蘇った記憶とその真実
エリナ様が毒を盛られて倒れた。
その事実を知り、私は長い廊下をただひたすら走る。
(っ、この胸騒ぎは、やはりエリナの身に起こることだったんだ!)
エリナが何者かに毒を盛られるエピソードは、今まで思い出せなかったが、確かに個別のガーデンパーティー全てに起こる。
その程度もそれぞれで、毒に気付き適切な処置を施し無事にその場で意識を取り戻すルートや、毒を口にする前に気が付き未然に防ぐルートも存在する。
しかし、今回の場合は。
(今回のルートは、主催者がベルンハルト、つまりベルンハルトルートを進んでいる可能性が高い。
ということは……!)
攻略対象者の中で最も身分の高い王子、しかも根強い人気のせいで毒の程度もこのルートの場合は大きかった。
それによって、エリナの意識は……。
「っ、アンジェラ!!」
「!?」
強く腕を引かれ、振り返ると、私の手を引くヴィクトル様と目を見開き驚いているクロードの姿があって。
ヴィクトル様も驚いたように口を開いた。
「泣いて、いるのか?」
「っ!」
ハッとして慌てて目元を拭えば、確かに指先が濡れていて。
自分が泣いていることに戸惑い、私は思う。
(そうだ、私は心配と同時に恐れているんだ)
大切な仲間が傷付くことを。
前世の記憶を取り戻して、この世界にやってきていることに気が付いて。
推し活をするため、ヴィクトル様だけでなくエリナ様、他攻略対象達と関わるようになって。
それで今、ようやく分かった。
(この世界はもう、“きみバラ”の世界であってゲームの世界ではない。
キャラクターもキャラクターではなく、今こうして共に生きている、現実世界の大切な人達なんだ……)
そんな思いに気が付いた私の身体をヴィクトル様は引くと、ヒョイッと横抱きにする。
驚き目を見開けば、彼は真剣な表情で言った。
「……エリナ嬢の元へ行きたいのだったら、遠慮せず俺を頼れ。
俺は他でもないアンジェラ、君の婚約者なのだから」
「! ……ヴィクトル」
「しっかり捕まれ。 クロード、行くぞ」
そう口にすると、ヴィクトル様は颯爽と走り出した。
私に負担をかけないよう、膝や背中を支えてくれる腕に、ギュッと力が込められるのを感じて。
(ありがとう、ヴィクトル)
そう心の中でお礼を言い、私もギュッと彼の首に回す腕に力を込めたのだった。
ガーデンパーティーの会場は騒然としていた。
戻ってきた私達の姿を見て、ベルンの護衛であるアランが慌てたように声をかけてきた。
「アンジェラ様、体調は大丈夫なのですか!?」
アランの他所行きの言葉からも幼馴染として心配してくれているのが伝わってきて、ヴィクトル様から下ろしてもらいながら答えた。
「私は大丈夫。 それよりも、エリナ様は!?」
「エリナ様なら大丈夫です。
ルイ様が適切な処置を施したことよって意識を取り戻して、今はルイ様が付き添って医者に診てもらっていらっしゃいます」
「! 良かった……」
心の底から安心しながら思う。
(本当に良かった。 ルイがエリナ様の側にいて……)
ルイはチョコレートで毒を盛られて以来、毒について耐性をつけるため、ありとあらゆる毒物を調べ、それらを口にした時の対処法まで知っている、という設定がある。
そのため彼のルートでは、毒を口にしてしまったエリナを適切な対処法で助け、その場で意識を取り戻していた。
(今回のガーデンパーティーはベルンハルトが主催者であるから、本来はベルンハルトルートのはずなのだけど、“私”がいることによってシナリオ改変された今は、ベルンハルトとルイの両ルートが混在している。
その結果、ルイがエリナ様の側にいたからこそ助けられた……)
そう考えると、シナリオ改変している“私”がいることで、エリナ様を少しでも救えた気がして良かったと思っていると、アランが「ですが」と険しい表情で言った。
「毒物を盛った犯人が分からない今、犯人探しが行われているのです」
「! 犯人探し……、っ!?」
その途端、再度頭と“バラの印”に鋭い痛みが走る。
「アンジェラ!?」
そう名を呼ぶヴィクトル様の声が遠い。
(っ、何か、大事なことを忘れている気がする……)
何者かに毒を盛られたエリナ様。
そして、行われる犯人探し。
その時、アンジェラは……。
もう少しでその答えに辿り着こうとしていたその時、衝撃の言葉が私の耳に届いた。
「やはり、アンジェラ様が犯人なのではないですか?」
「え……」
その言葉に、身体から一気に血の気が引く。
