最推しの意外な一面(そんなところも好きです)
「そうだわ! 私、このお茶会のためにクッキーを焼いたの」
「! まぁ!」
エリナ様が嬉しそうに手を叩く。
その仕草までもが天使!なんて思いながら、「少しお待ちになってね」と言うと、侍女に皿に盛り付けたクッキーを持ってきてもらう。
「私とヴィクトル様のために用意して下さったのですか?」
「えぇ。 私に出来ることは何かないかなと思って」
そう考えて思いついたのが、“手作りクッキー”だった。
(前世でお菓子作りだけは得意だったのよね。
今日も見栄え良く作れたと思うのだけど……、どうかしら?)
私はそんなことを思い、チラリと横を見れば。
「……」
相変わらず美しいご尊顔でいらっしゃるヴィクトル様が、クッキーを凝視していた。
(っ、まさか私の作ったクッキーに毒が入っていないか疑っていらっしゃる!?)
そうよね、乙女ゲームの後半になると、アンジェラの嫌がらせもどんどんエスカレートしていった記憶があるから、そんな私の信頼はこの時点で既にほぼ地の底よね……!
私は慌ててクッキーを一枚手に取り、口を開く。
「あ、安心して! 毒なんて入れていないから……、ん!?」
「どうした!」
そう言ってクッキーを口に入れた私が固まったのを見て、最推しである紳士なヴィクトル様が慌てたように立ち上がる。
私はというと、口元を押さえよろめいた。
何よ、これ……。
(まっず……!!)
というかしょっぱい!? え、私まさか砂糖と塩とを間違える初歩的なミスをしてしまった!?
(時間がなくて味見をしなかったことが、こんなところで仇になるなんてっ!)
「おい、大丈夫か?」
「!」
思ったより近くにいたヴィクトル様のお顔を間近で見て、私は半泣きになる。
(待って、最推しとヒロインに失敗したクッキーなんて渡せるわけがないわ!
だけど、二人に正直に話してこんな恥ずかしい失敗を知られたくないし……、わーん、どうしよ〜!)
「……アンジェラ、本当にどうしたんだ」
(そして、近くにいる推しの心配顔の肌のキメ細やかさっ!
あぁ、私ももっと肌のケアを念入りにしないとぉ!)
そんな一時の現実逃避をしていた私の耳に、柔らかな癒しの声が届く。
「あ、お砂糖とお塩を間違われてしまったのですね」
「!? エ、エリナ様!?」
その激マズクッキー、食べてしまったの!? と慌てる私に対し、エリナ様は笑って言った。
「私のためにクッキーを作って下さってありがとうございます、アンジェラ様。
もしよろしければ、今度一緒にお菓子作り致しませんか?」
「!?」
思ってもみないヒロインからのお誘いに、私は食いつく。
「よ、よろしいの!?」
「はい、もちろんです。 私もお菓子を作ることが好きなので、是非」
(知っているわっ! 貴女の設定も全て公式から発表されているものは把握済みだから……って、ヒロインからのお誘いキタァ〜〜〜!)
内心何度もガッツポーズをしながら、私は返事をした。
「では、私からも是非宜しくお願い致しますわ」
「はい」
にこりと微笑むエリナ様は、最早天使ではなく天女様や……と思っていると、何故か隣にいたヴィクトル様が少しむくれたように言った。
「では、今日君が作ったクッキーは全て俺が頂こう」
「っ、は!?」
「食べきれなかった分もまとめてくれ。 持って帰る」
「あ、貴方話を聞いていた!?」
まさか、砂糖と塩を間違えた激マズクッキーを、最推しに食べさせようとするファンがどこにいる!? 私かっ!!
私は慌てて皿ごとクッキーを抱えて口を開く。
「駄目に決まっているでしょう! こんな失敗作だと分かっているものを誰が推しに食べさせるとお思いで!?」
「おし……?」
「あ、いえ、婚約者に、ね!
それはともかく、これは駄目よ、絶対に!
