魔女の願い
「ようこそ、魔女の館へ」
そう口にした魔女さんに対し、言葉を返せずにいると、彼女は「なんちゃって」と苦笑いして言った。
「一度言ってみたかったのだけど……、驚かせてしまったかしら?」
「……この前森の中を歩いたのは、一体何だったんだ」
そう隣でムッとしたように口にしたヴィクトルの言葉に、私が驚いていると、彼女は「あぁ、それは」とポンと手を叩いて言った。
「貴方がアンジェラちゃんを想う気持ちが本物かどうか、確かめさせてもらったの。
だって、そんなに簡単にヒントを教えてしまったら魔法をかけた意味がないじゃない?
私としては、何としても自力で“呪い”を解いてもらいたかったし。
というわけで、貴女のために奔走してくれていたわよ、貴女の騎士さん」
「! そうだったんですね」
私は「ありがとう」とヴィクトルに向かって笑みを浮かべれば、彼はふいっと顔を逸らす。 その耳元が赤いことに気が付き笑ってしまう私に対し、魔女さんが温かい眼差しでこちらを見ていることに気が付く。
(魔女さん……?)
彼女は目が合いにこりと笑うと、被っていたフードを取った。
「!」
それによって、彼女の亜麻色の髪が窓から差し込む陽の光を浴びて輝く。
そして、フードの中に隠れていた顔も初めてしっかりと見ることが出来て、私は思わず呟いた。
「綺麗……」
その言葉に彼女は驚いたように目を見開いたけれど、ふふっと上品に笑って「ありがとう」と口にする。
その仕草までもが洗練されていて、思わず惚けて見てしまっている間に、彼女はくるっと人差し指を回すと言った。
「紅茶で良いかしら? 今から淹れるわね」
そう言うと、戸棚からティーカップやポットが踊るようにして空を舞ったかと思うと、みるみる内に紅茶の入ったティーカップが私達の目の前に置かれた。
それに呆気に取られていた私に対し、魔女さんは笑って言った。
「ふふ、新鮮な反応ね。 魔法はとっても便利なの。
私の手では出来ないこと……、苦手な家事全般も何でも出来てしまうから、一人で生きていくためには助かっているわ。
……まあ、私の“本当の願い”を叶えるのには、何の役にも立たないけれど」
そう口にして一瞬表情が曇ったことに私が驚いていると、彼女は手を叩いて言った。
「ま、私のことはどうでも良いわよね。
冷めないうちに召し上がって。
その間に、聞きたいことがあれば何でも答えるから」
そう口にした魔女さんに対し、口を開いたのはヴィクトルだった。
「以前にも聞いた質問だが、何故アンジェラに“薔薇姫のおまじない”なんてものを渡した。
第一、君はこの前『本当に薔薇姫と騎士がやっていたものだ』と言っていたが、そんなことは『薔薇姫伝説』にもどこにも書いていなかったぞ」
「そうね……、貴方達は被害者だもの、それを知る権利があるわよね」
そう呟いたかと思うと、彼女は私達の向かいの席に座り、口を開いた。
「まず私が、“薔薇姫のおまじない”をアンジェラちゃんにあげたのは、貴女達を救いたかったから。
……酷く回りくどいやり方だけれど、その方法しか思い浮かばなかったの。
ごめんなさい」
「い、いえ……」
どう返せば正解なのか分からず、戸惑う私に対し、彼女は言葉を続ける。
「前から言っているように、“薔薇姫のおまじない”は本当にあるわ。
ただしそれは、『薔薇姫伝説』にも『薔薇姫物語』にも描かれていない。
理由は……、私がその薔薇姫に会い、直接教えてもらったおまじないだから」
「「…………!?」」
私とヴィクトルは驚き思わず顔を見合わせると、彼女は言葉を選ぶようにゆっくりと説明を続ける。
「私は、この通り魔女なの。
そして同時に、一般的な人のように命が尽きることはない。
つまり、私は不老不死の存在であり、この地に何百年も生き続けているの」
「っ、不老不死……!?」
私が驚愕のあまり言葉を反芻すると、彼女は「これは秘密よ」と付け足して言った。
「試練を乗り越えた貴方達だから教えるけれど、私はずっと、この地に何百年もの間生きてきた。
だから、国が移ろい行く姿も見てきているし、貴女が憧れていた“薔薇姫”にも直接会ったことがある。
その時にこの“おまじない”を薔薇姫から直接聞いて作ったの」
「で、では、本当に薔薇姫は実在して、この“おまじない”も全て本物、ということなんですか……?」
「えぇ」
魔女さんの言葉に、私はただただ唖然としてしまった。
(魔女さんは不老不死で、直接薔薇姫に会ってこの“おまじない”を聞いていたなんて……)
「では、何故それを“呪い”になんてものにしたんだ」
ヴィクトルの言葉に、魔女さんは少し間を置いてから口にした。
「『薔薇姫伝説』を読んだ貴方達は知っていると思うけれど、薔薇姫は16歳の誕生日までしか生きられなかった。
それは彼女の身体が元々弱かったから。
薔薇姫は……、彼女は沢山の後悔をした。
生きている間に騎士に伝えたいことを伝えることを出来ないまま、生涯を終えたの。
その彼女の苦しみが分かっているから、薔薇姫と似たような結末を迎えそうな貴方達を見て、あの紙を渡した。
“おまじない”を実行しなかった時は、“呪い”と称して、薔薇姫と似た境遇になるように仕向けて。
