“彼女”との再会
苦しい、辛い。 どうしてこんなことになっているの?
先程まで賑やかな街の中にいたのに、今は暗がりで人のいない路地裏を一人、ただひたすら走る。
幸せだった。 お母様がいて、ヴィクトル様が、優しい幼馴染達がいて。
でも。
(もうあの頃には、戻れない)
私の幸せは、ヴィクトル様の幸せ。
彼が幸せなら、それで良い。
そうすれば心が満たされる、はずなのだから。
悲鳴を上げる心にそう言い聞かせていると。
「っ、あ……!!」
石畳の段差に躓き、身体が傾く。
そしてそのまま、勢いよく地面に身体を打ち付けた。
「……っ!!」
痛い、苦しい。 涙で視界がぼやける。
(この世界で……、乙女ゲームの世界で生きられただけで、嬉しいはずなのに)
たとえ転生先が、16歳までしか生きられない“悪役令嬢”でも嬉しかった。
むしろ、最推しの婚約者になれただけで嬉しいはずなのに。
(心は、どんどん欲張りになっていく)
彼の優しさに、暖かさに、甘さに……知らなかった一面を知っていく内に、自分の中で芽生えた心は、大きくなっていく。
それは、コントロールできないほどに。
(でも)
私と彼が、結ばれることはない。
たとえ、この“呪い”がなかったとしても、彼が選ぶのは、彼が心から愛しているのは……。
―――私ではないのだから。
「それほどに、彼を愛してしまったのね」
「……!?」
(っ、この声は……!)
遠い記憶を呼び起こす、懐かしい声。
私はガバッと顔を上げる。
そこには、七年前……忘れもしないあの日、私に“薔薇姫のおまじない”を教えてくれた……
「占い師、さん?」
「……そう」
彼女は私の目の前に膝をつき、私と視線を合わせた。
そこで初めて、フードの内側の彼女の顔を見る。
(き、れい……)
その瞳と髪は共に亜麻色で、彼女は心配げに私の顔を覗き込んだ。
(……本当に不思議な方。 それに、彼女がとても悪い方には見えない……)
そんなことを考えていると、彼女は驚く発言をした。
「私のやっていることは酷いこと……お節介なことかもしれないから、その認識には賛成できかねるわね」
「!?」
(こ、心を読まれている!?)
「えぇ、読めているわ」
彼女はそう言って瞳を伏せると、私に向かって手を伸ばす。
朧げな記憶の中にあったその綺麗な手は、以前と何ら変わりないように見える。
そして、その手を私が怪我をした脚の方に向け、彼女は言った。
「私、あの時貴女に一つだけ嘘をついたの。
……それはね」
「……!」
彼女の掌からパァッと眩いばかりの光が溢れ出す。
その光は、私の脚に吸収されていく。
そして、その光の粒が消えた頃には。
「っ、痛くない……?」
ハッとして彼女の瞳を見つめる私に、彼女は妖艶な笑みを湛えて言った。
「とりあえず応急処置を施したのと、痛みは無くしておいたわ。
本当は完治させることが出来るのだけど……、婚約者に心配させてやりましょ」
「あ、貴女は一体……」
彼女は「そうね」と口にすると、その先の言葉を紡いだ。
「私、あの時“占い師”と言ったけれど、本当は“魔女”なの」
「ま、魔女……!?」
そんなの、聞いたことがない。
本の世界だけだと思っていたのに、まさか実在するなんて……。
「そう。 私はちょっと特殊……イレギュラーな存在なの。
だから、私のことを知っている人もごく僅かね」
「イレギュラー……?」
「まあ、そこら辺は話せば長くなるから、説明は省かせてもらうわ。
……それに、今の貴女には私のことよりも、“薔薇姫の呪い”についての説明をしてあげた方が良さそうだから」
「!」
彼女はそう言って、「まず」と人差し指を立てた。
「どうして貴女に“おまじない”を教えたか。
それは貴女を助けてあげたかったから。
……結果的に“呪い”に変わってしまったけれど、それでもきっと、この“呪い”は貴女にとっては良い方向に作用してくれると信じているわ。
そして、二つ目」
彼女は中指を立てると、はっきりと口にした。
「“薔薇姫の呪い”を解く方法は、両想いになること。
それしか方法がないから、他の方法を探そうとしても無駄だとはっきりと伝えておくわ」
「!? そんな……!」
魔女である彼女から紡ぎ出された言葉に愕然としてしまう。
(両想い以外に方法がない、だなんて……)
ショックを受ける私に対し、彼女は私の両肩に手を置くと言った。
「この呪いを解く方法は、“自分の気持ちに素直に向き合う”こと。 逃げては駄目。
そうでなければ、貴女が心から望む“本当の願い”は消えて失くなり、一生叶わなくなってしまうわ」
「私が心から望む、“本当の願い”……?」
「えぇ。 今の貴女は、自分のその“本当の願い”を見失ってしまっている。
それは、己を犠牲にして周りを優先しすぎてしまっているから」
「っ、それは一体……」
彼女の言葉の意味が分からなかった。
(だって私の願いは、ヴィクトル様や皆の幸せで)
「違うわ」
「!」
私の心を読んだ彼女は、強い口調で言う。
そして、言葉を続けた。
「今の貴女は、“本当の願い”から顔を背けてしまっている。 どうせ叶わないから、と。
その本当の願いを、自分を見つめ直して見つけてあげて。
そうすればこの“呪い”は必ず解かれ、あるべきところに全てが収まるの」
「あるべきところって……」
「貴女が目指す“ハッピーエンド”よ」
「!」
驚き息を呑む私に対し、彼女は「そろそろ時間ね」と呟くと、笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、“呪い”は怖いものではない。
……恐れず、前だけを向いて自分の心に正直になれば、きっと」
「そんな、どうやって!」
「それは、自分で考えるべきこと。
私から伝えられるのはここまで。
さあ、貴女の騎士がお待ちかねよ。 またね」
「待っ……!」
彼女が指を鳴らす。
すると、私は一瞬で路地裏の入り口、賑やかな街の大通りにいて……。
「アンジェラ!」
私を見つけ、余裕のない表情で走ってくるヴィクトル様の姿を見つけた。
「ヴィクトルさ……っ!?」
刹那、彼はそのまま、私をその腕の中に閉じ込めたのだった。