最推しと、二人きり
ガタゴトと揺れる馬車の中。
私とヴィクトル様しかいない空間で、幸せを噛み締めていた。
(っ、あ〜〜〜幸せっ! ヴィクトル様と二人きり、それも真正面から合法で見放題なんて……っ)
彼は長い足を組み、片肘を窓枠について窓の外を見ている。
そんな彼の姿を拝み倒しながら口を開いた。
「あの、ヴィクトル様」
「……何だ?」
私の呼びかけにようやく彼の青い瞳がこちらを向く。
それだけで胸のときめきが止まらなくて、無意識に胸の前で手を握り締めて言った。
「ルイ様のことで、お話があるのだけど」
「……」
そう口にした瞬間、彼はあからさまに嫌そうな顔をして言った。
「あいつの名前は聞きたくない」
(そ、そんなに彼のことが嫌いなのね……)
私は覚えておこうと思いつつ、言葉を続けた。
「そうは言わずに、聞いてほしいの。
貴方に誤解したままでいて欲しくないから」
「……」
彼は何も言わず、こちらに視線を向ける。
(話して良いということね)
私は軽く咳払いすると、口を開いた。
「私達が人気のない場所に行ってまで話をしたのは、エリナ様のことを心配した彼が、私が何故今更掌を返したのかを知りたかったそうよ。
だから彼も、貴方が私を婚約者として側に置いていることと同じね」
「……同じ?」
彼の端正な顔の眉間に皺が寄る。
「貴方言っていたでしょう? “判断する”って。
私が悪役……いえ、悪女でないかどうか見定めるという意味でなくて?」
「! ……」
ヴィクトル様は何も言わない。
私は代わりに言葉を続ける。
「だから、彼もまた私のことを疑っている人物の一人であって、そして何より特段彼には嫌われているの。
だから、ヴィクトル様は心配しないで。
これは私と彼の問題だから」
(今思い出すだけでも腹立たしいわっ!
そのせいですっかりエリナ様のイベントを見過ごしてしまったのだものっ!!)
神聖なる推し活を邪魔された恨みは強い、絶対許すまじ。
と静かに闘志を燃やしていると。
「俺は君のことを嫌ってなどいない」
「……へ」
思いがけない言葉に瞬きをする私に対し、ヴィクトル様は形の良い唇で言葉を紡ぐ。
「俺は彼と違ってアンジェラ、君の味方だ。
だから、婚約者として側にいてほしいと思った。
……あーいう時に、俺が君を守れるように」
「え……っ!?」
彼の距離が不意に近付く。
そして、彼は私に向かって手を伸ばし……、その手は頭の上に載せられた。
彼はそのまま言葉を続ける。
「ルイ・オドランのこともそうだが、何かあったら俺に言うんだ。
分かったか?」
「〜〜〜!!」
(しょ、衝撃が強すぎるぅ〜〜〜!!)
壁ドンのみならず、今度は頭ポンポン、だと……!?
(あ"〜〜〜!! 皆さん、これが私の最推しですよーーー!!!
推し様、最高〜〜〜!!)
全世界の女子に向かって叫び出したい衝動を堪え、小さく頷くだけに止まると、彼は柔らかな笑みを讃えた。
その笑みに、私は思わず固まってしまっている間に、彼は満足気な顔をし、椅子に座り直した。
(……今のって……)
前世で見たスチル、彼がエリナ様に向けていた表情……、いや、それよりももっと―――
(っ、ううん、気のせいよね! そう、気のせい!)
分かっていても、ヴィクトル様の甘さにすっかり当てられた私の熱は、一向に冷める気配がなかったのだった。
お母様のお墓は、ルブラン領内の海が見える丘に位置している。 それはお母様が、昔からこの場所を気に入っていたからだ。
「足元が暗いから気を付けろ」
「ありがとう」
幸い、時期的に日が暮れるのが遅く、夜の8時を回った今は丁度陽が海に沈む直前だった。
墓の前には、沢山のお花が供えられている。
(これが何より、お母様が領民からも愛されていた証拠)
そのお供え物の数々を見て胸が熱くなる私に、ヴィクトル様は言った。
「……アンジェラは既に、来ていたんだな」
彼は墓前に飾っていた花冠を見て言った。
(お母様は良く私に花冠を作ってくれた。
それが嬉しくて、お母様が亡くなってからは私が花冠を作って毎年お供えしている。
ヴィクトル様はそれを知っていたのね)
ヴィクトル様の言葉に対し、私は頷き答える。
「えぇ。 今日は夜会があるから、朝早い時間にお父様とお祈りをしに来たの。
……でも、貴方と来ることが出来て良かった」
私はそう言って、ヴィクトル様の隣にしゃがむと手を合わせた。
(お母様。 ヴィクトル様も一緒に来てくれました。
これからどうなるか、正直私にも分かりませんが、どうか天国で見守っていて下さい)
私はそう祈り、顔を上げると、ヴィクトル様がこちらを見ていた。
驚く私に、彼は言った。
「……幼い頃、言っていたな。 “ずっと一緒にいて”と」
「あ……」
その言葉で思い出す。 8歳でお母様を亡くした時、大切な人がいなくなってしまうことに何よりも恐怖を感じていた時があった。
そのせいで、私は……。
当時のことを思い出していた私に、ヴィクトル様は私に言う。
「俺はどこへも行かない。 だから、安心しろ」
「……!」
彼の澄んだ空色の瞳が、真っ直ぐと私を映し出す。
(そう、彼はこうして何度も言ってくれた。
あの時も、そして今も……)
黙り込んでしまう私に対し、ヴィクトル様は少し息を吐くと言った。
「それをこれから証明してみせる、必ず。
だから、君はただ隣にいれば良い」
「……ありがとう、ヴィクトル様」
「ん」
彼はそう言って、また朗らかに笑ってくれた。
……だけど、今はときめきを覚えることは出来ず、代わりにツキリと胸が痛む。
「さて、帰るか」
「……えぇ」
彼が自然と私の手を取り歩き出す。
その手に視線を落とし、後悔の念が私の心を支配する。
(あの時……、七年前のあの日、同じことを繰り返し言ってくれたヴィクトル様のことを信じきれなかった。
そのせいで私は、この呪い……、“薔薇姫の呪い”を被ってしまった)
結果、彼の言葉を私自ら裏切ることになってしまうなんて。
(皮肉なものね)
自嘲し笑ってみたが、目頭が熱くなる。
それに気付いたヴィクトル様は立ち止まり、私の手を引くとそっと胸を貸してくれた。
その温もりに触れて思う。
(ヴィクトル様は、優しい。 そんな彼に、“呪い”のせいで要らぬ心配や悲しみを与えたくない)
だから。
(私は彼のために、この“呪い”を必ず解いてみせる。
そして絶対に、皆が幸せになる日をこの目で見届けたい……)
そう新たな願いが心に芽生えたのだった。