#10 ゴーレム
まるで墨のように黒い地面には、真っ白な線が描かれていて、その線に沿うように馬車のない車が走っている。あれも何かの魔導だろう。私も少々のことでは驚かなくなったが、その車、人が乗っていないのに走っているものもある。御者もなしに走るとは、大丈夫なのか?
そんな不可解なものが溢れる街だが、それでも私自身は穏やかな気分だ。何かに怯えて暮らす必要がない、こんな気持ちになれたのは、本当に久しぶりだな。教会で魔力量を測られて、それが途方もない量だと知られたその日から、私の周りはずっと騒がしかった。ケムニッツェ王国へ渡ってからは、さらに苛烈な日々が続いた。
そんな私が、派手な服を着て、大人の女人と一緒に手をつないで歩いている。やや普通じゃない気もするが、昨日までのあの生活を思えば、この程度は些細なことだ。
ここには高い建物が幾つも建っている。ちょうど真上からは、大きな船に吊るされた長い建物が徐々に下されているところだった。それが地面についた瞬間、ズシンという音と共に地面が揺れる。あの建物って、空から運んでくるんだ。ついさっきまで何もないところに、いきなり高い建物がそびえ立つ。私が王都を離れてわずか二年だが、これほど大きな街があっという間にできた理由が分かる気がする。
が、まだ多くの場所には建物がない。おそらく何かを建てるために空けられた区画が幾つも目に止まるが、そこでは大勢の人たちが集まって、地面を掘り、杭のようなものを打ち込んでいるのが見える。その杭の大きさが、とんでもなく大きい。
「ああ、あれの上に、ビルを、建ててる、の」
「ビル、ですか?」
「そう。ほら、あの高い、建物。あれを、ビルというの」
アンドレオーニさんが、ひと際高い建物を指差して私に教えてくれる。そういえば、昨日もビルという言葉を何度か耳にしたな。ここで暮らすなら、ちゃんと覚えておかないと。
「で、今、地面に打ってる、杭は、建物を支える、基礎なの」
「キソ、ですか?」
「そう……あれがないと、高い建物、倒れる」
そうだよねぇ。見るからに重そうだ。確かにあれくらい太いのを打ち込んでおかないと、とてもここの地面では支えられない。
「でも、この辺り、結構地盤、硬いから、基礎は少なくて、済むみたい……」
「えっ、そうなんですか」
「でも、ちょっと問題が、あって……」
アンドレオーニさんが何かを言いかけた、その時だ。ちょうど私たちの歩いている場所のすぐ近く、そこで異変が起きる。
急に地面が揺れ始める。ゴゴゴゴッと岩鳴りの音が響く。てっきりまたビルを空から下ろしているのかとおもいきや、それにしては揺れが長い。
「き、来た……」
いや、これはビルじゃない。私にはこの感覚に覚えがある。これはまさに、あれが出現する前兆だ。
すると、叫び声が聞こえる。
「ゴーレムだーっ!」
ちょうど目の前で、杭を打っている辺りからだ。大勢の人たちが、一目散にその場を離れて道路に飛び出す。道を走っている車が、それを見て立ち止まる。
杭の根元あたりから、むくむくと地面が盛り上がってくる。土が押しのけられて、中から白い岩が姿を現す。それは徐々に突き出し、やがて大きな人型の岩となる。
やはりそうだ、間違いない、ゴーレムだ。私はそう確信する。
「周辺住人に、避難命令! 軍に出動要請だ!」
誰かが大声で叫んでいる。薄青色の服を着た職人らしき人々が、こちらに走ってくる。
「エルマちゃん、逃げるわ……」
ここにいたら危ない。私とアンドレオーニさんは、ゴーレムの入る場所とは反対側へと逃げ始める。
『軍の到着まで、俺が時間稼ぎする! みんな離れてろ!』
ところが、そんなゴーレムに立ち向かう者がいる。黄色と黒の縞模様が描かれた、太い手足のついた人型のもの。あれは昨日、私が乗せてもらった巨身、人型重機ってやつだ。
「おい、それ軍用じゃねえんだぞ! すぐにやられちまう! 引き返せ!」
『班長! いいから、皆んなを連れてさっさと逃げてください! あとのことは、まかせましたぜ!』
「何言ってるんだ! お前、死ぬ気か!?」
なにやら地上の人と言い合いをしているが、その人の制止も聞かずにゴーレムへと突進する縞々の人型重機。その巨身の姿を、ゴーレムも捉えたようだ。
ガリガリと岩同士が擦れ合う音と共に、その人型重機目掛けて突進してくる。ほぼ同じ背丈の両者だが、ゴーレムは怯むことなく、脇目も振らずにその巨身へと突っ込んできた。ガツンと大きな音が響いて、人型重機はその場に倒れる。
衝撃で、重機の腕が一本、あっけなくもげてしまった。このゴーレム、とんでもない力だ。衝撃で上がった土ぼこりが、こっちまで飛んでくる。
「逃げるわ、エルマちゃん!」
アンドレオーニさんがそういうが、あの人型重機の中に乗っている人が気掛かりでならない。なおもゴーレムは倒れたその人型の巨身に襲いかかる。
ゴーレムの太い脚が、人型重機の片足を踏み潰す。バキバキと音を立てて潰されるその太い脚。あれほど堅そうな巨身の脚が、あっさりと潰れてしまう。そのままゴーレムは、腕を振り上げた。
一巻の終わりか、そう覚悟したその時、別の何かが現れる。それは灰色の、私が知る人型重機。空からそれはさっそうと降りて来た。
そして振り上げたゴーレムの腕を、蹴飛ばした。
重いゴーレムが、その弾みで後ろに倒れる。再び地面は揺れ、土ぼこりが舞う。やったか?