貴方にはきちんと、成功した美味しいものだけを食べてほしいの!」
「嫌だ」
「何故!?」
どうしてそんなところで頑固なのっ! そんなところも好きですけど!!
そんな私達の攻防戦を聞いていたエリナ様が、クスリと笑って言った。
「お二人はとても、仲がよろしいのですね」
「!? ち、違うわ!」
(まずい、エリナ様に誤解を与えてしまったわ!)
エリナ様こそヴィクトル様の、真に結ばれるべきお相手なのに……っ!
そう咄嗟に否定した私の横で、不機嫌オーラを全開にし始める最推し。
(いや、何で!?)
今日のヴィクトル様、不思議すぎるわ。
私がエリナ様とお茶会を謝罪したいと言ったら、「俺も行く」と言ってきたり(それは多分私を監視するため)、激マズクッキーを持ち帰ると言ってみたり、エリナ様に誤解を与えてしまったらそれに怒ったり……、ハッ、そうか、ヴィクトル様はエリナ様に誤解が生じたことについて怒っているのか! なるほどー!!
(って、それほど私嫌われているということよね。
それはそれで傷付くわ……)
これからは彼の信頼度回復にも努めましょう、ただ推し活が出来ると浮かれている場合ではないわ。
(そう、これは由々しき事態……!)
と新たな信念を胸に掲げていると、エリナ様はそういえば、と口を開いた。
「次にお会い出来るのは、王家主催の夜会ですね」
エリナ様の言葉に私はハッとした。
(っ、そうだわ、これも歴としたゲーム中のイベント……!)
本編中盤あたりの王家主催、つまり全貴族参加の夜会イベントでは、ヒロインであるプレーヤー側が、その時点で最も愛情度の高い攻略対象のエスコートを受け、夜会に参加し更に仲を深めるというイベントだ。
(そして、攻略対象5人の中で唯一、アンジェラという婚約者がいたヴィクトル様は、もちろんアンジェラをエスコートするのよね……)
ということは。
(もしここで私がヴィクトル様のエスコートを断れば……、エリナ様をエスコートする可能性がある!?)
名案だわ!と心の中で拍手する私に向かって、エリナ様は首を傾げた。
「アンジェラ様?」
「ごめんなさい、少しボーッとしてしまっていたわ。
それで、その夜会が何か?」
「アンジェラ様のエスコートは、ヴィクトル様ですよね。
私には婚約者がおりませんので、どうしようか悩んでいて……」
(つまり、エリナ様のお相手はまだ決まっていない……ということは、ヴィクトル様にもチャンスがある!?)
私は息を吸うと、意を決して口を開いた。
「そのことについてなのだけど、私、今回はお父様にエスコートして頂こうと思っているの」
「!? 何故だ!?」
ガタッと、ヴィクトル様が椅子から勢いよく立ち上がる。
(それはそうよね、アンジェラがまさかこんなことを言うとは思っていないでしょう)
私はそんな彼に向かって言った。
「もうすぐ私は、16歳になるでしょう?
そうすれば結婚して、お父様にエスコートをしてもらうことはなくなるわ。
……それに、その夜会の日は丁度お母様の命日でもあるから、お父様のお側にいてあげたいの」
「「……!」」
私の言葉に二人は息を呑む。
その言葉は本当だった。 私のお母様が病気で幼い頃に亡くなっているのは、貴族の間では有名な話であるから。
「だから、今回はヴィクトル様のエスコートは受けられないの。 ごめんなさい」
「……いや、そういうことなら大丈夫だ。 君の父上を優先してほしい」
「ありがとう」
ヴィクトル様の言葉に頷き、私は思う。
(こうすれば、ヴィクトル様は私にとらわれることなく夜会に参加出来るわよね)
これで良いんだわ、きっと。
そう思う反面、胸元が鈍く痛んだのは“呪い”のせいか、それとも……。
私はそれに、気付かぬフリをしたのだった。