この感情は…
「……っ」
目を開ければ、まだ部屋の中は薄暗い。
目元に手をやれば、指先が涙で濡れる。
「また、同じ夢……」
あれから二週間ほどが経った。
10月に入り、夜会シーズンもピークを迎えているが、私はどれにも参加していなかった。
その理由は、連日見る“夢”のせいである。
いつも決まって見るのは、あの二人……ヒロインと最推しが結ばれるシーン。
本来、悪役令嬢が途中で亡くなるため、ゲーム中にはそのシーンが無かったが、何故か夢にはその幻の光景が出てくる。
前世の“私”が願った、ヴィクトル様のハッピーエンド。
それを見ることが出来て嬉しいはずなのに、心のどこかで違う自分が叫ぶ。
『ヴィクトル様は、私の婚約者だ』と。
「“ガチ恋”、じゃなかったはずなんだけどなぁ……」
そう呟いたのと同時に、拭ったはずの涙がまた新たに目から溢れ落ちたのだった。
「アンジェラ様、本当に参加なさるのですか?」
私にそう何度も尋ねてくるエメに向かって頷く。
「えぇ。 王家主催のこの夜会を、さすがに断るわけにはいかないから」
そう言って、いつもとは違う髪色……桃色の髪に触れ、作り笑いを浮かべた。
今日は、王家主催の“仮面舞踏会”の日。
これも、“きみバラ”中のイベントの一つである。
この“仮面舞踏会”は、成人を迎えた貴族の未婚の男女が変装して集う、交流だけではなく、出会いの場としても有名な夜会。
貴族で未婚の男女全員に招待状が届き、それを入り口で見せることから、参加の有無が分かるわけで。
(とはいえ、全く気乗りしないわ)
まず呪いが身体を蝕んでいる時点で、万全の状態でないのよね……。
(夜はあの調子で眠れていないし……、とりあえず行って聖地巡礼して推しを陰からこっそり見たら帰りましょう)
この仮面舞踏会は、婚約者がいる場合は婚約者と、婚約者がいない場合は好きな方とダンスを踊る。
そして、会場を出て仮面を互いに外すことで、永遠に結ばれるというジンクスがある。
(こうしてみると、この世界は本当にジンクスが多いわよね……)
もちろん、ゲーム中のアンジェラもそのジンクスを鵜呑みにして、変装は仮面のみという最低限にして、ヴィクトル様が絶対に気付くよう仕向けていた。
だから、ゲーム中ではヴィクトル様と踊り、早々にその場を二人で後にしていたっけ。
(でも)
今回は違う。 そのために、髪色を変え、ドレスもゲーム中とは別の物にして準備を整えた。
(ヴィクトル様の邪魔をせず、遠くから推し活が出来るように)
……うん、それだけで十分だ。
私はそっと、“バラの印”に手を当てたのだった。
「っ、わぁ……」
城の大広間、今夜の仮面舞踏会会場へ着いた私は、思わず感嘆の声を漏らす。
この場所を訪れたのは、前回の王家主催の夜会を通して二度目だけれど、さすがは王家主催の夜会、イベント毎に装飾や雰囲気がまるで違う。
今回の仮面舞踏会は、どちらかというと日本でいうハロウィンのような雰囲気で、カーテンの色が黒に統一され、闇夜の中のパーティーという印象が強い。
ちなみに、前回は豪華絢爛のこれぞ王家主催!という印象だった。
(気乗りはしなかったけれど、やっぱり来て正解だったかも。
聖地巡礼は出来るし、それに……)
私はそっと視線を走らせる。
そこには、攻略対象者全員とエリナ様が大集合していた。
(ゲームと同じ服装とはいえ、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったわ!
全員大集合しているということは……、逆ハーレムルート?
でも、このゲームには逆ハーレムルートはなかったから……、私が悪役しないのが原因かっ!)
それにしても、やはり全員大集合しているから余計に神々しいっ!