『こちらは宇宙艦隊所属の重機隊だ。これよりゴーレム排除を行う。民間人は速やかに退避せよ』
後ろからなにやらごっつい車が現れて、我々に向かって叫ぶ。私の横を通り過ぎたその車からは、さらに叫び声が続く。
『一番機は民間人の重機を回収、二番機にてゴーレムを排除する。二番機、ナポリタン、削岩機用意!』
『ナポリタン、了解。削岩機用意、これよりゴーレムを破砕します』
あれ、どこかで聞いたことのある声だぞ? などと思いながら、その灰色の人型重機を見る。その一つが、さっきの縞々の人型重機を引っ張りながらその場を離れようとしている。そしてもう一つは、まさしく立ち上がるゴーレムに対峙している。
『削岩機、起動! 共振周波数、設定!』
土ぼこりの中から、あの白いゴーレムが立ち上がる。その恐ろしい姿に物怖じせず、直立して身構える灰色の巨身。
再び、突進するゴーレム。あわや、あの縞々の人型重機と同様にあれも吹き飛ばされるかと思いきや、吹き飛んだのはゴーレムの方だった。
が、不思議なことに、ゴーレムは人型重機には触れていない。そのわずか手前で、まるで見えない壁にぶち当たったかのように弾き飛ばされた、そう表現するのが正しいだろうか。
倒れたゴーレムに、今度は灰色の巨身が突っ込んでいく。あの縞々のよりも素早く動く。倒れたゴーレムの上からのしかかると、右腕をその腹に押し当てる。
ブィーンという甲高くも鈍い音が響く。するとそのゴーレムはその腕の当たっている辺りから、崩れていく。
瞬く間に砂塵と化したゴーレム、白い砂ぼこりが風で舞い上げられる。
『ナポリタン、ゴーレム破壊を完了!』
『こちら指揮車、破壊を確認!』
灰色の巨身が宣言する。そこにはすでにゴーレムの姿はなく、脅威が排除されたことを知る。
「ちょっと、あそこ、行きましょう」
それを聞いたアンドレオーニさんが、今度はゴーレムのいた方向へと歩き始める。私は手を引かれたまま、ついていく。
興奮が、まだ冷めない。昨日、初めてあれを見た時は恐怖しかなかった。が、今は逆に誇らしい。あのゴーレムに、いともあっさりと勝利したのだ。なんという力強い魔導だろう。私は久しぶりに、勝利に酔いしれていた。
が、同時に一つ、疑問が湧いていた。あの灰色の人型重機はどうして、あれを使わなかったんだろうか、と。
「止まれ! ここは危険だ!」
「関係者、です」
「関係者? 貴官の所属は」
「駆逐艦、三三二七号艦、アンドレオーニ少尉、です」
「なんだ、あの重機パイロットと同じ艦の所属か」
ごっつい車から降りて来た人に止められたが、アンドレオーニさんはその場を通してもらう。腕をひかれたまま、まだ砂塵の舞うこの場所へ入り込む。
そして、ついさっきゴーレムを倒したあの灰色の巨身の下までやって来た。
その人型重機は、あの透明な覆いを開いている。そしてその足元には、一人の人が立っているのが見える。
「カルデローニ少尉」
その人物に、アンドレオーニさんは声を掛ける。
「あれ、アンドレオーニ少尉、どうしてここに……って、エルマさんまでいるぞ」
「お散歩中、だったの。お見事、カルデローニ少尉」
ああ、あれはカルデローニさんだったのか。どおりで聞いたことのある声だと思った。
「いや、マニュアル通りに対処しただけだよ。これに比べれば、昨日の任務の方がずっと大変だったな」
「そうね、おかげで昨日、エルマちゃん、手に入れたし」
「なんだ、まるでエルマさんを拾ってきたみたいな言い草だな……いや、確かにその通りだけど」
相変わらず、失礼な物言いだな、この人。でも、あのゴーレムのやっつけ方は実に見事だった。それは素直にすごいと思う。
「すごかったです、カルデローニさん! 王国騎士団でも手こずる、あのゴーレムをあっさりとやっつけるなんて!」
「そうか? いやあ、エルマさんにそう言われるとちょっと、嬉しいかな」
「でも一つだけ、疑問に思うことがあるんです」
「疑問? なんだい?」
「どうして今、あの青い光の魔導を使わなかったんですか?」
「光の魔導? ああ、高エネルギービーム砲のことか」
そう、私は不思議に思っていた。昨日は私が立ち上がらせたあの屍兵相手には、一撃で粉砕するあの光の魔導を使っていた。が、今回はわざわざゴーレムの攻撃を受けつつ、ほぼ素手で倒していた。
どう考えても、あの光の魔導を使う方が楽だ。なのになぜわざわざ、素手で戦ったのだろうか?
