幸せ…だけど
「……い、アンジェラ」
ふわふわとした微睡みの中、私の大好きな声が私の名前を呼んでいる。
(あぁ、そうか。 これは夢なんだわ……)
最推しに優しく名前を呼んでもらえるなんて、何て良い夢……。
「後、もうちょっと……」
もう少し、この余韻に浸っていたい……。
そんな私の言葉に、最推しのクスクスと笑う声が聞こえ、それと共にさらりと私の頭を撫でる感触がした。
(……ん? 感触?)
夢にしては妙にリアル……と思った瞬間、信じ難い言葉が私の耳に届いた。
「アンジェラ。 ……好きだ」
「……!?!?」
その言葉と共に頭に訪れた、柔らかな感触。
それは、間違いなく……―――
「アンジェラ、もうすぐ着くぞ」
「!」
そこでパチッと目が覚める。
目の前には、大好きな最推しの顔……。
「!?」
(ど、どこからどこまでが夢っ!? え、何が起きた!?)
とテンパる私をよそに、ヴィクトル様はクスッと笑って言った。
「とても幸せそうな顔をしていたな。 よく眠れたか?」
「!?」
(ね、寝顔を見られた……っ)
いつの間にか寝落ちしていたらしい。
最推しと一緒にいるという貴重な時間を過ごしているのに眠るなんて有り得なーいっ! と自分を責めながら、慌てて謝る。
「ご、ごめんなさいっ! 安心してしまったのか、気が付いたら寝てしまって……」
私の言葉に、ヴィクトル様は穏やかに微笑む。
「無理もない、色々と連れ回してしまったからな。
……それに、安心して眠れたということは、俺の隣がそれだけ居心地が良い、ということだろう?」
「っ!?」
そう言った彼の空色の瞳には、どこか悪戯っぽい色が滲んでいて。
私は恥ずかしくなり、少し怒ってみせる。
「ヴィクトルの意地悪」
「……っ、アンジェラ、残念ながらそれは逆効果だ」
「痛っ」
彼はそう言って、私の頭を軽く小突く。
そして、言葉を続けた。
「そういう無防備なところは、俺の前でしか見せるな。
と言っても、アンジェラは天然だからな……」
「え、私天然って言われたことないけど……」
前世でも、と内心思いながら首を傾げると、彼は目元に手を当て天を仰いだ。
「無自覚ほど怖いものはない」
「えぇ?」
(本当に一度も言われたことがないんだけどなぁ)
と思う私に、「まぁ、良い」と彼は私の手を掴み、その手にスタードームを載せて言った。
「俺が隣で見守っていれば、変な輩は近寄って来ないだろう」
「……っ」
その言葉に、先程の夢現の出来事を思い出し、一瞬で頬に熱が集まる。
そんな私には気付かず、彼は「着いたみたいだな」と口にすると、私の手を取り言った。
「ルブラン侯爵に挨拶をして帰る。
……君のその怪我についても、謝らなければ」
「!? 良いわよ! 元はと言えば、これは私の不注意によるものなのだし」
焦ってそう口にすると、彼は首を横に振り言う。
「いや、間違いなく俺が君から目を離したのが悪い」
そう言って本当に申し訳なさそうに言うものだから、私は言葉に詰まる。
(やっぱり、魔女さんに傷跡ごと治してもらえば良かったな)
と、罪悪感に駆られるのだった。
「……ふぅ」
寝支度を整え、ベッドに横になった私は、横を向きサイドテーブルの上に置かれたスタードームを見つめる。
「まさか、幻のシークレットを私が体験するなんて……」
そう呟くと、今日の出来事が走馬灯のように思い起こされる。
『これなら、良いだろう?』
『君は、俺のことを全く分かっていない』
『名前を、呼んではくれないのか?』
『幼い頃から、君の一番近くにいたつもりだから』
そして……。
―――アンジェラ。 ……好きだ。
「〜〜〜!?!?」
(あれは何だったの!? 夢!? 幻聴!?)
いずれにせよ、おこがましいにも程があるぞ……っ!?
(……でも)
「夢にしては、妙にリアルだったし、それに……」
私はそっと髪に触れる。 その部分は、私の間違いでなければ。
「ヴィクトル様に、キス、された気がする……」
って、何言ってるの自分! そんなこと有り得ないでしょぉーーー!
と羞恥で暴れ回っているうち、はたとあることに気が付く。
「……ヴィクトル様が、私のことを、好き?」
もし、勘違いでなく本当にそうだとしたら―――
私はバッとベッドから立ち上がり、鏡台の前まで移動する。
そして、寝衣の上に羽織っていたガウンを脱ぎ捨て、鏡に映った自分を見て……。
「あ……」
一気に冷水をかけられたような気分に陥る。
「“バラの印”、残っている……」
薔薇姫の呪いの解呪条件は、“両想いになること”。
それはつまり。
「……ヴィクトル様は、私のことを好きではない」
(それはそう、よね。 私、悪役令嬢だもの……)
今更いくら改心したって、私が悪役令嬢であることに変わりはない。
「運命は、変えられないんだ……」
そう呟いた瞬間。
鏡の中に映る“バラの印”が光を放った……と思ったら。
「……っ!?」
(何、これ……っ)
今までにないほど急激に息が苦しくなり、意識が朦朧としていく……。
(助、けて)
そう口にすることも出来ず、私はそのまま意識を手放したのだった。
―――――
―――
―
大輪の薔薇が咲き誇る庭園に、二人の男女の姿がある。
白い髪に桃色の瞳を持つ女性と、銀色の髪に空色の瞳を持つ男性の姿を見て、私は両手を合わせる。
(エリナ様とヴィクトル様……!)
そんな二人は、私に気が付くことなく、幸せそうに微笑み合う。
そんなエリナ様の手元には、白い薔薇が一本携えられていて。
(っ、ついに……、ついにこの日が来たのね!)
二人が結ばれる時が……!
そう感極まったのも束の間、私の周りが一気に黒く染まる。
そして、私の中で違う誰かが囁いた。
『憎い、あの方は私のものなのに』
―
―――
―――――
「……っ!!!」
ハッと目が覚めた。
窓の外はまだ薄暗く、夜明け前であることを知る。
胸元の“バラの印”が、早鐘を打つ鼓動と共に痛む。
寝衣は汗で濡れ、肌にくっついてしまっている。
私は自分の腕を抱きしめ、口にした。
「っ、こんなの、“私”じゃない……」




