薔薇姫と騎士 上*魔女視点
私は、この世で一人きりの不老不死の魔女。
つまり、人とは違うイレギュラーな存在。
それを望んだのは、他でもない“私”自身だった。
「……うん、これで大体荷造りは出来たかしら」
指を一振りすれば、カチッと鞄の鍵が閉まる。
そして部屋をぐるりと見渡せば、残っているのは中身が空の棚やタンスのみ。
長年……、私が“魔女”として存在した時から住処としていたこの家とも、もう少しでお別れ。
そう考えると、何だか感慨深いと同時に情けなさで笑えてくる。
「……ふふっ、アンジェラちゃんに幸せになれだなんて上から目線なこと、言えた義理ではないわ」
私は、何百年も後悔し続けたままこうして生きている。
“薔薇姫のおまじない”なんてものを渡して、彼女を苦しめてしまったのは間違いなく私の罪だ。
(薔薇姫と同じようにならないように、だなんて)
当時八歳の彼女を見て、“薔薇姫”を重ねてしまったのだ。
身体が弱く、愛している人に本当の気持ちを伝えることすらも出来ないまま亡くなってしまった、臆病で哀れな薔薇姫。
それは、紛れもない……
「……“私”こそが薔薇姫だなんて言ったら、アンジェラちゃんはどんな反応をしたのかしら。
いえ、考えるまでもなく呆れたでしょうね」
そう、私こそが彼女が憧れていた、本物の“薔薇姫”なのだ……―――
今からおよそ五百年前。
当時この地は、小国として成り立っており、それを統べていたのが王族である私達、ヴァラン家。
その国王である父と王妃である母の間に生まれた王女がこの私だった。
お父様とお母様は今でさえも珍しい恋愛結婚をした方々で、お父様はお母様だけを愛したため、側妻はいなかった。
ただ、長らく子供が授からなかった中で、やっと一人娘として生まれた私を、蝶よ花よと可愛がり、育ててくれた。
そのため、私はとても幸せで恵まれていた。
ところが私は、身体が昔から弱かった。
流行り病や風邪を何度引いたか分からない。
そんな私を側で支えてくれたのが、最年少で私の護衛騎士に抜擢された、三歳年上の“彼”だった。
そんな“彼”に恋心を抱いたのは、私が11歳、彼が14歳の時。
「姫様、あまり走られますとお身体に障りますよ!」
「大丈夫よ! これくらい……っ、けほっ」
言っている側から咳き込んでしまう私に対し、彼は息を吐くと言った。
「……だから申し上げたのに」
「だって……」
呆れたようにそう口にする彼の顔を見られず、ギュッと俯き唇を噛み締める私に向かって、彼は言った。
「我儘を言わずに、帰りますよ。
でないと陛下に叱られてしまいます」
「っ、貴方は私の護衛でしょう!? どちらの味方なの!」
そんな私の言葉に、彼は……。
「陛下です」
「っ!!」
その言葉に、私の目から涙が零れ落ちる。
それを見た彼は、ガシガシと乱暴に自分の頭を掻いたかと思うと、私の顔を覗き込んで言った。
「あぁ、もう! 泣かないで下さい」
「っ、貴方が悪いんでしょ!?」
そう彼を一睨みすると、彼はうっと声を喉に詰まらせ……、再度ため息を吐いて言った。
「誤解しないでください。 俺は、陛下が貴女を心配しているお気持ちが分かるのです。
……今日だって、いくら貴女が誕生日だとはいえ、お忍びで行きたい場所があるだなんて……、帰ったら間違いなく叱られますよ」
「分かっているわよ。 ただ、私だって……」
私は、自分の誕生日にどうしても花畑に行きたかったのだ。
だけど、そんな日に限って体調を崩してしまい、当面の間外出は禁止だと医者からもお父様方からも注意されたのだ。
だけど……。
「……お祝いしてもらうだけでなく、お母様方に直接お礼をしたかったのよ。
私を産んでくれてありがとうって。
っ、そのために、以前から誕生日のこの日に、お花畑に行こうと決めていたのに……」
「!」
誰にも話さず、サプライズでお母様方を驚かせようと思っていたのに、全てが台無しだ。
思うように動かない自分の身体の不調と情けなさにまた涙が込み上げてきてしまう私に対し、彼は少しの間の後「分かりました」と口にすると……。
「!?」
ふわっと身体が宙に浮く。
初めての感覚に思わず悲鳴を上げそうになったもののぐっと我慢すれば、思ったより近くに彼の顔があって。
「っ!?」