「理由があるんだ。ゴーレム相手にビームが使えない理由が」
「はぁ、そうなんですか? でも、あれなら一撃で倒せるんじゃないですか」
「いや、そんなことはないよ。ゴーレム相手にビームを使うと、かえって増えるんだよ」
「増えるって……ゴーレムが、ですか?」
「そうなんだ。散らばったゴーレムは、周囲の土や岩をかき集めて、再生するんだよ」
えっ、ゴーレムって、そんなに厄介な相手なの? でも確かに、ゴーレムを倒すのは大変だ。あれが現れた時などは、魔術師や魔導士が集められて総出で倒していた。だけど、増えたなんてこと、今まであったかな?
「この街、不思議なことに、建設現場で、時々、出てくるの、ゴーレムが」
と、アンドレオーニさんがそう私に教えてくれる。
「だけどここ、王都のすぐそばですよね? 王都の近くでゴーレムが出るなんて、聞いたことないですよ」
「そう、私たちもそう、聞いていた。でも、街を作り、出したら、時々出てくるの……」
にわかには信じ難い話だけど、現にこうして目の前に現れた。信じざるを得ない。
「最初は確かにビームで攻撃していたんだ。だけど、散らばった先から次々に湧いてくる。それで文献を調べたら、ゴーレムは粉砕しないと死なないってことが分かったんだよ」
「そうなんですか? でも、私たちはわざわざ粉砕しなくても倒してますけど」
「うーん、そうなの? だけど、この宇宙ではゴーレムが現れる星がいくつもあって、あれの対処法としては削岩機を使った粉砕しかない、って書かれていたんだ」
ちなみに、粉砕する方法は二つあるそうだ。一つは、今のように削岩機とかいう粉砕の魔導を使う方法。そしてもう一つは、宇宙という高いところから、重たい槍を叩き落とすというもの。後者はもっとも簡単で、かつ一撃で倒せるものの、その代わり周辺の被害が大きいという。この街の中に落とそうものなら、街はまるごと吹き飛んで壊滅してしまう。だから、削岩機という小技の魔導を使う方法しかないという。
「ところで、アンドレオーニ少尉に聞きたいんだけど」
「なに……」
「そのエルマさんの格好、まさかとは思うけど、アンドレオーニ少尉の趣味か何かかな」
ジロジロと私の服を見て話すカルデローニさん。
「そう、だけど……気に、入らない?」
前髪の隙間から、カルデローニさんをじろっと睨みつけるアンドレオーニさん。
「いや、そうじゃなくて、なんだか可愛いなぁって思ってさ」
ところが、カルデローニさんは遠慮もなしにこう答える。か、可愛いって……これはこれでちょっと、恥ずかしい気もする。いや、よく考えたら、ちょっと馬鹿にされるんじゃないの?
「なんだ……カルデローニ少尉、分かって、いるじゃない」
「うん、分かってるつもりだよ」
なんだろうな、この二人。私に視線を向けたまま、妙な笑みを浮かべている。何がどう、分かっているんだろうか。
だけど、そんな馬鹿正直で無神経なカルデローニさんだが、少しばかり、見え方が変わってきた。
さっきのあのゴーレムをやっつける姿、私の目には、あれが焼き付いて離れない。
私も魔術士、力強い存在への憧れは、人一倍大きい。
ほんの少し、少しだけだが、カルデローニさんのこと、見直したかな。
「やっぱりさ、胸が小さい娘には、こんな服がよく似合うよねぇ」
前言撤回。やっぱりこの人はだめだ、どうしても私とは合わない。私の命も助けてくれた人だし、力強さもあるから、この無神経さがなければよかったんだけど。
こうして、私は不意にゴーレムが倒される光景を目にすることとなった。この街には、美味しいものや快適な生活ばかりではない。こういう危険とも隣り合わせなのだと思い知らされる。




