#15 到着
この艦にはもう一人、女の人がいることを知った。
「ちょっと、アンドレオーニ少尉! エルマちゃんにまた変なこと、してるんじゃないでしょうね!?」
コルシーニさんという、通信士をしている方だ。今回、この艦に乗って面識を得た。が、この人、アンドレオーニさんと比べたら勢いがあり過ぎる。
「変なこと、してないわ。エルマちゃんが、喜ぶことしか、してない」
にもかかわらず、臆することなく飄々と言い返せるアンドレオーニさんも大したものだと思う。
「えっ、あれが喜んでることなんですかぁ?」
コルシーニさんがこう答えるのにも訳がある。昨晩、二人でお風呂に入っていた時のこと。いつものように、私を背後から抱きかかえていじるアンドレオーニさんの姿を、そこに偶然入ってきたコルシーニさんが目撃したからだ。
「あの時のエルマちゃん、無い胸を触られてて、真っ赤な顔してすっごく迷惑そうでしたよ! あれのどこが喜んでたというのですか!?」
「それは、あなたの、理解不足。ああ見えて、エルマちゃん、内心とっても、喜んでるのよ……」
このコルシーニさんという人、かなり遠慮がない。特にこの食堂には二十人ほどの乗員が集まっているのだから、あまり大声で私の胸のことを小さいとか言いふらさないでほしいなぁ。
「あのさ、コルシーニ兵曹長。食堂で言い争うのはやめた方がいいんじゃないか?」
「なんですか、カルデローニ少尉! そんなこと言って、少尉だって虎視眈々とエルマちゃんを狙ってるんでしょう! ほんと、男っていやらしい!」
そうそう、コルシーニさんという人は、なぜか男の人を毛嫌いしている。まるで発情したゴブリンのような汚らしい存在だと思っている節があって、男の人が仕事以外の時に話しかけるとこの通り、酷い言葉で返される。
うう、どうして私はこれほど殺伐としたところにいるんだろうか。早くピザ食べて、この場を離れるとしよう。
などと考えながら、二人の会話に耐えつつピザを頬張っていたのだが、そこに艦内放送が入る。
『達する、艦長のライナルディだ。当艦はまもなくワームホール帯に到達する。そこでワープし、四十二光年先の二色星雲に達した後、戦艦アンドレアに寄港する。各員、ワープに備えよ。以上』
聞くところによると、この艦は今、一千隻の船と共に二色星雲と呼ばれる場所へ向かっているのだという。星雲というのがさっぱり分からないので、聞いてみた。アンドレオーニさん曰く、緑と薄紅色の二色の雲のようなものがぶつかり合っている場所なんだという。えっ、宇宙なのに、雲があるの?
「でも、緑とピンクって……エルマちゃんに、そういう色の、ひらひらした服、着せたら似合うかも……ぐふぐふふ」
「な! ちょっとアンドレオーニ少尉、何言い出すんですかぁ! そんなもの着せたら、ライトの光に引き寄せられる蛾のように、危険な男どもがエルマちゃんに群がっちゃいますよ!」
唐突にこういうことを言うから、コルシーニさんが怒るんだと思う。でもそんなコルシーニさんも、ついでに男の人のことを手酷く言い過ぎてはいないか?
そんなギスギスした雰囲気の食事を終えると、なぜかアンドレオーニさんと艦橋へ向かうことになった。なんでも、ワープするところを見せてくれるんだそうだ。ワープって、何だろう?