アンジェラちゃんには自分の気持ちに素直に、騎士さんにはその彼女の気持ちを汲み取る努力をしてほしい。
そうすれば、きっと全てが上手くいく。
そんな思いを込めて渡したけれど……、結果は貴方達を苦しめるだけだった。
自分でも余計なことをしてしまったと反省しているわ。
本当に、ごめんなさい」
そう言って頭を下げた魔女さんに対し、沈黙が訪れる。
その沈黙を破るように言葉を発したのは、私だった。
「お顔を上げて下さい」
「!」
魔女さんはハッとしたように顔を上げ、私を見る。
私は話を聞いた上で、今の自分の気持ちを素直に口にする。
「確かに私は、この“呪い”に沢山苦しみました。
ヴィクトルやお父様、他の皆にも心配や迷惑をかけてしまったことは、申し訳なく思っています。
けれど、だからと言って魔女さんを責めるつもりはありません。
だって私は、確かにあの日……、お母様を亡くしたばかりのあの日、魔女さんに声をかけてもらい、憧れの薔薇姫が行っていた“おまじない”を教えて頂いたことで、心が救われたのだから」
「アンジェラちゃん……」
「それに、確かに魔女さんは、“おまじない”を正しく実行しなければ、災いになってしまうと忠告して下さいました。
それなのに、私はその言葉を無視して、“おまじない”を“呪い”に変えてしまった。
それでも、魔女さんは私やヴィクトルを見捨てることはせず、“呪い”を解くヒントを何度も教えて下さいました。
それこそ、魔女さんが私達を見捨てずに助けようとして下さっていた証拠です。
……だから、こうしてヴィクトルと気持ちを通じ合わせることが出来たのだと思います」
「「!」」
そう言ってヴィクトルの手に自分の手を重ねて微笑んだ。
(七……、いや、八年前の星祭りのあの日、魔女さんに声をかけてもらっていなかったら、私は立ち直ることが出来ていなかったかもしれない)
少しでも何かが違っていれば……、魔女さんに出会っていなければ、前世の記憶を思い出していなければ、結末はガラリと変わっていた。
それは、前世の記憶を……、アンジェラの最悪の結末を実際に見た私には分かる。
だから。
「今、こうしてヴィクトルと一緒に笑い合えることが、私の全てであり、幸せです。
だから私は、魔女さんを恨んでなんかいません。
むしろ、あの時私に声をかけてくれて、助けて下さってありがとうございました」
「「……!」」
私がそう言って頭を下げたのに対し、魔女さんとヴィクトルは驚いたように息を呑む。
そんな私に対し、ヴィクトルは息を吐き言った。
「俺は正直、彼女を苦しめたことについては許すつもりはない、そう思っていたが……、確かに、母親を亡くして以来彼女を笑顔に出来たのは、貴女だった。
魔女である貴女が、彼女を笑顔にする魔法をかけたのだとしたら……、それは、感謝すべきなんだと思う。
そして、アンジェラの言う通り、俺達が今こうして一緒にいることが出来ているのが全てだ。
だから……、ありがとうございました」
「!!」
私達の言葉に魔女さんは目を見開き、困ったように笑って言った。
「っ、それは、お人好しすぎると思うわ。
……けれど、まさかお礼を言われるとは思わなかったから、素直に嬉しいとも思う。
こちらこそ、ありがとう」
そう口にした魔女さんの髪と同色の瞳には、涙が滲んでいたのだった。
「今日は来てくれてありがとう。 楽しかったわ」
日も西に沈む頃まで話し込んでしまった私に、魔女さんはそう声をかけてくれたから、言葉を返した。
「こちらこそ、ありがとうございました」
そうお礼を述べると、魔女さんは静かに口にした。
「最後に貴女と話すことが出来て良かった。
これで、もう思い残すことは何もない。
だから、近々引っ越そうと思うの」
「えっ……」
その思っても見なかった言葉に驚いた私に対し、彼女は悲しげに笑って言った。
「私は、ある人を探してここに長く滞在していた。
……だけど、もうこの国にはいないようだから、諦めようと思って」
「っ、ではやっぱり、前国王陛下にお会いした魔女というのは」
「間違いなく私ね。 前国王陛下なら、私の探し人のことについて何か知っているのではないかと思ったのだけど……、情報を得られなかったから、すぐにお暇したわ」
「その人というのは」
私がもう少し尋ねようとしたところで、彼女は手をひらひらと振って言った。
「あぁ、それについてはもう良いの。
……それに、探してもいないということは、その人は私には会いたくないと思っているのと同義だと思うから」
「っ、そんなことは」
「いいえ、私には分かる。 だから、もう良いのよ」
「……っ」
そう呟いた彼女の瞳が、本当に悲しげで。
私が口を開こうとするより先に、彼女は指をパチンと鳴らす。
「「!!」」
それによって、私達の足元が淡く光り出して。
それが転移の魔法だと気が付いた私は、慌てて最後の質問を口にした。
「っ、最後に、教えてほしいことがあるんです!」
「何かしら?」
彼女の言葉に、私は最後の質問を投げかけたのだった……。
そして、光に包まれて消えていった二人を見送った魔女は、一人きりの空間で呟いた。
「今度こそ二人で、私の分まで幸せになってね」―――




