に笑えてくる。
「あれ、エルマさんって笑い上戸なんだね」
そんな私を見て、カルデローニさんがそう私に言う。私って、今までもお酒を飲んで笑ってたかな? と、そこで急に私はあることを思い出す。私はカルデローニさんに、突っかかる。
「あ、そうだ」
「えっ? 突然、どうしたの?」
「そういえばコルシーニさんが言ってましたよ。急に優しく迫るような男は、下心があるから気をつけろって。カルデローニさんも、私にお酒飲ませて、あわよくば連れ帰ってやろうとか、そんなこと思ってるんでしょう?」
急に不機嫌に迫る私に、やや動揺気味のカルデローニさん。だがこの人、すぐにこう答える。
「そりゃあそうだよ。僕だって、下心満載さ」
「な……」
「でもそれはつまり、エルマさんがそれだけ可愛いってことでもあるんだよ」
なんとこの男、あっさりと認めやがった。なんていう無神経極まりない人なのか……と思いきや、馬鹿正直に私のことをこう評するから困る。
「ななな、なんですか、可愛いって。私、女らしくないって言われることはありますけど、可愛いだなんて……」
「えっ、そう? 僕は最初に出会った時から、可愛い人だなぁって思ってたけど」
この人こそ、酔ってるんじゃないだろうか。最初に出会った時って、私がケムニッツェ王国軍に置いていかれたあの時だよな。その時、カルデローニさんは私に向かって嫌そうな顔して、めんどくさいとか漏らしたとか言ってなかったか?
「じゃあ、ちょっと聞きますけど、私の具体的にどこら辺が可愛いと?」
「顔が童顔で、胸が小さくて、背が低いところかな」
やっぱり私、馬鹿されてるんじゃないだろうか? ますます不機嫌になる。せっかく美味しいお酒が不味くなるじゃないか。
「ちょっとカルデローニさん、私のことやっぱり馬鹿にしてませんか?」
「えっ、なんで?」
「だって、背や胸が小さいだの、童顔だのと……」
「何言ってるの、それがいいんじゃないか」
う、なんだか真剣な顔で返されたぞ。ここまで本気で冗談を言える人がいるだろうか。ふと私は、そう思う。
「と、いうわけで、次、頼もうか」
「は、はぁ……」
「あ、店員さん、注文お願いします。マルガリータとブルーハワイを一つづつ」
カルデローニさんの勢いに押されたまま、私はなぜか納得させられる。次の飲み物が届けられるが、今度はどういうわけか、緑色と青色だ。こんな色のもの、飲んでも大丈夫なの?
で、私は真っ青なブルーハワイというやつを飲んでみた。見た目に反して、やや甘酸っぱい味が口に広がる爽快な風味だった。
二杯目ということもあって、少し酔いが回ってきたのを自覚する。私は、目の前で緑色のカクテルを口にする無神経な男を凝視する。
こうしてみるとこの人、見た目は案外悪くない。それに、私を助けてくれた。結果として、ケムニッツェ王国軍から解放されたし、あのゴーレムと戦うところも凛々しかった。
言いたい放題言っているが、別に私に好意がないというわけではなさそうだな。それどころか、好意剥き出しだ。変な人ではあるが、アンドレオーニさんと比べたらまだマシな方だ。それに、私が魔術士だと知る数少ない人物の一人ではあるが、私を特別視してはいない。こうして、お酒まで一緒に飲んでくれている。
やや打算的ではあるが、少しこの人に、興味がわいてきた。
で、三杯ほどカクテルを飲んだ後に、再び公園へと戻る。そこで少し、酔いを覚まそうとベンチに座る。
「どう? いいお店だったでしょ」
そう尋ねるカルデローニさんに、私はやや警戒気味に答える。
「ええ、まあ……でも、私をこんなに酔わせて、このままどこかへ連れ込もうとか」
「まさか、本人の同意なしでそんなことしないよ。それに、もし必要ならこんなものもあるよ」
といって、小さな包みを取り出す。
「なんですか、これ?」
「酔い覚まし、だよ。これを飲むと、三十分ほどで酔いが覚めるんだ」
「へぇ、そんなものがあるんですか?」
「駆逐艦内は、飲酒は禁止だからね。例えば酔っている時にいきなり緊急発進がかかったときなどに、これを飲むんだ」
そんな薬まであるのか。もうなんでもありだな、ここは。つまり、これを持っている限りはいつでも素面に戻れると、そういうわけか。
「一つ、渡しておくよ。二日酔いになりそうかなと思ったら、飲んでもいいし」
といって、私にその包みを手渡す。私はそれを受け取るが、その時にカルデローニさんの手に触れる。
なぜか私は、カルデローニさんの手を握る。親指の下の膨らんだ部分を握ると、カルデローニさんも私のその手を握り返す。
不穏な、いや、甘美な雰囲気になってきた。アンドレオーニさんと向かい合うときにも似たような感情を抱くことがあるが、それ以上の衝動が私の身体を貫く。私とカルデローニさんはしばらくの間、じっと見つめ合う。そして……
顔同士が、近づいたその時だ。いきなり私の背後から、声がする。
「ちょっと、二人、何、してるの……?」




