シナリオ通りでない世界
―――真っ暗な暗闇の中で、誰かの泣く声がする。
(誰なの……?)
誰かは分からない。
けれど、他人事ではない、そんな気がする。
(どこにいるの?)
私は声のする方へ、足を踏み出す……―――
「っ……」
薄靄がかった意識の中、ゆっくりと目を開けば、ぼやけた視界の先で見慣れた天井が映る。
もう一度瞬きをすれば、視界が鮮明になって……。
(……ここは、私の部屋?)
私、何があったんだっけ……。
そう考えてハッとした。
「そうだ、エリナ様! エリナ様はどうなったの!?」
そう口にし、ガバッとベッドから上半身を起こしてから目に飛び込んできたものにハッとする。
それは。
「っ、ヴィクトル?」
彼が私のベッド脇で、椅子に座り寝ていたのだ。
(もしかして、私が目覚めるのを待っていてくれたの?)
辿り着いた答えに胸が高鳴ったのも束の間、彼の顔を見てハッとする。
(ヴィクトル様、顔色が悪い)
目の下には隈も出来ている。
(まさか、私のことを心配して……?)
それはないかと思ったけれど、心優しい最推しならありえるかも、ともっと良く見ようと手を伸ばしかけたその時、パシッと腕を掴まれた。
「へ!?」
一瞬の出来事に驚き、目を見開く私に向かって、彼もまた私をじっと見つめ、ハッとしたように口を開いた。
「……アンジェラ?」
「は、はい」
急に名を呼ばれ、頭が追いつかず畏まって返答してしまった私に対し、彼もまた驚いたように目を見開き……、刹那、ギュッとその力強い腕に引き寄せられ、抱きしめられた。
「!? ヴィ、ヴィクトル!?」
驚いて固まる私だったけど、そんな彼の肩が震えていることに気が付き、もう一度名を呼ぶ。
「ヴィクトル……?」
「っ、良かった、無事で……っ」
「!」
ヴィクトル様の言動から、どれだけ彼を心配させてしまったかが分かって。
最推しに心配をかけさせてしまったという申し訳なさと嬉しさを同時に感じながら、恐る恐る口にする。
「あの、私、どれくらい眠ってしまっていたかしら?」
「一週間だ」
「え!?!?」
い、一週間も!? それは私のことながら心配になるわ!!
(ありえないでしょう!?)
そこまで考えてハッとした。
これが“呪い”のせいだとしたら。
(症状が、思ったよりどんどん酷くなっている……?)
その考えに至った私に、ヴィクトル様は息を吸うと、口を開いた。
「心配していると思うが、エリナ嬢の件については君が眠っている間に粗方片付いたから、心配する必要はない。 彼女も無事だ」
「! エリナ様は、無事……」
私の呟きに、ヴィクトル様は頷いてくれた。
私は心からホッとする。
(良かった、本当に……。 ゲーム中で亡くなることなんてなかったけれど、それでもこの世界は私にとっては現実。
傷付かないに越したことはない)
そして、ヴィクトル様は言葉を続けた。
「それから、犯人についてだが、彼女を襲った犯人も捕まった」
「!!」
その言葉にハッと息を呑む。
(私ではない、真犯人……)
「……その方は?」
「誰とは言わないが、侯爵家の令嬢だ。
ベルンハルトに想いを寄せていたらしく、ベルンハルトと仲の良いエリナ嬢に嫉妬しての行動らしい。
……上手くいけば、君が犯人だと仕立て上げられると思ったのだろう」
「! ……」
(やっぱり、犯人は私に罪をなすりつけようとした、彼女だったのね……)
彼女とは、ガーデンパーティーで犯人は私ではないかと筆頭に立って口にした彼女のことだ。
同じ侯爵家の人間で、何かと私に強気な態度を取っており、ベルンハルトのことを慕っているという噂も聞いていたから間違いはない。
(ゲーム中でも、本当は同じだったんだわ。
だけど、犯人探しをするより前に、皆犯人はアンジェラだと信じて疑わなかった。
しかも、当のアンジェラは、タイミング悪くこの“呪い”のせいで眠りについてしまった……)
この“呪い”は、負の感情を支配する。
そのため、アンジェラ自身が負の感情に飲み込まれそうになると、“呪い”が強まる仕組みになっているのだとしたら。
(……アンジェラは、身に覚えのない犯人だと言われて、絶望したんだ)
彼女の場合は、誰も味方をする人はいなかった。
だからずっと、目覚めることなくゲーム中ではあの時点で突然死という強制退場になっていたのだとしたら……。
「……っ」
「ア、アンジェラっ?」
ヴィクトル様がハッとしたように私の名を呼ぶ。
私は、不意に泣き出してしまったのだ。
そんな私に、彼は涙を拭ってくれながら尋ねる。
「どこか痛いか? それともまだ具合が悪いとか」
私はそれに答えることができず、ただ首を横に振ることしか出来なくて。
でも、何故か、まるで彼女の当時の感情が流れ込んできたかのようで……、それが自分のことのように悲しくなってしまって。
自分でも何故こんな気持ちになるのか分からずにいると、ヴィクトル様はしゃくりあげる私の背中をさすってくれながら、ポツリと呟いた。
「アンジェラ。 ずっと思っていたのだが……、やはり、俺に隠していることが、あるんじゃないか」
「……!?」
その言葉にハッと息を呑み、涙が引っ込む。
そして、ヴィクトル様と視線を合わせる私に、彼はじっと私の瞳を見つめると、口にした。
「いくら何でも、おかしいと思うんだ。
今まで健康だったアンジェラが、近頃は突然気絶したり睡眠不足になってしまっている。
どの医者も疲労だ、安静にしていれば治ると口を揃えて言っているが……、アンジェラ、君は疲労ではない本当の理由を、分かっているんじゃないか」
「っ!?」
ヴィクトル様から紡がれた言葉に、私は思わず肩を震わせる。
彼はそんな私の両肩をそっと掴むと、目を逸らさずに口を開いた。
「アンジェラ、何か分かっていることがあれば教えてほしい。
……俺も、力になりたいんだ」
(ヴィクトル様……っ)
彼は、気が付いているんだ。
本当は疲労なんかではないと、私自身が分かっているんだって。
それでも、私が言うまでずっと待っていてくれていたんだ。
その事実に、私は嬉しくて、同時に辛くてまた涙が込み上げてくる。
……だって。
(自分でもどうしたら良いのか、分からない……っ)
ヴィクトル様なら、私が話せば、受け止めて信じてくれると思う。
これが“呪い”のせいだと、言うことが出来れば。
だけど、私はその言葉を一切口に出すことが出来ない。
それが、この“呪い”の制約だから。
そうして黙りこくることしか出来ない私に対し、ヴィクトル様はポツリと呟くように言った。
「……俺では、頼りないか?」
「っ、そんなはずがない……っ!!」
私は咄嗟にそう叫ぶ。
そんな私の悲痛な心情を察したのか、彼はハッとしたような顔をした後、ゆっくりと口を開いた。
「……もしかして、君の胸元にある“バラの印”が、何か関係しているのか?」
「……!!!」
その言葉に、私の心が今度こそ大きく震え、彼が示した胸元にある“バラの印”を、震える手で抑える。
(っ、どうして……、どうしてヴィクトル様には、これが見えているの……!?)




