#1 蘇生魔術
蘇生魔術士。それは、死して宿主を失った屍に、再び力を宿す禁断の魔術を使う者。
だが、その魔術が使える者はそう多くはない。人口が二百万を超えるズーデルアルデ王国でも、たったの三人しかいない。ましてや小国のケムニッツェ王国には一人もおらず、この禁断魔術を武器とするズーデルアルデ王国との力に不均衡が生じていた。
私の名は、エルマ。歳は二十を超えたばかり。ズーデルアルデ王国の王都ティルブダム近郊の村で生まれ育ったが、平民出身ながらも、蘇生魔術を使うことができる希少な魔術士の一人として、貴族待遇で王都の中に居を構えるに至る。
が、二年ほど前、王都で受けた差別に耐えかねて、私はズーデルアルデ王国の隣国で敵対関係にあるケムニッツェ王国へと逃れた。
私がケムニッツェ王国へ出向けば、ここよりは厚遇されるのではないか。そう考えた私がズーデルアルデ王国を抜け出し、ケムニッツェ王国へと入った。
しかし、思惑通りにはいかなかった。
そして私は今、戦場にいる。
馬車から降ろされた私は、太い声で話しかけられる。
「前進、だ」
片言のズーデルアルデ語で私に話しかけるのは、ケムニッツェ軍の魔導士だ。こやつは私の首輪につけられた鎖を引いて、早足で進む。遅れまじと、私も早足で歩く。
着いた先は、丘の上だ。目の前には緩やかな斜面に広がる草原、そしてその上には、数体の異形の屍が転がっている。
二体はオーガ、そして十数体はあろうかというゴブリンの屍。おそらく、この戦に備えて森で狩られ、ここまで運ばれたものだ。それをあの魔導士が指で差し、こう私に告げる。
「あれを、使え」
そしてケムニッツェの魔導士は、私の首にかけられた首輪をゆっくりと外す。私はうなずき、一歩進んでその屍を見渡す。
私は、両手を前に伸ばす。そして蘇生魔術の詠唱をする。
「グェフ マファン アンダズェ モンフェス!」
古い言葉で「この者達に力を授けよ」という意味だ。屍を前に蘇生魔術士が唱えると、その屍らに奇跡が起きる。
すでに絶命して数日は経つであろうその屍は、私のこの詠唱に応じて力を得て立ち上がる。ゆらゆらとふらつきながらも、彼らは再び蘇る。
一度死んだ身だから、私の魔術で生み出された屍兵には剣も弓矢も効かぬ。身体を無数に切り刻まれるまでやつらは歩き続け、目に入る人間らを殺戮し続ける。それゆえにこのオーガ二体とゴブリン数十体の無敵の兵は、数百の兵に匹敵する。
ズーデルアルデ王国軍は、すぐそばまで迫っている。草原の向こう側には、白い陣幕がいくつも見える。今、あちらは休息中のようで、動きはない。
その虚を突いてこの屍兵を送り込み、一人でも多くズーデルアルデ軍を削り取ろうというのである。
「やれ!」
魔導士が私にそう命じる。そう、あやつらに前進を命じあの陣に突入させろと、私に言っている。
だが、私はふと考える。もしこの場にてやつらを振り返らせて前進を命じれば、やつらはこちらに……
「スタッペ!」
が、そのときケムニッツェ語の叫び声が聞こえたかと思うと、私の首にあの輪がかけられる。途端に、立ち上がった屍兵らはその場でへたり込む。
この首輪には、私の魔力を封じる力がある。これを首にかけられている限り、私は蘇生魔術を使うことができない。そしてこの私に首輪をかけたこの魔導士は、読心魔導の使い手だ。
つまりだ、私のたくらみを読み取られてしまった。それゆえに首輪をかけて私の力を封じた。そういうことだ。
「夕食、抜きだ。これ以上、食事、抜かれたくなければ、言われた通り、やれ」
この憎らしいこの魔導士は、片言のズーデルアルデ語で私を恫喝する。なんとも腹立たしいが、こやつの読心魔導と封印首輪を前に、私は手も足も出ない。首輪を外された私は再び詠唱し、あの屍の兵を立ち上がらせる。
