悪役令嬢→推し活
『いとしい君へ、このバラを』は、前世日本で流行った乙女ゲームの名前だ。
中世ヨーロッパ風の世界観の中で、5人の攻略対象達と恋をする王道の乙女ゲームだった。
ただ一風変わっているところといえば、学園ものではなく、好きな相手を決めてお茶会やイベントを一緒に過ごし、ひたすら好感度を上げにいくという、比較的簡単なシステムで成り立っているところだろうか。
そんな遊びやすさもあり、当時20代のOLだった私も見事にハマっていた。
特に最推しだったのが、“ヴィクトル・デュラン”という公爵令息の青年だった。
ヴィクトル・デュラン。 歳は16歳で、当時の私の年齢でいうと大分歳下だったが、そんなことを考えさせられないほど大人びている。 肩下で切り揃えられた銀色の髪に、空色の瞳。
乙女ゲームでいうクール属性キャラクターであるが、ヴィクトルと恋に落ちるヒロイン・エリナの前で見せる笑みは甘く柔らかいことから、いわゆる“クーデレキャラ”として人気を博した。
そんな彼には恋の障害となる婚約者がいる。
それこそがこのゲームの悪役令嬢、“アンジェラ・ルブラン”だった。
アンジェラ・ルブラン。 歳は同じ歳であるが、まだ誕生日を迎えていない15歳の彼女は、さらさらストレートの檸檬色の髪に緑眼と、見た目こそ可憐な少女に見えるが、その性格……というよりは、ヴィクトルに対する異常なまでの執着がとにかく目立った。
少しでもヴィクトルの側に女性がいるものなら排除しようと、嫌がらせや問題行動を繰り返し、ヴィクトルをも困らせる。 ヴィクトルはそんな彼女に嫌気が差していたところに、ヒロイン・エリナと出会い、恋に落ちていく……というのがヴィクトルルートである。
当然、エリナのことを目の敵にしていたアンジェラは、ありとあらゆる手段を使って嫌がらせをする。
ヒロイン視点のプレイヤー側は、そんなアンジェラにイラつき、断罪を求めていたが……、その前に彼女は“突然死”という形で忽然と姿を消した。
ヴィクトルはまさか、アンジェラが亡くなるとは思わず、悲しみに暮れる……姿を見たエリナが寄り添う、というシーンでヴィクトルルートは終了する。
(そして私は、正真正銘“アンジェラ・ルブラン”……、突然死を迎え途中退場させられる悪役令嬢に転生してしまった、ということになる)
しかも。
「よりにもよって、乙女ゲームの中盤あたりなのよね……」
つまり、ヒロイン・エリナを既にいじめている。
(この時点で、彼女のドレスを汚す、王子達と話すのは身分違いだと罵倒する、ヴィクトルは私のものだと警告することまではやっているわ……)
次々と思い出されるエリナに対する問題行動の数々に頭を抱える。
(本当に、よくこれまで婚約破棄されなかったと自分でも思うわ)
でも、転生した今なら分かる。
「……アンジェラは必死だったのよ」
私はそう呟き、鏡の中の自分を見ながら、ドレスの襟を少しくつろげると、その襟の下の肌に“印”が現れる。
(……“薔薇姫の呪い”……)
胸元で異様な存在感を放つ、その淡い黄色のバラを鏡越しに見つめた。
この国には、“薔薇姫物語”という有名な物語がある。
“薔薇姫”には、幼い頃から仕えていた護衛の騎士がいた。
姫はその騎士のことを愛し、騎士もまた姫を愛していた。
しかし、それは決して許されざる身分違いの恋。
騎士はそれを分かっていたため、毎年姫の誕生日になると一本のバラを差し出し、忠誠を誓うことしかしなかった。
そんな姫が15歳を迎えた時、国が戦火に巻き込まれてしまう。
姫の護衛であったその騎士も、戦場に向かわなければならなくなり、姫に別れを告げる。
行かないでと懇願する姫に、騎士はある約束を持ちかけた。