「ワープって、言うのは……ワームホール帯っていう、宇宙に開いた、トンネルのようなもの、使って、とても遠くまで、ジャンプする、そういう航法のこと……」
アンドレオーニさんがそう教えてくれたけど、何言ってるのかまるで分かんないなぁ。要するに、この宇宙で遠くまで旅するために必要な技のようだ。
で、私はアンドレオーニさんと手をつないだまま艦橋へとたどり着く。一瞬、私の方を艦長さんがじろっと見る。が、特に何かを言い返すことはない。なぜだろうかなぁ、一瞬、呆れたような顔をしたように見えたのだが。
そんな艦長さんを通り過ぎて、窓のそばまでやってくる。といっても、相変わらず真っ暗な闇の中。あとは無数の星が見えるくらいだ。
いや、そんなことはなかった。ふと横を見ると、ずらりと灰色の艦が整然と並んでいる。
見事なまでに等間隔に、横一線に並ぶ灰色の艦。下の方にもその並びがあり、無数の艦が同じ方角に向かって進んでいることを知る。ああ、そういえば一千の艦が一緒だと言っていたな。あれほど大きなものが音もなく並走していると、さすがに気味が悪い。
「ワームホール帯到達まで、あと一分」
「超空間ドライブ、起動」
「了解。超空間ドライブ、起動よし」
「艦橋より戦闘指揮所(CIC)、砲雷長へ。主砲発射準備。ワープ先の会敵に備え」
『CICより艦橋! 了解! 砲撃準備よし!』
「航海長。ワープ三十秒前より、カウントダウンせよ」
「了解! ワープまであと四十五秒!」
で、艦橋の中では相変わらず声掛けが続いている。ワープというやつが、そろそろ行われるようだ。
ここまで大袈裟に掛け声をしなければならないということは、大魔導の儀式的ものを行うつもりなのか? そういえば、ズーデルアルデ王国でも大海原に出る時には、魔除けの神事を行い、船に加護の魔導を授けるという儀式が開かれるのが通例である。そうしないと、海に棲むクラーケンのような魔物に襲われてしまうからだ。
「十八、十七、十六、十五……」
刻々と、そのワープという神事の時が近づいてくる。いかなる魔導儀式が行われるのか、魔術士としては目が離せない。
「三、二、一、今!」
「超空間ドライブ作動、ワープ開始!」
いよいよ、神事が始まった。私は、固唾を飲んで見守る。
目の前が急に、真っ暗に変わる。無数にあった星空が、一瞬にして消える。見えるのは、等間隔に並んだ他の艦だけだ。何かが、始まった。
かと思ったら、急に明るくなる。目の前には、緑と薄紅色の雲のようなものが現れた。
「ワープ、完了!」
「星図照合、現在地を知らせ!」
「レーダーに感、艦影多数、数およそ三千」
「味方識別信号(IFF)受信、友軍です」
「そうか。艦橋よりCIC、砲撃戦、用具納め」
『了解、砲撃戦、用具納め!』
非常にあっさりと、その儀式は終わる。が、目の前に現れたのは巨大な雲。緑と薄紅色、本当に二色の雲がこの宇宙にはあるんだ。
しかしこんなに大きな雲、見たことないぞ。いくら遠くだからって、これだけ大きければ、私の星からも見えるんじゃないのか?
「えっ……こんな雲、今まで、見たこと、ないって?」
「そうです。こんな明るい雲があれば、いくら遠くても見えるんじゃないかと思うんですが」
「そうね……ちょっと待って、調べて、みる」
と言って、スマホを取り出してなにやら調べ始めたアンドレオーニさん。しばらくすると、少し微笑みながらこう言い出す。
「この星雲、南半球でしか、見えないって」
「み、南半球?」
「エルマちゃんの、住む大陸、北半球だから、見えないみたい。南に行けば、とても明るく、筋状に、見えるみたい」
アンドレオーニさんによれば、星は丸いので、北と南では見える星が違うらしい。北で見える星もあれば、南でしか見えない星もあるんだそうだ。
「南の、海辺で、一緒に、明るい星雲、眺めながら……ぐふふ、それ、楽しいかも」
いけない、アンドレオーニさんの中で何かがはじけてしまったぞ。前髪奥の目を光らせながら、私に抱きつこうとする。それを見た艦長さんが、咳払いをして制止する。うう、危なかった。
それからしばらくの間、その艦橋にとどまる。今、ここを出たら、アンドレオーニさんに部屋か風呂場へ連れていかれそうな勢いだ。
その間にもこの艦は、たくさんの駆逐艦が密集する場所へと到達する。窓の外に乱雑に点在する他の艦。その向こうを見ると、奇妙なものが目に留まる。
大きな灰色の岩の塊のようなものが見えてきた。他の艦が真四角で整った形をしているというのに、それはまるで削り出した岩のような姿だ。それが徐々に近づいてくるが、やがて私はその武骨な塊に圧倒されることになる。
大きい。駆逐艦が大木に張りついたカマキリに見えるほど、こいつはでかい。岩というより、山のようだ。灰色の巨大な山が、漆黒の闇の只中にぽっかり浮かんでいる。