「ヴォーシュト!」
私はこやつらに、前進と攻撃を命じる。ゆらりと巨体を揺らしながら、二体のオーガが歩き出す。その後ろを、ゴブリンどもがぞろぞろとついていくのが見える。
自分で蘇らせておいて言うのもなんだが、実におぞましい光景だ。すでに腐り始めた遺骸だが、痛みすら感じないやつらが攻撃本能のみをむき出しにして歩き出すのだ。それを止める術は、ほぼない。
ここが森ならば、木々に火を放ちやつらごと焼き尽くすこともできるだろうが、ここは丈の低い草しか生えぬ草原。あれに放った火ごときではゴブリンどもはともかく、巨身のオーガを止めることはできまい。
ゆらゆらと動き出す屍兵ども。まもなく、その無敵の兵たちによって殺伐とした無惨な光景が、ここで見られることになるだろう。
だが、妙だ。
ズーデルアルデ王国は、蘇生魔術のことを知っている。私以外にもあと二人、蘇生魔術士がいる。加えて、私がケムニッツェ王国軍にいることもすでに承知している。
そんなズーデルアルデ王国の軍が、こんな無防備な場所に陣を構えることなどあるだろうか?
今までならば屍兵の襲撃に備えて、石砦の中や湖岸の向こう岸など、もう少し堅固なところを選んで布陣していた。が、今回ばかりは無防備極まりない。あれでは、襲い掛かってくれと言わんばかりだ。
何か、胸騒ぎがする。これはもしや罠ではないのか? だが、もはや動き出したあの屍兵どもは止まらない。すでに私はあの首輪をはめられているが、私の魔力を得て命を受けたやつらが歩みを止めることはない。それを見届けた我々は、あとをやつらに任せてここを引き上げるばかりだ。私は再びあの魔導士に首輪を引っぱられて、馬車へと乗せられようとしている。
その時だ。突然、ズンッと大きな音が聞こえる。かと思うと、目の前で青い光の柱のようなものがパッと現れる。
魔導士が、振り返る。何事かと私もその光の先を見る。するとそこに立っていたオーガが突然、四散する。
やや遅れて、とてつもない暴風が私を襲う。同時に、まるで落雷音のようなけたたましい音がドーンと鳴り響く。暴風に煽られた私は、その場にて倒れる。
土ぼこりが舞い、その中に私はいた。一瞬、記憶が飛んだ。何が起きたのかを、理解できない。ただ一つ、はっきりすることがある。
あの巨体のオーガが、一瞬にして吹き飛んだ。跡形も無い。多数いたゴブリンも、数体分の脚を残して消えてしまった。先ほどのあの光の柱が立った場所には、大きな窪みができている。
まるで、神の雷だ。いや、たまたま雷が落ちたというのか。だが、雲一つなく雨も降らぬこの場に、どうして雷だけが落ちるというのか。
「ワ、ワズ イステ パサァート……」
魔導士の男も、あの暴風で倒されたようだ。ケムニッツェ語で悪態を吐きながら私のすぐそばで立ち上がると、私の首につながる鎖を握りつつあの窪みに目を移す。続けて、私の顔を見る。
まさに私の所業だと疑わんばかりの表情だが、私の心が読めているなら分かるだろう。私自身も、何が起きたのかがわかっていないのだから。
切り札であったはずの魔物の屍兵が、瞬く間に消えてしまった。先ほど感じたあの胸騒ぎ、やはりこれはズーデルアルデ王国軍の罠だ。
しかし、こんな罠は見たことがない。どんな魔導を用いたら、こうなるというのだ?
途方にくれる私の前に、さらに信じられないものが目に飛び込んでくる。
それは鎧をまとった、人型の大きな異形の者。それには首がなく、代わりにまるで水面のような透明な何かで覆われている。
そんな得体の知れないものが三体、空からゆっくりと降りてきたのだ。