そして、カタカタと手が震え出す。
その言葉で、完全に思い出した。
私が……、アンジェラが、この記憶を思い出すことを恐れた理由を。
「は?」
身体の芯から冷たくなっていくのを感じる私を庇うように、ヴィクトル様が一歩前に進み出る。
それでも怯むことなく、私と同じ侯爵家の令嬢である一人が声を上げた。
「この場にいる全員には、毒を盛ることは不可能。
そう考えると、この場にいらっしゃらなかったアンジェラ様なら、エリナ様に毒を盛ることが可能ですよね?」
「っ!」
その言葉に、ヒュッと息を呑む。
それに続き、他の方々までヒソヒソと言葉を口にし始めた。
「確かに、アンジェラ様は急に具合が悪いと仰っていたわよね?」
「具合が悪いというのは口実だったというのか?」
「殿下が茶会を始めると言った瞬間、体調を崩されたのよ? それって……」
「普段からエリナ様を虐めていたものね」
(……あ)
……そうだ、私は、こうして窮地に立たされたのだ。
エリナを虐める“悪役令嬢”のアンジェラが、ついに毒を盛ったのだと。
だけど、今なら分かる。
(私は……、アンジェラは、そんなことをしていない)
ましてや、前世の記憶を持つ私が、エリナ様に毒を盛るなんてことはあり得ない。
(ようやく友達になれたのに)
そんなことを私がするはずがない……!
そう心は叫んでいるのに、いざ言葉にしようとすると、口から出てこない。
ただ口をパクパクと開閉するだけで、呼吸もままならなくなる……ところで思い出す。
あの“夢”を。
『……君は、何一つ変わってなどいなかったんだな』
『君には、失望した』
そう口にしたヴィクトル様の言葉と、冷たい瞳を……。
(っ、いや…………!!!!!)
そう心から叫び、その場に蹲りかけたその時、冷たくなっていた手を温かくて大きな手に取られた。
そのよく知る手に驚きと同時に涙が込み上げ、俯くことしか出来ない私の耳に、今までに聞いたことのない地を這うような声音で彼は紡いだ。
「……貴様ら、誰の婚約者を愚弄しているか分かっているのか?」
「……っ」
記憶と似た、冷たい声。
だけどその言葉は、“夢”とは違い、私に向けられた言葉ではなく、私を信じてくれているからこそ味方してくれている彼……、ヴィクトル様の言葉だった。
私はキュッと、冷たくなった指先に力を込めると、彼もまた私の手を力強く握り返してくれた。
それだけではなく、その場にいた私の幼馴染達まで口々に声を上げる。
先に声を上げたのは、側にいたクロードだった。
「証拠がないと勝手なことを言っているけれど、アンジェラ嬢にはずっと、婚約者である彼がついていたよ。
それでもまだ彼女が犯人だと言える?」
「そもそもアンジェラ様という確証があるのですか?
確証もないのに、一人の令嬢を犯人に仕立て上げることこそが、犯人の思う壺なのではないでしょうか」
そう口にしたのはアランで。
そして最後に口を開いたのは、私の元へ歩み寄ってくるベルンだった。
「クロードとアランの言う通りだ。
犯人だという不確かな思い込みだけでアンジェラ嬢を責めるのはやめてほしい。
……この件については、この会を開き、このような騒動を未然に防げなかった私に責任がある。
もし不安に思うことや気が付いたことなどがあるのならば、私に教えて欲しい。
こちらも、犯人を一刻も早く捕まえるよう尽力する」
そう凛とした口調でベルンは告げ、一拍置いた後再度口を開いた。
「本日はこれを以てガーデンパーティーを終了とする。
念のため、君達を安全に邸へ送り届けられるよう、順に王立騎士団の騎士を手配する。
随時その指示に従うようにしてほしい」
そんなベルンの的確な指示に、その場にいた誰もが静まり返り、その瞳は戸惑ったように揺れていた。
(……無理もない、この中の誰かが犯人である可能性が高いのだから)
ゲーム中では、悪役令嬢だと信じて疑わなかったプレイヤー、そして攻略対象者達。
それがアンジェラとなった今では、私自身ではないとはっきり言える。
そして。
(ヴィクトル様を含め、攻略対象者達全員が私ではないと信じてくれている)
それがどれだけ、心を救われ、心から嬉しいと思ったか。
礼を述べなければ、と口を開こうとしたが、その前に視界が歪む。
(あ……)
今度こそまずいかも、と直感した私は、ヴィクトル様や皆の呼びかけに応えることはなく、抗うことは出来ずにそのまま意識を手放し、深い眠りに落ちてしまったのだった。