息を呑んでしまう私に対し、彼は口にした。
「お身体に触りますので、ここから先は私にお任せ下さい。
……花畑まで、案内していただければ、私が姫の足になりましょう」
「! 付き合って、くれるの?」
私の言葉に、騎士は笑って言った。
「後で一緒に叱られましょう」
「……っ」
その笑顔に、私の心臓はドクンと高鳴って。
そして、私とは全然違う、筋肉質で力強い腕が膝裏と腰に回されたことによって、改めて彼を、“男性”として意識した瞬間だった―――
「そして、無事にお花畑に行けて小さな花束を二人分作って持ち帰ったけれど……、叱られたのよね」
それでも、彼の必死な弁明と私がお花を差し出して感謝の意を伝えたこともあって、嬉しそうに笑ったお父様がハッと顔を引き締めて、「以後気を付けるように」と言って終わったことまでよく覚えている。
「500年経った今でも、昨日のことのように思い出せるなんて……」
私も大概ね、と笑いながら、まだ本棚に置いていた一冊の分厚い本……、『薔薇姫伝説』を手に取る。
そして、パラパラとめくり、懐かしさに目を細めた。
「侍女達、こんなに私達のことを記録していたのね……。
ということは、私と彼が相思相愛だったということも、周囲にはバレバレだったわけね」
私は苦笑いを浮かべる。
そう、確かに私と騎士は、互いを想い合っていた。
特に私の方が想いが強くて、彼に自分の想いをぶつけていた。
けれど彼は、姫と騎士という壁を決して超えようとはしなかった。
年上で男前で熱血なくせに、根はくそがつくほど真面目。
だから、私が願っても、口付け一つ交わしてくれなかった。
ただ誕生日には、私にバラを一本差し出して忠誠を誓ってくれるのだ。
『私は一生をかけて、貴女をお守りします』と。
(……もしかしたら想い合っていたというのは、ただの私の思い込みだったのかしらね。
彼はただ、立場上私の気持ちを無碍には出来ず、騎士として答えていただけなのかも)
そんな彼でも、私との未来を考えてくれているのかも、と思った出来事があった。
それが、結果悲劇となってしまった彼が戦場へ向かうと告げた時―――
「本当に、行ってしまうの?」
「……姫を、この国をお守りするためですから」
何度尋ねても、変わらないその彼の態度に、私はぐっと唇を噛み締めた。
当時ヴァラン国の周りでは、小国を一つの大国家にしようという動きにより、どの国が大陸を統一するかで争いが起きていた。
いつ戦争が起きてもおかしくはないと覚悟していたが、まさかこの時代に、それも私の護衛騎士自ら名乗りを上げて参加するとは思ってもみなかったのだ。
(戦地では凄惨な戦いが行われていると聞く。
もし、彼の身にも何かあったら、私は耐えられない……!)
私はギュッと彼の騎士服のマントを握った。
「行かないで。 私と、一緒にいて」
「……!」
本来、私の護衛である彼は、戦争に参加する必要はない。
そんな彼が、私の護衛を別の人に替えてまで戦地に赴く理由が、私には分かっていた。
私は、そんな彼の瞳を見上げて口を開いた。
「私のために、武勲を立てようとしなくて良い。
っ、もし一緒にいることを反対されるのなら、その時は……っ」
その続きの言葉は、口から言葉を紡ぐことが出来なかった。
それは、彼が私の唇に自分の唇を重ねたからだ。
「っ……、っ!?」
長いようで短いその初めての口付けに、私は固まってしまって。
彼はそんな私をギュッと抱きしめてから言った。
「大丈夫だ。 必ず戻ってくる。
君が16歳の誕生日を迎えるまでに、胸を張って君の隣に立てる自分になって必ず帰るから。
だから、それが出来たら……、俺と結婚して欲しい」
「……!!!」
直接的に好きだと言われたわけではない。
だけど、それは初めて騎士が一人の男性として発した言葉だと、その声音から伺えて。
私はギュッと拳を握ると、笑みを浮かべて言った。
「分かったわ。 貴方の帰りをここで待っている。
だから……、誕生日には赤いバラを私にちょうだい。
そうしたら……、そうしたら、貴方の求婚を受けるわ」
「!」
私、上手に笑えているかしら。
姫として彼を送り出すことが、果たして正しいことなのだろうか、その答えは分からないまま、彼は私を残して、戦地へと向かって行ったのだった。




