遠い記憶、夢の中で*ヴィクトル視点
「っ、駄目だ、見つからない……」
アンジェラの誕生日まで後2日。
もう時間は残されていないというのに、いくら読み込んでも答えを見つけられない自分に対して焦りと苛立ちを覚え、俺はドンッと机に拳を振り下ろした。
その手にもあまり力が入らないことから、圧倒的に睡眠不足であることも分かって。
「……少しだけ寝よう」
一時間ほど仮眠を取れば、頭は冴えるはずだ。
徹夜くらい慣れている、少し休めば大丈夫だと自分に言い聞かせ、机に肘をつき、うつ伏せになって目を瞑ると、すぐに俺は意識を手放してしまったのだった―――
『ヴィクトル』
そう名を呼ばれ顔を上げれば、そこには微笑みを浮かべて俺の名を呼ぶアンジェラがいて。
(あれ……?)
その顔に違和感を覚え、じっと見つめてしまえば、彼女は慌てる。
『ど、どうしたの? なにかへん!?』
『いや……』
そう呟き下を向けば、自分の手も小さいことに気が付き、ハッとする。
(これは俺達の、幼い頃の記憶……?)
その手の大きさと声からして、8歳よりももっと前だと認識する俺に対し、アンジェラは俺に向かって尋ねた。
『ねえ、ヴィクトルは、どうしてわたしをこんやくしゃにしたの?』
『!』
そうだ、覚えている。
これはまだ、5歳の頃……俺の方から婚約を取り付けたばかりの記憶だ。
その時、アンジェラは今のように尋ねてきたことがあった。
(その時俺は、何と返答したんだっけ……)
そう疑問に思う間もなく、勝手に言葉が口から飛び出る。
『すきだからだよ』
『えっ?』
その言葉の大胆さに俺自身も驚いているが、勝手に身体は動く。
幼いアンジェラの手を握り、戸惑う彼女に向かって微笑みを浮かべて言った。
『ぼくはきみがすきで、ずっといっしょにいたいからこんやくしたんだ』
『こんやく……ということは、わたしとヴィクトルは、ばらひめさまときしさまのように、ずっといっしょにいられるってこと?』
『うん』
そう頷くと、彼女はふわりと柔らかく、可憐な薔薇の花が咲いたように嬉しそうに笑って言った。
『それはとてもすてきね! ずっといっしょにいられるなんて!』
(……あぁ)
アンジェラのこの表情は、まだ幼いが故に、俺の“好き”だという意味が分かっていなかったんだ。
ただ、“ずっと一緒にいられる”という言葉だけが残って、嬉しそうにしていたんだ。
(そして多分、それは幼い“俺”にも分かっていた)
だから、彼女にはその時……。
その言葉を思い出すよりも先に、幼い俺の口からは言葉が紡がれる。
『アンジェラ、ぼくがおおきくなったら、そのときに……―――
「……っ」
ゆっくりと瞼を開ける。
ぼやけた視界の先に映った窓の外は、真っ暗で……。
「っ、こんな時間まで眠ってしまったのか!?」
俺の頭は一気に覚醒し、慌てて飛び起きる。
一時間どころか、日が西に沈みかけていた時間から数えてきっちり五時間は眠ってしまったことに気が付き、俺は頭を抱えた。
「何をしているんだ、俺は……っ!」
その拍子に、肘にぶつかった『薔薇姫物語』がバサッという音を立てて床に落ちた。
軽く頭を振りながら、その『薔薇姫物語』を手にし、何気なく開かれたページを見て……、ハッとした。
「……このシーンは、アンジェラに贈ったスタードームと同じ……」
それは、薔薇姫と騎士が、一本のバラを共に持っている場面だった。
そして、そのスタードームを贈ったら、彼女は泣くほど喜んでくれたんだ。
それから、断片的に思い出す記憶の数々。
俺の見た幼い頃の記憶の夢の中の彼女、そして、この前城下を訪れた際に見つめていたその視線の先には……。
「……っ、俺はどうして、こんな簡単なことに気が付かなかったんだ!」
彼女はいつだって、言っていたじゃないか。
『ずっと一緒にいたい』と。
それは、俺がまだきちんと、彼女に対する肝心な想いを伝えていなかったからなんだ。
俺はその考え……、彼女の“本当の願い”に辿り着くと、部屋を飛び出した。
向かう先は、言わずもがな彼女の元である。
驚く侍従達の視線を感じるが、気に止めることなくアンジェラの部屋へ入る。
そして、眠るアンジェラの側に駆け寄り、口を開こうとした刹那、ふわりと甘い花の香りが鼻を掠めた。
「!」
その花の香りは、窓枠に一輪置かれていた淡い黄色の光を放つ、バラからのものだった。
俺はそれを見て、苦笑いを浮かべる。
「……これが正解だということか」
誰の仕業かなんて、考えなくても分かった。
だから、今俺がするべきことは。
俺は迷うことなくそのバラをそっと携えると、眠っている彼女の元へ歩み寄る。
そして、自身の気持ちを落ち着けるため深呼吸をし、口を開いた。
「アンジェラ」
俺はそう彼女の名を呼ぶと、眠っている彼女に届くようにと願いながら、言葉を続けた。
「俺はずっと、君に肝心なことを告げていなかったんだな。
遅くなってしまってごめん。
今、ようやく分かったんだ。 自分が、何をすべきだったか」
そう口にして、先の言葉を紡ごうとした瞬間。
パァッと眩いばかりに光が溢れ出す。
「!?」
それは、俺の手にしていた淡い黄色のバラから放たれていて。
それに呼応するかのように、ふわりとバラを中心に風が巻き起こる。 彼女の胸元の“バラの印”も強く光り輝き、俺の携えていたバラは花弁が一枚ずつ取れ、くるくると回るように空を舞う。
何が起きているのか分からず、固まってしまっていたが、強い眠気に襲われて……、俺は抗うことも出来ず、気を失ってしまったのだった―――
『……っ』
目を覚ました先は、真っ暗な暗闇の中だった。
(ここは)
どこだ、と呟こうとしたが、口にする前にその答えはすぐに分かった。
『私、夢を、見ていて……っ』
眠りにつく前、彼女はそう言って涙を流していたからだ。
その時、彼女はこうも言っていた。
『真っ暗な中、もしこのまま目覚めなかったらどうしよう』
と。 普段弱気な発言をしない彼女が、俺にそう言って泣きついてきたのだ。
今だってきっと、心細いに違いない。
『っ、アンジェラ……!』
そう言って、咄嗟に走り出そうとした俺の手を、誰かが取った。
驚き振り返っても、誰もいない。
『え……』
視線を少し下げれば、そこには俺と瓜二つ……、というより幼い“俺”の姿があった。
夢で見たより大きいことから、丁度アンジェラが“薔薇姫の呪い”を被った、8歳の時と同じ見目をしているように思える。
そんな幼い“俺”は、自分のことながら太々しいほどにじっと俺を見つめると、何も言わずに一直線に走り出した。
(っ、もしかして、この先にアンジェラが……?)
そう思った瞬間、俺は幼い“俺”の背中を追って走り出す。
そうして暫く走ったところで、幼い“俺”のその先に、座っている人影を見つけた。
それは二人いて、どちらも淡い金色の髪をしている。
その二人が、顔を上げて……。
『『……!』』
そのよく知る緑の瞳……夢で見た時よりもより一層美しく成長し、同時に年相応の可愛らしさも兼ね揃えた彼女と視線が合った時、俺はポツリと呟いた。
『……見つけた』