「戦艦アンドレア管制塔より入電! 艦橋横、第二ドックへの入港許可、了承!」
「了解だ。進路そのまま、両舷前進最微速、入港準備かかれ!」
「繋留ビーコン、キャッチ! 距離七百!」
「両舷停止、慣性航行! 接舷用意!」
この艦は、その岩肌の上にドンと置かれた丸い宮殿のような建物の脇に向かって、ゆっくりと進む。灰色の岩肌には、いくつもの駆逐艦が張り付いているのが見える。他にも尖った物見やぐらのようなものがいくつも目に入る。
「第二ドック、繋留ロックまであと三十……二十……十……今!」
「繋留ロック接続、艦固定!」
前の方から、ドシーンという大きな音が響き渡る。見ればこの艦の先端に大きな塔が二本立っているのが見える。その二本の塔に挟まれるように、この艦は止まる。
「艦固定よし! エアチューブ接続!」
外を見ると、白く分厚いごわごわとした服で前進を覆った人が、宙に浮いている。その横に、人型重機の姿も見える。それらが一斉にこの艦の周りに寄り集まってくる。
それにしても、人が飛んでいる。どんな魔導を使っているんだろう? あんな魔導があるのなら、宇宙港の街中のビルの周りでも飛べばいいのに、どうしてやらないのかなぁ。
「あれ……エルマちゃん、何、見てる?」
周りに飛んで集まってきた人たちを眺めていると、アンドレオーニさんが私に話しかける。
「いえ、人が飛んでるから、どうやって飛んでいるのかなぁって思って……」
「ああ、あれ、飛んでる、わけじゃない。ここ、無重力、だから」
「無重力?」
「そう……上も下も、ない場所。落っこちるにも、落ちるところが、ない」
すごく雑な説明な気がするけど、言われてみるとそうだな。ここはどっちが上か下かもなく、落ちようがないから空に浮かんでいるのか。すごく納得だ。
「さ、目的地に、着いた。行きましょう」
「はい。でも、行くってどこへですか?」
「戦艦、アンドレアの中」
ああ、そうだ。ここには確か街があるって言ってたな。とてつもなく大きいから、この中に街の一つや二つ、あってもおかしくないぞ。
期待は高まるが、考えてみるとここは闇の中に浮かぶ岩山だ。中にある街というのは、とんでもなく暗い場所なのではないか?
岩山の中の、洞窟に作られた街、そんな想像が私の頭の中に浮かぶ。嫌だな、やっぱり街はお天道様の真下にある方がいい。
急に憂鬱な気分になる私を、訝しげな表情で見るアンドレオーニさんだが、そんな私の手を引いて、エレベーターへと向かう。
下に降りると、いつもとは違う場所に出入口ができている。いつもならエレベーターを降りて正面に、大きな出口が開いているのだが、今はすぐ右脇にある小さな扉が開いており、そこに通路がつながっている。
大きな荷物を引いてその狭い通路を抜けると、少し広い場所に出る。長い通路を経て、その先にまたエレベーターが見えてきた。
「ええと、確か……この下の、ロビーに行けば、いいのよね」
アンドレオーニさんがぶつぶつと何かをつぶやいている。またよからぬことでも企んでいるのか、とも思ったけれど、少し様子が違う。
エレベーターの前では、大勢の人がいる。皆、ここからどこかへ降りるみたいだ。これだけ大きな艦だから、きっとエレベーターも長いのだろうな。などと思いつつ、群衆にまみれてその中に乗り込む。
ひときわ広いエレベーターだ。ざっと三十人は乗り込んでいる。この人数で皆、それぞれ荷物を持っているが、それでも余裕をもって立っていられるほどにここは広い。
しかし、思った通り長いエレベーターだ。なかなかたどり着かない。いくらここが広いからって、いつまでも同じ場所に立っていると憂鬱になる。が、ようやくエレベーターが止まり、扉が開く。
降りた先は、フカフカの絨毯が敷かれている。目の前にはカウンターがあり、降りた人たちは一斉にあそこを目指す。
「あれは……」
「ああ、あそこ、ホテルの、ロビー。二日間、ここにいるから、宿泊するため、手続きする」
どうやらここで二日ほど暮らすようだ。当然、私はアンドレオーニさんと同じ部屋で過ごすことになっている。
「そんな、ことよりも、後ろ、見て」
アンドレオーニさんが私の肩をポンと叩いて、こう呟く。後ろ? 後ろに何か、あるんだろうか。さっき降りたエレベーターがあるだけじゃあ……
と思って振り返った先の光景に、私は言葉を失う。
エレベーターのすぐ脇、ガラス張りの壁の向こうには、明るい場所。はるか下にはビルや無数の人影。その上には眩いばかりの太陽のような灯りが、いくつも並んでいる。
さっきまでいた真っ暗な場所が、嘘のようだ。灰色の岩の中に、こんなに明るくにぎやかな場所があるなんて、不意を突かれた私は、この光景を前にただただ唖然とするばかりだ。
私は、確信する。
ああ、これがこの戦艦の中にあるという街なんだ、と。