(こうしてみると、やっぱりあの中に私がいる方が違和感なのよね……)
そう傍観しながら、ふと思う。
(私は本来、エリナ様の敵だから一緒にいること自体があり得ないのよ。
現に、前世の“私”が記憶を取り戻すまでは、この立ち位置だったのだから……)
ギュッと、ドレスの裾を握る。
(ヴィクトル様の本当の“ハッピーエンド”を目指すには、悪役をしなければ良いとそう思っていた。
けれど、悪役をしないことで、ヴィクトル様と一緒に過ごす時間がより一層増えたように感じる。
彼からの視線も、態度も、言葉遣いも、全てが婚約者である“私”が受けているものは、本来全て……)
そこでハッと息を呑む。
視線の先には、ヴィクトル様とエリナ様が会話をする姿。
その姿を見て、あの“夢”と重なって……―――
「……っ」
私はそれを直視することが出来ず、目を逸らし、逃げるようにその場を後にする。
仮面の下の瞳から、はらはらと涙が溢れ落ちる。
(っ、違う、私は、ヴィクトル様のファンで)
画面越しにしか会えなかったキャラクターの世界に来れただけ嬉しかった。
それも、最推しの婚約者という美味しいポジジョン。
何てツイているんだろうと思った。
神様に全力で感謝した。
けれど、今は……。
会場から逃れ着いた先は、前回の夜会時には薔薇が咲いていた庭だった。
今では時期的に薔薇が終わり、すっかり無くなってしまっている。
「……あはは」
私は乾いた笑いを零し、仮面を付けたまま目元をそっと拭って呟いた。
「私、何やってるんだろう」
最推しのハッピーエンドを見届けたいはずが、彼が幸せそうにしているところを見たくないと思ってしまう。
(ファン失格よ……)
再度、あの夢の光景が目に浮かぶ。
最推しと、ヒロインが笑い合う姿……。
「私、は……」
「やっと見つけた」
「……!?」
驚き、後ろを振り返る。
そこにいたのは、私が一瞬淡い期待を抱いた人物ではなくて。
「探したぞ」
「……どなた?」
私のことを探していた? と首を傾げる私に対し、その男性はズカズカと私の目の前までやってきて口にした。
「君の婚約者だ、こんなところにいたのか。
道理で見つからないはずだ」
「あの、本当に違うのだけど……」
(貴族男性はほぼ把握しているつもりだけれど、変装しているから分からない!)
と戸惑う私に、彼は言葉を続ける。
「何を言っている! 君の髪色は間違いなくフローラだ、仮面を取ってその顔を見せてくれ」
「!?」
(か、髪色!? そんなことで判断していたの!?
ってそんなことに突っ込んでる場合ではない、仮面は婚約者の目の前でしか外してはいけないわ……!)
ジンクスと同時に、仮面舞踏会で婚約者または好きな人以外の前で外すのは、このイベントにおいてタブー。
それを認識していた私は、咄嗟にその手を払い除ける。
すると、その男性は怒ったように言った。
「何故だ! 君はフローラだろう!! 俺をからかうな!!」
「俺の婚約者に何をしている」
「「!?」」
その声の主に、今度こそハッと振り返る。
そこに立っていた人物を見て、私の心臓がドクンッと高鳴った。
そして、震える声で口にした。
「……ヴィクトル、様?」
「えっ……!?」
私の声に、その場にいた男性が素っ頓狂な声を上げる。
ヴィクトル様と言ったら、公爵令息であることは誰もが周知の事実だ。
それに気付き、同時に婚約者である私のことにも気が付いたのだろう。
その男性は驚き目を瞬かせるうちに、ヴィクトル様は私の元へ歩み寄ってくると、グイッと私の肩を引き寄せた。
そして、怒気を強めて言った。
「君はフーリエ男爵令息だな。
お探しの婚約者の女性は、舞踏会会場にいたが?」
「っ、し、失礼致しましたーっ!!」
男性は、逃げるように途中で躓きながら、会場へと向かって行ったのだった。
それを呆然と見送ってから、私は隣にいる人物と目を合わせることなく尋ねた。
「……どうして、私だと気が付いたの?」
(髪も仮面もドレスも、いつもとはまるで別人にしてもらったのに)
その言葉に、彼は目が合わない私と視線を合わせるため、私の目の前で膝を曲げ、覗き込むようにして言った。
「何年、君の側にいたと思う。
俺がそれくらいの変装で、君に気付かないとでも思ったのか?」
「……っ」
その言葉に、止まっていたはずの涙がこぼれ落ちる。
それに気付いたヴィクトル様は、私に向かって尋ねた。
「……仮面を、外しても良いだろうか」