『姫が16歳の誕生日を迎えるまでに必ず帰る。 そして、誕生日にバラを差し出すことが出来た暁には、結婚しよう』
と。
姫は喜んでその約束を呑み、戦場からの帰りを待った。
そして16歳の誕生日を迎えた姫の元へ、騎士が現れバラを差し出して求婚し、二人は永遠に結ばれたという物語である。
その物語から、“いとしい君へ、このバラを”という題名や、この国の薔薇を用いた求婚の文化が来ているのだと思う。
幼い頃に私もこの本を読んで、酷く憧れを抱いたものだ。
『私もこうなりたい』と。
そんな一心で、私は街で出会った占い師から、“薔薇姫のおまじない”……、今思えば怪しげなその魔法陣が描かれた紙を受け取り、実行してしまったのだ。
しかし、そのまじないは失敗に終わり、私の身に“呪い”となって振りかかった。
それが。
「……私が薔薇姫と同じ“16歳”を迎え、このバラの印の花弁が16枚となったら、永遠の眠りについてしまう」
それを阻止するための唯一の方法は。
「アンジェラが好きなヴィクトルと、両想いになること」
だからアンジェラは、他の女性を蹴落としてまでも、何とかしてヴィクトルを振り向かせようとしたのだ。
「前世の記憶がなかったから、私も“アンジェラ”として何の疑いもなく生きていたけれど……」
そこで言葉を切り、へなへなとその場に座り込むと……、ドンッと床に拳を打ちつけた。
「最推しであるヴィクトル様に何てことしてくれちゃっているのよ、私……!」
しかも、前世の時にあれだけ好きだった最推しのことを今の今まで気付かずに忘れていたとか!
「あ〜〜〜!! 間違いなく記憶の中には幼い頃のヴィクトル様のお姿もあるのに!
記憶が残っていなかったばかりにそのご尊顔をこの目に焼き付けて愛でることが出来なかったとか……!」
一生の不覚……。
「しかも、乙女ゲームの始まりから3ヶ月ほど経過しているとか、エリナとヴィクトル様の出会いイベントという重要なシーンも見過ごしちゃったじゃん、私……!」
あの美麗スチルは忘れない。
沢山のバラが咲く庭園の中、互いに気付かずぶつかってしまった拍子に、ヴィクトルが咄嗟にエリナの肩を支え抱きとめるあのスチルを……!
「生で拝み倒したかったよぉ〜〜〜!!」
うわーん、とベッドに逆戻りし、バタバタと足を踏み鳴らしてみたが時既に遅し。
「既に乙女ゲームは始まっていて、“アンジェラ”も悪役令嬢として仕事をしている最中だわ……」
私はどうしたものか、と思案する。
(前世の記憶が戻った今、冷静に状況を分析してみると、いくらアンジェラがこのまま“悪役”を頑張ったところで、この呪いが解けるわけではない。
だって、ヴィクトル様は間違いなく、“私”を嫌っているから……)
この“呪い”を解く方法は、ヴィクトル様と両想いになること。
つまり……。
「無理無理無理っ! そんなの恐れ多くてムリぃ!!」
最推しといえど、私の場合はリア恋でもガチ恋でもなく、推しは至上であり尊きお方であり、控えめに言って“神”なのだ。
そんな推しが、私の婚約者であるという現状だけでも卒倒してしまいそうなのに、あの顔で「好きだ」なんて言われたら……。
「間違いなく命の危険を感じるし、普通に天に召されるぞ……(?)」
何言ってるんだ自分でも何言ってるのかさっぱり分からん、そしてどうする私……!
考えて考えて、閃いた。
「そうだ、私はこれからは“悪役”ではなく“推し活”にジョブチェンジすれば良いんだ!」
呪いを解く方法は、また別の方法をこの半年の間に探し出せば良い。
そして、万が一半年後に亡くなったとしても悔いの残らないように、私がしたいことは“推し活”なのだ。
「そうすればきっと、皆が幸せになるはず!」
そうと決まれば、早速行動開始だーーー!